一週間ほど前の話になるが、世界の王さんが入籍されたという報道があり、ちょっとほっこりした。
芸能レポーター的な野次馬根性によれば・・・1966年に結婚した前妻を2001年に亡くした王さんが、2006年7月に胃を摘出する手術を受けた後、身の回りの世話をして献身的に支えてくれたのが、結婚した18歳年下の女性だという(知り合ったのは2000年頃という)。博多は中州の老舗料亭の娘さんで、などと聞くとそれだけでなんとなくおっとりと、しかし、しっかりとしていそうだ。2008年頃から一緒に住んでいて、周囲には「家内です」と紹介していたというので、今さら?とも思う。
その、今さら?という疑問について、ご本人は「一緒に住んで10年目。10年も世話になったから、しっかりとけじめをつけようということで」「これからはますます年齢も上がるし、体の方も。2人で支え合って生きていこうということで」と説明され、ご自身なきあとのことをご配慮されたのはまあ当然だろうが、当面、一般人のように年金や保険の心配はしなくて済んでも、スマホの家族割引が受けられなかったり(世界の王さんはそんなことは気にしないか)、航空会社のマイレージが適用できなかったりと、いろいろ不便だったことだろうと思う(微笑)。実際のところ、3人の娘さんの中で亡き母親に対する思いが最も強く、王さんの交際に複雑な感情を持っていたらしい次女の理恵さんが2015年に三度目の結婚をして、下衆な話ながら、お相手は銀座や青山など都内一等地に7つもの医院を経営する歯科医師のセレブだそうで、「自身が本当の幸せをつかんだことで、頑なだった気持ちが徐々に変わったよう」(日刊ゲンダイDIGITAL)といったあたりが影響していそうだ。
その日刊ゲンダイDIGITALは「就活」ならぬ「終活」と形容しているが、人生100年と言われる時代にあって、王さんのような再婚はごく普通に身近なものになりそうな気がする。そしてそのときに最も問題になりそうなのが家族の気持ちだろうが、これからの時代は、それもそれほどの障害になるとは思えない。
さて、それもそのような局面に至れば重要なことだが、しがないサラリーマンにはもう一つ重要なことがある。
知人の中には、第二の人生を考えるなら決断は早い方がいいと、50代になったばかりで転職を決意した勇気ある者がいるし、かつて大前研一さんは、老後の趣味を始めるなら頭や身体が動く40代や50代の内がいいと語っていた。私はと言えば、20代半ばの頃、当時は若造でもビジネスクラスで海外出張できて、隣に座った商社出身で仲間と起業したという40代くらいのおじさんと仲良くなって、誘われて何度か飲みに言って同僚を紹介されるまでになったが、大企業への思いは(余り無理せずとも大きな仕事ができるであろうという意味で)断ち切れなかった(同じ頃、台湾行きのフライトで、尻ポケットに万札の束を突っ込んだヤクザ屋さんと隣り合わせて仲良くなって、台北でカラオケ店をやってるから是非遊びにおいでと名刺交換したこともあったのはご愛嬌、対で記憶にある 微笑)。40歳の頃、仕事の転機があって転職が纏まりかけたこともあったが、その年齢になると家族(とりわけ乳飲み子)のことを思ってやっぱり踏み切れなかった。あの頃、飛び出していればという後悔する思いはちょっぴりないわけではないが、とうとう(人生100年とすれば)人生の折り返し点を既にちょっと過ぎてしまうと、さて、財政的余裕がない、しがないサラリーマンは、人生の第二ステージをどう過ごしたものかと、王さんのように地位も名誉も財政的基盤も(多分)しっかりされているからこそ、余裕の老後が微笑ましくも、羨ましくもあるのであった。
芸能レポーター的な野次馬根性によれば・・・1966年に結婚した前妻を2001年に亡くした王さんが、2006年7月に胃を摘出する手術を受けた後、身の回りの世話をして献身的に支えてくれたのが、結婚した18歳年下の女性だという(知り合ったのは2000年頃という)。博多は中州の老舗料亭の娘さんで、などと聞くとそれだけでなんとなくおっとりと、しかし、しっかりとしていそうだ。2008年頃から一緒に住んでいて、周囲には「家内です」と紹介していたというので、今さら?とも思う。
その、今さら?という疑問について、ご本人は「一緒に住んで10年目。10年も世話になったから、しっかりとけじめをつけようということで」「これからはますます年齢も上がるし、体の方も。2人で支え合って生きていこうということで」と説明され、ご自身なきあとのことをご配慮されたのはまあ当然だろうが、当面、一般人のように年金や保険の心配はしなくて済んでも、スマホの家族割引が受けられなかったり(世界の王さんはそんなことは気にしないか)、航空会社のマイレージが適用できなかったりと、いろいろ不便だったことだろうと思う(微笑)。実際のところ、3人の娘さんの中で亡き母親に対する思いが最も強く、王さんの交際に複雑な感情を持っていたらしい次女の理恵さんが2015年に三度目の結婚をして、下衆な話ながら、お相手は銀座や青山など都内一等地に7つもの医院を経営する歯科医師のセレブだそうで、「自身が本当の幸せをつかんだことで、頑なだった気持ちが徐々に変わったよう」(日刊ゲンダイDIGITAL)といったあたりが影響していそうだ。
その日刊ゲンダイDIGITALは「就活」ならぬ「終活」と形容しているが、人生100年と言われる時代にあって、王さんのような再婚はごく普通に身近なものになりそうな気がする。そしてそのときに最も問題になりそうなのが家族の気持ちだろうが、これからの時代は、それもそれほどの障害になるとは思えない。
さて、それもそのような局面に至れば重要なことだが、しがないサラリーマンにはもう一つ重要なことがある。
知人の中には、第二の人生を考えるなら決断は早い方がいいと、50代になったばかりで転職を決意した勇気ある者がいるし、かつて大前研一さんは、老後の趣味を始めるなら頭や身体が動く40代や50代の内がいいと語っていた。私はと言えば、20代半ばの頃、当時は若造でもビジネスクラスで海外出張できて、隣に座った商社出身で仲間と起業したという40代くらいのおじさんと仲良くなって、誘われて何度か飲みに言って同僚を紹介されるまでになったが、大企業への思いは(余り無理せずとも大きな仕事ができるであろうという意味で)断ち切れなかった(同じ頃、台湾行きのフライトで、尻ポケットに万札の束を突っ込んだヤクザ屋さんと隣り合わせて仲良くなって、台北でカラオケ店をやってるから是非遊びにおいでと名刺交換したこともあったのはご愛嬌、対で記憶にある 微笑)。40歳の頃、仕事の転機があって転職が纏まりかけたこともあったが、その年齢になると家族(とりわけ乳飲み子)のことを思ってやっぱり踏み切れなかった。あの頃、飛び出していればという後悔する思いはちょっぴりないわけではないが、とうとう(人生100年とすれば)人生の折り返し点を既にちょっと過ぎてしまうと、さて、財政的余裕がない、しがないサラリーマンは、人生の第二ステージをどう過ごしたものかと、王さんのように地位も名誉も財政的基盤も(多分)しっかりされているからこそ、余裕の老後が微笑ましくも、羨ましくもあるのであった。
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