風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

慢心

2011-06-19 12:44:06 | 時事放談
 先週末のことになりますが、ネットをBrowsingしていて、産経ニュースのサイトで印象的な記事を見つけましたので、ご存じの方も多いと思いますが、遅ればせながら引用します。
<引用はじめ>
 「去年10月21日に大事な催しがあったがご存じか」4月18日の参院予算委員会。自民党の脇雅史国対委員長は菅直人首相に問いただした。
 「突然の質問ですので、何を指しているか分かりません」。恐る恐る答弁した首相に対し、脇氏はさらに質問を重ねた。
 「原子力防災訓練をやった。首相は原子力(災害)対策本部の本部長をやった。」
 首相は「詳しい内容は記憶していない」と答えるのがやっとだった。
 その訓練は、約5カ月後の東京電力福島第1原発事故と似た事態を想定して実施されていた。「浜岡原発3号機で、原子炉給水系の故障により原子炉水位が低下し、原子炉が自動停止。非常用炉心冷却装置なども故障して、万一放射性物質が放出された場合、その影響が発電所周辺地域に及ぶおそれがある。」
 首相は早朝の15分間、官邸の大会議室から訓練に参加した。現地とのテレビ会議で、事前に用意された資料を読み、時折言葉を詰まらせながら「緊急事態宣言」や、現地への「指示」を出していた。
 首相はこのことをすっかり失念していたのだ。
<引用おわり>
 皮肉な話です。去年の10月と言えば、菅内閣発足直後の6月に閣議決定した「エネルギー基本計画」から4ヶ月、よもやその5ヶ月後に当時の防災訓練で想定した事態が福島で発生し、その防災訓練で想定した浜岡原発の原子炉の運転停止を自ら表明することになろうとは、夢にも思わなかったことでしょう。「詳しい内容は記憶していない」と発言した、その心中にどのような思いが去来したか。そこにこそ、その人となりが表れるものですが、それに続く発言もなく、果たして菅総理はどうだったのか、私たちには知る由もありません。しかし、これが原発に関わることではなく、一般的な防災訓練だとすれば、よくある光景ではないでしょうか。
 こうして見ると、明らかに慢心がありました。菅総理だけではなく、私たち国民も同じです。
 3月11日の大震災時の対応で、東京ディズニーランド(あるいはディズニーシー)が賞賛を浴びました。ポイントは、夢の国にありながら、ゲストに夢を見させることより安全第一を優先するポリシーが徹底されていたこと、そしてその制度的裏付けとして、日頃から防災訓練を怠らなかったこと(社員の大部分が正社員ではないにも関わらず、むしろそれ故に)、にあると思います。それに引き替え、被災地のある幼稚園で、園児を親御さんに少しでも早く送り届ける配慮から、海の方角に向かったバスが津波に巻き込まれるという悲惨な事故がありました。後知恵ではありますが、多くの学校で行われていたように、先ずはお預かりしている園児の安全を確保することが何故最優先されなかったのか、悔やまれます。
 想定外という言葉を、最近でこそ聞かなくなりましたが、自然界に想定外などあり得ないと、ある学者が吐き捨てていました。その学者が言いたかったことは、自らの経験の中で判断することの愚かしさであろうと思います。歴史を振り返れば大災害が発生することは当たり前に想像できる。アメリカのディズニーに出来て私たちに出来ないとすれば、地震や台風などの厳しい自然環境に暮らす私たち日本人だからこそ、大小を問わず災害は当たり前のものとして慢心があったのか。掘立小屋のような家が壊れたらまた建て直せばよい、津波にやられたら別の場所に移ってまた田畑を耕せばよい、という時代であったらまだしも、原子力という、もはや普通では私たち人間の手に負えないような強大なパワーを抱え込み、科学技術の粋を結集して抑え込むことによって、その上に高度な産業社会を築き上げてしまった、そんな現代にあってなお、慢心していた罪は重いと思います。
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