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風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

全豪オープン

2021-02-20 22:49:59 | スポーツ・芸能好き
 全豪オープンテニス女子シングルス決勝が行われ、下馬評通り、大坂なおみ選手が優勝した。グランドスラムを制したのは、2018年と昨年の全米オープンと、一昨年の全豪オープンに続いて4度目で、すべてハードコートだった。しかも、準決勝のセリーナ・ウィリアムズ、決勝のジェニファー・ブレイディと、屈指のパワー・プレイヤーを退けての勝利であり、4大大会の準々決勝以降は12連勝、4回戦さえ突破すれば負けなしと、彼女の強さが際立つ。これで大会後の世界ランキングは2位に浮上する。
 映像を見たわけではないのだが・・・一撃で決めるわけではなく、相手が嫌がることを考えたリターンと、威力あるファースト・サーブに加えて、変化のあるセカンド・サーブが効いたと言われる。コロナ禍でツアーから遠ざかっていた間、体幹を鍛え、筋肉の量を増やしたことに加え、メンタル面でも一皮剝けたようだ。かつての不安定な面影はもはやなく、安心して見守っていられる。
 今大会では何より、三回戦の第二セット、相手にブレークポイントを握られたピンチの場面で見せた余裕が話題になった。以下、Huffpostから。
 「・・・観客席からの『ナオミ、足に蝶が止まっているよ!』という声に驚いたように足を止めた。大坂選手が手を伸ばすと、足に止まっていた蝶は離れたがすぐ戻ってきた。すると大坂選手は蝶を手に乗せて、コートの外にある箱に運んだ。しかし蝶は大坂選手から離れるのを拒否するように、再び戻ってきて今度は大坂選手の顔に着地。それでも大坂選手は嫌がるそぶりも見せずに、顔に止まった蝶を手で優しくつかんで元に戻した・・・」
 コート外で何かと注目を集める上に、コート内でも何気ない優しさを見せて感動を呼ぶ・・・素晴らしい。しかしテニス・プレイヤーは、コート上で活躍してこそ。クレーコートの全仏オープン、芝コートのウィンブルドン、そしてその先にあるゴールデン・スラム(グランド・スラム4大会とオリンピック優勝)を期待したい。
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大阪国際女子マラソン

2021-01-31 22:10:03 | スポーツ・芸能好き
 第40回大阪国際女子マラソンで、一山麻緒選手が2時間21分11秒で優勝した。日本記録を狙っていたそうで、残念ながら野口みずきさんが持つ記録2時間19分12秒(2005年ベルリン)には及ばなかったが、野口さんが持つ大会記録2時間21分18秒(2003年)を18年ぶりに更新した。
 今大会は、新型コロナ感染予防の一環で、従来の市街地を走るコースから、長居公園内を約15周(1周約2.8キロ)する周回コースに変更された。長居と言えば、私が高校生の頃、インターハイ大阪予選の会場となったところで、格別の思い入れがあるのは、まあどうでもいいことで(笑)、周回コースが選手にどういう影響を与えるのか・・・ペースを掴み易いかも知れないが、変化に乏しく、沿道の声援もない中での走りは独特のものだったに違いない。私は7年前、F1日本グランプリが開催される富士スピードウェイ(一周4.4キロ)を5周弱走るハーフマラソンの大会に出たことがあり、私のようなお気楽な市民ランナーは変化に乏しい周回コースを好まないが、集中力があるエリート・ランナーは違った感想をもつかも知れない。それから、川内優輝さんをはじめ男子選手がペースメーカーとなったのも史上初めてだそうで、オールジャパンの雰囲気が醸し出されて、良かった。川内さんは、青梅マラソンで一度、お見掛けしたことがあり、私のようなへなちょこランナーの倍のスピードで走るので、折り返し30キロのコースで、私がようやく10キロ地点にさしかかった往路で、復路を激走する彼とかち合って、毎度の全力疾走する勇姿がなんともカッコ良かった。今日も、時折り一山選手に声を掛けながら先導する姿がカッコ良かった。
 その一山選手は、相変わらず腰高の惚れ惚れする走りで、快調に飛ばした。日本人でこのような走りが出来る人が出て来たのかと思うと、感慨深い。しかし、前半飛ばし過ぎたこともさることながら、そもそも昨年末(ということは一ヶ月前)に扁桃腺炎で5日間静養したそうで、結果に繋がらず、「いつも、私と同じ気持ちで目標に向かって最高のサポートをしてくれるワコールのスタッフなので、本当は一緒に喜びたかったんですけど、残念でした」と涙ぐみながら振り返った。私は高校時代に、レベルは違うが陸上部で競技として中・長距離に取り組んだことがあって、感覚的に5日間のブランクはリカバリーするためには少なくとも倍以上の時間を要して、折角の上り調子に水を差して、肉体的にも精神的にも必ずしも万全ではなかったことだろうと想像する。しかも、東京五輪が延期され、ゴールが一年先送りされたことも、心理的にさぞ辛かったことだろうと想像する。私のことを言っても仕方ないのだが、20年ほど前、アメリカ駐在最後の年に、一年の間に4回もフルマラソンを走ったことがあって、フルマラソンなるものはド素人の市民ランナーでもメンタル面を調整するのは簡単ではないことを痛感した。ましてや微妙な加減の中で体力ぎりぎりのところで挑戦するエリート・ランナーをや・・・である。
 インタビューで、「自分のためだけには頑張れない」 「誰かのためにとか、誰かが喜んでいる姿を見たいと思ってやっていると、自然とやらなきゃなって、期待に応えたいっていう気持ちが原動力になっているかなあって思います」と語っていた。なんて素直でよい子なんだろう。
 東京五輪について、軽々しく延期や中止を語る著名人が話題になるが、選手の思いを想像したことがあるのかと、実に不愉快である。野球やバスケやフットボールやラグビーは、毎年、盛り上がるので、まだいい。それ以外の競技の中には、オリンピックでもなければ、なかなか注目されないものもあって、モチベーションを維持するのはもとより、下世話な話で、スポンサーを確保し(それが国の場合であっても)、支援してもらうのがどれほど大変か、私も知らないので想像するしかないが、一世一代の檜舞台であることを、著名人の方々は想像したことはないのではないか。五輪の商業主義は褒められたものではないが、競技に打ち込む選手たちが生活できないようでは元も子もない。更に思い出されるのは、1980年のモスクワ五輪ボイコットで、瀬古さんは人生の絶頂期に五輪のマラソンを走る機会を逃してしまった。本人の無念は想像を遥かに超えるであろう。野球やバスケやフットボールやラグビーは、このご時世でもなんとか実施されているので、いろいろな制約はあるにしても(最大の制約要因は医療支援だろう、これは出場選手の母国の医療リソースを要請してもよいのではないだろうか)、どのような形であろうと東京五輪が開催されることを願って止まない。
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追悼:ナタリー・ドロン

2021-01-30 11:33:11 | スポーツ・芸能好き
 一週間ほど前のことになるが、フランスの女優ナタリー・ドロンが亡くなった。享年79。
 あらためて79歳と知ると、もうそんなに時間が経つのかと感慨深いが、名前の通り、アラン・ドロンと結婚したことで有名な彼女については、青春映画の金字塔(のひとつ)、『個人教授』(1968年)に出演した頃のことが、フランシス・レイの甘いテーマ音楽とともに、忘れられない。もとよりリアルタイムに映画館ではなく、後にテレビの●曜ロードショーで観たのだが、洋画に目覚めて、なけなしの小遣いで『スクリーン』という洋画専門の映画雑誌を毎月購読していた中学生の頃だったから、ルノー・ベルレー演じる高校生と、ナタリー・ドロン演じる年上女性の、ほろ苦くも切ない恋物語には、当時のパリの街並みや、黄色いランボルギーニ・ミウラの爆音(!)や、コケティッシュな魅力のパリジェンヌのイメージが強烈で、ことのほか思い入れが強い。なお、偶々だが、この映画で恋人のレーサー役を演じたロベール・オッセンも、ほんの三週間前の昨年12月末に亡くなっている。享年93。50年もの歳月は、生身の人間をこのように変えてしまう。
 アラン・ドロンはAFPに対し、「とても悲しい。自分が愛した人が亡くなることは常に痛ましいものだ」「僕らは常に連絡を取り合い、頻繁に会っていた。僕は彼女の人生の一部で、彼女は僕の人生の一部だった。クリスマスをまた共に過ごして、一緒に写真を撮った。最後の写真になった」と語った。結婚生活は僅か4年だったが、完全に破綻したわけではなく、その後も良い関係が続き、確かに昨年のクリスマスを一緒に過ごす姿が、二人の一粒種のアントニー・ドロンのインスタグラムに投稿されているらしい。フランス人らしい男女の機微であろうか。
 レベルは違うが、私の人生でも、ほんの一瞬ながらも大切な「一部」だった。人は10代の頃に出会った人やモノ(映画や音楽など)の感動については一生引き摺るようだ。もっとも、YouTubeで映画の一場面を見て懐かしく胸がきゅっと痛むのは、垣間見えるパリの生活や、二人乗りするバイクの奔放な姿や、若かりし頃の彼女の輝きそのものと言うより、それらのイメージに染みついた当時の自分の思いが俄かに蘇るからなのかも知れない。記憶のメカニズムのなんと不思議なことだろう。ただの通りすがりでしかない彼女は、私の人生に陰影を与え、特別な思いを喚起して、作品の中で永遠に生き続ける。
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万葉集からつらなる伝統

2020-12-29 11:24:00 | スポーツ・芸能好き
 作詞家のなかにし礼さんが亡くなった。享年82。日経は追悼記事で、「ライバルでもあった作詞家の阿久悠とともに昭和の歌謡曲黄金期を彩った才人」と称えた。
 作詞は4000曲以上にも及ぶらしい。しかし少なくとも私にとって歌はメロディから入るので、詞を気にすることは余りない。ところが、なかにし礼さんが手がけた曲を挙げて行くと、「恋のフーガ」(ザ・ピーナッツ、67年)、「天使の誘惑」(黛ジュン、68年)、「夜と朝のあいだに」(ピーター、69年)、「恋の奴隷」(奥村チヨ、69年)、「人形の家」(弘田三枝子、69年)、「あなたならどうする」(いしだあゆみ、70年)、「手紙」(由紀さおり、70年)、「グッド・バイ・マイ・ラブ」(アン・ルイス、74年)、「時には娼婦のように」(黒沢年男、78年、作曲も担当)など、子供のころに何気なく口ずさんで、メロディーもさることながら、タイトルや歌詞にもインパクトがあって強い印象が残っていることに気がつく。歌がヒットする理由を尋ねられて、「屈折」と即答されたというのは実に興味深い。旧満州に生まれ、旧ソ連軍が侵攻する中で命からがら引き揚げてきた幼少時の体験をもつ、なかにし礼さんが、「人形の家」について、晩年のインタビューで、「終戦時、国は在外邦人をできるだけ現地に定着させるという方針を出した。あれは帰ってくるなということでしょう。日本国や日本国民から顔もみたくないほど嫌われたという思いがあった。それを歌にしたんです」と明かしているのは象徴的だ。生まれ故郷や祖国や愛する人への愛情が、心ならずも成就されなかったりある種の裏切りにあったり、昭和元禄とも言われた熱狂や喧噪の世相の中で満たされない思いを抱いたり、「屈折」こそ、昭和の歌謡を生み出す原動力としての、地下の奥深くでどろどろと煮えたぎるマグマのような情念だったのだろうと思う。昭和という時代は、暗い中にも明るい未来があり、しばしば絶頂から谷底に突き落とされもし、騒然とした中にも突き抜けた青空があって、苦労が多いけれども幸せとも言えた、そんな陰影に富む二律背反の時代だったように思う。
 音楽評論家の富澤一誠さんは、なかにし礼さんの作詞の特徴を、「極めて文学的な要素が強い」と表現し、「作詞を俳句や短歌と並ぶ日本文学にまで昇華させた」と評価された。ご本人も、「歌謡曲は日本文学の1つのジャンルであり、自分は万葉集からつらなる伝統の中にいると明確に意識していた」と語られたそうで、今日のブログ・タイトルはその言葉に触発されて頂戴した。他方で、それまでの流行歌や軍歌が「七五調」が主流だったのに対し、「自分は絶対に七五調は使わない」ことを作詞の鉄則とし、「破調のリズムで日本人の心を動かしたい」とも語られていたそうで、屈折ゆえの反骨のようなものの面目、「守・離・破」の「破」を気取りながら、日本の伝統の内にあることを強烈に意識されていたことに共感を覚える。「万葉集」と言えば、防人の歌で有名だが、4割は恋愛の歌だと言われる。戦地に赴く山本五十六・連合艦隊司令長官が艦内に持ち込んだ本の中にも「万葉集」はあった。ほんの80年前のことである。祖国を守ることは、祖国の人々を守ることであり、情の発露として「万葉集」は心の支えになったのだろうか。
 日本は、今も昔も、情の細やかな、という意味で稀有な国柄だと、あらためて思う。
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日本シリーズ第四戦

2020-11-26 01:19:49 | スポーツ・芸能好き
 この日本シリーズは、巨人の球団史に刻まれる屈辱的な惨敗となった。しかし、ここまで来ると、最悪を予想していたせいもあり、正直なところ悔しさよりも、ソフトバンクは強いな、という印象が先に立つ。巨人ファンとしては、ちょっとどころか大いに寂しい(笑)。
 今日は「2番・坂本、3番・丸、4番・岡本」の打順を復活させ、菅野もベンチ入りさせるなど、総力戦で臨む構えを見せた。その意気込みが通じたのか、初回、4戦目にして初めて先制した(が、その裏にあっさり柳田に逆転2ランを浴びたが)。そのため、「33-4」(2005年の日本シリーズ4試合の合計スコア)として話題になったときの阪神は1度もリードを奪えなかったが、「0―0を除く同点にすらできなかったチーム」という史上初の屈辱は免れ得た。
 シリーズを振り返れば、鹿取義隆さんの言葉を借りると、「4番・岡本が初戦の第1打席でソフトバンク・千賀の厳しい内角攻めにバットを折られた場面が象徴的だった」。結局、岡本は13打数1安打で打率0.077、丸は15打数2安打で打率0.133、坂本は14打数3安打で打率0.214と、ものの見事に抑え込まれた。この三人だけではなく、チーム打率0.132は、昨年4連敗で記録した4戦での最低打率0.176を更新し、試合数を問わなければ2007年の日本ハムの最低打率0.147(5試合)をも更新した。4戦での安打数16はシリーズ最少記録22(05年阪神、19年巨人)を更新し、4戦での4得点は05年阪神と並ぶ最少タイ、4戦での41三振はシリーズ最多と、記録づくめである(笑)。これで巨人の日本シリーズ9連敗は最長タイ、セ球団はパ球団ホームゲームで19連敗、DH制の試合で21連敗となった。はあ・・・(溜息)
 ソフトバンクが投打で圧倒・・・という報道があるが、ソフトバンクのチーム打率は0.267で、ペナントレースの0.249こそ上回るが、圧倒というほどではなく、むしろ短期決戦での誤差の範囲(具体的には第二戦の打率0.349に引っ張られた)ではなかろうか。つまり、エース菅野が勝てなかったのが痛かったが、巨人の投手陣はそれなりに頑張ったと言える。とにかく巨人の打者が抑え込まれたのだ。
 また、1975年にパ・リーグに導入されたDH制がセ・パの投打の力の差を生んだと言われるが、過去の日本シリーズを振り返ると、
   1980~1989年 セ5勝、パ5勝
   1990~1999年 セ5勝、パ5勝
   2000~2009年 セ5勝、パ5勝
   2010~2020年 セ1勝、パ10勝
と、実に2000年代までの10年単位では見事に「分け」ているのに対し(偶然にしては出来過ぎのようだが 笑)、直近の11年間が問題であることが分かり、果たしてDH制のせいと言ってよいのか疑問である(そう言えばドラフトのクジ運も良かったし・・・)。そして、この直近11年間のパ10勝の内、ソフトバンクが実に7勝(現在4連覇中)しており、つまり、かつてのV9時代の巨人に並ぶ黄金時代を現出させていると言うべきではないだろうか。DH制を活かしている部分も勿論あるかも知れないが、選手育成やチーム編成の問題という気がする。結論として、冒頭に書いたように、ソフトバンクが強い(!)のである。
 この一強の時代に、来年以降、他のチームがどう立ち向かっていくのか、楽しみにすることにしよう(と、心を入れ替えることにしよう 笑)。
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日本シリーズ第三戦

2020-11-25 01:15:02 | スポーツ・芸能好き
 かつて週刊文春に「萬流コピー塾」という名物コーナーがあって、私も学生時代に何度か応募したことがある(が、一度も採用されなかった 笑)。その塾長のコピーライター・糸井重里さんは「無念、屈辱、唖然の3試合。明日は気絶するのか?」と投稿された。さすが塾長、お見事。まさに崖っぷちである(苦笑)。
 第三戦も、ソフトバンクは4-0で巨人を圧倒し、2018年の第3戦以来3年越しの日本シリーズ連勝記録を11に伸ばした。他方、巨人は日本シリーズ8連敗。ついでに、セ・リーグのチームとして、日本シリーズでのパのホームゲームで18連敗、DH制の試合で20連敗。もはやひとり巨人の問題ではなく、セ・リーグの意地がかかっている(笑)。
 そんな中、巨人の先発サンチェスは、強力打線を相手に強気の内角攻めで7回途中まで3失点と好投した。初戦・第二戦で打者として唯一、気を吐いたウィーラーといい、外人選手に救われている。このあたりこそ今の巨人の雰囲気をよく伝えるものだろう。
 それにしても・・・投手がそれなりに頑張っても、打てない。今シリーズは計89打数10安打の打率1割1分2厘という貧打である。ソフトバンクの投手が良いのだろう。150キロ台の直球でごりごり押してくるパワー・ピッチャーとの対戦で揉まれるパ・リーグ野球が、かつて巨人にも在籍した谷佳知氏に言わせれば「次はカーブ」とか配球を読みながら甘い球を待つセ・リーグの野球を圧倒しているのも分かる。それにしても、である。とりわけ今日の試合は9回2死まで継投によるノーヒット・ノーランという体たらくだった。
 その崖っぷちを辛うじて救ったのは、「逆シリーズ男」とまで呼ばれる丸だった。個人的には広島時代を含めて5年連続リーグ優勝を経験しながら、なかなか日本一に手が届かない。周囲の期待が高いだけに、この日本シリーズでも打撃不振で、スケープゴートにされているところがある(苦笑)。今シリーズ初戦の4回無死一・二塁の場面でショートゴロの併殺に倒れたとき、駆け抜ける丸の足がファースト中村晃の足を蹴る形となって、ネットが大荒れとなったのは、象徴的なシーンだった。翌日の試合前に工藤監督と中村に謝罪を入れるに至ったが、何事も真面目で、野球に対して常に真摯に取り組む丸のこと、本来、その場で謝罪があって然るべきだったと思う。このあたりも、今の巨人の雰囲気を伝えるものではないだろうか。
 この、巨人を覆っている何とも言えない、ど~んよりした閉塞感を何とかして欲しい(笑)。それが出来るのは主軸打者しかいない。とにかく打つべき人がしっかり打たないことには突破口は開けないように思う。ダルビッシュは、「ソフトバンクが圧倒的な2連勝をしたからか、日本シリーズが終わったかのようなツイートをよく見るのですが、まだ2試合しかしていないからわからないよね」と言ってくれていたが、まだ3試合しか終わっていない(などと強がっても、空虚に響くだけだが 笑)。三日続けて、同じ言葉で締め括りたい・・・とにかく、意地を見せて欲しいものだ。
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日本シリーズ第二戦

2020-11-23 00:05:44 | スポーツ・芸能好き
 スポーツ報知は、「試合後の会見は39秒。原監督としては極めて異例の短さだった」と伝えた。良いところ無しで、2-13の得点差そのままの惨敗だった。日本シリーズで二桁失点したのは1994年の西武戦(第1戦)で11失点して以来26年ぶり、13失点は日本シリーズ史上球団ワースト記録だそうだ。これで日本シリーズ7連敗、対するソフトバンクは10連勝となり、新記録を更新した。
 打つ方では、辛うじてウィーラーが5回に2ランを放ち、前日9回裏の犠飛に続き、二試合続けて完封負けを阻止して気を吐いた。なんとも寂しい話だ(笑)。岡本に7打席目にしてようやくシリーズ初安打が出た。唯一、盛り上がったのは、この6回裏の攻撃だろうか。坂本・岡本の連打で一死一・二塁となって、丸が三振、代打・田中が四球を選んで二死満塁となって、中島が三振。力でねじ伏せられた感じだ。
 投げる方では、ソフトバンク打線が強力なのは事実だろうが、巨人の投手陣が(高梨を除き)これほど打ち込まれると処置なしだろう。挙句、9回表、7番手で登板した大竹が一死満塁のピンチで、甲斐を投手ゴロに打ち取り、1-2-3の併殺コースとなるところ、捕手への悪送球で二者生還したときには、さすがに球場は騒然となったようだ。このシリーズに象徴的な場面と言えるだろう。
 こういうときはつい自虐的になるが、なんとかこらえて(笑)・・・昨年の日本シリーズから同一カード6連敗というのは、レギュラーシーズンでもなくはないのだろうが、同じプロ球団としてここまで抑え込まれるのは、実力の差と言うよりは、日本シリーズという短期決戦の独特の雰囲気の中で、これ以上負けられないという硬さと焦りが極限に達していることだろう。プロとして恥ずかしい。ええ加減にしいや~である(笑)。昨夜に引き続き、同じ言葉で締めくくりたい・・・意地を見せて欲しいものだ。
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日本シリーズ第一戦

2020-11-22 00:26:39 | スポーツ・芸能好き
 日本シリーズ初戦、巨人・菅野とソフトバンク・千賀のエース対決は、ソフトバンクが快勝した。巨人ファンとしては辛いが、力負けである。2013年の第7戦から、昨年、そして今年と、日本シリーズ6連敗は、球団史上59年ぶりの屈辱だそうである(対するソフトバンクは、日本シリーズ新記録となる9連勝)。とりわけ昨年の日本シリーズ4連敗は、会社に行くのが嫌になるほどこたえたもので(笑)、そんなパに「一泡吹かせたい」とリベンジを誓った菅野だったが、勝てなかった。言い訳はいろいろ用意してある(笑)。
 まあ、巨人としてはスロースタートになるだろうとは予想していた。よく言われることではあるが、クライマックス・シリーズがなく、実戦から遠ざかっていたこと、ペナントレース終盤は調子を落としていたこと(逆に、ペナントレースを独走した原マジックの方が驚きだった)、ホームの東京ドームが使えないこと。さらに中期的に見れば、以前から人気のセ、実力のパと言われたものだが、明らかにパの実力が上回っていること、そのパでソフトバンクは2位に14ゲーム差をつけてぶっち切りで優勝したこと。
 セ・パの格差ということでは、今年はコロナの影響で交流戦がなかったが、昨年までパが10年連続で勝ち越している。日本シリーズでは、この10年間でパが9勝1敗(この1敗の相手は2012年の巨人)で、現在7連勝中である。そのため、今年で71回目を迎える日本シリーズの過去の対戦成績は、セ・パともに35勝ずつで五分となった(かつては巨人の9連覇があるなど、セが圧倒していたものだが)。冷静に眺めれば、そして選手層の厚さを見ても、どうひっくり返しても、ソフトバンクの優位は動かない。
 今年の日本シリーズでは、特例で全試合DH制が採用されることが決まり、話題になった。「交流戦中止で、今季一度も打席に立っていない投手に余計な負担が掛かる」というソフトバンクの提案を巨人が受け入れたもので、原監督は、「(全試合DH制導入による)有利とか不利とか、そんな議論は、もうすぐ90年を迎えようとしている野球界に対して失礼。やっぱり『ファンが何を望んでいるか?』というのは、とても大事なことですよ」と、啖呵を切った。以前から、DH制で、セはパに相当差をつけられていることを実感し、セでもDH制を使うべきと発言して来た原監督らしい潔さである。
 普段、セのことしか気にしないので、正直なところDH制なるものを余り真剣に考えたことがなかったが、あらためて思うに、選手に緊張感を与えるものであるのは間違いなさそうだ。野手の出場枠が1つ増えて育成に繋がるし、投手は切れ目のない打線に気を抜けないし、中・終盤にチャンスで打順が回ると代打が出て投手交代ということにならないので、より長いイニングを投げるチャンスがある。投・打それぞれが切磋琢磨の好循環を生んで、レベルアップに繋がっているという指摘は正しいのだろう。あるスポーツ紙の記者は、観ていて純粋に面白いのは、やはりパの試合であり、何より野球がダイナミックで、どのチームにも「この選手のプレーが見たい」という選手がいる、と語っている。
 原マジックがなければ、あっさり返り討ちにあいそうな今シリーズだが(苦笑)、南海以来の伝統のホークス戦である。惰性で続ける50年来の巨人ファンとしては、かつての王者として、ガムシャラに、ではなく、飽くまで巨人らしくスマートに、意地を見せて欲しいものだ。
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祝・坂本選手2000安打

2020-11-09 20:39:55 | スポーツ・芸能好き
 昨日、巨人の坂本勇人選手が通算2000安打を達成した。アメリカ大統領選のように、あれかこれかで揺さぶられるのと違って、ただ地道にヒットを積み重ねていく作業だから、すっきりしている。しかし、途方もない数字であるのは間違いない。
 なにしろ、過去にプロはおろか甲子園にも出場出来ない野球小僧を含めて幾千万人もの中で、またプロ野球86年の歴史の中で、達成したのは53人目である。しかも31歳10ヶ月での達成は、史上2番目の若さでもある(試合数で言えば8番目)。さらに、遊撃手という激務をこなしながらの記録である。因みに過去に遊撃手のまま記録達成したのは石井琢朗氏(当時35歳)くらいで、だいたい別のポジションに移ってから記録達成したらしい。
 今年はコロナ禍のため、開幕が三ヶ月近くズレ込んだ。コロナ禍がなければ、史上最年少記録を狙える位置にあったのが惜しまれる。シーズン立ち上がりは調子が出ずにもたついたが、残り3試合で、しかもチームにとって東京ドーム最終戦に合わせて来たのは、「持っている男」故であろうか。巨人の生え抜きとしては、川上哲治、長嶋茂雄、王貞治、柴田勲、阿部慎之助に次ぐ6人目で、誰もがよく知る名選手列伝に名を連ねた。
 若い頃のエピソードが面白い(今も十分若いが)。
 田中まーくんとともに所属していた少年野球チームの監督は、「吸収がすごく早い。教えたことを、すぐに7、8割の完成度で実行できた」と振り返り、「天才肌」の坂本と「努力型」の田中という、正反対の2人が競い合うように力を磨いたという。ONのような運命を感じる(言うまでもなく一つのチーム内で切磋琢磨した「天才肌」の長嶋と「努力型」の王である)。坂本はもともと左利きだったとは驚きだが、指導者の勧めもあり、一時期、両打ちに挑戦し、どうしても飛距離で田中に勝つことができず、再び右打者に専念したのだそうだ。
 母校・光星学院高(現・八戸学院光星高)時代の恩師が、中学生時代の坂本を見たときの印象として、「身のこなしが柔らかく、『プロに行く子だな』とピンときました。ただ、かなりヤンチャだっていうんです(笑)」と語っておられる。(“更生”ならぬ)“光星”学院に野球留学すると、案の定、手を焼いたそうで、「練習をさぼることはありませんでしたが、ノックを『死ねボケ!』と言いながら返球してきたり(笑)」したそうで、2000安打を達成するまでの選手に成長した理由を聞かれて、「反骨精神ですね」と答えておられる。なるほど。
 ドラフトのときの巨人スカウトの見立ては、身体能力に優れたアスリートタイプの投手、打者としても有望で、ショートとして育ててみれば面白い、大化けする可能性は十分にある、というものだったそうだ。当時、二岡に代わる新時代の遊撃手を欲しており、また余り報道で注目されていなかったこともあって、外れ1巡目で坂本を当てたそうだ。「初めて見たのは高校1年の秋。それからずっと気になっていました。躍動感があって、魅せるものがある。特に目に留まったのは、あの独特の打席でのタイミングの取り方でした。2年秋の東北大会は初戦から決勝まで、坂本目当てで全試合を見に行ったぐらいです」とまで言わせている。
 今、巨人の野手総合コーチを務める件の石井琢朗氏は、坂本が打てる一番の理由を「彼の持っている独特の間(ま)」と表現し、武道を引き合いに出される。野球では打者は常に攻められる立場、しかも速球もあれば変化球もあり、3割打てば「勝者」で、自分が打てるポイントにいかに呼び込めるか、坂本はタイミングを取ることが抜群にうまく、石井コーチは「(投手に)合わせるんだけれども、なるべく自分の間合いに持っていく。それが彼の独特のもの」と評される。また、「間近で見て、インコースのボールに対するさばきというか、バットの出し方は天才的」だと再確認したといい、「修正能力が高い。ピッチャーに対して、おかしいなと思ったらタイミングなり、バットの持ち方も変えられる。だから大崩れしないというか、調子の悪い時期が続かない」と語られる。絶妙なバット捌きの内角打ちは彼の代名詞だ。
 そして昨日の試合後のインタビューで、「今でも、野球がうまくなりたい。どうやったらもっと打てるのか考えている。」と語った。イチローに通じる、永遠の野球小僧だ(微笑)。シーズン最多二塁打記録を持つ先輩の谷佳知氏(当時巨人)に「二塁打ってどうやって打つんですか?」と率直に質問したというし、山田哲人選手(ヤクルト)にバッティングや練習方法の話を聞き、今期、首位打者争いを演じる佐野恵太選手(DeNA)に内角打ちの考え方を聞き、オフには同学年の秋山翔吾選手(レッズ)らと野球談議を重ねるなど、好きこそものの上手と言うが、いくら天才的であっても、旺盛な探究心と向上心があってこそ、球界屈指の好打者にのぼり詰められるのだろう。やんちゃな野球小僧と言えば、清原和博氏などの愛すべき系譜に連なる(笑)。
 原辰徳監督は、次の打席で放ったバックスクリーンに飛び込む19号ホームランを、力強く3000安打に向かってスタートを切ったとして、喜んだ。日本プロ野球史上二人目の3000安打を見てみたいものだ。
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初代ジェームズ・ボンド死す

2020-11-03 00:10:45 | スポーツ・芸能好き
 ショーン・コネリー氏が、バハマ諸島の自宅で家族に囲まれて、眠りながら息を引き取ったという。享年90。
 言わずと知れた007シリーズ主人公ジェームズ・ボンドの初代を務め、1983年のワーナー制作『ネバーセイ・ネバーアゲイン』を含めて7作に出演した。ジェームズ・ボンドを演じたのは、他にロジャー・ムーア(7作)、ティモシー・ダルトン(2作)、ピアース・ブロスナン(4作)、ダニエル・クレイグ(5作)がいるが、私の中ではショーン・コネリーが一番だ。スマート過ぎず、精気に溢れた、やや武骨なところが性に合う(笑)。
 私が洋画に目覚めたのは中学三年の頃で、高校受験を控えてなお年間50本以上の洋画をテレビで見た(のを、両親はよくも黙って許してくれたものだと思う)。なけなしの小遣いで『スクリーン』という月刊誌を買い、オリビア・ハッセ―やジャクリーン・ビセットやキャサリン・ロスやリン・フレデリック(と言われても分からないかもしれないが、ピーター・セラーズの奥さん)といった美女をうっとり眺めて溜息をつきながら、ジェームズ・ボンド役のショーン・コネリーに憧れた(笑)。私の中で典型的イギリス人と言えば、今もなお、あの恰幅の良さで(どうやらボディービルで鍛えたらしい)、切れの良いアクションをこなし、蝶ネクタイなんぞをダンディーに着こなし、ウィットに富んだ会話で美女をたぶらかす、ジェームズ・ボンドのイメージそのままだ(笑)。もっとも、ご本人は、この役柄のイメージが強過ぎることがご不満だったようで、友人のマイケル・ケインは「その頃、親しい人たちは、彼の前でボンドの話を持ち出さないようにしていた。もっと上手い俳優なのに、彼にはすっかりジェームズ・ボンドのイメージが付いてしまったのだ。街を歩いていて、人に『あ、ジェームズ・ボンドだ』と言われるのが、彼はとりわけ嫌だったようだ」と語っている。
 因みに「ルパン三世」の作者モンキー・パンチさんも、日本で1963年に公開された記念すべき007第一作『ドクター・ノオ』(公開当時のタイトルは『007は殺しの番号』)は「強烈な影響を受けた映画」で、「シャレた大人の遊び心満載の007映画がなかったら、私の『ルパン三世』は生まれなかったかも知れない」とまで語っている。要は『007』と『怪盗ルパン』をミックスさせた漫画を描きたい!ということだったようだ。ルパン三世は007のジェームズ・ボンドの「泥棒版。クールで天才。そして『007』と同じく女好き(笑)。でも下品じゃなくて上品な色気を前面に出した漫画にしたい。さらにアクションあり、コミカルでユーモアのある読み物にしたいと思っていました。だから主人公のルパンは、できるだけ、わかりやすい性格のほうがいいかな、という感じ」 「長髪にするはずが締め切りに迫られ描きやすい短髪にした」とも語っている。当然のことながら、ボンドガールを基に描いたのが峰不二子で、「ボンドガールは作品ごとに違う人が出てくるでしょ?僕も毎回、違うルパンガールを出すつもりでいた。でも、それを毎週、考えるというのは大変でね(笑)。だからといって、同じ女性が毎週、出てくるのではつまらない。だったら同じ女性でも髪形やコスチューム、性格が違う、“謎の女”を毎回、出してみたらどうかと思ったわけです。“女性の本性はわかりにくい”という男の心理がありますから、不二子のような女性は、それにぴったり合うんじゃないか、と」 そして我らが永遠の小悪魔・峰不二子が誕生したわけだ。
 男としての憧れはジェームズ・ボンドかルパン三世か・・・迷うわけである(笑)。そんな初代ジェームズ・ボンドも、ご夫人によると、ここ数年は認知症で苦しんでいたという。人生の不条理を感じるが、私たちファンには最後までジェームズ・ボンドとして、とはご本人には不本意かも知れないが、極東の少年にも夢を与えてくれたことに感謝し、ご冥福をお祈りしたい。
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