風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

戦略的自律性

2021-11-24 23:54:01 | 時事放談
 経済安全保障の政策課題として、前回ブログで触れた「戦略的不可欠性」に続いて、もう一つのコンセプトである「戦略的自律性」について触れたい。
 ちょっと旬を過ぎてしまったが、米・英・豪の間の安全保障協力の新たな枠組みであるAUKUSの発表には久しぶりに興奮した。とりわけ、AUKUSの当座の柱の一つが、米・英が豪州に対して原子力潜水艦の技術を供与する計画であると聞いて、感慨深いものがあった。豪州の潜水艦商談と言えば、2015~16年頃に日本がフランスやドイツと争い、日本にとって「武器輸出三原則等」から「防衛装備移転三原則」に切り替えて初めてとなる装備品輸出の大型商談になることが期待されたものだった。ところが、親日のアボット首相が退陣し、ターンブル首相に代わってから、俄かに旗色が悪くなり、最後はフランスに商談を掠め取られてしまった。そのフランスが、今度は米・英に商談を掠め取られたというのも因果な話だが、それぞれの理由は異なる。日本が敗れたのは、恐らく技術移転を渋ったからだと思われる。豪州は現地生産による現地雇用創出に大いに期待したが、潜水艦技術は日本が世界に誇る虎の子の機微技術であって、(安倍官邸は前のめりだったが)防衛省や防衛産業界には技術移転に根強い抵抗があった。当時、装備庁の関係者の話を聞いて、インド向け救難飛行艇US-2の商談が現地生産・技術移転がネックになって頓挫していたのと似たような状況にあると感じたものだ。他方、フランスの通常動力型潜水艦が米・英の原子力潜水艦に敗れたのは、豪州を取り巻く安全保障環境が変わったことに伴い豪州の戦略が変わったからだ。それにしても豪州は思い切ったものだ。そしてフランスは(かつて森村桂さんが「天国にいちばん近い島」と呼んだニューカレドニア島をはじめ)インド太平洋に領土を持つ、この地域の立派な利害関係者であり、米・英と同じ西側同盟(NATO)に属していながら、完全に蚊帳の外に置かれたことに激怒した(勿体つけた反応はやや大袈裟だったような気がするが)。
 そのフランスのマクロン大統領がかねて主張して来たのが、(NATOにおける)ヨーロッパの戦略的自律性(Strategic Autonomy)だった。トランプ前大統領から見放されかねないことを懸念し、さらにバイデン現大統領がアフガニスタンから撤退するにあたって同盟国に何の相談もなかった衝撃も加わって、ヨーロッパの自立の必要性を説くのは一理あるように思われるが、ヨーロッパ内でも賛否がある。フランスはド・ゴール大統領のときにNATOから抜けて、2009年に復帰したばかりで、プライドが高い独立心旺盛のお国柄であるのに対し、米国の安全保障に頼る東欧諸国は「自律性」には否定的だ。現実には、かつてのソ連や昨今の中国のような超大国と対峙する(パワーをバランスさせる)のに、単独では力不足で、有効な同盟関係は欠かせない。しかし今の米国に、かつてのように飛び抜けた「能力」も、世界の警察官として問題を引き受ける気前の良い「意志」も、もはやない。
 真実はその間にあるのは言うまでもない。超大国とバランスさせるのに同盟関係は欠かせないが、同盟に頼り切るのはリスクがあって、少なくとも国家の存立を維持するため、その脆弱性を衝かれることがないよう、それなりの基盤を備えるのが必要条件となるのだろう(そして前回ブログで触れた「戦略的不可欠性」を備えるのが十分条件となるのだろう)。かつての英国宰相パーマストン卿(1784~1865)が言われたように、「(大英帝国には)永遠の友も永遠の敵もいない。あるのは永遠の国益のみ」なのが、国際社会の掟なのだ。卿は、時のビクトリア女王から嫌われながらも、決断力は認められ、「大層意志の強い男」と評されて、ナポレオン戦争後、バランサーとして大陸ヨーロッパにおける力の均衡(所謂“Concert of Europe”)を演出し、大英帝国の海洋覇権に裏打ちされた「パクス・ブリタニカ」を象徴する人物(Wikipediaより)とされる。
 原則論はともかくとして、今や米社会は深く分断され、民主政治が傷つき、国内を優先する「アメリカ・ファースト」と言わざるを得ないような、外に目を向けて力を割く余裕が余りない状況では、米自身に同盟国との連携が、さらには日本やヨーロッパなどの同盟国自身に同盟関係への貢献が求められる。リーマンショック以来、格差拡大という文脈で行き過ぎたグローバル化に対する反省が沸き起こったが、このパンデミックでは、マスクや各種医療用品などが入手し辛くなる事態に直面し、サプライチェーンにおいて中国などの特定国に過度に依存する行き過ぎたグローバル化が、あらためて具体的に安全保障上のリスクとして浮き彫りになった。産業のコメと言われて久しい半導体の製造を世界中が依存する台湾は、かねて中国がOne China Policyとして統一を唱え、その統一を今や中国共産党の歴史的責務と定義するに至り、既にハイブリッド戦(中国風には超限戦あるいは情報戦や世論戦)を仕掛ける中で、独立がいよいよ危ぶまれており、台湾の半導体産業が中国共産党の手に落ちてしまうことのリスクは計り知れない。
 当然、日本も他人事ではない。米中対立(正確には3C政策: 経済や技術ではcompeteし、人権などの価値ではconfrontし、気候変動や軍備管理などではcooperateする)は長期戦が見込まれ、日本が持つ地理的な要衝性と、(民主)政治的な安定性と、経済・技術的な先進性といった戦略的価値を、アメリカが手放すこと(みすみす敵対者に渡すこと)は考えられない。だからと言って安全保障の自助努力を怠ってよいわけではない。
 AUKUSの話に戻すと、豪州による原子力潜水艦の運用は2040年頃と言われるほど先の長い話で、バイデン政権は「豪州を米国と英国に数世代にわたって結び付ける根本的な決定」だというような言い方をした。中国の海洋進出に対する米国の抑止力の中心は潜水艦であって、その作戦に豪州を引き入れることのメリットは大きい。私は、ある意味で米国の国際協調あるいは同盟国との連携というレトリックの底が割れたように思ったものだが、これに関して、防衛大学の神谷万丈教授は、アメリカ・バイデン政権のことを単なる「Multi-lateralism」(多国間主義つまりは国際協調主義)ではなく、「Uni-lateralなMultilateralism」だと形容された。蓋し至言だろう。同盟に頼り切ることなく、自律性と不可欠性を維持しながら、同盟というツールを(日本にしても米国にしても豪州にしても)最大限に活用して中国という懸念国との「関係を管理すること」が肝要なのだろう。
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