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風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

コスモス街道

2010-10-14 23:47:52 | 永遠の旅人
 先週末、かれこれ30数年前、狩人のデビュー作「あずさ二号」に続く2曲目のタイトルにもなった長野県佐久市のコスモス街道に行って来ました。
 国道254号線沿い、佐久市内山地区の一部に、1972年、地元の老人会がボランティアで植えたのが始まりで、ちょうど狩人が歌った頃には、全長9kmに及ぶコスモス街道の原型が出来上がったそうです。毎年9月にほぼ三週間にわたって、コスモスまつりが開かれ、風船飛ばしや太鼓演奏、子供たちの合唱、農産物・特産物即売会、近隣の寺院散策や座禅体験会など、さまざまなイベントが目白押しです。
 今もなお長閑な田園風景の中の、一本道の国道沿いに、まさに“花道”と呼ぶに相応しい垣根をつくり、ご覧の通り、やや伸び切って、人間で言えばちょっとトウが立って、もはや可憐と言うわけには行きませんが、ピンクや紅や白など色とりどりの立派な花をつけて、秋の柔らかい日差しを浴びて揺れています。決して派手さはなく、そうと知らなければ通り過ぎてしまうほど。何事も続けること、維持することこそ難しいもので、コスモス街道はその難しいことを、さも何でもないことであるかのように佇んでいますが、そこには人々の手厚いサポートがあってこそ。そんな幸せがそこはかとなく溢れるような、淡い色合いの光景でした。
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三鷹の森ジブリ美術館

2010-10-03 14:19:45 | 永遠の旅人
 昨日、懸賞で当たったというので、家内と下の子を連れて井の頭公園そばのジブリ美術館に行って来ました。キャッチフレーズは、「迷子になろうよ、いっしょに。」 あれだけの豊富なキャラクターをもつスタジオ・ジブリなので、期待が膨らみます。
 いきなり受付にトトロが座って出迎えてくれて、思わず気持ちがほっこりし、ぐいっとその世界に引き込まれます。勿論、この受付は言わばハリボテで、帽子のような形をした本物の受付は別のところにあり、ごく普通の人間が待ち構えていてがっかりするのですが、渡されるキップは映画用35mmフィルムが嵌め込まれたもので、何が出てくるか確かめるまでドキドキわくわくします。今回は、メイちゃんが穴ぐらを覗き込んだところと、メイちゃんの満面の笑顔があり、以前、家内と下の子だけで来た時にはキャラクターが映っていないただの風景だったので、今回はアタリと言えるでしょう。これだけで子供は幸せな気分になりますし、いつかトトロが出てくるまで、楽しみは続きます。
 館内は、木の素朴さを前面に出したつくりで、都会にありながら時代を超えた田舎の小ぢんまりとした美術館風情であり、二階の渡り廊下(橋)は危なっかしくて興味をそそられますし、窓には、ジブリのキャラクターをはじめ花や動物が描かれたステンドグラスが嵌め込まれていて、目を楽しませます(隠れミッキーならぬ隠れトトロがあるとなお楽しめそうですが)。部屋ごとにそれぞれ趣向を凝らし、スライドや人形を高速で連続して映すことによって動画に見える仕組みを紹介していたり、アニメを構想し制作するスタジオが再現されていたり、小学生限定ながら大きなネコバスの部屋があったりと、子供たちがさまざまに興味をもって迷いこめる工夫がなされています。地下1階にある映像展示室「土星座」でたまたま見た映画は「星をかった日」という16分の小品でした。前回、家内たちが見たのは「くじらとり」という、「グリとグラ」を描いた方の小品で、かわいらしいには違いないのですがジブリとして見るには物足りなかったそうですが、今回はいかにもジブリらしい、オトナの童話の不思議な世界と影像の美しさに驚嘆し、大満足のようでした。
 些か期待はずれのところがないでもないですが、美術館と冠する以上やむを得ません。ディズニーと並び称されるジブリですが、ディズニー自体がおとぎの国そのものを提供し私たちを楽しませてくれるのと対照的に、ジブリは飽くまでアニメが全て、アニメの世界を一歩も逸脱することなく、アニメを楽しませるための舞台裏や小道具を覗かせてくれる、抑制のきいた大人し目の美術館として、都会のエアスポットのように、時折、私たちの心を和ませてくれるのでしょう。
 上の写真は、美術館の守り神のロボットです。
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京都

2010-09-28 02:34:07 | 永遠の旅人
 昨日の続きです。法要は西本願寺で行われました。JR京都駅とは目と鼻の先、歩いて15分かからない近さです。ところがホテルが駅の南側にあって、足腰が弱った母を伴って駅を越えるのが面倒だったため、タクシーを拾いました。そのタクシーの運ちゃんとの会話です。
 私「西本願寺までお願いします」
 運「えっ(と絶句)、ええんでっか・・・歩いてもすぐでっせ」
 私「歩くと、ちょっとあるでしょう」
 運「お西さんまでやったら、メーターで800mですわな」
と言って、やおら走り始めました。近過ぎて乗車拒否するというよりも、田舎モンが来たと思って、後で文句言われないように位置関係を確認したといった風情です。そして西本願寺と呼ばないでわざわざ「お西さん」と言い直す。八坂神社ではなく「祇園さん」と言い、天皇陛下などとよそよそしく呼ばずに「天皇はん」と親しく呼びかける。それが地元・京都人のプライドなのでしょう。
 運「駅の北口に出ればバスが出てて、どれに乗っても、お西さんは通ります」
もとより、こちらとしては三人がバスに乗るのと、タクシーに乗るのとでは、大差ないだろうという判断です。
 運「来年は、南口からでもバスを出すのを考えてはると思いますけど」
 私「来年って、何かあるんですか?」
 運「えっ(とまた絶句)」
 私「いや、知りません、何ですのん?」
 運「親鸞聖人の750回忌ですがな。まさか檀家はんが知らはらへんとは・・・皆さん、寄付されてまっしゃろ」
 私「(むっとして)そういうことは両親がやっとります」
本願寺では、宗祖・親鸞聖人のご命日にあたる毎月15日・16日に「宗祖聖人月忌法要」を営み、祥月命日(1月16日)には、「御正当の忌日(命日)に聖人のご恩徳を報謝する法要」として毎年1月9日から16日まで8日間にわたり「御正忌報恩講」を修行し、50年毎の節目にあたる親鸞聖人の年忌法要を「大遠忌」と称して、特に大切にお勤めしているそうです。そして来年(2012年)は750回忌の「大遠忌」をお迎えするそうです(西本願寺HPより)。
 運「最近はお寺はんも、宗派のこだわりがなくなってしもて・・・」
と言って、浄土真宗のお坊さんが日蓮宗のお勤めをされる例を挙げて、仏教文化の衰退を嘆いておられました。これもまた京都人のプライドとして許されないことなのでしょう。
 客人に「ぶぶ漬け(お茶漬け)でもどうどすか」と勧めれば、それは早く帰れという(要は食事時間まで居続ける無粋を暗に悟らせる)サインだといったような、京都人独特の直接表現を避けるもって回った言い回しは有名ですし、京都文化に対する無理解を婉曲的に非難することもよく行われるところです。もっとも、私は学生時代の4年間、京都に通いましたが、露骨にそういった場面に遭遇したことはなかったのは、行動が限定的だったのはもとより、「学生さん」として要はまともに相手にされていなかったのでしょうか。笑いについても、京都は独特で、言わばお公家さんの含み笑いのようなところがあって、大阪の商人的なあっけらかんとした笑いとは対照をなします。同じ関西にありながら、京都と大阪とでは雰囲気が異なるのは、今もなお歴史の重み、文化が脈脈と息づいているからでしょう。
 そんな取っ付き難さのある京都ですが、私のような田舎モノ観光客には、その文化の一端を惜しげもなくひけらかしつつ味わわせてくれます。到着した日の昼は、駅のレストランで「にしんそば」を食べました。八坂神社界隈の四条通りで看板をよく見かけましたが、これまでついぞ食べたことがなく、今回、三十年ぶりに念願叶ったようなものです。ニシンの蒲焼きが無造作に麺の上に載せてあるだけですが、鰹節と昆布のきいたダシに溶け込んで、なかなかに味わい深い。夜はお決まりの京懐石を堪能しました。京大和屋さんという老舗で、四季折々の品を、素材の味を活かしつつ薄味ながらコクのあるダシとともに頂くのが、絶品。こればかりは筆舌に尽くし難い、至福の時でした。たまには京都に行こう・・・と心に決めました(田舎モノ!)。
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大阪

2010-09-27 00:08:03 | 永遠の旅人
 私の父は、昭和40年に故郷の鹿児島を離れて上阪(ジョウハンと読みますが、Wordで漢字変換されなかったので、念のため、地方から東京に出るのが「上京」であり、大阪に出るのが「上阪」)し、大阪で勤め上げ、今は埼玉で老後の生活を送っています。父の男兄弟は皆、同じように大阪に働きに出て、今も大阪に暮らしています。この週末は、父方の祖父の50回忌の法要で、父の兄弟が大阪で集まるというので、私も父母に付き添って(何しろすきだらけで田舎モンの老夫婦ですから心配でなりません)一泊二日で久しぶりの大阪に行って来ました。そこで、いくつか感じたこと。
 一つは、いくつになっても兄弟は兄弟やなあと感じ入りました。父は6人兄弟の二番目、男4人の内の長男で、その4人を見ていると、年を取るごとに見た目がなんだか互いに似て来るのが不思議でした。若さでギラギラしたところや職業柄などの角が取れてつるんと丸みを帯びると、実は土台は同じだった、といったところでしょうか。勿論、職業柄は異なり、父は公務員で堅実タイプ、次男坊は商都・大阪で自営業をやっていただけあって兄弟で一番さばけて見え、三男・四男はサラリーマンでこちらも堅実ですが、同じサラリーマンの私にとっては感覚が一番近いように感じました。そんな中で、長男と三・四男はちょっと無骨で不器用な薩摩人らしさが今もなかなか抜け切れないのに対し、次男は二番目の跳ねっかえりという一般的な傾向に加え、自営業故の「大阪のおっちゃん」らしく才気ばしって奔放に見えるのが印象的でした。かつて私が、東京生まれの家内を、結婚前に初めて大阪に連れて行った時、新幹線の京都駅を降りてローカルのJR京都-大阪線に乗り換えた車内で見た若者たちのどの会話も漫才に見えると、家内が感嘆していたのを今も思い出しますが、まさに次男のおっちゃんは、「大阪のおっちゃん」らしく、他の三兄弟のちょっと真面目くさった話にも茶々を入れる間合いと合いの手が実に大阪らしく、軽やかで笑いを誘う洗練されたところが見事でした。TVで見かける、出たがりで低俗な大阪芸人と違って、相手を一方的にけなすのとはわけが違う、謂わば神の第三者目線で相手のことも自分のことも笑いを取る生活感溢れる庶民の大阪らしさの妙に感動したのが二つ目です。
 そして三つ目が、父の兄弟たちの思い出話を聞くとはなしに聞いていると、日本の高度成長の縮図を見る思いだったことでした。住み慣れた田舎を離れ、都会で逞しく生きて来たおっちゃんたちが、日本経済の高度成長を支え、いわば国内移民二世の私たちが、それを受け継いで呻吟している・・・ほぼ三十年の世代差を肌で感じたひとときでもありました。
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しながわ水族館

2010-08-15 15:13:13 | 永遠の旅人
 昨日は、下の子を連れて、しながわ水族館に行って来ました。
 最寄り駅は京急・大森海岸駅と、都心からちょっと離れて不便ですが(大井町駅から無料送迎バスがある)、品川区民公園の一角にあって、ホッと一息つける雰囲気です。レストランや土産物売り場は隣接して別棟にあり(チケットがあれば水族館への出入り自由)、以前、近くのビルにオフィスがあって勤務していた頃、そのレストランまで昼食をとりに来たことがあって、その当時からどんな水族館か気になっていました。
 区立でありながら、こぎれいな水族館で・・・なんて言うと区立の施設に対して失礼ですが、HPを見ると、サンシャインシティ内の文化・娯楽施設やサービス施設を運営する業者に委託しているようで、言わばサンシャイ国際水族館と兄弟分にあたります。小さいながらも、アシカ・ショーやイルカ・ショーがあり、ショー・タイムに合わせて、空き時間に魚を見て回ることになりますが、その魚たちも、トンネル水槽のエイやサメはなかなか迫力がありますし、ペンギン・ランド、アザラシ館、シャーク・ホールをはじめとして、ピラニア、テッポウウオ、ニモや、アマゾンや東南アジアの巨大魚までいます。ふれあい水槽ではヒトデなどに直接触れることが出来ますし、イルカ・ショーやアシカ・ショーを、地下から水槽を通して見るポイントがあったり、クラゲを前景に撮影するポイントもあったりして、水族館としてひと通りの機能や設備が整っており、子供だけでなく大人も十分に楽しめます。小ぶりで歩き疲れないのも却って良いこともあるでしょう。
 入館料もサンシャインの1800円に対して1300円と小振りです(品川区民であれば800円)。JAFカードで100円引きになりました。レストランの食事も人気のようですが、この日はお盆だからと高を括っていたら大混雑で、仕方なく、道端の弁当にしましたが、周囲は公園なので、真夏でなければ、おむすびや弁当持参でピクニック気分を楽しむのもよいでしょう。
 この水族館の「あゆみ」を見ていると、 “海や川とのふれあい” の場を求める品川区民の強い要望が、オープンのきっかけとなったようで、水族館として、巨大施設に大型アトラクション満載も良いですが、小ぶりながらも身近にこのような施設があるのは羨ましい環境だと思いました。
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小澤さん復活

2010-08-03 01:02:41 | 永遠の旅人
 オザワさんと言っても、政治とカネの小沢さんではなく、指揮者の小澤征爾さんの話です。1月に食道癌を公表し、食道を全摘する手術を受けて療養されていた小澤さんが、復帰されたニュースが流れていました。かなりやつれて見えましたが、張りのある声で「今日は第二の人生の一日目」だと語り、ラグビーのスクラムにたとえて家族が支えてくれたことに感謝し、涙ぐまれていたのが、なんとも印象的でした。また、つい最近、同じ食道癌による療養を公表したサザンオールスターズの桑田佳祐さんに対して、「絶対、大丈夫。医学は発達しているから」と語り、「人間ドックは大事」だと早期発見の大切さを訴えて、お茶目なところも見せておられました。
 タングルウッド音楽祭に行ったことがあります。ボストン滞在の最後の夏のことなので、今から13年前、1997年のことです。
 車で2時間以上かけて辿り着いた会場は、東西に細長いマサチューセッツ州の西の外れの、レノックスという小さな町の、しっとりと緑に包まれた森の中にありました。当時、小澤さん指揮するボストン交響楽団が身近にあっても、三歳の男の子をベビーシッターに預けてまで聴きに行くのはためらわれていた私たち日本人夫婦でも、この音楽祭では、芝生席で、ピクニック・マットを敷いて、子供と一緒にお弁当を広げながら、世界の小澤さんの音楽に耳を傾けることが出来ました。同じようにピクニック気分を楽しむ家族連れや、静かに語り合う若者たちが、そこかしこに見られます。目の前には、折りたたみ椅子を持ち込んで、ワイン・グラスを傾けながら、静かに物思いに耽る老夫婦が。二人の脳裏をかすめていたのは、何十年も遠い昔の若い二人の姿だったのかも知れません。思い思いに音楽に身を委ね、夏の日の昼下がりのひとときを楽しむ、なんと贅沢な時間でしょう。
 アメリカの豊かさを、つくづく思い知らされた一日でもありました。
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ファン

2010-08-01 23:47:31 | 永遠の旅人
 昨晩は、二階の窓を開け放しにしても風がなく、、寝苦しい夜でした。何度も目が覚めて、水分補給に立ちました。
 マレーシア・ペナンは、北緯5度の常夏の地にあります。建物の中は、南国では何処も同じでエアコンをがんがん使い、レストランやショッピングセンターでは寒いほどで、体調をこわしそうなところを見ると、暑くてやり切れなさそうですが、それほどでもありません。ビーチ・リゾートで、昼は海風が吹いて、木陰は涼しいくらいですし、夜は山風が心地よい。ペナンに住んでいた頃、寝る時に殆どエアコンを使わなくても済んだのは、高層マンションで開け放った窓から山風が良く入ったことと、天井に据え付けられたファン(大型扇風機)のお陰でした。
 日本でもファンがあればよいのにと思います。日本の扇風機は身体に風を直接当てて、身体に必ずしもよくありませんが、天井のファンは、部屋の風を動かします。しかもエアコンよりも余程省エネです。日本で導入するのに難点があるとすれば、日本の天井は照明器具に占拠されていることで、日本人は間接照明がどうも苦手のように見られがちですが、慣れの問題でしょう。
 ペナンでは、開け放った窓から何度かコウモリが飛び込んできたことがあって、一度はファンにぶつかって、ヒヤリとしたことがあり、網戸があれば良いのにと思ったものでした。日本に網戸がないところはありませんので、あとはファンを付ければよいだけ。日本の夏対策に、これ以上の取り合わせはないと思うのですが。
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W杯開催地アフリカ

2010-06-12 20:53:51 | 永遠の旅人
 ワールドカップが開幕しました。私は子供の頃から野球派で、サッカーには詳しくなくて、Jリーグ設立の熱狂からも無縁でしたが、それでも一億総評論家で、ごくあたり前に日本チームの苦戦を予想しつつ、活躍を密かに期待しています。
 このたびの開催地アフリカは、遠い存在です。実はアフリカと日本との関係は古く、桃山時代の狩野内膳筆による「南蛮屏風」にはアフリカ人奴隷が描かれていますし、そうした奴隷の中から、弥介という名前をもらって、織田信長の家来になった人もいました。天正の遣欧少年使節団は、ローマへの往復で、モザンビークにあるポルトガルの城砦に寄航し、嵐のせいで半年間滞在しています。
 私にとってのアフリカは、大阪万博や「素晴らしい世界旅行」などで見聞きして以来、知識はそれほど増えていません。それでもどこか遠くないイメージを持っているのは、従兄の一人が、万博前後の1960年代~70年代に、アフリカに渡って貿易に従事していたからかも知れません(私にはこうした放浪の血が流れているのかも)。今では聴いた話の殆どを忘れてしまいましたが、毎晩、枕の下に拳銃を隠し持っていて、命からがら日本に逃げ帰って来たということだけは、子供心に頭にこびりついています。シエラレオネや象牙海岸(今のコートジボワール)といった国から、家族宛に送られた絵葉書を見せてもらったことがありますが、日本の切手が四角四面であるのと対照的に、三角形やダイヤモンド型など形も様々、色とりどりだったことと、素朴なアフリカの人々の姿や、青い海などの素朴な自然が、鮮明に記憶に残っていて、外国に興味を向けるきっかけの一つになったのだろうと、今にして思います。
 現在、アフリカは53の独立国を抱えますが、ワールドカップが開催されることになったのは、仏領を中心とする17ヶ国もの国が独立した「アフリカの年(1960年)」から50年の節目を迎えることと無縁ではないでしょう。しかしアフリカ諸国は独立後も政情不安で、部族対立による内戦やクーデターが絶えませんし、先進国との経済格差が広がる南北問題や、発展途上国の中でも産油国と非産油国との間で経済格差が広がる南南問題は今なお続いています。
 市場調査会社や当社をはじめとして民間企業が世界市場を分ける時には、EMEA(Europe, Middle East and Africa)として、かつての宗主国だったヨーロッパ諸国とひと括りにされますが、最近は、中国による資源外交に席巻され、中国やアメリカとの交易が増えていると言います。日本の影は薄いのかと言えば、マンデラ元大統領が27年間の投獄生活を終えて初めて乗り込んだ車はトヨタだったそうですし、同社の南アフリカへの工場建設は1966年とブラジルと並んで早い時期に行われ、今も25%前後の圧倒的なシェアを誇り、30年間トップの座にあるそうです。東アフリカに行くと、見かける車の9割は日本の中古車が占め、地元の人たちが普段利用するミニバスの多くはトヨタや日産のバンが使われているので、このタイプの車を「ニッサン」と呼ぶ人もいるぐらいの浸透度だそうです。
 植民地時代の「惜しみなく与える」ばかりで貧困に喘いで来た時代から、対等のパートナーとして自立出来るよう見守って行く必要がりますし、少子化で人口が増えない先進国をよそに、遅れてきた新興国群として、今後、世界市場での比重が増して行きそうで、目が離せません。
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ナパ・バレー

2010-06-10 02:13:57 | 永遠の旅人
 今日のニュースに、懐かしい地名を見つけました。石田純一さんと東尾理子さんが、アメリカ・カリフォルニア州ナパ・バレーのワイナリーで結婚式を挙げたそうです。さすがに石田純一さんのやることは気障、否、お洒落ですね。
 ナパ・バレーは、カリフォルニア・ワインの産地として有名で、サン・フランシスコから北東方向へ車で約40分、州都サクラメントとのほぼ中間に位置する渓谷です。内陸性の暑い気候に、サン・フランシスコ湾からアラスカ海流の冷たい海風が流れ込んで、寒暖の差が激しくなり、この土地の起伏の変化と相俟って、葡萄の果実に複雑な味わいを増すのに上手く作用しているようです。HPによると、最初に住みついたのはインディアンのワポ族で、「ナパ」は「豊潤の地」を意味し、河川には産卵のために上ってきた鮭が溢れ、(中略)、平地にはワイルドキャット、エルク、黒熊、グリズリーベアーが自由奔放に動き回り、野生の葡萄も豊かに実っていたそうです(http://www.napawine.jp/home/index.aspx)。そして、商業ベースの葡萄栽培が始まったのは1836年のことで、今では一帯に325ものワイナリーが散在します。実はナパは、カリフォルニア・ワインの耕作面積で10%、生産量で4%程を占めるに過ぎないと、今日、初めて知りましたが、私のイメージの中でカリフォルニア・ワイン=ナパなだけでなく、一般にナパが有名なのは、生産量が少ないながらも優良プレミアムワインの宝庫だからです。
 私もかつてワインのテイスティングのツアーを楽しんだことがあり(つまりワイナリーをハシゴしてワインを試飲します)、カリフォルニア・ワインで最上位クラスに挙げられるOpus Oneは、今なお、私がこれまで飲んだワインの中で最上位クラスに位置します(日本ではフランス・ワインが圧倒的に有名で、美味しいワインも圧倒的に多いはずですが、値段も圧倒的に高いので、私自身が敬遠しているせいもあります)。そのほか、アメリカ滞在中は、カリフォルニア・ワインの元祖ともいうべきRobert Mondaviや、最も古い歴史を誇るSIMI、当時は設立されて15年にしかならなかったFrog’s Leap(今では一番人気らしい)を楽しんだものでした。
 ナパが文字通り渓谷であるのは、11年前に彼の地で行われたマラソン大会を走ってみて分かりました。マラソン・コースは、当時も今も、北の端、カリストガという山際の街から、幹線29号と並行する裏街道のシルベラド通りを、南の端、ナパ市街に至る、短路42キロの緩やかな下りで、これら幹線29号やシルベラド通りはまさに山あいを縫うように走ります。ゴール付近には、喉が渇いたランナーのために、土地柄、ワインの試飲コーナーがあって驚かされましたが、私の身体はひたすら甘いジュースを欲しがったのを、今でも恨めしく思い出します。当時の完走者1600名、今年3月に行われた32回大会でも完走者も1700名余りと、11年経った今なお変わらず小ぢんまりとしたローカルな大会ですが、観光がてら走ってみるのも面白いのではないでしょうか(http://www.napavalleymarathon.org/)。
 石田純一さんたちの結婚の話に戻ります。テレビで、石田さんの、幸せさでだらしないくらいにふやけた様子を見ていると、いくつになっても「恋は盲目」ということを思い知らされます。因みに、この言葉を調べてみると、シェイクスピアの「ベニスの商人」が出所のようです。
 ・・・But love is blind, and lovers cannot see the pretty follies that themselves commit.(しかし、恋は盲目であり、恋人たちは自分たちが犯す愚行に気づかない。)
 オメデタイなあ、と半ば白けつつ、もう半分では羨ましくもあった、というのが大方の見方だったのではないでしょうか。なにはともあれ、オメデトウゴザイマス・・・
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時差ぼけ

2010-05-01 10:45:05 | 永遠の旅人
 時差があるところへの旅では、時差ぼけ(英語でJet Lag)に悩まされるのが憂鬱です。
 東回りの移動では時差ぼけがひどく、西回りでは軽いと一般に言われるのは、東回りは地球の回転の先回りをして一日が短くなる(ヒトは早寝が得意ではない)一方、西回りは一日が長くなる(夜更かしは得意)せいだと説明されます。もし12時間のフライトで12時間の時差がある場所への移動があるとすれば、原理的に往復では差がないことになります。アメリカや欧州のように地球の反対側に旅する場合は、往復いずれにしても(多少の差はあれ)辛いものがあります。
 若い頃にはアメリカに2~3週間、更には1ヶ月位の出張を言いつけられることが多く、その場合には、覚悟を決めて、飛行機に乗った途端、腕時計の針を滞在先の時間に合わせ、気持ちも切り替えたものでした。そのために、敢えて出張前に夜更かしを続けて身体を疲れさせ、機内ですぐに眠りにつくというようなテクニックも使いました。今にして思えば若いからこそ出来た芸当だと思います。今では、不景気と言わず、出張日程を長く組むような悠長なご時世ではありませんし、仕事の性格も変わりましたし、年齢とともに柔軟性も衰えてきましたので、現地の時間に合わせる方が却って面倒で、覚悟を決めて、日本の時間帯を意識しながら、つまり日本の生活リズムを狂わせられているという意識をもち続けながら滞在するようになりました。
 今回の出張で、ダラスやシカゴでそうした話題になると、アメリカ人はごく当たり前にそう考えていることを知りました。そもそも彼らは生活第一であって、仕事の都合で生活のリズムを狂わせられることを酷く嫌う。それに合理的な彼らは、遠いところへ出張する折角の機会だからと、長めの日程を組んだり、必要な仕事プラスアルファのことも行動計画に入れるなどというような余計なことは考えない・・・彼らから聞いたわけではありませんが、概ねそんなところだろうと思います。必要な仕事が終わったら、さっさと出張を切り上げる。それは彼らのJob Descriptionが明確で、書かれていないことはする必要がないという発想に繋がっています。私自身は、むしろ日本のように、明確に定義されていなくても、互いの業務が重なり合って互いに助け合うというような曖昧さをもつ方が組織としては良いと思いますが、それは考え方の違いなので如何ともし難い。
 そうすると、時差ぼけと一言で曖昧に称しますが、何が辛いかと言うと、睡眠もさることながら、胃腸の方が辛くなります。尾籠な話で恐縮すが、私のように快食快便の習慣がある場合は、夕食の頃になると我慢がならなくなってくるわけです。アメリカでは、軽いディナーでさっさと切り上げられるので助かりますが、フランス人と長いディナーを取るような場合には、いったんホテルに戻って支度を整える必要があります。逆に言うと、遠くから来たお客様には、場合によっては、仕事が終わった後、いったんホテルに引き揚げてもらって、夕食時に再度ピック・アップするというような配慮が必要ですね。
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