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風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

閉ざされた青梅への道

2020-10-26 00:06:37 | スポーツ・芸能好き
 青梅マラソン事務局からメールが届いたのは9月4日のことだった。来年2月21日に開催予定だった第55回記念青梅マラソンが翌2022年2月に延期されるという。延期とは体のいい言い方で、第55回の冠が引き継がれるだけで、要は今シーズンはキャンセルされるということだ。
 その後、一ヶ月ほど経って、東京マラソンは、来年3月の大会が10月に延期されると聞いた。その出走資格を持つ知人によると、来秋10月17日か、その翌2022年3月6日のいずれかを選択することになるのだそうだ。10月とは、夏に走り込まなければならないことを意味しており、結構、辛いだろう。それを回避すれば、次に出走するのは、なんと一年半も先のことになる。
 もとより私自身は東京マラソンの出走に期待していなかったが、青梅マラソンが延期になったのはショックだった。このご時世で、体力を温存するため、夕方、40分ほど散歩している。何しろ4月から在宅勤務が始まって、平均して月に一度しか出社せず、巣籠り状態である。40分という中途半端な時間は、出社していれば達成するであろう一日の想定歩行時間なのだが、体力温存のための運動は正直なところツマラナイ(苦笑)。青梅マラソンのような大会への出場目標があってこそ、すなわち高いハードルがあるからこそ、年寄りの冷や水と言われようが、気合いが入るのだ(笑)。
 夕方、散歩するときにすれ違う市民ランナーは、マスクを付けていたり、付けていなかったり。街中を走る以上、人とすれ違うことが多いので、マスクすべきだろうと思うにつけ、そこまでして走るのであれば、やはり青梅マラソンのような大会があってこそと思ってしまう。毎年、冬場の半年だけとは言え、数えると8シーズンも走って来たが、今シーズンは、この時期になっても、まだ走っていない。このまま走れなくなってしまうのではないかと、一抹の不安を感じる秋・・・である。
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大坂なおみの全米オープン

2020-09-13 20:16:37 | スポーツ・芸能好き
 大坂なおみ選手が全米オープンで優勝した。一回り大きくなって帰って来た。
 今回は、前哨戦となったウエスタン・アンド・サザン・オープンでの快進撃からすれば(そしてその前哨戦の決勝で対決するはずだったが棄権した、ビクトリア・アザレンカが相手だったのも因縁であろう)、ほぼ順当な勝利と言うべきであり、私的には驚きはない・・・いや驚きがないことこそ、驚くべきことだろう。何しろ全米オープンという大舞台である。肉体的にも精神的にも強くなった。私は年齢的には、大坂なおみ選手よりお爺ちゃんに近いので(笑)、お爺ちゃんのメッセージに感銘を受けた(笑)。共同通信によると、「恐ろしい孫は持ちたくない。(四大大会3度目の優勝に)びっくりしている」と冗談を交えながら喜びを語ったといい、まさに恐ろしい孫だ・・・いや、年齢的には娘なのだが(笑)
 YouTubeでいろいろな映像を追いかけた。試合そのものについては言うことはない(などと、中学時代に軟式テニス部に属した程度の私が偉そうに言えた義理ではない 笑)。第2セット第2ゲームまでは押されて、このまま負けても仕方ないような展開だったが、本人も認める通り、次の第3ゲームが分水嶺となり、自ら勝利をたぐり寄せた。粘り強い。今シーズン序盤は、1月の全豪オープン3回戦で敗退するなど、必ずしも状態は良くなかった。その直後、「私のビッグブラザーでメンターでインスピレーションを与えてくれる存在だった」とinstagramでその死を悼んだ元NBAのスーパースター、コービー・ブライアント氏が事故死する不幸もあった。しかし、このコロナ禍で自粛を余儀なくされた時間をうまく過ごしたのだろう。新しいフィセッテ・コーチが、「ボールに対して、しっかりした位置を取れるようになった」と評価している通り、フットワークが向上し、前後左右に振られても軸を安定させて打つ姿勢に入れるようになり、後半は要所でのミスが少なかった。
 今回は、コート上の試合そのものもさることながら、コート上でありながらコート外とも言うべき、人種差別問題に対する姿勢が話題になった。前哨戦のウエスタン・アンド・サザン・オープン準決勝を棄権したことに始まり、全米オープンでは毎日、黒人被害者の名前入りマスクを着けて臨んだ。スポーツ選手であろうと芸能人であろうと、このような一種の政治問題(政治問題ではなく人権問題と主張する人もいて、それは分からなくはないが、彼女の知名度からすれば政治問題になると言わざるを得ないだろう)に声を挙げることを問題視するつもりはない。ただ私は正直なところ、彼女の若さ故、そして彼女の存在自体が大きい故、政治的に利用されはしないかと危惧した。
 しかし、それも杞憂に終わった。インタビューで、「みなさんがどのようなメッセージを受け取ったか、それに興味があります。私のマスクを見て話し合いが起きればいいと思います」「私はテニス業界(≒Bubble)の外のことにそれほど詳しくはありませんが、色々な人がこのことを話題にしてくれると嬉しいです」と、思いを語った。Bubbleなる言葉が聞こえたのは、そういうことだったのか・・・その節度をわきまえた発言に、思わず感嘆した。オーストラリアの電子新聞ザ・ニュー・デイリーが前哨戦ウエスタン・アンド・サザン・オープンで、「彼女自身よりも大きな問題のためにプレーすることが、オオサカにクリアな思考をもたらし、それに従ってプレーしている」と評していたが、至言であろう。
 とまあ、私は益々、彼女に首ったけである(笑)。一人のアスリートとして、それ以前に一人の人間として逞しく、さらに日本人らしく・・・などと言うのは妥当ではないかもしれないが、謙虚に成長しているのが、嬉しい。
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追悼:渡哲也さん

2020-08-23 17:10:26 | スポーツ・芸能好き
 渡哲也さんが今月10日に肺炎のため亡くなっていたことが14日に判明した。享年78。
 「静かに送ってほしいという故人の強い希望」(石原プロ)で、14日に家族葬がとり行われ、ようやく公になったということだ。その後10日近くが経つが、追悼の記事が絶えない。その中の一つで、あるスポーツ紙の女性記者が寄せたエピソードが印象に残る。「・・・記者にとってはスターのイメージしかなかった。石原プロモーションの新年会で、渡さんの姿を見つけた時は、なぜかなるべく遠くにいよう、という思いだった。石原プロの新年会は長丁場だ。いくつかの小グループに分かれて、あちこちで環ができるという時間帯になっていた。すると、記者がいるテーブルに、渡さんがひょいっとやって来たのだ。目の前に座った渡さんは、ほんの少しほおをピンク色にして上機嫌だった。緊張しっぱなしの記者を気づかってか、渡さんは『僕ね、渡哲也っていうんです。俳優をやってます。これでもけっこう有名なんです』・・・」。多くは寡黙でニヒルな役柄をこなし、石原裕次郎、小林旭に次ぐ、日活の、今となっては数少ない銀幕の、大スターでありながら、スターぶることなく、律儀で謙虚で、それでいて(伝えられるところによれば)お茶目な素顔が魅力的だ。
 私は子供の頃に「太陽にほえろ!」は見ていたが「西部警察」は見なかった、というように、渡哲也さんが出演された映画やドラマの記憶は余りない。その映画出演は2005年、「男たちの大和/YAMATO」が遺作となり、ドラマ出演は2013年、実弟の渡瀬恒彦さん主演の人気シリーズ「西村京太郎サスペンス 十津川警部シリーズ50 消えたタンカー」で、兄弟共演で話題を呼んだのが最後で、絶えて久しいが、生前はそんなことさえ気づかないほど無関心だったのに、いざ亡くなったと聞くと、無性に寂しさが日に日にこみ上げてくる、そんな存在感のある役者さんだ。何にここまで惹かれるのか、追悼記事を読みながらつらつら考えてみた。
 渡哲也さんの役柄として誰もが思い浮かべるのは、角刈りにグラサンで銃を構える刑事か、和装でどっしりと構えたヤクザの親分のイメージだろう(笑)。このあたりは世界のキタノ監督に語ってもらった方がよさそうだ(1999年11月16日、都内で行われた「BROTHER」制作発表会見)。「今回、日本(舞台)の部分で(ヤクザ組織の)親分というのが出てくるんですが、出てきた瞬間、『あっ、親分だ』という人はいないかなあと思って、渡さんを思いついて」と明かした後、「渡さんを正式に頼むとお金もかかるんで、裏からそっと、遊びにきませんかって。で、和服で遊びに来ませんかって。それで来たところを盗み撮りしちゃおうと。とにかく、頼み込んでワンシーン出てもらおうって。これから自分の映画に渡さんに関わってもらう、きっかけですね。とりあえず、今回はワンシーン出てもらいます」(スポーツ報知より)。実際に渡哲也さんが登場したのはワンシーンで、北野武さん演じる山本を米国に逃がすため、恥を忍んで日本に残り、組を守った故・大杉漣さん演じる原田が総会の席で対立する組長から侮辱され、突如、腹を切るシーンで、それまで温厚そのものの表情で場を眺めていた渡哲也さんが修羅場になったとたん、原田を侮辱した組長を「けじめ、つけろ!」と、迫力の声で一喝する(同)。その後、クライマックスシーンを撮影していたロスで、キタノ監督がふと呟いたそうだ。「参ったよ。渡さんはさ。そこにいるだけで親分なんだもん」(同)。
 また、幅のある演技力を見せたとして評判だったのが、ジョージ秋山さんの人気コミックをドラマ化した「浮浪雲」の主人公役で、飄々とした軽みのある演技は、案外、渡哲也さんの地の部分が表れているのではないかと思うほど、よく似合う。「粋でいなせな大泥棒」とは、かつてコミック版「ルパン三世」の帯に書かれたキャッチフレーズで、見た目の行動こそ「ルパン三世」とは大違いでも、「粋」で「いなせ」な気性は、渡哲也さんの役柄によく似合う。
 こうして、ファンのため、役者としてのイメージを大切にする姿勢を貫いたという声がある。確かに、ファンへの感謝を忘れず、という文脈で、渡哲也さんの地元・淡路島も被災した阪神淡路大震災にはじまり、東日本大震災や熊本地震など、被災地で炊き出しを行うボランティア活動にも積極的に取り組む姿がニュースで流れた。毎日新聞によると、小児がん征圧キャンペーン「生きる」に全面協力されていたという。これらは恐らく、自らも何度も大病を患い、闘病生活が長かった故の、弱い立場の人への共感であり優しさだったのだろう。他方で、人前では自らの弱った姿の素振りさえ見せなかった。最後も一人で、家族に看取られて、逝った。裏があったとは思わない。もっと言うと、渡哲也さんが男として男に惚れたと言われる故・石原裕次郎さんの後を継いで引っ張って来た石原プロモーションは、石原軍団とも言われ、鉄壁の団結を誇り、規律ある集団として異彩を放っており、私には任侠の世界そのものに映る。
 そもそも任侠とは、「仁義を重んじ、困っていたり苦しんでいたりする人を見ると放っておけず、彼らを助けるために体を張る自己犠牲的精神や人の性質を指す語」(Wikipedia)であり、本来は誉め言葉のはずだが、「(広大な面積と複数の言語や民族が存在するので、地方においては法の権威が及ばない中国と違って)日本では江戸時代以降、近代および現代を通して政治が安定して法治主義が隅々まで行き届いており、反乱などもほとんど長続きしないという状態であったため、任侠の精神は社会の最下層の人間や非合法の輩の間でしか存在できないという状態が存在し」(同)、現代の私たちはついヤクザや暴力団を連想して、遠ざけがちだ。しかし、杉浦重剛は「日本人は生まれながらに大和魂を持つが、その魂が武士に顕れれば武士道、町人に顕れれば侠客道」だと述べ、新渡戸稲造は『武士道』の中で、「武士道精神は男達(おとこだて)として知られる特定の階級に継承されている」と述べた(同)というし、かつて日活や東映などのヤクザ映画はこうした任侠道を愛しんだものであろう。渡哲也さんの追悼記事では、遠慮されているのだろうか、任侠の言葉は出てこないので、私は敢えて、渡哲也さんが示されたのは任侠的な生き様であり、ボランティア活動にしても、石原プロにしても、はたまた、渡哲也さん自身が石原裕次郎さんから感銘を受け、その後、多くの芸能人や芸能記者が渡哲也さんから感銘を受けたという、後輩に対しても丁寧に立ち上がって握手し挨拶する所作も、渡哲也さんなりの美学を貫いたのだと言いたい。「徹子の部屋」に出演したときの、スーツ姿で背筋をピンと伸ばして微笑む様子は、凛として美しいと思うほどだ。私の中の喪失感の正体は、どうやら失われつつある任侠道を、渡哲也さんが体現する存在だと私が感じていたことにありそうだ。
 最近では、渡哲也さんは、宝酒造の松竹梅のテレビCMがお馴染みだ。2016年に続き、2017年にも吉永小百合さんと共演し、取材に応じたときには、「こんにちは! お忙しい中、ありがとうございます」と大きな声で記者を迎え入れ、銀幕復帰への思いとともに、「元気になったら最後の一本は吉永さんとご一緒したいなと思います。大ラブシーンがあるのを。20代の時ももちろんステキでしたけど、年を追うごとにステキになっているから」と語ると、小百合さんは少女のような表情になり、「渡さんは初共演の頃からシャイでチャーミングなんですよ・・・。完全復帰なさって大人の恋の物語をやりましょう」と誓い合ったという(スポーツ報知)。若かりし頃の吉永小百合さんとの悲恋を思えば、人生の妙を感じざるを得ない。その後も2018・2019年とCM撮影は行われたが、取材陣は入らなかったので、2017年9月が公の場として最後となった。そして今年は、故・石原裕次郎さんの生前の映像との合成による共演で、7月29日から放送されているそうだ。撮影がいつだったかは明らかではない。6月、その宝酒造のCM「よろこびをお伝えして50年~幻の共演~」のナレーション録りを自宅で行ったのが人生最後の仕事で、7月27日に完成作を見た際には何度も頷き、書面で「最後のコマーシャルを裕次郎さんとの共演で終わらせていただきますのは感慨深いものがあります」とコメントを寄せたという(デイリースポーツ)。
 今年7月には、来年1月を以て石原プロを解散することが発表された。石原裕次郎さんの「私が死んだら石原プロをたたみなさい」という遺言に遅まきながら従ったもので、自らの引き際を悟っていたかのようだ。実際、事務所幹部によると、渡哲也さんは心なしかホッとした様子で、「若い人たちが出てきて、一歩下がって生きていくのが時代の流れだろう」と話していたという(デイリースポーツ)。石原プロを最後まで見届けることが出来なかったのは心残りだろうが、「男気」とか「男伊達」などと言うことすら憚れるような現代にあって、任侠的な生き様は、映像とともに、私たちの心に永遠に残り続けることだろう。感謝の気持ちを込めて、合掌。
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AIを超える将棋

2020-07-21 21:59:48 | スポーツ・芸能好き
 羽生善治九段が、ある座談会で、将棋とAI(人工知能)について興味深い話をされた。世の中は第三次AIブームと呼ばれて久しく、数年前には、人間の仕事のかなりの部分はAIに奪われるなどと、コンサルに散々脅されて、だからコンサルへの相談を勧められているかのような、コンサルを儲けさせるばかりの、いまいましい気分にさせられたものだった(笑)。最近は落ち着いてきたが、いまなお私を含む庶民は第三次ブームのAIの何たるかをしかと理解しているとは思えない。羽生九段は将棋界の第一人者らしく、将棋のコンピュータ・ソフトを通してAIを把握され、その時も、AIは人間にはない発想が出来るので、それを取り入れて行くのが大事だと言われていた。ただ、人間とAIの違いとして、人間は学習と推論を同時に出来るので、未知のものや経験したことがないところでも、そこそこに対応出来るが、AIは既知のものにしか対応出来ないと見切っておられた。例えば人間は、仮に一手先がマイナス100点でも、10~15手先にプラス300点となるような、評価を先にもつような打ち方が出来るのに対して、AIは評価点が異なるために難しいと言われる。そのため、人間は過去を含めて時系列で考えるので総体として辻褄が合うが、AIは過去を振り返らず、飽くまでその時々の最適解を選択するので、全体としてみれば一貫性がなく、従って、人間が打った棋譜か、AIが打った棋譜か、区別できるのだそうだ。なるほど、名人の域とはそういうものかと感心するばかりであった。
 その羽生九段が、一昨年2月の朝日杯将棋オープン戦・準決勝で、藤井総太七段との初の公式戦に敗れた際(それ以前に非公式戦でも敗れていたが)、羽生九段をして「若い世代が台頭し、新しい戦い方を取り入れていかなければいけないと痛感した」と言わしめた。
 その藤井七段は、先週行われた「第91期ヒューリック杯棋聖戦五番勝負」第四局で、今となっては前・棋聖の渡辺明二冠(当時、三冠)を三勝一敗で下し、17歳11カ月の史上最年少で初タイトルの棋聖を獲得し、初の現役高校生タイトルホルダーとなった。相手の渡辺明・前棋聖と言えば、私は全く知らなかったが、歴代5位のタイトル獲得通算25期で、永世竜王と永世棋王の資格を持ち、初タイトル獲得から約15年間、1冠以上を保持し続けて、現役最強とまで言われる棋士なのだそうだ。
 既に数々の最年少を含む記録を打ち立てた藤井・新棋聖には驚嘆するばかりだが、折角、AIの話が出たついでに、その関連で話を進めたい。
 藤井新棋聖の終盤には「異次元の強さ」があると評される。詰め将棋で培われたものだそうで、その根底には、師匠の杉本昌隆八段によれば、細かい読みを省かない「楽をしない将棋」と勝ち筋を延々と研究する探究心があるという。因みに棋聖戦から一夜明けた会見で、藤井新棋聖は「探究」と揮毫された。
 今回、棋聖戦を主催した産経新聞によると、「第2局で藤井新棋聖は、守備駒である金をあえて前線に繰り出してペースを握り、逆に攻撃に使う銀を受けに使った。AIでは候補にも挙がらなかった手だったが、その後、AIの評価は『最善手』に変わった」「AIさえ候補手に挙げない“AI超え”の指し手」だったということだ。師匠も、「『全幅検索』ですべての手を読むAIと、『大局観』によって最善手を絞り込める人間との差」を認め、弟子(藤井新棋聖)こそが一点に絞り込んで唯一の勝ち筋を見つけ出す「AI超えの棋士」と評される。先ほどの羽生九段の話とも掛け合わせれば、人間とAIとでは評価点が異なり、確かにAIは定跡にとらわれない全幅検索を高速で処理する点で圧倒的だが、いったん後退あるいは否定するような不合理な、あるいは過去の実績から学べないような想定外の「流れ」、そうした「大局観」まで「学習」することが出来るかというと、なかなか難しいのではないかと思われる。
 作家の磯崎憲一郎さんが産経新聞に寄せた棋聖戦観戦コラムが興味深い。あの小林秀雄さんが、あるエッセイの中で、「読みというものが徹底した将棋の神様が二人で将棋を差したら、どういう事になるだろうか」と自問し、「先手を決める振りだけが勝負になる」「無意味な結果が出る筈だ」と自答されたそうだ。この思考実験は今風に言えば「AI同士が対局」することと言え、「私たち人間はこれに似た無意味さをどこかで感じてしまうのだろう」「将棋は人間同士の勝負だからこそ面白い、それは私たちが、全身全霊で考え、戦う棋士たちの姿に、単なる『強さ』という以上の価値を見出そうとしているから」だと語られる。
 AI研究の権威レイ・カーツワイル氏は、遅くとも2045年までには全人類の知能を足し合わせた知能をも超えるAIが誕生すると言われた。シンギュラリティ(技術的特異点)と呼ばれるものだ。しかしAIには超えられない壁・・・「学習」しようにも、生命の誕生から40億年と言われる長い年月を経て受け継がれてきたDNA、本能や感情といったものを「学習」するのは容易なことではなさそうだ。それは極端にしても、例えば機械翻訳はずいぶん進歩したが、AIは統語論的(≒文法的)に言語を理解できても、意味論的には理解できないと言われ、人間は言葉の意味を確認するために質問して「仮説」「検証」するような、一見、「無意味」で道を逸れるようなごく当たり前の動き(羽生九段が「推論」と呼ばれたもの)を見せるが、AIにそれは出来るだろうか。また、突拍子もない飛躍やかつての二番煎じ(復活)といった否定的ニュアンスで語られるようなモードを「面白い」と思って世に問うて流行やブームを作り出すことが、AIに出来るだろうか。羽生九段があげた例で言えば、裏をかくというように予想外の行動で相手を出し抜くような、恐らくコンピュータ的にはそれ自体は不合理に見えて実は意味があると人間が考えるようなことを合理的に学習し続けるAIは、結局、ウサギとカメのパラドックスで、永遠にカメに追いつけないウサギのように思える。それとも私はこのパラドックスさながらに、時間を永遠に分割する愚を犯しているのだろうか。人間とAIの違いは、人間そのものを問うことでもあって、興味が尽きない。
 藤井新棋聖には、AIを超える人間らしいドラマを「究め」続けて欲しいものだと思う。
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追悼:岡江久美子さん

2020-04-24 00:14:58 | スポーツ・芸能好き
 岡江久美子さんが新型コロナウイルスによる肺炎のため、今朝、亡くなった。享年63。志村けんさんの場合、感染して入院後、日々、ニュースを見ていたので、心の準備が出来ていなかったわけではなかったが、岡江久美子さんの場合、入院を知らされず、突然の訃報に戸惑っている。
 とてもきれいで聡明で、それなのに気取ったところがなく、明るくさっぱりしていて、ちゃっちゃっと家事でも何でも手際よくこなしていそうな素敵な女優さんだった。ファンを公言するほど追いかけていたわけではなく、むしろ『連想ゲーム』で見かけるくらいだった(『はなまるマーケット』や『天までとどけ』で2~3回見かけたかも知れない)が、同じ『連想ゲーム』に共演し5枠同士で対戦していた大和田獏さんと結婚されたときには嫉妬したものだった(笑)。Wikipediaによれば、「『はなまるマーケット』では、他出演者が話している最中、目の前を飛んでいた小バエを素早く手で捕まえ床に捨てるという荒技や、普段から早口の彼女がさらに早く喋ろうとして噛みまくる失態をしたことがある」とあって、彼女の人柄が偲ばれる。
 ご本人は健康を気遣い、手洗い・うがいを欠かさなかったらしいが、昨年末に初期の乳がんの手術を受け、今年1月末から2月半ばにかけて放射線治療を受けていたことから、所属事務所は「免疫力が低下していたのが重症化した原因かと思われ」るとコメント発表した。日本乳癌学会理事長は、「放射線治療を受けた患者で、まれに肺が部分的に炎症を起こすことや、免疫をつかさどる白血球が減少することもあるが、新型コロナウイルスによって重症化する原因になるほど、免疫力が下がるとは考えにくい」と語っており、放射線を当てるとどうしても肺にかかり、肺にダメージがあった可能性を指摘する声もある。志村けんさんも、禁煙されていたものの長年ヘビースモーカーで肺が弱っていたことが指摘されていた。志村けんさんの急変ぶりには驚かされたものだが、岡江久美子さんも、今月3日に発熱し、自宅で療養していたところ、僅か3日後の6日朝に容体が急変し、都内の病院に緊急入院した後はICUで人工呼吸器を装着したというから、軽症でも安心してはいられないことが窺われる。恐ろしい病気だ。
 旦那さんは、6日にLINEのやりとりをしたのが最後で、顔を見ることも叶わなかったらしい。志村けんさんのときと同じように、感染症ということで死に目にも会えず、荼毘に付されて骨となって戻るのをただ待つことになるのかと思うと、いたたまれない。なんと悲しいことだろう。
 心よりご冥福をお祈りし、合掌。
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追悼:志村けんさん

2020-03-31 00:43:22 | スポーツ・芸能好き
 新型コロナウイルスに感染したと聞いて、まさかとは思っていたが、昨日(29日)、肺炎のために亡くなったと聞いて、心にぽっかり穴が開いたような感じがなかなか抜けない。享年70。まだ若い。
 急展開だった。3月17日に倦怠感を覚えて自宅で療養、19日に発熱や呼吸困難の症状が現れたため、20日に主治医の診断を受けた結果、重度の肺炎と診断され、港区の病院に搬送され緊急入院、21日に人工呼吸器に切り替えた段階から意識はなく、23日に新型コロナウイルス検査で陽性と判明、人工心肺装置を装着して治療をしていたという。何より私たちにとっては、新型コロナウイルス感染が公表された24日から僅か一週間で帰らぬ人となった。
 デビューとも言える「8時だヨ!全員集合」は、まだテレビゲームもない時代に、視聴率50%のオバケ番組で、私のような昭和の子供にとって、われらがアイドル、これがなければ週末にならない、忘れられない番組だ。同時に、子供に見せたくないワースト番組としてPTAから睨まれて、社会現象にもなった。昨今のお笑いは、ひな壇に並んだ芸人が喋くるバラエティ番組が中心だが、昔は舞台に大掛かりな仕掛けがあって、作り込まれたコントで笑いを取る「芸」が見ものだった。
 周囲からは「もともとは極度の照れ屋」と評されるらしい。北野武さんからは「天才」と絶賛され、「コント職人」とも称された志村さんは、飽くまでコントにこだわり、お笑い以外の仕事はほとんど断っていたそうで、これまで映画に出演したのは、高倉健さんに直接頼まれて断れなかった「鉄道員(ぽっぽや)」だけだそうだ。ところが、この4月からNHKの朝ドラ『エール』への出演や、12月公開予定の映画『キネマの神様』で初の主演が決まり、さらに7月には地元・東村山を聖火ランナーとして走ることまで決まって、ずいぶん意気込んでいたという。オリンピック延期も知らないまま・・・なんだか切ない。
 芸能界40周年の節目にその半生を語った「週刊文春」2012年10月11日号掲載のロングインタビューが再録されていた。おちゃらけた仕草に潜む、そのひたむきさが何ともいとおしい。以下、抜粋。

(前略) 藤山寛美さんも好きだし、三木のり平さんや、由利徹さんですかね。なぜかというと、みなさんやっぱり芸があるんです。最近そういう方は少ないけれども、東八郎さんなんかは、「バカ殿」の爺をやってもらうと、踊りもできる、立ち回りもパッパッと型になる、決まるっていうのかなあ。所作が全部できるんですよ。今は喜劇人というのがないんですね。芸人と喜劇人は俺の中では違うんです。寄席に出ている人は、漫才師とか、芸人さんですよね。喜劇人は舞台中心で寄席には出ませんから。(中略) 夢? うーん、もう62歳(当時)だからね。たいそうな夢とかじゃなくて、今の体をずーっと続けていくことかなあ。たとえば今年で7回目になる舞台「志村魂」とかね。お笑いは説明がいらないからね、だから、理屈とか、これがこう面白いとか、解説者みたいなのはあんまり好きじゃないんですよ。僕の考えだと、お笑いはだいたい動きが7で、言葉が3の配分なんです。だからお笑いは世界中の人に通じると思うんですよね。お笑いって、よくわかんないけど元気とパワーをもらえるよね。笑ってるとさ、また頑張ろうって思えるじゃない。マックボンボン時代から数えるともう40年か、あっという間だね。こんなにお笑いを長くやるとは思ってなかったけど、僕にはこれが一生の仕事ですからね。死ぬまでずっと続けますよ。(了)

 米・英・中の主要紙も速報し、中国共産党機関紙・人民日報系の環球時報(電子版)は「日本の喜劇王」と呼んだ。なるほど、そういう形容もあったか・・・一つの時代が終わったような喪失感に囚われるのは、決して大袈裟ではないように思う。日本中の子供たちを笑いで包んでくれた感謝の気持ちとともに、心よりご冥福をお祈りし、合掌。
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名古屋ウィメンズマラソン

2020-03-09 00:02:30 | スポーツ・芸能好き
 今日はびわ湖毎日マラソンの結果を気にしており、名古屋ウィメンズマラソンはノーマークだった。結果を見て、思わずYouTubeを見た。一山麻緒選手が、冷たい雨をものともせず、日本歴代4位の2時間20分29秒で優勝した。1月の大阪国際女子マラソンで松田瑞生選手が出した記録を1分以上、上回り、東京オリンピック・マラソン女子代表の最後の一枠を射止めた。
 彼女は、昨年の東京が初マラソンで、言わばルーキーと言えるが、オリンピック代表を狙っていたのだろう、この一年で実に貪欲にフルマラソン四度目の挑戦だったそうである。私も20年ほど前、アメリカ駐在中のある一年間に四度、フルマラソンを走ったことがある。サンフランシスコ(7月)、サクラメント(12月)、ナパバレー(3月)、サンディエゴ(5月)、さらに10月のレイク・タホで即席の駅伝チームを作り、直前に高齢のおじさんが痛風でリタイアしたいと言い出して、私が二区間20キロ走る羽目になったのはオマケである。これだけ間を置かずに走り続けたので、自身初めてのサブ4を三度出したが、さすがにレースに慣れてしまって、回を重ねる毎に集中力を切らしていった。エリート・ランナーであればなおのこと、体力も集中力も維持するのは並大抵ではないだろうと思う。
 彼女の何が素晴らしいかと言って、走る姿が見とれるほど、なのだ。クセのある走りが悪いわけではないが、Qちゃんは「ゴム毬のように、はずむよう」だと形容し、野口みずきさんは「フォームがすごくいい。腰高で、お尻の位置がすごく高い・・・まるでアフリカ勢のような走り。ストライド型で筋力の強さを感じるし、体幹も強い」と言ったように、痩せた身体にしては足腰がしっかりしており、158センチの身長よりもずっと大きく見えるような、安定した堂々とした走りなのだ。そしてペースメーカーが外れる30キロの手前から抜け出し、自分のペースを貫いたのは、先週の(後れても盛り返した)大迫傑選手を彷彿とさせた。
 なお、野口みずきさんは「厚底シューズにも合う走りだと思う」とも語っている。厚底シューズは、反発力があるため、体重が軽い女子ランナーは必要以上に弾んで、履きこなすには臀部などの筋力が必要で、どちらかというと不向きだと言われる。今回も、上位10人中、彼女だけだった。
 いやはや、最近やや沈滞気味の女子マラソンに、期待の新星が誕生した。本番のオリンピックが楽しみだ。
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東京マラソン

2020-03-01 23:40:42 | スポーツ・芸能好き
 今日の東京マラソンは、3万8千人の一般参加が中止され、僅か200人のエリート・ランナーだけが走る異例のレースとなった。恨めしくテレビ観戦していた人も多かったことだろう。普段なら沿道に100万人が詰めかけるところ、感染を避けるために観戦を控えるように(!)声掛けをして、なお7万2千人が「集まってしまった」らしい。それほど注目される中、日本記録保持者の大迫傑選手が自らの日本記録を更新し、日本人トップでフィニッシュした。
 彼がMGCで2位と5秒差の3位に沈み、五輪代表内定を逃したことこそが予想外だった。それだけに、かれこれ半年、ゴールしたときの鬼の形相と言い、インタビューで思わず涙したところと言い、彼の苦悩が忍ばれる。彼ほどのランナーでも期待通りにきっちり結果を出すのは並大抵ではなかっただろう。本当によう頑張ったと思う。
 MGCが終わったとき、瀬古さんは、日本記録保持者で三枠目の可能性が高く、東京五輪までの日程を考えれば東京マラソンにも来週の琵琶湖マラソンにも参加しないで「待つ」のが得策だと言われていた。ところが、状況は必ずしも安穏としていられるものではなかった。今日も、海外勢を含めて上位30人中28人がナイキの新旧厚底シューズを使用していたそうだ。さすがに瀬古さんは「シューズが進化するのは当たり前・・・(略)・・・シューズで(タイムが)良くなったといわれるとかわいそう。選手が努力した結果だ」と言われたものの、大迫に続く日本人選手を見ても、2時間6分台が2人、7分台が7人と、実に10人が2時間7分台以下であり、日本男子歴代20傑の中に新たに8人がランクインするほどの高速レースとなったのは、シューズの格段の進化なしにはあり得なかっただろう。大迫が敢えて代表の座を掴みに行った所以でもあろうかと思う。
 ところでトリビアとして・・・大迫選手のために5年前にアスリート・フード・マイスターの資格を取得した奥様からのレース直前の差し入れは「普通のカステラ」らしい。栄養補給に優れ、体内にゆっくりと糖が吸収されるため、スタミナの持続効果を持つのだという。昨年の東京マラソンで、奮発して「高級カステラ」にしたところ、初めて途中棄権となったのは、奥様によると「高級カステラには風味や食感を出すためにバターがふんだんに使われることが多く、胃にもたれやすかった」とのこと。もしそれが本当なら一流選手が如何に微妙なところで勝負しているかが分かるが、庶民には有難いエピソードだ(笑)。
 プロ野球オープン戦は無観客で行われているし、大相撲春場所も無観客と決まった。ファンあっての興行であり、ファンの歓喜と一体となってこその盛り上がりである。オリンピック本番で彼の勇姿を見るためにも、外出することが緊張を強いるような状況を脱して、かつての日常に早く戻りたいものだと思う。
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青梅への道(5・未完)

2020-02-17 21:34:49 | スポーツ・芸能好き
 昨日の青梅マラソンは不本意ながらDNSとした。インターネット用語のDNSではなく(笑)、マラソン用語のDNSで「Did Not Start」の略だ。なお、スタートしたものの棄権等でゴールに至らなかった場合はDNF(Did Not Finish)と言うらしい。
 あっけない幕切れは、家族の反対に押されてしまったことによる(なんという根性なし・・・)。何万人もが集まるところに、のこのこ出かけて行って、わざわざウイルスを貰って来るつもり!? と。いやいや、戸外のオープン・スペースで行うマラソンと、毎朝・毎晩、密閉空間の満員電車に揺られる通勤とで、どちらがリスクが高いと思う? と。これって、福島第一原発事故の際、放射線を浴びることと、喫煙や野菜を取らないことで、どちらがガンになるリスクが高いと思うか、といった問答に似ている。ただ放射線の場合は、専門家の知見を書籍の形で入手できて、それらをもとに、自分なりに判断することが出来たが、今回はまだよく分からないところが決定的に違う。結局、論破できずに、5ヶ月間の(私なりの)苦労に報いるよりも、家庭円満を選んだ。
 実際のところ、私のようなサブ・スリーを目指す程度の鈍足ランナーは、お尻から数えた方が早いスタート地点から飛び出したところで、青梅の狭い田舎道(失礼!)を「駆け抜ける」のは至難のワザで、暫くは(5キロ30分以上)固まりになって、前後左右にぶつかりそうになりながら、集団移動せざるを得ない(それでも沿道の応援は暖かく、青梅マラソンをこよなく愛するランナーは多いのだが)。それは、電車の中で立つのと違って、走っている分、呼吸が荒くなるのが気にならないわけではない。また、給水所や給食所の混雑や混乱も気にならないわけではない。東京マラソンではバナナを切らずに一本丸ごと配布すると言って失笑を買っていたが、アンパンやクリームパンの切れ端が満載のところに、走りながら手を突っ込むのだとすれば、余り衛生的とは言えない。そして何より30キロを走り切ることによる免疫力の低下が気になっていた。さらに雨で冷え込むことになるであろう予測が追い打ちをかけた。
 結果的に、9時半スタートの10キロの部は大雨にたたられたが、11時半に30キロの部がスタートする頃には雨は止んで、気温9度の絶好のコンディションだったらしい。そして報道されている通り、東京五輪に内定している前田穂南さんが1時間38分35秒の女子・日本新記録で圧勝された。ナマで見たかったなあ・・・
 今回の実施については、2月5日時点で「新型コロナウイルス感染症に関して厚生労働省の発表に従い、現状は流行が認められる状況ではないことから、現在、開催に向けて準備を進めております」旨の発表があり、当日まで情報が更新されなかったため、決行されたものだ。状況証拠から、もはや感染経路は不明で既に「感染拡大期」にある可能性があり、水際対策に重点を置いた政策から国内での重症化やパンデミックの抑制を最優先にしたシフトチェンジを求める声が出始めているのが気になっていたら、3月1日開催予定の東京マラソンでは、一般参加者の出走を取りやめるとの発表があった。同じランナーとして残念なことだ。それでも今年の一般参加者には来年の大会への出場権が与えられるというから、私は来年も出られないことが決まった・・・
 青梅マラソンの話に戻ると、最終的にどれくらいの脱落者が出たのか、現時点で大会公式HPに掲載はないが、辞退したランナーはいつもより多かったのだろう、大会に参加できなかったランナーに対して参加賞のTシャツを着払いで発送するとの告知が出ている。確かに余ったTシャツをヤフオクに出すわけにもいかないだろうし・・・(苦笑)
 いや、正直なところ、走れなかったからと言って、5ヶ月間のトレーニングが無駄になったとは思わない。ただ、また一つ齢を重ねて、これだけの練習をして、どこまで出来るか「試したかった」気持ちが、もやもやっと残っているだけである。一年先の自分にそれほど自信があるわけでなし・・・
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青梅への道(4)

2020-02-14 23:35:36 | スポーツ・芸能好き
 先週末の土曜日、うっかり(昼)寝過ごして、十分な走り込みが出来なかったので、翌・日曜日も、私にしては珍しく二日続けて1時間コースにチャレンジした。どうせ疲れが残っているだろうから、のんびり行こうと走り始めたところ、豈図らんや、久しぶりに軽快に走ることが出来て、驚いた。所要時間も普段より10%程度速く、12月の皇居周遊大会並みのランナーズ・ハイ状態だった。これで、本番では気分が高揚してドーパミンがドクドク出て普段以上の実力を発揮するという個人的な仮説は崩れてしまった。たかが練習のジョギングだが、一体どうしたことだろう。
 秘密のカギは、どうやら食事にありそうだ。
 だいたい週末は、朝・昼ともに年齢相応に枯れた食事が習慣になっている。そのため、夕方、シャワーを浴びる前にささっと走りに出る頃には、すっかり腹が減って、時に意識が朦朧とした状態(恐らく糖分不足)で走ることもある。ところがこの日曜日は違った。昼に外出し、サン・マルクのランチをとった。焼き立てのパン食べ放題なので、美味しさにつられて腹一杯いただき・・・とは単に食い意地が張っていただけのことだが、そのお陰で、夕方のジョギングのときでも、12月の皇居周遊大会と同様、それなりにエネルギーが残ったままの状態だったと考えられる。
 走るというのは、ある意味で脳との闘いだ(と思う)。その昔、筋肉疲労は乳酸が溜まるせいだと習ったものだが、どうもそうではないらしい。その当否はともかく、腹が減ってくると、脳は、生存本能に従って、「余計な運動をせずに休め」「エネルギーを補給しろ」と指令を出す(と思う)。逆にランナーズ・ハイは、エネルギーが十分に余裕がある状態だからこそ、脳は運動を制御しない・・・などと思っているのは私だけかも知れないが、実際に、井村屋がマラソン用の羊羹を販売しているのを見かけたとき、噛むことで脳が刺激され、エネルギーが補給されたと思い込んで元気が出ることから、適度に歯応えがあるのは良いことなのだと、店員さんから聞いたことがある。
 ここ1~2年、練習のスピードが目に見えて落ちたのは、年齢とともに食が細って、走るだけのエネルギーが十分ではないせいでもあると思う。とりわけ私は空腹に弱い。腹が減り過ぎて寝付けなかったことも一度や二度ではない。市民ランナー・レベルのマラソンは、4~5時間もの間、運動し続け、途中で腹が減るので、栄養補給が課題だと、これまでさんざん言って来たし、普段の練習でも調子が出ないのはエネルギー(食事)が足りなくなる時間帯に運動するせいだと嘯いて来た。それは多分に言い訳がましいところがあったが、実際に、数年前から、加齢に抗うように、練習前にも120円の栄養ジェルを取るようにして来た。
 そこで火曜日の祝日には、意図的に昼食の量を増やして2時間コースを走ってみた。目に見えて変わったかと言うと微妙だが(笑)、それなりに元気に頑張ることが出来たので、まあ間違いないところだろう。これで練習は打ち止めで、あとは本番を待つのみ。
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