風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

東京都知事のプライド

2016-05-16 01:05:07 | 時事放談
 遅ればせながら、歯切れの悪い舛添都知事の釈明会見には、呆れてしまった。
 舛添さんのことは、私は学生時代から、「フランス人と日本人」(1982年)というカッパ・ブックスの本で知っている。今でも押入れ奥深く段ボール箱の中に、捨てずに放ったらかしにしているのは、内容はともかく、卒業後すぐに助手に就任、パリやジュネーブに留学、東京大学教養学部助教授というピカピカの経歴に目がくらんだ部分もあるが、どちらかと言うと保守的な雰囲気に見える東京大学という肩書にも係らず時代を感じさせる長髪で颯爽と見えたのに好感し、新進気鋭の政治学者として注目したからだった。ついでに、高市早苗女史のことも、20代の頃から、アメリカ下院議員の政策秘書(と思っていたら、Wikipediaによると今はコングレッショナル・フェローと呼ぶらしい)経験を書いた「アズ・ア・タックスペイヤー」(1989年)という(カッパ・ブックスと同類の)祥伝社の本で知っていた。こちらの方がまだ中身があって、今でも押入れ奥深く段ボール箱の中に、捨てずに放ったらかしにしてあるはずだ。しかし、人は年齢とともに変わるものだと思う。
 公私混同との批判がなされている。国会議員や都知事でなくとも、私たちサラリーマンでも、「時間」については公と私を截然と分けられるものではない。パソコンや携帯で四六時中追いかけられる時代なのだからなおさらである。そのときの「金(コスト)」を公と私のいずれに区分けするかという、言ってみれば小さな問題だ。しかし、小さな問題であっても価値観の問題に帰着するから厄介だ。もとより経費処理を間違えるといった手続きレベルの話ではなく、会計責任者の任命責任といった問題でもなく、会計処理方針あるいはその指導を行うマネジメント・レベルの話である。いまどき出張で大名行列のようにお共を大勢連れるのはどういう料簡だろう。わざわざ極上のスイートルームに宿泊するのではなく、やんごとなき人と面会するとすれば、短期間とは言え着替えを散らかして生活感が覗く宿泊ルームではなく、別の会議室か部屋を使うのが常識だろう。家族旅行中に割り込みがあって電話会議をしたとしても、如何に大事な会議であろうとも、家族旅行の宿泊費そのものを会社につけるようなサラリーマンはいないだろう。どんな目的で誰と誰が参加したか、その事実関係を問う記者がいたが、そんな事実認識が問題なのではない。街頭インタビューで、街のおばちゃんが「普通の人なら・・・」などと語っていたが、「普通の人」の良識を問う場面でもない。「公人」であり、しかもその「リーダー」なのだから、ことさらに高い倫理観が問われるべき筋合いのものだ。
 フランス語では「ノブレス・オブリージュ:noblesse oblige」と言い、高い社会的地位(あるいは権力や財産)の保持には責任が伴うという意味で、最近もフォークランド紛争で(それが最近のことかどうかは争いがあろうが)アンドルー王子がイギリス軍に従軍したのを記憶するし、大東亜戦争では皇族が軍務についた。古来、中国では「李下に冠を正さず」と言い、君子たるもの、自分の行動は常に用心深くし、疑われるようなことをしてはならない、といった処世訓が言い伝えられて来た。あらためて調べてみると、「古楽府」の中の「君子行」で「君子防未然、不處嫌疑間。瓜田不納履、李下不正冠。」(君子は未然に防ぎ、嫌疑の間に處(お)らず。瓜田に履(くつ)を納(い)れず、李下に冠を正さず)と、民間のはやり歌の一部だったようだ。一般庶民の期待のあわられであり、警告でもあろう。東京都知事のプライドはどこへ行ったのか。
 しかし、政治は民度を反映するものだともいう。
 私の知人の会社では、200円とか300円の立替交通費の精算にも不正が散見されるものだから、管理職ですら自己承認ではなくその直属上司の承認を求めるプロセスに変わったという。なんだか情けない話だが、サラリーマンとてその調子だから、政治家のことは(金額の多寡はあれ)とやかく言えないのかも知れない。
コメント
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