風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

科学と技術

2011-06-20 02:43:33 | 時事放談
 昨日ご紹介したいわくつきの防災訓練が行われていた昨年10月、「原子力安全基盤機構」なるものが、ある研究報告をまとめていました(Will 6月号、また読売新聞4月4日朝刊)。福島原発の2・3号機について、電源が全て失われる状態が三時間半続くと圧力容器が破損し、炉心の燃料棒も溶け、更に六時間五十分後には格納容器も高圧に耐え切れずに破損し、溶け出した放射性物質が外部に漏れ出すというものです。実際に福島原発で何が起こったかはいまだ明らかにされていませんが、これだけ読むと、なんだ、予想通りのことが起きただけではないか、という思いに囚われて、愕然とします。勿論、東電はこうした報告を受けながら、何も対策を講じていませんでした。
 それにしても、この「原子力安全基盤機構」なるもの、2003年10月に設立された経産省所管の独立行政法人で、原子力発電所や核燃料サイクル施設などの原子力施設の安全確保に関する専門的・基盤的な業務を、「原子力安全・保安院」(経産省の外局で、先ごろ菅総理は、経産省からの分離を検討する方針を固めました)と連携して行うとあります。独立行政法人としては他に「日本原子力研究開発機構」なるものが、「日本原子力研究所(JAERI、略称:原研)」と「核燃料サイクル開発機構(JNC、略称:サイクル機構、旧動力炉・核燃料開発事業団=略称・動燃)」を統合・再編して、2005年10月に設立され、原子力に関する研究と技術開発を行うものとされています。また、内閣府の審議会等としては、ご存じの通り「原子力委員会」と「原子力安全委員会」があります。前者は、原子力基本法(1955年12月成立)に基づき、国の原子力政策を計画的に行うことを目的として1956年1月に総理府の附属機関(のち審議会等)として設置されたものであり、後者は、原子力の安全確保の充実強化を図るため、原子力基本法の一部を改正し、原子力委員会から分離し、1978年に発足したもの(Wikipedia)です。日本の原子力安全については、業者に対して直接安全規制するのは規制行政庁(経済産業省・原子力安全・保安院、文部科学省等)であり、規制行政庁から独立したこの「原子力安全委員会」が、専門的・中立的な立場から、原子炉設置許可申請等に係る二次審査(ダブル・チェック)、規制調査その他の手段により規制行政庁を監視・監査する多層的体制となっているそうです(Wikipedia)。原発を巡っては、国策とはいえ、様々な組織が重層的に設置され、推進するにせよ安全を確保するにせよ一つの利益集団を構成していることが分かります。
 世間では、原発問題を、どちらかと言うと原子力安全・保安院が機能していなかっただの、原発を推進する立場にあった経産省に保安院を統括させていた体制がオカシイだの、官邸が何でも取り仕切ろうとして機能マヒしているだの、組織論やマネジメントの問題として捉えがちですが、今日は少し違った視点で取り上げてみたいと思います。
 ある学者が、原発事故は「科学」の問題ではなく「技術」の問題だと言われていました(東大・宮田秀明教授)。
 「科学」と「技術」は何が違うのか。「ものつくり敗戦」(木村英紀著)では、生きていくために必要な道具を作り出す能力は人間だけが持っており、我々の祖先が道具を作ることを始めた時、人間の営みとしての「技術」が生まれたと考えることが出来るのに対して、英語のScienceという言葉が流布したのは19世紀のことであり、ガリレオやニュートンらによって近代科学の基礎が作られた16~17世紀にはこの言葉がなく、「科学」の始まりは「世界とは何であるか、自然とは何であるか」の問いかけに始まると考えるとすれば、科学の起源は哲学の起源まで遡ることが出来る(現にニュートンは自らの研究をNatural Philosophy(自然哲学)と呼んでいた)と説明します。つまり発祥に関する限り「科学」と「技術」は全く無関係の人間の営みであり、一方(技術)は生きるための必要に駆り立てられた身体的な行為であるのに対し、他方(科学)はとりあえずは生存とは切り離された好奇心に基づく頭脳的な思索であったと。「科学」と「技術」が車の両輪のような一体の協力関係が打ち立てられたのは、フランスにおいて「科学」を基礎に「技術」者を系統的に育てることを目的に設立されたエコール・ポリテクニクが誕生した18世紀末以降のことです。例えば初期の有機化学が発見した多くの化学物質は短時間で薬品や染料になり、また物理学者マクスウェルによる電磁方程式の確立は無線通信技術に結び付いたように、自然を認識するための純粋な精神活動であった「科学」が、「技術」が求める新しい現象の解明をその使命に取り込むことを通じてその視野を著しく拡大し、社会への影響力を増して行った当時の「科学」の変貌は、ニュートンらによる近代科学の確立(「第一の科学革命」)に続く、「第二の科学革命」と呼ばれています。日本人が「科学技術」と、さも「科学」と「技術」が一体であるかのように呼び習わすのは、文明開化で輸入した「科学」や「技術」がまさにその当時のものであったという時代背景に起因します。これを受けて産業は大量生産、社会は大量消費の道をひた走り、物質文明の繁栄がもたらされます。更に20世紀に入り、戦間期に、アングロサクソンの国々で「第三の科学革命」が起こり、現代に至るわけですが、日本はそれに乗り遅れていることが第二次大戦の敗北で明らかになったにも関わらず、その後も時流に乗れていないという問題提起が本書の趣旨ですが、本稿とは関係がないので省略します。
 さて、先の宮田教授によると、「科学」と「技術」の一番大きな違いは、「技術」が人間に対して責任を持つことだと言います。確かに、「科学」は責任という意味ではニュートラルかも知れません。そして、技術のそうした性格を象徴するのが、「フェールセーフ設計」だと言うわけです。失敗したり故障したりしても安全が保たれるように設計するという意味で、技術のアウトプットであるすべての製品、特に人命にかかわる製品の設計ではこれが特に大切です。
 例えば、新幹線が何度も大きな地震に遭遇しても、人を傷つけたことがないのは、緊急停止システムというフェールセーフ機能を装備し、それが正しく機能しているからです。また飛行機は、制御系統を三重にして、必ず安全に飛行できるようにしており、その内の一つにでも異常があると、運航を中止してしまう構造になっています。1985年8月に墜落して大惨事を招いた日本航空123便でも、旅客機の機体設計に多重防護の発想が取り入れられ、同機の操縦用油圧システムは4系統とされていたのにも関わらず、機体の後部圧力隔壁が損壊した際に客室内の空気が機体尾部に噴出し、4系統の油圧パイプが全て破壊されたことで、同機は操縦不能に陥ったと言われています。そして、今回の福島原発でも似たような事態が発生しました(これ以降の論考は警察大学校教授・樋口晴彦氏による)。
 3月11日の巨大地震により、福島第1原発で稼働中の1~3号機では、直ちに制御棒が挿入され、正しく自動停止しました。核分裂が止まった後も、核燃料は崩壊熱を放出し続けるため、時間をかけて燃料棒を冷却しなければなりません。そのため、緊急炉心冷却装置(ECCS)などの冷却システムが原子炉内に冷却水を注入するとともに、その冷却水をポンプで循環させて、熱交換装置を介して海水中に排熱する仕組みになっています。この冷却システムの電源は、他の発電所からの送電と非常用ディーゼル発電機による自家発電が用意されており、特に重要なのは後者のディーゼル発電機で、万一の故障に備えて、予備の発電機も設置されていました。今回の震災でも、外部からの送電は途絶えましたが、発電機が作動して冷却システムは正常に機能しました。ところが、津波によって事態は一変します。想定していたより遥かに大きい津波に襲われ、海側に面した発電用タービン建屋の地下に設置された非常用ディーゼル発電機が冠水して使用不能となり、午後4時36分の時点で福島第1原発は電源を喪失してしまいます。この電源喪失により、交流モーターポンプを使用するECCSはことごとく停止し、炉内の蒸気でタービンを回す原子炉隔離時冷却系だけは引き続き作動しましたが、その注水口が電動弁であったため、停電して数時間経つとバッテリーが切れて電動弁が閉じてしまい、かくして福島第1原発では、原子炉を冷却する手段を完全に失ってしまったのでした。
 再び宮田教授の話に戻ります。福島第1原発事故は「フェールセーフ設計がかなりいい加減だった」という事実を露呈したと言うわけです。原発のフェールセーフ設計をどうすればいいのか、自分は専門ではないので分からないと言いつつ、しかし、想定される暴走や、自然災害の攻撃に対処するためには、何重もの遮蔽と防護の構造を造り、どんな事故があっても閉じ込められるシステムにしなければならない、そのようなフェールセーフ・システムと使用済核燃料の後処理の難しさを考えると、原子力発電のコストはかなり高いものになり、結局、経済性の面からも成立しない発電システムになるのではないだろうか、と述べておられます。
 東電では、2009年から津波による被害の再評価を進めていたと言われます。結果的に3月11日の震災に間に合わなかったのは、2006年に国の耐震指針が改定されたのを受け、揺れに対する設備の耐震性の評価と対策を先に進め、津波対策は後回しになっていたからだというのは多分に言い訳がましく、現に、日本原子力発電の東海第2原発(茨城県東海村)では、再評価と同時に冷却用設備に防護壁を設置するなどの対策を行い、冷却機能の喪失を免れて、明暗を分けました。原子力安全・保安院の関係者からは「タイミング的に残念な結果になった」と悔いる声が出ているそうですが、役人の言い訳はともかくとして、技術者は内心忸怩たるものがあることでしょう。今、ヨーロッパで反原発の勢いが止まらないのは、あの日本でさえ原発を制御出来なかったのだから、その他の国では出来るわけがないといった割り切りが背景にあるという解説を読んだことがあります。今回の原発事故が直ちに技術大国・日本の信頼を揺さぶるものとは思えませんが、技術大国の威信にかけても、完璧に安全な原発と安心な生活を取り戻して欲しいと切に思います。
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