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風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

クラーク・コレクション

2013-05-14 23:41:43 | たまに文学・歴史・芸術も
 連休中、三菱一号館美術館で開催中の「クラーク・コレクション展」を、また損保ジャパン東郷青児美術館で開催中の「オディロン・ルドン展」を見ました。
 「クラーク・コレクション」は、シンガー・ミシンの共同創業者の孫であるロバート・スターリング・クラーク氏が、相続した莫大な遺産を元手に、パリのコメディ・フランセーズの女優だった妻フランシーヌさんとともに、欧米で収集したコレクションで、印象派を中心に500点を越えるそうです。この美術館は、ニューヨークやボストンから車で三時間、マサチューセッツ州の西の果て、州境にあるWilliamstownという小さな街にある・・・と聞いて、大いに心を動かされました。ボストンに駐在していた15年ほど前、車で2時間以上かけて、紅葉見物に訪れたことがあったからです。しかし美術館の存在には気が付きませんでした。インターネットが今ほど普及しておらず、カーナビなどという便利な機械もなく、地図を片手に、うろうろ迷いながら目的地を目指していた時代です。人影もない公園で、3歳の子供を遊ばせた長閑な写真が僅かに手元に残るだけです。
 閑話休題。スターリング・クラーク氏がパリにわたったのは1910年、間もなくフランシーヌさんと出会い、16区に構えたアパルトマンを飾るため、絵画の収集を開始したのが1911年、と言いますから、ルノワールが亡くなる8年前、モネが亡くなる15年前で、主だった印象派の画家たちの一部はまだ存命の頃のことです。勿論、彼ら夫妻の審美眼によるものですが、今ほど注目されていなかったであろう幸運な時代に買い漁ることが出来た、30点以上に及ぶルノワールのコレクションの内の22点をはじめ、コロー、ミレー、マネ、ピサロ、モネ、ロートレック、ボナール等、61作品が、ここ三菱一号館美術館に展示されており、個人のコレクションとしての充実度には目を見張り、壮観ですらあります。
 あらためて印象派絵画の明るく柔らかな色調は、見ていて心が和みます。多くの日本人に愛されてきた所以です。当時の大国・フランスの首都パリには恐らく多くの金と人が惹きつけられたことでしょう、互いに啓発し合いながら、やがて印象派という一大ムーブメントを起こします。写実主義から抽象主義への変化の、初期段階と考えられていますが、印象派の発展には、いくつかの出来事が影響していそうです。一つは1827年に発明された写真で、かつての肖像画は正確に描かれるのが重要だったため、写真に置き換えられていくわけですが、印象派の肖像画は正確さよりイメージが優先されており、いわば広角レンズで撮影されたシャープでありながら平板な写真ではなく、望遠レンズを使って引き付けて撮影されたソフト・フォーカスのポートレート写真の如く、ピントを合わせたかのように狭い範囲が丁寧に描き込まれている(それ以外はぞんざいな描き方になっている)のが分かります。もう一つの出来事はジャポニズムとの出会い、すなわち1867年と78年にパリで開催された万国博覧会で広く紹介された日本画の空間表現や浮世絵の鮮やかな色彩感覚で、日本に残っている浮世絵の多くは、長らく注目されてこなかったせいか保存状態が悪く色褪せてしまっていますが、欧米で大切にされてきた浮世絵コレクションは今もなお色鮮やかなものが多く、当時の感動の一端を伝えます。
 素朴で、光に溢れた柔らかな印象派に比べると、損保ジャパン東郷青児美術館のオディロン・ルドンは、幻想的で影が多く、刺々しいのが心を逆撫でます。面白いことに、ルノワール(1841~1919年)とオディロン・ルドン(1840~1916年)の生きた時代はぴったり重なるのですが、画風の対照的なことといったらありません。いい加減、気が重くなって、最後に損保ジャパン美術館が所蔵する自慢のゴッホ「ひまわり」とセザンヌ「りんごとナプキン」とゴーギャン「アリスカンの並木路、アルル」と東郷青児「望郷」が出迎えてくれて、ほっとしたのが正直なところでした。決して「ひまわり」も「りんごとナプキン」も「アリスカンの並木路、アルル」も「望郷」も、私の好みとは言えないのですが。
 「クラーク・コレクション展」は今月26日まで、「オディロン・ルドン展」は来月23日まで開催されています。
 上の写真は、三菱一号館美術館の中庭です。印象派の画家はどう見ただろうかと思うような、緑が萌える長閑な一日でした。
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ミュシャ再び

2013-03-15 23:39:21 | たまに文学・歴史・芸術も
 先日、平日の午後をさぼって(なんて言いながら、ちゃんと半日休暇を取りました)六本木ヒルズ52階にある森アーツセンターギャラリーで開催中のミュシャ展を見に行きました。水曜日の午後とあって、サラリーマンの姿はなく、若い女性がほとんどという独特の雰囲気で、しかも混んでいたので、ちょっと戸惑うほどでした。ミュシャは、日本人、とりわけ若い女性には人気があるのでしょう。
 ミュシャは、いつ見てもいい。そこはかとなく惹かれるのは、アールヌーボーという西欧の芸術のムーブメントを代表するデザイナーであり画家でありながら、彼の絵はオリエンタルな神秘に包まれているからでしょう。それでいて日本人にはとてもマネできない色彩感覚と意匠があります。実は彼はオーストリア帝国領モラヴィア(今のチェコ共和国東部)生まれのスラブ人で、今回の展覧会に並行展示されている、彼のコレクションとされる、レースをあしらった女性用の民族衣装を見ていると、なるほど、彼の優しくも妖しい画風の原点はここにあったのかと納得いくほどの、可愛い花柄や華麗な曲線や豊かな色彩に溢れていました。それから、もう一つ、特に彼の絵の形のヒントになっているのは、教会のステンドグラスでしょう。
 そんな彼も、若いときは、舞台女優サラ・ベルナールの芝居のために作成したポスターで名を馳せ、ほかに煙草用巻紙(JOB社)やシャンパン(モエ・シャンドン社)や自転車(ウェイバリー社)などのデザインを請け負って稼ぎまったのですが、後半生では、スラブ民族の歴史や復興・独立といった民族主義的な絵ばかり手掛けるようになります。人の思いは、年齢とともに、その時代背景を映して、移ろい行くものなのですね。
 この展覧会は5月19日まで。是非、今なお新鮮なアールヌーボーの作品の数々を堪能してください。
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マウリッツハイス美術館展

2012-09-15 22:29:45 | たまに文学・歴史・芸術も
 東京都美術館で開催中の特別展・マウリッツハイス美術館展を見に行って来ました。
 どうも、物が充足している昨今の日本の、とりわけ可処分所得が高いおじさん・おばさんは、その消費を「もの」よりむしろ「こと」に、つまり旅行や文化活動に振り向ける傾向があるのか、最近の美術館は、そんなおじさん・おばさんたちでいつも混雑しているように思います。そこで、おじさん・おばさんに占拠される前に(なんて他人事のように言ってはいけない年齢ですが)潜り込もうと、9時半開室の30分近く前に、並ぶ覚悟で出向いたところ、既に順次開室してくれていて、比較的スムーズに入室することが出来ました。東京都は、石原さん都政で顧客満足度が高くなっているように感じるのはただの気のせいでしょうか。ちょっと嬉しい誤算でした。
 前置きはこのくらいにして・・・今回の特別展は、「『王立絵画館』」の名で世界的に知られる、オランダ・マウリッツハウス美術館のコレクションの数々」(東京都美術館HP)で、同美術館は、「西洋美術史に大きな影響を及ぼした17世紀オランダ・フランドル絵画の世界的コレクションで知られています」(特別展のチラシ)。今回は、「2012年に同館が改修工事で一時閉館するのに伴い、名品約50点を選りすぐった展覧会が実現」(同チラシ)したものです。中でも、世界に三十数点しかないとされるフェルメールの作品二点(同美術館所蔵三点の内)や、レンブラントの最晩年の自画像をはじめとする6点は、壮観です。
 公式のステートメントはともかくとして、先ず感じたのは、これら絵画史上の画期が、まさにオランダ国家としての興隆(17世紀半から後半)と一致するところであり、勃興する市民階級が様々な絵画を所望したと説明されるように、文化は権力をはじめとする経済的豊かさに付随するという現実でした。また、今回の目玉であるフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」(「青いターバンの少女」、「ターバンを巻いた少女」とも呼ばれます)は、色の組み合わせはシンプルで落ち着きがあり、ターバンに使われるラピスラズリ(瑠璃)から作られた高価な絵の具の青(天然ウルトラマリン、所謂フェルメール・ブルー)を効果的に際立たるものの、技術的には必ずしも秀でているようには見えません。しかし、肩越しに見つめる憂いをたたえた瞳と半開きの唇の、微笑んでいるような、あるいは何かもの言いたげな、雰囲気のある表情が魅惑的であり、作品をして「北のモナ・リザ」「オランダのモナ・リザ」など「モナ・リザ」に譬えられるのが納得出来るほどの強い印象を与えます。これまで何度か修復され、とりわけ1994年から96年にかけて、入念かつ徹底的に実施され、結果として、絵はフェルメールによって描かれた当時の状況に非常に近いものとなっている(Wikipedia)のだそうで、見応えがあります。更に、「光と影の魔術師」「明暗の巨匠」レンブラントの深みのある画面構成に、あらためて感銘を受けましたし、「フランダースの犬」の主人公ネロの最期の場面に登場した、母と重ね合わせたと言われる聖母像が描かれたルーベンスの壁画(アントワープ大聖堂「聖母被昇天」)の下絵も、違った意味で印象的でした。
 一つ、仕方ないことではありますが・・・フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」は一番人気のため、上野動物園のパンダよろしく、立ち止まらないように歩きながら鑑賞させられるのが、物足りないところではあります(後方でじっくり鑑賞する黒山の人だかりがあるのも、パンダと同じです)。これも含め、全てにわたって、皆さん音声案内を聞きながらじっくり立ち止まって鑑賞する一方、短気な私は、離れたところから、ものの30分強で見終わってしまいました。勿体ないので、二巡目は、気に入った作品だけを見て回り、三巡目は、出口手前にある、この特別展のオフィシャル・サポーターとして「真珠の耳飾りの少女」に扮した、特別協賛の第一生命のイメージガール・武井咲さんのポスターを、もう一度見るためだけのために回りました(上の写真)。なかなか良い表情をしています。
 6月30日から二ヶ月半にわたって繰り広げられた特別展は、この三連休が最後です。国立西洋美術館でもベルリン美術館展が開催され、フェルメールの「真珠の首飾りの少女」が展示されています。私には比較できませんが、こちらのマウリッツハイス美術館展は間違いなくお勧めです。
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北斎展

2012-06-17 12:08:30 | たまに文学・歴史・芸術も
 生誕250年(というのは実は2年前)を記念して企画されたホノルル美術館所蔵の北斎展を見に行きました。同美術館が所蔵する浮世絵1万点とは凄まじい量ですが、品質も極めて高いことには驚かされます。200年近く前の「富嶽三十六景」の、まるで昨日刷られて今日見るような紺色の鮮烈さには、あらためて目を見張りました。日本に残るものは少なくて(しかも色褪せていて)海外に流出して大切に保存されている・・・それでは日本は庶民の文化をないがしろにしてきたのかと言うと、そうではなく、むしろ日本人の文化的成熟度の高さを示すものではないかと思います。つまり、日本人には当たり前だったことが、欧米人の目には驚愕の芸術に映ったものだろう、と。そして、それが里帰りして、あらためて日本人自身が自らの庶民文化の芸術性の高さを思い知らされた、と。
 北斎と言えば、浮世絵界の最高峰(人によっては広重と双璧)、「森羅万象を描き」「生涯に3万点を超える作品を残し」「門人の数は極めて多く、孫弟子も含めて200人に近いと言われ」(Wikipedia)、浮世絵師だけでなく挿絵画家としても活躍した彼の影響力は、私たち庶民にとどまらず、「富嶽三十六景」や「北斎漫画」で世界的に知られ、ゴッホやルノワールなどの印象派絵画やガレの工芸にまで及び、アメリカの雑誌「ライフ」の企画「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」(1999年)で、日本人として唯一86位にランク・イン(Wikipedia)するほどです。改号30回、転居93回という奇人でもありました。
 あらためて北斎を見て、風景画における彼の存在感の大きさに思い至りました。私が写真撮影する風景画のフレームワークは、北斎の「富嶽三十六景」にあったことを、今さらのように思い知らされたからです。私だけではなく、多くの日本人にとって、安定感ある構図は北斎から学んだと言っても過言ではないでしょう。そういう意味で、北斎に加えて広重の「東海道五十三次」など、永谷園が「お茶漬け海苔」のオマケとして1965年から97年まで実に30年以上にわたって続けた「東西名画選カード」プレゼントは偉大でした(絵柄はほかに「喜多川歌麿」「印象派ルノワール」など、全部で10種類もあったらしい。http://www.nttcom.co.jp/comzine/no029/long_seller/)。しかも北斎の凄いところは、写実的でありながら写実性を超えて、いわば彼の観念の「富嶽」を描いているところでしょう。「富嶽三十六景」で、富士山はそんなに大きく見えるはずがないとか、どこから描いたものか分からないとか言われますが、それは、かつての宮廷絵画のように巧妙に雲を取り込みながら、近景をぼかしつつ遠景を引き付けて実際の距離を超えさせてしまっているようです。
 いつものことながら、本物の迫力には圧倒されます。色そのもの、そしてそのグラデーションの繊細さは、素材(紙の質)感と相俟って、実に美しい。浮世絵は、あらためて、北斎という作家と、刷り師との合作であり、職人芸の極致であることにも、開眼しました。そんな北斎展も残念ながら今日が千秋楽です(三井記念美術館)。前期(4/14~5/13)と後期(5/15~6/17)とで出展作品が違ったために、前期の目玉だったであろう「神奈川沖浪裏」「凱風快晴」「尾州不二見原」を見逃したのは残念でした。北斎の作品として、「北斎漫画」のほかに、「諸国滝廻り」や「諸国名橋奇覧」などのシリーズものも出展され、興味は尽きません。
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ボストン美術館展・補遺

2012-05-20 23:17:39 | たまに文学・歴史・芸術も
 昨日、一つ触れ忘れたことがあります。何故、これほどの傑作がアメリカ・ボストンにあるのでしょうか。
 ボストン美術館は、作品保護の観点から作品の展示期間を厳しく制限しており、本展の開催にあたり、その出品作品のほとんどを、5年間にわたって公開を控えて準備をしてきた・・・と言います。確かに保存状態は大変良いし、ボストン美術館はそうした体制を敷いていることでも有名です。有難いことです。そして、今回、修復された未公開作品を含む、日本美術コレクションの名品約90点が厳選され里帰りを果たしました。海外に渡った日本美術を蘇らせ日本文化の理解を深めることは、友好関係の一層の発展を促すものと、好意的に説明されています。
 勿論、正確な事情は知りませんが、幕末・維新の混乱期に、幕府や藩や有力なパトロンから放出された傑作が、経済力で勝るアメリカに買収されてしまった、一種の文化的略奪の状況があったことは容易に想像されます。勿論、その芸術的価値を高く評価されたことは、確かに嬉しい。結局、いつの世も、どこにあっても、例えばルーブルや大英博物館にも多くの世界的なコレクションがあるように、芸術は経済力が囲ってしまう、そんな現実を見せつけられたような気がします。日本は、歴史上、植民地支配は受けませんでしたが、その社会が世界に開かれた時、狙われてしまった。全人類の財産であるという観点からすれば、散逸して人々の目から隠されてしまうより、また保存に配慮されることなく朽ち果ててしまうより、よほど有り難いことですが、日本人にとっては、やり切れない思いは残ります。
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ボストン美術館展

2012-05-19 23:02:43 | たまに文学・歴史・芸術も
 都心で朝の3時間ほど空き時間があったので、東京国立博物館140周年特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」に行って来ました。朝一番の9時半に到着すると、既に長蛇の列であることには驚かされましたが、こうした場所にあっては年齢層が高いことには、もう驚きません。私も、大抵のグルーピングで平均年齢を押し上げる層になった自覚はありますが、今日のこの列に並んでいると、若造と思えてしまうくらい、日本の熟年層は元気です。
 今、あらためて思うのは、「至宝」というタイトルに偽りなく、素晴らしいと思いますが、「日本美術」と称して対象のイメージを限定してしまう必要はなかったのではないかと思います。実は原題ではJapanese Masterpieces(傑作、名作、秀作など)と表現されていたものです。Wikipediaでも、「美術」と言えば、代表的なジャンルは絵画や彫刻であり、隣接するものに、イラストレーション、デザインや工芸などの応用美術や、漫画やアニメ、映画などの大衆芸術があると解説されるように、イラストや漫画を「美術」とは一般には思わないからです。
 何故、そう思ったかと言うと、一つは尾形光琳で、切手にもなっている白梅紅梅図や孔雀葵花図で有名ですが、「美術」というジャンルで捉えるならば実は物足りないと思って来ました。ところが、今回、松島図屏風を見て、狭い意味での「美術」ではない、「イラスト」として見れば、実にデザインや色彩感覚に優れていることに気がつきます。この特別展で、「美術」という枠を超えた尾形光琳の素晴らしさを見直すきっかけになったことがひとつ。もう一つは、奇才と紹介された曽我蕭白という画家で、作品には、精緻を凝らした伝統的な水墨画もあれば、明らかに酔いにまかせて(と私が勝手に思っているだけですが)伸びやかでさらりと流したような襖絵(雲龍図)もあり、今風に言えば、漫画家の一面ももっていたと言えなくもありません。こうして、「なんでも鑑定団」を見ていると手入れが大変そうだと敬遠しがちな屏風や襖絵の、単なる「美術」品ではない、デザイン性を再認識したからです。
 やはりオリジナルは素晴らしい。画集などの美術書では、今のテクノロジーによっては、とても表現できないような、色遣いの繊細さ、グラデーションの美しさは、紙や素材のもつ質感と相俟って、オリジナルならではの独特の雰囲気を醸し出します。よくもこれだけの傑作を一堂に会し得たものと感心しますが、解説によると、フェノロサが持ち出した収集品は1千点、ビゲローという資産家に至っては4万1千点にのぼると言いますから、その中から選りすぐりで見応えがあるのは同然とは言え、ボストン美術館は日本の美術品・工芸品の宝庫であることを再認識します。
 会期は6月10日まで。1500円は決して高くありません。
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厄介な隣人たち・・・中国と韓国

2012-05-12 22:33:07 | たまに文学・歴史・芸術も
 読後感と言わず、読みながら胸糞悪い思いをすること請け合いの本を紹介します(笑)。「日中韓 歴史大論争」(文春新書 2010年10月)、ブックオフで衝動買いした一冊です。櫻井良子さんと田久保忠衛さんという二人の保守派の論客が、中国人学者や韓国人ジャーナリストを相手に行った歴史問題を巡る座談会(月刊誌「文芸春秋」掲載)を再録したもので、なかなか刺激的です。まともな討論にならないだろうことは、私でも端から想像できますが、実際に読み進めていくと、すれ違いばかりで欲求不満が募ります(笑)。
 実際、登場人物の一人で中国社会科学院近代史研究所所長は、歴史は三つのレベルに分けて考えることが出来る、一番上は歴史観、次が歴史認識、そしてそれらのベースにあるのが歴史の事実で、いきなり歴史観や歴史認識について一致を見ようとしても、現状ではそれは不可能、しかしお互いの歴史の事実を共有することは、両国の努力によって可能ではないか、などと、フレームワークについては結構まともなことを言って期待させますが、現に彼(だけでなく党・政府や息のかかった関係者)がやっていることは、中国共産党公認の歴史観ありきで、それに合う都合の良い歴史的事実ばかりを拾って、およそ公平な態度とは言えません。日本の国の在り方に対しても、ガチガチの東京裁判史観をベースに村山談話や河野談話といった、およそ良識ある多くの日本人なら眉をひそめたくなるような自虐的な対応を当然のものとなし、日本の知識人の在り方に対しても、丸山真男さんや大江健三郎さんといった、中国人に都合が良い進歩的知識人(その多くは日本人でありながら反日的です)を器用に選り分けてつまみ食いし、却ってよく日本のことを勉強していることに感心させられるほどです。かたや櫻井さんや田久保さんをはじめ、一般の日本人は、虚心坦懐に歴史的事実を眺め、その積み重ねの上に自由な歴史認識と公平な歴史観を形成しようとしますので、日中双方が交わることはなく、いつまでたっても平行線です。
 例えばそんな中国側の二枚舌は、教科書を巡る問題でも露呈します。日本側が、中国の反日教育を指摘すると、中国側は、反日本帝国主義ではあっても、現代の日本という国や日本人という国民に対する感情とは別だとしゃあしゃあと答える。それなら何故、中国の中学生用歴史教科書で日露戦争を教えないのかと事実を指摘すると、都合が悪いことには答えないで頬っかむり。しまいには中国側は、中国のモンゴルやウィグルやチベット問題は「国内問題」だと主張しながら、日本の靖国問題や教科書問題は日本の「国内問題」ではなく、「国際関心事」にあたり、外交問題であって、中国が発言することは何ら内政干渉にあたらないと、ぬけぬけと答えて、中華思想の一端をはしなくも垣間見させます。
 それでは韓国はどうかと言うと、韓国側は、韓国における民主主義はマスコミにもしっかり根付いており、必ず反対意見が存在する、だから中国式の反日とは全く別のものだ、と主張しますが、似たり寄ったりのようです。最終章で、櫻井さん・田久保さんの二人と対談する、日韓歴史共同研究のメンバーだった古田博司さん(筑波大教授)が、日本だけでなく、満州やモンゴルやウィグルやチベットなど周辺国は皆、中国から受けた被害に対して異議を唱えてきた歴史があるのに、韓国は違う、原因は中華思想の影響を受けているから、中国による華夷秩序に完全に組み込まれ、中国の威を借る狐になった、「小中華」であり「事大」、つまり中国の威を借ると同時に、「大」である中国につかえる冊封体制の一員という位置づけだったから、と解説します。古来、日本海によって隔てられ、ある距離を保つことが出来た日本と違って、地続きの朝鮮半島は、中国との間に独特の緊張関係を余儀なくされ、何等かのコンプレックスを抱いて来ました。それを古田さんは「助け、裏切り、恨まず」の関係だと形容し、櫻井さんはそれを受けて肉親同士のようだと答えました。これまでまがりなりにもアメリカ陣営に属して来た韓国は、今後、北東アジアでプレゼンスを増し経済的結びつきを増す中国に、再び近づくのではないかという観測もあります(日経・鈴置高史氏など)。
 こうして見ると、1998年に当時の国家主席だった江沢民が「日本には歴史問題を永遠に言い続けなければならない」と在外公館大使に指示していたことが、2006年に公刊された「江沢民文選」で明らかになったように、中国・韓国側に問題があるばかりではなく、日本国内にも獅子身中の虫、すなわち左翼系オピニオンリーダーやリベラルと目される進歩的知識人が、中・韓に言質を与えるような反日的な発言を繰り返し、結果として日本の国を貶めて来たことが分かります。もしかしたら、彼らは意識しない内に中国に操られていたのかも知れません。中国にも伝統的に目に見える武力一辺倒ではなく(とりわけ武力で劣る時には)心を占領しようとする契機があります。梅棹忠夫さんをして、日本は中国などのアジアよりも欧州に近いと言わしめた、一番身近な隣人でありながら、厄介で遠い存在である中国や韓国の立ち居振る舞いについて、私のようなノンポリ人間にも、いろいろな示唆を与えてくれる好著だと思います。
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鉄の女の涙・続

2012-05-04 13:04:59 | たまに文学・歴史・芸術も
 この映画を見て、あらためて日本の政治状況の貧困を思いました。最近、私のブログの更新頻度が落ちたのは、政治が批判の対象に値しなくなった(関西弁で表現すると、アホらしゅうてやってられん)ことにも原因があると、他人のせいにしてはいけないのですが、そうぼやきたくなります。
 サッチャー女史のような人が出て来たのは、イギリス政治の必然だろうと思います。さすがに今はどうか知りませんが、優秀な若者は政治を志す、何故なら主権は国民に存するのではなく、女王陛下と国会が半分ずつ握るから・・・そんなエリート主義の古き良き伝統が、辛うじて大英帝国のなれの果てにも生き残っているように思います。
 日本の行政も、江戸以来の伝統で、有能な人間に支えられて来ましたが、政治の世界からはいつの間にか(多分、戦争に敗れてから)武士がいなくなり、今では、統治能力の適格性がないまま政権交代を実現してしまった民主党と、野党としての適格性がないまま政権交代を許してしまった自民党の、ある時には慣れ合いで裏で手を握り、それ以外にはたいてい足を引っ張り合う醜い泥仕合・・・いわば茶番ばかりが続く有様です。かつて高度成長を達した頃は、経済は一流、政治は三流、と蔑まれ、経済が二流に堕しかねない今もなお、手を拱いている政治は、ポピュリズムを至上として政局しか頭になくて、その無力ぶりは明らかです。かつて、小沢さんには期待したことがありましたが、すっかり色褪せてしまって、今、彼の頭の中を床にぶちまけると、選挙戦術と数のことしか出てこないのではないか、そして最後に、その中心に居座っている「怨念」がコロコロと転げ落ちてくる、そんなイメージを抱いてしまいます。政界で何か仕掛けようとする気持ちは分からないではないですが、政治理念やら信念らしきものはあるようでいて、その実、選挙のための方便としか思えず、いずれ面が割れると、いつもの破壊屋の本領が発揮されるだけのようで、ちょっとがっかりです。そういう意味で、過激な言説を繰り返す石原都知事や、一見(と一応言っておきます)チンピラ風の橋下市長にまがりなりにも人気があるのは、理由があります。今の日本で待望されるのは、サッチャー女史のような「信念」の政治家だからです。
 政治のせいばかりにしていてもラチが明かないので、日本の政治状況は、翻って日本の社会的な成熟の後れを反映しているのではないかと考えてみることにしましょう(実は私の時事ブログは、そういうコンセプトで書き続けてきたつもりです)。
 政治家一人ひとりの資質には若干疑問があるにしても(実際に、新進気鋭の女性作家が、政治家のインタビューを通して、政治家にならずとも企業社会で成功していたであろうと思えるような人は少なかったと、女性的な感性で率直な印象を述べていました)、企業にしても、官僚にしても、一人ひとりはとても優秀なのに、組織になるとまるでダメなのは、一体どうしたことでしょう。そこに日本の社会再生のカギがあるように思います。日本的なリーダーシップ論や組織論は、欧米との比較で終わる一種の文化人類学に過ぎなくて、かくあるべしという、高みを求める芸術論にはなかなかなり得ません。なんとなく引き籠りがちの昨今の日本人は、所詮は日本人なのだと開き直る傾向がある上に、昨年来、東日本大震災を乗り越える中で、日本的な価値観が見直されて、益々、世界の潮流から離れているのではないかと思えてなりません。
 戦後の日本は、どうも国家や社会を担う人材を育てることを、そうしたリーダーを受容し機能させる組織や社会システムを構築することを、真面目に考えて来なかったのではないでしょうか。「末は博士か大臣か」という価値観も、完全に過去のものになりました。反論が出て来るであろうことを承知で言いますが、今の受験制度は、記憶力だけでなく、高等教育を受けるに足る基本的な資質を問う点ではよく出来ていると私は思っていて、勿論、それが必要条件ではあっても十分条件とは言えませんが、(もしかしたら上位のエリート的なところだけかも知れませんが)素材を見分ける“ふるい”にはなっていると思います。しかし、素材の良さだけで世の中を担えるわけではありません。素材を、意識的な訓練を通して磨くことによって、国家や社会を担う人材に育てなければならない。これまでの日本は、それを企業社会(やそれぞれの社会)の自律的な体制に任せて来ました(国としては何もしないで、よきにはからえ、といったところでしょうか)。企業社会は、それに応えて、時間とカネをかけて、若者を、良い意味で遊ばせて来ましたが、多くの優秀な企業戦士を輩出して来ただけでした。そういう点では、政治の世界はもっと貧困なのは想像に難くありません。教科書的な意味で(つまり日本的ではないという意味で)、政治家の器量を育てるシステムがあるとは思えませんから(それでも、かつての自民党政治は、派閥の長を経験させることによって、それなりにムラオサ的なリーダーを育てることは出来たと思います)。
 ところが、冷戦崩壊と真の意味でのグローバル化が進展する中で、日本経済が長らく停滞する昨今、企業社会にそういう余裕はなくなって来ました。政治も停滞し、世間の信認を失って益々特異な世界へと孤立し、政治の世界だけではもはや変化を期待できないといったような諦観に支配されています。そして相変わらず公と私の領域は、水と油のように混じり合うことなく離れたまま。こうした、日本の社会のそこかしこで見られる制度疲労、ある種のダイナミズムの退潮に、大いなる危惧を覚えるのは私だけではないと思います。今こそ日本は、国家や社会を担う人材と意識を育てることを、真剣に考えるべきだと思います。「お上」と呼んで遠ざける私たちの意識を変え、社会を担うのは私たち一人ひとりだという意識を変えない限り、そして、そうした中から国家や社会を担うリーダーが育って来ない限り、社会的な成熟にはほど遠いように思います。
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鉄の女の涙

2012-05-03 11:53:43 | たまに文学・歴史・芸術も
 「鬼の目にも涙」とは言いますが、「鉄の女の涙(原題:The Iron Lady)」などと、原題にない「涙」という言葉を加えた意図は何だろう・・・とつらつら思います。マーガレット・サッチャー女史が、2002年頃から認知症がひどくなり、公式の場に出ることを控えるよう医師からアドバイスされていたことが、娘さんの回顧録で明らかになり、イギリス社会に少なからぬ衝撃を与えたのは、4年ほど前のことでした。当時のロイター記事によると、2003年に夫が他界したことすらもたびたび忘れ、そのたびに悲しい事実を説明しなければならなかったことが娘さんにとって最も辛かったと述べています。その回顧録をもとに制作された映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」を、アメリカ出張から戻るJAL機内で見ました。
 イギリスはもとより西洋社会で初の女性首相となったサッチャー女史も現在86歳だそうです。現役時代(1980年代)の彼女について、実はナマの記憶が余りないのですが、私が敬愛する大学の教授が単独インタビューで、彼女の新自由主義的な経済政策のことを「所謂サッチャリズム」と呼んだのに対して、「ソーシャリズムなんかじゃない!」と凄い剣幕だったことは、今もなおありありと懐かしく思い出します。一国(しかも大英帝国のなれの果て)の宰相を相手にするのですから、英語は上手いに越したことはありませんが、英語を母国語としない一介の東洋人学者の拙い英語(一応ハーバード大学に留学したことがあるのですが)に対しても情け容赦ないあたりは、さすが「鉄の女」と呼ばれるだけあって激しい性格だと、妙なところで感心したものでした(そもそも彼女の経済政策を社会主義的などと評する学者がいるとは到底想像できませんので、せめて英語を聞き直すくらいの余裕があっても良かっただろうにと思いますが・・・)。
 そのサッチャー女史は、首相時代、国有企業の民営化や規制緩和を断行し、当時、長らく労働党政権下でイギリス病と呼ばれた国際競争力の低下と経済の停滞を克服しようと奮闘し、それなりに成功したように思いますし、レーガン大統領のレーガノミックスと併せて、アングロサクソン的な市場原理主義は、共産主義体制を崩壊に導くボディブロー以上の効果があったと思いますが、失業率は下がらず、経済格差はむしろ広がり、昨今の新自由主義批判の風潮の中ではなおのこと毀誉褒貶が激しい政治家です。いずれの評価に傾くにしても、その後のメージャー政権はともかく次の労働党ブレア政権を通して、サッチャー女史の基本路線を踏襲しつつ是正措置を講じる「第三の道」を歩ませることになったという意味で、影響力ある歴史的な政治家だったことは確かだと思います。
 この映画は、認知症を患う現在のサッチャー女史が当時との間を行き来しながら半生を振り返る展開ですが、歴史的偉業を支える裏面史とも言うべき内面が切々と綴られるのかと思いきや、専業主婦にはなれないと宣言して政治家を志しつつも家庭の主婦でもあろうとし続けたという意外な一面はあったものの、正直なところ、なるほどと唸らせるようなスリルは感じませんでした。ただメリル・ストリープの迫真の演技は素晴らしく、存在感が圧倒的でした。一言で総括するならば、メリル・ストリープの貫録勝ち、といったところでしょうか。惜しむらくは、JAL機内の映画は字幕ではなく吹き替えになっていて、吹き替えが下手とは言いませんが、原作の面白みを相当奪っていることは間違いありません。昨年、NYからの帰国便で見た国王ジョージ6世の成長物語「英国王のスピーチ」の吹き替えに至っては、折角のどもりの演技が台無しでした。いやしくも“国際”線を運航するJALには、機内食に和食を出してくれるのは嬉しいですが、映画の吹き替えは是非とも善処して頂きたいと思います。
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穏やかなフェルメール

2012-03-14 22:27:36 | たまに文学・歴史・芸術も
 今日、会社をサボって、渋谷BUNKAMURAザ・ミュージアムで開催されているフェルメール展を見に行って来ました(サボると言うと人聞きが悪いですが、ちゃんと半日休暇を申請しました)。
 キャッチ・コピーは「門外不出!アムステルダム国立美術館所蔵≪手紙を読む青衣の女≫修復後世界初公開そして日本初上陸!」というもので、この絵はモノトーンに近い抑えられた色調の中で、修復前に比べて、フェルメール・ブルーと呼ばれる天然ウルトラマリンの青が鮮やかに蘇って、印象的な作品に生まれ変わったことが紹介されていました。この作品を含めて、展示されているフェルメール作品は実は3点のみでしたが、同じ17世紀のオランダの風俗画家の写実主義的な作品が、多数、並行展示され、独特の雰囲気を醸し出していました。日常を切り取っただけに見える風俗画ですが、その多くは、背景に描かれている壁の絵や地図や配置されている小道具などを通して、オランダの諺や格言、道徳的なメッセージを示唆しているのだそうです。
 中でも、タイトル「フェルメールからのラブレター展」に触れられているモチーフとしての手紙は、ヨーロッパで最も識字率が高かった当時のオランダにおいて、郵便制度が発達するにつれ、それまでの公的な通知や商業的な情報発信という役割に加えて、個人が思いを伝える手段として一般的になり、人々のコミュニケーションのあり方を大きく変えた時期にあたるそうです。現存するフェルメールの作品30数点と少ない中で、手紙をモチーフにしたものは6を数え、当時の静かな高揚感が伝わってきます。
 今でこそ、一人一台の携帯電話をもち、いつでも望む時に即時的にピンポイントでコミュニケーションが取れる時代ですが、ほんの20年前は、例えばトレンディ―・ドラマの走りとなった「東京ラブストーリー」では、待ちぼうけを食わされる場面が当たり前のように何度も出て来ます。電話の時代とは言っても固定電話中心の当時は、彼女が自宅にいれば、お父ちゃんやお母ちゃんが電話に出るかも知れず、電話をかけること自体がハードルが高かったものですし、待ち合わせて外出してしまえば、なかなか連絡が取れずにやきもきし、すれ違いも多くて、郷ひろみが「よろしく哀愁」で歌ったように、「会~え~な~い~時間が~愛(あ~い~)育(そ~だ~)てるのさ~」というようなところもある、牧歌的な時代でした。ましてフェルメールの当時は、もとより電話はなく、手紙の授受には数日かかり、もし恋人が商船で海外に働きに出ていたら返信を貰うまで2年もかかる、というような、今の私たちには俄かに想像を絶する世界です。
 そんな時代背景に思いを致しつつ、あらためてフェルメールの描く世界を眺めてみると、静けさの中で、なんとも穏やかな幸福感に充ち満ちた明るさに溢れていることが見て取れます。ここまでお勧めするかのように書いてきたフェルメール展は、実は今日が最終日でした。合掌。
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