風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

藤井 八冠独占

2023-10-21 13:30:11 | スポーツ・芸能好き

 旧聞に属するが、先週木曜日(10/12)の日経朝刊一面トップに藤井総太七冠が王座戦を制した記事が掲載された。このブログ・タイトルは、その記事のタイトルをそのまま頂戴した。将棋好きの経済人は多いかも知れないが、それにしても経済新聞ともあろうものが何故!?と思ってしまうが、その横に「沈む日本に『Zの衝撃』」と題する解説記事が併せて掲載されており、ポイントはそこにあるようだ。

 「沈む日本」とは穏やかではない(が、この方が注目を集めるのは確かだ)。正確には「停滞する日本」と言うべきで、失われた30年以上もの間、他国は成長を続け、結果として日本は「相対的に」沈んだ。記事は、坂口安吾の「散る日本」という作品を引きながら、Z世代の台頭が、沈む日本と日本人を異様なまでに刺激していると言う。圧倒的な実力差で史上初の八冠独占という快挙を成し遂げたZ世代の誕生の秘密をオトナたちの誰もが知りたがり、日本の突破口に繋がる「解」を導けるか、こうした革命児と「共振」出来るか、と問うている。彼より年上である殆どのビジネスパーソン、とりわけ親子ほどの歳の差がある管理職クラスを挑発し、喝をいれる(余計なお世話だが)。

 ところで、敵に囲まれた中東でハリネズミのように鉄壁の防護を誇ると思われていたイスラエルが、ハマスの突然の攻撃の前に、意外に脆かった。イスラエルには三つの隙があったと日経は報じた(10/11付)。近隣情勢について、ハマスより高い戦力をもつヒズボラを警戒する一方、ハマスは2年にわたって大規模な軍事行動を控え、新たな攻撃の意思がないと見誤った。技術面で、世界有数のサイバー技術をもつ余りシギントに頼り過ぎ(ハマスは全世紀型のアナログな方法で連絡を取り合っているらしい)、アイアン・ドームなる強力な防空システムを誇るも、僅か20分の間に数千発ものロケット弾を撃ち込まれると、多くを迎撃できなかった。そして、政権は最近の内政の混乱に気を取られ過ぎてしまっていた、と。

 また、軍事力では世界有数で最強の陸軍を誇るロシアも、ウクライナへの“特別軍事作戦”に手こずり、意外な脆さを露呈した。開戦の数か月前から(部分的には数年前から)欧米はウクライナをサイバー防護や軍事面で指導し、ハイブリッド戦への備えが出来ていたようだ。一方のロシアは2014年のクリミア併合が余りにあっけなくスムーズに事が運んで慢心していたのだろうか。決定打もなく、21世紀の今、第一次大戦を彷彿とさせる塹壕戦を展開する有様である。

 いずれも、私たちの思い込みを嘲笑うかのようである。

 それに引き換え、サバを読んでZ世代に含めてもいい大谷翔平は、二刀流を、さも二兎を追ったら一兎も得られないと言わんばかりの批判に晒されたが、そんな永年の人々の思い込みをものともせず、年々、進化を遂げて、投・打のそれぞれで傑出した実力を発揮し、とうとう日本人の常識を破るメジャー本塁打王を獲得した。

 また、藤井八冠の師匠・杉本昌隆八段は、彼の目標は「将棋の真理に近づくこと」だと言われる。「目標を達成した、などとは微塵も考えていないはずだ」と。藤井八冠はAIネイティヴ世代と言えるかも知れない。彼が研究に活用する将棋ソフト「水匠」は1秒間に1億手近い候補手を読むことができるそうだが、網羅的に手を調べるからであって、ピンポイントに良い手だけを読む人間的な大局観は時にAIを超えることがあると言われる。とりわけAI的には良くなくても、相手のミスを誘うような手を選んで大逆転を演じたことが何度かあったようだ。ひたすら最善手を探し求めるAIとは違い、人間同士の戦いだからこそ泥臭さもある将棋の世界の奥深さであり真理でもあるのだろう。

 冒頭に引いた日経解説記事は、次のように締める。「かつて、この国に敗戦を招いた形式主義や精神主義を、(坂口)安吾は『日本的幽霊』と呼んだ。幽霊はまださまよっている。」 確かに、藤井八冠にしても、大谷にしても、これまでの思い込みや形式に囚われることはない。かつてイチローは、ヒットになっても必ずしも喜ばず、アウトになっても納得したことがあった。記録は後から付いて来るもので、イチローは常に「内容」にこだわっていたのだった。藤井八冠も、此度の王座戦三戦目に勝って浮かない顔をしていた。彼もまた勝負の結果より「内容」にこだわるからだろう。

 かつてアメリカの作家ジョン・スタインベックは、「天才とは、山の頂上まで蝶を追う幼い少年である(Genius is a little boy chasing a butterfly up a mountain.)」と語った。彼らの本当の凄さは、記録に拘ることなく、ただ只管、将棋なり野球なりの世界の真理を究めんと夢を追い求める、求道者としてと言うより(イチローにはそういうところがあったが)、将棋少年や野球少年であり続けられるところにあるのではないだろうか。そしていつの間にか世界の頂上に達している。その態度は、必ずしもZ世代だから、というわけではないところに救いがあるようにも思う。

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