数日前の日経に秋田浩之氏のコラムが掲載された。題して「そして3極に割れた世界 協調嫌がる『中立パワー』台頭」(*)。
A SEAN諸国からは、かねて「親米か親中かの色分けをしないで欲しい」「同様に、日中のどちらを取るのかといった踏み絵を踏ませないで欲しい」「日中関係を安定させてほしい。できれば経済と政治を切り分けて運営して欲しい」という声が挙がっていたとは、船橋洋一氏の著書(2020年2月)からの引用である。似たような内容は、グレアム・アリソン教授がリー・クアンユー氏にインタビューした著書(2013年10月)の中でも触れられていた。何も今に始まったことではない。
秋田氏が指摘される通り、オバマ大統領(当時)は、2012年8月、シリアのアサド政権に対して、化学兵器の使用は「レッドライン」だと警告しながら、翌13年、同兵器が使用されても軍事介入せず、同年に「世界の警察」を担わないとも宣言して、14年、ロシアによるクリミア併合を招いたのは間違いないところだ。更に続くトランプ大統領(当時)はアメリカ・ファーストを掲げ、同盟を蔑ろにすらした。
秋田氏によれば、東南アジアにとってロシアは最大の兵器供給国であり、アジア外交筋によると、ロシアは東南アジアの国々に対し、西側のロシア非難に同調すれば、兵器部品の供給を止めると水面下で脅しているそうだ。確かに硬軟織り交ぜて発展途上国をたぶらかせるのは、ロシアだけではなく中国を含めた権威主義国がやりそうなことだ。
こうして、秋田氏は、西側世界と権威主義世界との間で、どちらにも与しないインドや南アフリカ、インドネシア、トルコ、ブラジルといった「中立パワー」が台頭し、3つの異なる勢力がせめぎあう三極化の秩序を描かれる。しかし、だからと言って秋田氏が言われるような「無極化ではない」ことにはならないだろう。第三極の存在を許すこと自体、もはや二極のいずれにも統制出来ない「無極化」のあらわれでしかなく、イアン・ブレマー氏の主張が否定されることにはならない。秋田氏が言われる三極は無極の一類型でしかないと思う。
私たちは既に、アラブの春でも、イラクでも、アフガニスタンでも、苦々しい経験とともに学んだはずだ。自由・民主主義の実践以前に、社会の安定が必要な社会があることを。自由・民主主義を成り立たせるものは、もとより統治者のリーダーシップではなく、主権者たる被統治者の同意であり負託である。敢えて言うが、そのような民度を熟成させるのは、歴史的な経験を措いて他にない。中国やロシアはもとより、日・米・欧を除く世界に、残念ながらそのような歴史的な経験はない。
もっと俗な言い方をすれば、「衣食足りて礼節を知る」ということだ。西側は、そのような世界に対して、粘り強く対応して行かなければならない。
(*) https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD22A350S2A620C2000000/
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