中国事情通の方々のコラムやエッセイを読むと、高倉健さんの訃報が中国で予想以上の反響を呼んでいることに、彼ら彼女らも驚いた・・・といったような反応が多かったようです。
たとえば、中国版ツイッター微博には「さよなら、杜丘(健さんの中国での通り名)」と哀悼コメント(それらのコメントにはロウソクのマークがつけられていたそうです)が殺到し、反日デモの参加者がペンキや卵を投げつけていた在北京・日本大使館には、ファンだけでなく人気俳優の孫淳や作家の王斌(「単騎、千里を走る」をプロデュース)の両氏連名の供花まで贈られていたのはほんの序の口で、いつもは口さがない外交部報道官は定例記者会見で「高倉健先生は中国人民がよく知る日本のアーチストであり、中日文化交流促進のために重要で積極的な貢献を果たした」と異例の哀悼コメントを出し、新華社も中国新聞社も健さんへの敬意と惜別の念を込めた追悼記事を掲載し、国営の中央テレビは18日夜に25分間にわたり健さんを惜しむ特集を放送したそうです(福島香織さん、姫田小夏さん、柯隆さん等による)。APECで僅かながら歩み寄りを見せたとはいえ、全く心を許していない中国にしては、異例の反応ではありませんか。
既にご存知と思いますが、「杜丘」というのは、映画「追捕」(邦題「君よ憤怒の河を渡れ」、佐藤純彌監督)で健さんが演じた主人公・検事の名前です。西村寿行氏の小説をもとに大映が映画化し、1976年に封切られたサスペンス・アクション映画で、日本ではどちらかと言うとB級と見なされているようですが、文革後の1979年に中国全土で外国映画として初めて上映されるや、大変な人気を博したそうです。ひとつには、それまで中国で銀幕のヒーローと言えば革命劇の聖人君子然とした革命家ばかりで、日本人と言えば抗日戦争映画の卑劣な日本鬼子のイメージばかりでしたので、突如、現れた「追捕」の血の通った人間くさいヒーロー「杜丘冬人」は、日本人男性のイメージを一新しただけでなく、男性に対する中国人女性の審美眼まで変えたと言われます。中国の若い女性は、誰もが健さんのお嫁さんになりたいと思い、「杜丘」ファッションは一世を風靡したそうです。また、謹直な愛情演技しかない国産映画に慣らされた若者たちに、「杜丘」役の健さんと「真由子」役の中野良子さんの大胆な愛情表現は衝撃だったようです。そして、何より、強盗容疑を着せられ連行された東京地検・検事がそれを振り切り逃亡するというストーリーが、多くの人々が無実の罪を着せられ迫害された文革の時代状況に重なり、追っ手である公的組織から逃げ回るだけでなく反撃に出る主人公と、それを助ける女性、という「役人との闘い」のシチュエーションに、観衆は大いに共感し、溜飲を下げもし、人を騙し傷つけ合ってきた時代を経て、他人を尊重し礼節を守るという美徳に憧れを感じた・・・などと解説されます。
健さんは、中国を訪れると、いろいろな人から「杜丘」と呼ばれたそうで、これこそ文化の力であり、「ソフトパワー」であると、中国事情通の方々は、故人の人徳とともに、称えます。日中の政治関係が冷え込んでいる今だからこそ強調したい側面でもあります。私もそれに異論を唱えるつもりはありませんし、健さんが中国でも高く評価されることは、この上もなく晴れがましい。が、余計な一言をつい加えたくなります。つまり、中国政府をあげての健さん賛歌に見えるのは、大日本帝国軍人や現代の(安倍をはじめとする)極右・ナショナリストがいくら憎くとも、中国(共産党)は、健さんの偉大さや文化的貢献には敬意を払う「大人(ダーレン)」の風格をもつものであり、歴史や領土問題における日本の誤った認識がなければ、お互いを尊重し正常な外交関係を築くことが出来るのだと言わんばかりの、中国政府の「当てこすり」です。決して故人を貶める意図など毛頭ないのでしょうが、この期に及んで(中国人民の素直な哀悼の気持ちと比較して)中国政府の浅はかな計算が透けて見えて、ちょっと哀しくなりましたが、まあ私の考え過ぎでしょう。
たとえば、中国版ツイッター微博には「さよなら、杜丘(健さんの中国での通り名)」と哀悼コメント(それらのコメントにはロウソクのマークがつけられていたそうです)が殺到し、反日デモの参加者がペンキや卵を投げつけていた在北京・日本大使館には、ファンだけでなく人気俳優の孫淳や作家の王斌(「単騎、千里を走る」をプロデュース)の両氏連名の供花まで贈られていたのはほんの序の口で、いつもは口さがない外交部報道官は定例記者会見で「高倉健先生は中国人民がよく知る日本のアーチストであり、中日文化交流促進のために重要で積極的な貢献を果たした」と異例の哀悼コメントを出し、新華社も中国新聞社も健さんへの敬意と惜別の念を込めた追悼記事を掲載し、国営の中央テレビは18日夜に25分間にわたり健さんを惜しむ特集を放送したそうです(福島香織さん、姫田小夏さん、柯隆さん等による)。APECで僅かながら歩み寄りを見せたとはいえ、全く心を許していない中国にしては、異例の反応ではありませんか。
既にご存知と思いますが、「杜丘」というのは、映画「追捕」(邦題「君よ憤怒の河を渡れ」、佐藤純彌監督)で健さんが演じた主人公・検事の名前です。西村寿行氏の小説をもとに大映が映画化し、1976年に封切られたサスペンス・アクション映画で、日本ではどちらかと言うとB級と見なされているようですが、文革後の1979年に中国全土で外国映画として初めて上映されるや、大変な人気を博したそうです。ひとつには、それまで中国で銀幕のヒーローと言えば革命劇の聖人君子然とした革命家ばかりで、日本人と言えば抗日戦争映画の卑劣な日本鬼子のイメージばかりでしたので、突如、現れた「追捕」の血の通った人間くさいヒーロー「杜丘冬人」は、日本人男性のイメージを一新しただけでなく、男性に対する中国人女性の審美眼まで変えたと言われます。中国の若い女性は、誰もが健さんのお嫁さんになりたいと思い、「杜丘」ファッションは一世を風靡したそうです。また、謹直な愛情演技しかない国産映画に慣らされた若者たちに、「杜丘」役の健さんと「真由子」役の中野良子さんの大胆な愛情表現は衝撃だったようです。そして、何より、強盗容疑を着せられ連行された東京地検・検事がそれを振り切り逃亡するというストーリーが、多くの人々が無実の罪を着せられ迫害された文革の時代状況に重なり、追っ手である公的組織から逃げ回るだけでなく反撃に出る主人公と、それを助ける女性、という「役人との闘い」のシチュエーションに、観衆は大いに共感し、溜飲を下げもし、人を騙し傷つけ合ってきた時代を経て、他人を尊重し礼節を守るという美徳に憧れを感じた・・・などと解説されます。
健さんは、中国を訪れると、いろいろな人から「杜丘」と呼ばれたそうで、これこそ文化の力であり、「ソフトパワー」であると、中国事情通の方々は、故人の人徳とともに、称えます。日中の政治関係が冷え込んでいる今だからこそ強調したい側面でもあります。私もそれに異論を唱えるつもりはありませんし、健さんが中国でも高く評価されることは、この上もなく晴れがましい。が、余計な一言をつい加えたくなります。つまり、中国政府をあげての健さん賛歌に見えるのは、大日本帝国軍人や現代の(安倍をはじめとする)極右・ナショナリストがいくら憎くとも、中国(共産党)は、健さんの偉大さや文化的貢献には敬意を払う「大人(ダーレン)」の風格をもつものであり、歴史や領土問題における日本の誤った認識がなければ、お互いを尊重し正常な外交関係を築くことが出来るのだと言わんばかりの、中国政府の「当てこすり」です。決して故人を貶める意図など毛頭ないのでしょうが、この期に及んで(中国人民の素直な哀悼の気持ちと比較して)中国政府の浅はかな計算が透けて見えて、ちょっと哀しくなりましたが、まあ私の考え過ぎでしょう。
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