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風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

昴になった谷村新司

2023-10-17 02:09:32 | スポーツ・芸能好き

 「昴になられましたね」とは、イルカさんの言葉。アリスのリーダーでシンガーソングライターの谷村新司さん(以下、敬愛を込めてチンペイと呼ぶ)が、今年3月に急性腸炎の手術を受けて療養を続けておられたが(とは不覚にも知らなかったが)、今月8日に亡くなっていたことが今日、事務所から発表された。葬儀は近親者のみで昨日、執り行われたという。享年74。

 戒名は「天昴院音薫法楽日新居士」で、「昴」の文字が入っている。事務所によると、「日本語の精神文化を大事に、歌詞を紡いできた」 「天にある星となって私達を照らし続けてくれる事だろう」との思いが込められているようだ。昨年、活動50年の節目を迎え、アリスの記念ライブ『ALICE GREAT 50(FIFTY)』を有明アリーナで開催し、ベーヤン、キンチャンと共に、ここからリスタートして10年続けようと目標を立てて、今年6月から全国ツアー「ALICE 10 YEARS 2023 ~PAGE1~」がスタートする予定だったが、延期が発表されていた。三人揃ってのツアーはもはや叶わぬ夢となってしまった。

 私にとっては、音楽界の巨星である。まさに、巨星、堕つ。学生時代、アリスのコピーバンドを組んで、大学一年の秋、サークル活動を共にしていた京都の某女子大の学園祭の舞台に恥ずかしげもなく立ち、チンペイとベーヤン役でそれぞれ「秋止符」と「南回帰線」を披露したのだった(今思うと若さとはなんと恥ずかしいことだろう)。

 更に遡ると、高校二年の修学旅行で芸能大会があり、陸上部だった私は何の因果か軽音の友人と即席バンドを組んで、「帰らざる日々」と「酒と泪と男と女」(大阪やな・・・)を歌い、芸能大賞を貰ってしまったのだった。勘違いはあの時、始まったのか・・・それはともかく、チンペイの歌声には、えも言われぬ艶があった。日本的な抒情あふれる歌詞を紡ぐ感性にも、多大なる影響を受けた。壮大な「陽」としてのイメージがある「昴」や「サライ」は国民的な楽曲として、これからも歌い継がれるだろうが、私はどちらかと言うと、青春時代の屈折した思いをぐっと吞み込み、強がる背中を見せるような「陰」の楽曲の数々に惹かれる。

 そんな声の艶と言い、歌詞を紡ぐ感性と言い、音楽活動だけではなく、ラジオのパーソナリティでも遺憾なく発揮された。噂では聞いていた文化放送の「セイ!ヤング」や「青春大通り」「青春キャンパス」は大阪まで電波が届かなかったが、高校生の頃、MBSの深夜放送「ヤングタウン」(1978~86年、金曜日)を聴きながらの「ながら族」で、ともすれば折れて潰れそうになる受験生の気持ちを支えて貰ったものだった。ばんばんと佐藤良子さんとの軽妙なトークは、大人のガキっぽさや悪戯っぽさに溢れて、成長期の人格に大いなる刺激を与えて頂いた。まっとうでなくなったのではなく、まっとうでないなりに生きる術を、元気を、与えて頂いたのではないかと思う・・・

 子供心に、素敵に年齢を重ねるお手本の最初は、チンペイだったように思う。その姿は、2018年にアリスの三人で復活した「ヤングタウン金曜日」(東京にいる私は、今やYouTubeで聴くことが出来る)でも変わるところはないが、もはや目に、耳に、することは出来なくなってしまった。盛者必衰の理を知りつつも、あって当たり前のものがなくなってしまう喪失感・・・しかし、チンペイの音楽は未来永劫、私たちの心の中に生き続ける。なんと幸せなことだろう。感謝をこめて、合唱。

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原辰徳監督の勇退

2023-10-08 15:58:58 | スポーツ・芸能好き

 読売巨人軍・原監督が退任された。今季は3年契約の2年目で、最終年を待たずに身を引くことになった。

 振り返れば、私が東京ドームに最後に足を運んだのは2001年9月30日(横浜戦)のことで、その二日前の電撃発表の結果、期せずして長嶋監督(当時)の引退セレモニーが行われたのだった。一つの時代の終わりを画する出来事だったと言ってもよい。その翌年から、既定路線ではあったが、原さんが監督として指揮を執られた。

 私が子供の頃、大阪に住んでいながら巨人ファンになったのは、テレビ中継で巨人戦を見慣れていたからであり(阪神戦はサンテレビで映りが悪かった)、スーパースターのONがいたからでもあった。その一角の王さんが引退された翌年に原さんが鳴り物入りで巨人に入団し、当初、二塁を守っていたが、三塁の中畑清さんが故障して、かつて長嶋さんが守るホット・コーナーと言われた三塁が原さんの定位置になった。当時はまだ「球界の盟主」「常勝・巨人」と言われ(今は見る影もなく、あるとすれば埃にまみれたプライドだけだが 苦笑)、その中で、長嶋さんが語ったように、「スターというのはみんなの期待に応える存在。だが、スーパースターはその期待を超える働きをしなければならない」という宿命を背負ってのスタートだった。確かに、一人の選手としてはまずまずの成績を残したが、スーパーと呼ぶには物足りなかった。そして監督としても長嶋さんの後を継ぎ、長嶋さんの通算15年(1982試合、1034勝、リーグ優勝5回、日本一2回)を超える、通算17年(2407試合、1291勝、リーグ優勝9回、日本一3回)の戦績を残し、長嶋さんと同じ65歳での勇退となった。背番号83は、原さん自身の現役時代の8と長嶋さんの3を掛け合わせたものだと言われるが、選手としても、監督としても、常に大先輩であるONの影を引き摺りながらの野球人生だったように思う。巨人ファンとして、心からその労をねぎらいたい。

 実際にインタビューで、長嶋さんのように、何を言っているのかよく分からないところもあったし(笑)、高校、大学、そしてプロ入り後もスター街道を歩んできたのに、心に秘めたガッツと温かさがあった。次のエピソードは原さんらしさを示す好例であろう(10月4日付 東スポWEB)。

(引用はじめ)

 大学4年のときだった。東海大グラウンドに東大を招き練習試合を行った。ダブルヘッダーの1試合目の1軍戦で大差で圧勝した。2試合目との間に構内の大広間で昼食をとる東大ナインにあいさつにいくと、参考書を手に昼食をとっていた。「こんなときまで勉強するのかと。すごいなと。同じ学生としてこの光景を見てこてんぱんにやられた気持ちだった。自分が恥ずかしくなった」と当初2軍選手が出場する予定だった2試合目も志願して出場した。

(引用はじめ)

 監督としての実力には毀誉褒貶、相半ばする。一期目の一年目は松井秀喜、高橋由伸、阿部慎之助、上原浩治、桑田真澄、工藤公康など錚々たるメンバーが揃い、長嶋さんの遺産のお陰だと言われた。二期目はリーグ三連覇を二度達成したが、小笠原道大、谷佳知、アレックス・ラミレス、セス・グライシンガー、ディッキー・ゴンザレス、村田修一、杉内俊哉、大竹寛・・・など各球団の大物をFAで次々に獲得する大型補強のお陰でもあった(もっとも、それを使いこなしてこその勝利ではあったが)。2019年からの三期目の監督就任にあたっては、山口オーナーに「好きにやらせてほしい」と条件を付け、事実上、編成面も掌握する“全権監督”となった。ところが蓋を開けたら、復帰1~2年目にリーグ連覇を果たしたものの、日本シリーズでソフトバンクに2年連続で4連敗を喫する屈辱を味わうことになった。人気のセ、実力のパと言われて久しいが、想像以上にセ・パの実力差が開いていることを痛感させられたものだ。選手の育成面で明らかに見劣りしていることが影響したのだろうか、21年以降は補強を抑えた我慢の采配が続く。21-22年には連続負け越し、22-23年は同一監督のもとで連続Bクラスとなる、巨人史上初めての屈辱である。投打ともにポジションが固定せず、継投ミスも多く、我慢が足りないとも批判された。

 今年最後の三試合は三連勝で締めて、3年連続でシーズン負け越しとなるのを阻止したが、18年ぶりに優勝した首位・阪神には6勝18敗1分、2位・広島には8勝17敗と、圧倒的な力の差を見せつけられた。チーム打率と本塁打数こそリーグトップだったが、4年連続して3割打者が不在で、本塁打を畳み掛けて勝利をもぎ取ることはあっても、安定した勝利の方程式は見出し辛かった。それでも、今季最終戦では、山崎伊が9回を僅か2安打に抑え、プロ初完封、自身初の2桁勝利となる今季10勝目(5敗)を挙げた。我慢したような、しなかったようなここ数年で、若い芽が芽吹きつつある。

 世代交代は世の流れである。既定路線でバトンを引き継ぐ阿部慎之助は、就任時に次のように語った。

「ジャイアンツは強くなければならない。優勝を自分でも意識して口にしていきたい。そして若手に勝つ喜び、優勝する喜び…すべてを感じてほしい」

「ファンの皆さまには残念な思いをもうさせない。巨人軍には最高のファンがついている。最高のファンの皆さんとともに、喜びを(現役時代の登場曲にかけて)セプテンバーに味わえればうれしい」

「今年は“アレ”で盛り上がったが、来季は“アレ”ではなく“アベで!”いきたいと思います」

 なんとなく昭和の系譜を引きつつも、捕手目線で投手力を建て直し、新たな時代を築いて欲しい。

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大谷翔平の本塁打王

2023-10-03 02:08:32 | スポーツ・芸能好き

 日経は今朝、速報メールを流した上、夕刊一面の隅の方ではあったがカラー写真入りで祝福した。日本人ビジネスパーソン、とりわけ異国の地で活躍される駐在員には期待の星だったことだろう。私がアメリカに駐在していた頃は、野茂英雄投手が孤軍奮闘し、いろいろ文化ギャップで悩む私には、彼の活躍が誇らしく心の支えだった。

 残り何試合で二位以下に何本差というカウントダウンが始まって、比較的余裕で最終日を迎えたが、本塁打王という、体力差をものともしない日本人初の快挙には、感慨一入である。日本人の個人タイトルではイチローの首位打者(2001・04年)や最多安打(2001・04・06~10年)という先行事例があり、それはそれで歓喜したものだが、アメリカ人にはどうしてもイチローの小ぶりのヒットより大味の本塁打一発に重きを置く意識が垣間見えて口惜しい思いをした。実際にあのゴジラ・松井秀喜ですら、試合前のフリー打撃でA・ロッドやゲーリー・シェフィールドのパワーを間近に見せつけられて飛距離で勝負はできないと悟らされたのだった。

 大谷は、今季からチャンドラー社製のバットに変更し、重さ32オンス(907グラム)はそのままで、長さを33.5インチ(85.09センチ)から34.5インチ(87.63センチ)に1インチ伸ばした上、ヤンキースのジャッジのモデルを参考に、バットの先端付近に重心を移したそうだ。そうすれば遠心力が働いて飛距離が伸びる。さらに反発力が上昇するよう、素材をカバノキ科のバーチから、より硬いカエデ科のメープルに変えたそうだ。「大谷選手の日本人離れした体格と鍛え抜かれた肉体があるから扱える」(同社の日本の取扱代理店)と指摘される。そして、今年の平均飛距離は、昨年の124.3メートルや一昨年の126.8メートルを上回る128.5メートルを記録した。野球漬けの生活で、私たちの目には触れないところで進化する様々な努力が続けられているのだろう。

 9月は僅かに3試合に出場しただけで本塁打ゼロでの本塁打王は1974年のディック・アレン(ホワイトソックス)以来49年ぶり史上3人目の珍記録だった。投手を務めながらの本塁打王は1918-19年のベーブ・ルース以来104年振りだという。

 44本塁打のほか、325塁打、78長打、出塁率.412、長打率.654、OPS1.066と、6つの項目でア・リーグ・トップの数字を叩き出した。この内、長打率とOPSは両リーグを通じてトップである(ついでにユニホームの売上ランキングでも日本人選手で初めてメジャートップだった)。ア・リーグMVPに輝いた一昨年オフには、シルバースラッガー賞やエドガー・マルティネス賞、各誌の最優秀選手賞など10冠に輝いた。今年もア・リーグMVPが確実視され、一体、どれだけの栄冠を手にすることになるのか、楽しみは続く。

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九月の風

2023-09-30 18:43:11 | スポーツ・芸能好き

 9月末なのに猛暑日を記録するほどの地域がある一方、東京界隈は虫の音が優しく響いて(と、雑音に感じないのが日本人らしさ)、すっかり秋の気配。

 夏の歌と言えば、サザンオールスターズ(の「真夏の果実」)やTUBE(の「あー夏休み」)、更に遡れば井上陽水(の「少年時代」)が浮かぶワンパターンの旧世代だが、夏の盛りを過ぎて秋風が心地よいこの時分、華やいだ夏の暑さを懐かしむ九月には忘れられない曲がある。

 竹内まりあの「September」(1979年)や、Earth, Wind & Fireにも同じタイトルのダンス・ミュージックがあるが(1978年、もっともクリスマスに9月を懐かしむという趣向らしい)、私にとってはラテン・ジャズ、ラテン・フュージョンのピアニスト・松岡直也の「九月の風」(1982年)が忘れられない。同名のベスト・アルバムは、オリコンチャート第2位、半年間30位以内にチャートインするなど、インストゥルメンタル・ミュージック界では珍しいヒット作となった(Wikipedia)。

 松岡直也と言っても、もはや知る人は少ないだろう。中森明菜の楽曲の中ではちょっとユニークな「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」の作・編曲を手掛けたことがあるし、わたせせいぞう作『ハートカクテル』(日テレ)の音楽を担当したこともあり、珍しいところではプロレスラー・藤波辰巳(現・辰爾)の入場テーマ曲「Rock Me Dragon」を作曲したこともある。学生時代、長距離ドライブでBGMに松岡直也を流したら、クラシック好きの友人から「軽いな」の一言。当時、ジャズに傾いていた私は仕方なくWeather Reportに代えると、その友人曰く「これはまだマシやな」。そりゃクラシックの重厚さと比べれば軽いのかも知れないが、音楽の良し悪しは別であろう。松岡直也さんはラテンに傾倒されていたとは言え、底抜けに明るいだけではない、日本人の心に響く叙情がある。

 サザンオールスターズにも同名タイトルの曲(1993年)があるが、サザンには歌詞に「九月の風」が登場する、隠れた!?名曲がある。「I’ll Never Fall in Love Again」(1983年)で、当時の私の傷心を癒してくれた(笑)という意味で思い出深い。九月はとげとげしい暑さが和らいで曖昧な秋へと移ろい、宴が終わった侘しさが心に沁みて浮かれ気分が名残り惜しくもあり、落ち着いた季節へと向かう静けさが心を優しく逆撫でする。

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今年のプロ野球

2023-09-26 01:23:27 | スポーツ・芸能好き

 巨人の自力でのCS進出が消滅した。Aクラス入りを狙うという低い目標設定は屈辱的で、今年も巨人は弱かった。ここ数日で朝晩はすっかり秋めいてきたが、私の心の中はずっと以前から秋風が吹き晒している(笑)

 坂本は復帰すれば存在感が大きく、三塁コンバート後は更に調子を上げてきたが、菅野は復帰後も調子がピリッとしない。若手の台頭がいまひとつ安定しない中で、一年を通してベテランが力を発揮できなかったのが、今の巨人の弱さだろう。若手の実力者も期待通りの働きが見られなかった。クローザーの大勢はWBCのジンクス?で、調子が上がらないままだったし、岡本も見掛けはHRキングが確実だが、41本塁打にしては93打点と物足りないのは、本人だけのせいではなく1・2番が固定せず安定しなかったせいでもあるが、仮にチャンスが巡って来ても得点圏打率.241では4番としての迫力に欠ける。チーム本塁打数はリーグ断トツで、本塁打を畳み掛ける大味の試合は出来ても、1点が遠い試合が多かった印象がある。

 巨人は過去、二年連続でBクラスになったことが一度だけある(2005年の堀内監督が5位、引き継いだ原監督が翌2006年に4位)そうだが、原監督は、我慢して若返りを図って来たとは言え、このまま浮上しなければ、昨季の4位に続いて同一監督で二年連続Bクラスという球団史上初の汚点を残すことになるという。このチーム事情からすれば本望なのかも知れないが・・・

 そんな傷心の私を癒してくれたのは、今年も、海の向こうの大谷翔平だった。WBCの活躍のあと、2年連続の開幕投手など、投打でフル回転したメジャー6年目は、しかし、レギュラーシーズン25試合を残したところで打ち止めとなった。数字を並べてみれば、あらためて目を見張るものがある。特に打者として135試合に出場し、497打数151安打、打率.304、44本塁打、95打点、20盗塁、三年連続規定打席に到達し、初のシーズン3割をマークした。OPSに至っては現時点で両リーグトップの1.066である。投手としては23試合132イニングを投げ、10勝5敗、防御率3.14、167奪三振、WHIP1.06、被打率.184と決して悪くはなく、大リーグ史上初の「2年連続2桁勝利&2桁本塁打」「10勝&40HR」を達成したが、規定投球回到達には30イニング足りなかった。選手の貢献度を表す指標「WAR」では、両リーグトップの「10.0」をマークし、ア・リーグでは2位のシーガー(レンジャーズ)に3もの差を付けて断トツだ。チームとしては、地区優勝・プレーオフ進出の可能性は完全消滅し、ア・リーグ西地区4位も確定している。ジ・アスレチックの記者は「野球界のために、これがオオタニとエ軍の決別であることを願う」と題する記事で、「エ軍は彼をだめにした。勝ち越しシーズンを一度も経験させられなかった。彼にはもっといい場所が相応しい」と書いた。確かに感覚的には今年15勝くらいしていてもおかしくないほどの活躍だったと思う。

 暗転したのは8月23日(日本時間24日)のことだった。投手として先発したが、右肘に異変を訴えて2回途中で緊急降板し、試合後の検査で、右肘内側側副靱帯損傷と診断された。その後、打者に専念していたが、9月4日(同5日)の本拠地・オリオールズ戦前に行った屋外でのフリー打撃で右脇腹に張りを訴えた後、11試合連続で欠場し、15日(同16日)の試合序盤に大谷がロッカーを整理したことが話題になった。翌16日(同17日)に15日間のIL(負傷者リスト)入りが発表され、大谷の夢のようなシーズンが終わった。16-17日(同17-18日)はパーカー姿でベンチに登場し、戦況を見つめる姿が明るく朗らかに見えるのが却って痛々しかった。この日からの敵地での遠征には帯同せず、19日(同20日)に手術を受けて無事成功したようだ。

 身体はひと回りもふた回りも大きくなったが、あの超人的な活躍は、想像する以上に身体への負担が大きいのだろう。慶友整形外科病院(群馬県館林市)の古島弘三・副院長は次のように述べておられる。彼の溢れる才能はさすがの彼の身体能力をも超えている、あるいは身体が受け止め切れないと言うべきなのだろうか。

(引用はじめ)

 今回はいろんな要素が重なって故障が起きたと思う。

 まず、ほぼ毎日出場する中で蓄積した疲労が大きい。投手でなく野手で出場しても、バットにボールが当たる瞬間にグリップを握って力が入る。練習でも負荷はかかるから、疲労が回復しないまま積み重なる悪循環になっていたのではないか。

 多投していたスイーパーを含むスライダー系の球種にも原因があるとみている。他の球種と比べて前腕の内側に負担がかかりやすい。直球も球速160キロ台を計測するだけに、他の投手よりも負荷はかかりやすい。

 肘全体にかかる力のうち、骨が2割、筋肉が3割、靱帯が5割くらいで支えているとされている。疲労によって筋肉の力が弱まれば、その分靱帯に負担がかかる。元々柔軟性があり、体の使い方が上手な大谷選手でなければ、もっと早くに痛めていただろう。

(引用おわり)

 実は、遡ること20日前の8月3日(同4日)の試合で、右腕と指の痙攣により4回でマウンドを降りると、試合終了直前、ベンチに座っていた大谷は、茫然としたまま瞬きを繰り返し、その目は潤んで、今にも涙がこぼれ落ちそうなのをこらえていたそうだ。その感傷的な様子がSNSにアップされると、“大谷が泣いた”と話題になったという。本人は既にこのとき、思うところがあったのかも知れない。

 ここに来ての大谷ロスは大きいが、二年振りのMVPと日本人初の本塁打王に期待したい。

 巨人の話に戻ると、それでも後半には辛うじて先発投手で山崎伊織、野手で門脇や秋広など、期待の芽が出て来た。浅野という若武者も元気一杯。二度あることは三度あるのではなく、三度目の正直となることを(私の心の平穏のためにも 笑)切に願う。

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浅野翔吾のプロ初アーチ

2023-08-19 14:12:11 | スポーツ・芸能好き

 第一印象は、オッサン臭い奴やな・・・事実、坂本勇人からは「浅野のおっちゃん」と呼ばれて可愛がられているらしい。サンスポはもう少し上品に、「ニックネーム:貫禄のある風貌から高校時代のあだ名は『おじさん』」と書いてくれている。その浅野翔吾が昨日の広島戦に7番・右翼でスタメン出場し、3点を追う5回に、プロ通算12打席目にして初アーチとなる2ランを放った。

 オッサン臭いとは言え、まだ18歳である。一年前の同じ8月18日、高松商の主将として甲子園・準々決勝の近江戦でバックスクリーンに高校通算68号のラスト・アーチを放った。

 あれから一年。

 7月7日に一軍登録され、翌8日のDeNA戦6回に代打で登場すると、かつての長嶋茂雄を思わせるような豪快な二打席連続空振り三振、その後の初の守備機会では豪快にずっこけて、菅野智之投手から頭を“ぽんっ”とされた。昨日の初本塁打でも、ランナー二塁で先にホームインしていた中田翔から頭を“ぽんぽんっ”と満面の笑顔で迎えられた。オッサン臭いが、まだ18歳なのである(ちょっとしつこい・・・)。

 高卒ルーキーのアーチは2リーグ制後7人目、巨人では(王貞治や松井秀喜に続く)2015年の岡本和真以来となる。「変化球に出されることなくしっかりと残して芯で捉えることができました。うれしい気持ちはありましたが、リードされているので次の打席でも打てるように集中していきます」と健気なコメントが伝えられたが、次の打席は、6回一死一、二塁の絶好機に巡って来て、代打・丸が送られた。一塁走者も中田翔に代走で門脇が送られ、原監督としては勝負に出たが、最悪の二ゴロ併殺に終わった。あのまま浅野に打たせてあげたかったところだが、かつての常勝・巨人もなかなかAクラスに這い上がれない苦しいペナントレース終盤、原監督の立場も辛い。

 しかし、この試合9回には、(今年はチャンスに弱い)岡本和真が(珍しく)タイムリーツーベースで勝越しに成功し、ルーキーの初アーチに花を添えた。そんなところに浅野の運の強さを感じさせる。

 ジャイアンツ球場でファンにサインをする姿はお馴染みの光景らしいが、高校時代も甲子園終了後は地元の少年野球チームに引っ張りだこで、「毎週末、多くのチームの練習に顔を出し、野球を教えるだけでなくサインや記念撮影にも応じていた」(スポーツニッポン)そうだ。ファンサービスもヒーローの条件で、ツラ構えだけでない既に貫禄十分の18歳に期待したい。

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同級生

2023-08-13 10:43:06 | スポーツ・芸能好き

 プロ野球つながりで・・・大谷翔平の活躍は、漫画やドラマを超えて、もはや異次元か異星人のもので、賞賛を惜しまない者はなく、レジェンドと言われる元・大リーガーも例外ではない。彼が大リーグに挑戦したとき、これほどの活躍を誰が予想しただろう。驚くべきことだ。

 日々、私たちに元気を与えてくれる彼の活躍だが、彼の世代はなかなか豪華だ。

 数日前のNEWSポストセブンは、「大谷はこれまでにも数多のハードルを乗り越えてきた。その陰には、本人の努力はもちろん、切磋琢磨する『同級生アスリート』たちから得たヒントがあった」と言い、ラグビー日本代表の姫野和樹のほか、野球界では鈴木誠也、サッカーの浅野拓磨、南野拓実、水泳の萩野公介、瀬戸大也、バドミントンの桃田賢斗、奥原希望、スピードスケートの高木美帆、柔道のベイカー茉秋、バスケットボールの渡邉雄太を挙げている。「野球をしている時間以外はずっと寝ているような印象の強い大谷」だが、「そんな彼が顔を出す数少ない機会の1つが、『94年会』」(同)なのだそうだ。その「94年会」に大谷が参加を切望する「最後の大物」が、最近、結婚を発表した羽生結弦だという。なるほど綺羅星の如く・・・である。

 そう言えば、チャリティー・ソング「時代遅れのRock’n’Roll Band」を引っ提げて、昨年末のNHK紅白歌合戦・特別企画に登場したのも同級生バンドだった。桑田佳祐が作詞・作曲し、メールのやりとりはあってもなかなか共演する機会がなかったという世良公則と久しぶりにプライベートで顔を合わせて、「同級生で協調して、今の時代に向けた発信をできないか?」という会話がきっかけで話が進み、80年代に共演歴があった佐野元春やChar、かねて桑田佳祐がリスペクトしていた野口五郎が、「今あえて時代遅れなやり方で、我々の世代が『音楽という名の協調』を楽しむ姿を発信し、その中で『次世代へのエール』や『平和のメッセージ』を届けたい」という思いに賛同し、結成が決まったという(2022年12月18日付、日刊スポーツ「桑田佳祐ら“最強の同級生”バンドが紅白に出場 特別企画で『時代遅れの-』テレビ初歌唱」)。こちらもなかなか豪華な顔ぶれだ(1955~56年生まれで、ほかに郷ひろみ、大友康平などがいる)。

 かつて「中三トリオ」と呼ばれた山口百恵、桜田淳子、森昌子の年代(1958~59年)には、岩崎宏美、久保田早紀、岡田奈々などがいる。天地真理の年代(1951~52年)には阿川泰子、藤圭子、今陽子(ピンキー)などがいるし、南沙織、太田裕美、竹内まりや、丸山圭子、庄野真代の年代(1954~55年)もなかなか興味深い。

 だいたい1950年代生まれは、その前の全共闘世代(あるいは1947~50年に生まれた団塊の世代)が革命の夢に破れたあと、音楽によって自己表現・自己実現することが流行り、その中で物心ついた世代だ(例えば坂本龍一は1952年生まれだった)。とりわけ歌謡界は上手くても下手でも盛り上がった時代で、インフレ気味と言えなくもない。そこから随分下って大谷翔平の世代は、戦後の日本が一応の達成を遂げる過程で、(そのために日本の高度成長が終わらせられたとでも言うべき)欧米スタンダードに合わせることが要請された時代に、野茂英雄が大リーグに挑戦したのを皮切りにスポーツで世界に飛翔することを当たり前に目指した世代と言えるのかも知れない。

 「同級生」には独特の響きがある。先日、久しぶりに集った学生時代の友人の中には、入社した会社の社長に昇りつめた者もいれば、子会社の社長という定番におさまって悠々自適の者や、転職して第二ステージで活躍する者もあり、さまざまだが、いざ話を始めれば、あっという間に30年以上の時を超えて、学生時代の当時に舞い戻る。実際に交わっていた時間は長くてもせいぜい4年程度なのに、多感な時代を過ごした重みなのか、かつて同じようなテレビ番組や映画を見て、音楽を聴いて育ち、その後、歩んだ道は違っても、バブル景気やその後の失われたと言われて久しい時代の空気を同じように吸って、肌感覚が合うのだろう。日経・交遊抄に呼ばれることはないだろうけれども(笑)

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野球人の発言

2023-08-11 21:09:51 | スポーツ・芸能好き

 プロ野球の監督に限らないが、インタビューでの発言は、いったん報道されればそれなりに選手たちの目や耳に届いて、彼らの行動に影響を与えないわけではない。だから、そうなることを前提に、インタビューでの発言を工夫する(だろうと思う)。中国共産党の発言が、諸外国よりも先ずは自国の人民を意識したものであるように、監督の発言も、野球ファンに喜ばれるよりも先ずは選手本人に対するメッセージとなることを意識する(だろうと思う)。

 最近、話題になったのは、読売巨人軍・原辰徳監督の発言だ。7月に23打席連続無安打と苦しんだ主砲・岡本和真をなんとか鼓舞しようと思ったのだろうか。「今月1日のヤクルト戦で山野に7回4安打無得点と抑えられプロ初勝利を献上し、4タコに終わった岡本和について指揮官は『和真? いた? 今日。…まあいいやそれは』とけむに巻いた」(東スポより)。

 すると、あら不思議、翌2日に「岡本は2本塁打を放ち勝利に貢献し、お立ち台に立つと『昨日は空気と言われたので、今日はちょっとはおったんかなと思います』と“反撃”」(同)した。その後の活躍は、報道で知られる通り、6試合で9本塁打の固め打ちをし、7試合9発の王貞治(1964年、70、72年)やバレンティン(2013年)の記録を超えた。

 ドラ1・浅野翔吾のデビュー戦となった7月8日DeNA戦の外野守備で、いきなり転倒したが、原監督は「たまたまあの時は目をつぶっていて見てなかった」とコメントしたのも、その一つかもしれない。「その後、巨人OBの岡崎郁氏のユーチューブではしっかりと見ていたことを明かしている」(同)。

 今年の岡本和真の、WBC準決勝あたりからの活躍は目を見張るものがあるが、どうにもチャンスに弱い。OPSはセ・パ両リーグで唯一、1を超えているが、得点圏打率は0.231(昨日時点)と相変わらず低迷している。ここで1点欲しいときになかなか点が入らないのが今年のジャイアンツの弱さで、岡本の責任は重い。昨年、なんだかんだ言って投打の要の菅野と岡本が期待通りの活躍とはならず、戦犯扱いしたものだが、このままでは今年もそうなりかねない。飄々としていながら、モノに動じない、どっしりとしたツラ構えは4番の貫禄十分だが、期待を込めて、チームの勝利に貢献してこその主砲だと、声を大にして言いたい。本人も重々分かっているだろうけれども。

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世界のサカモト死す

2023-04-22 21:44:55 | スポーツ・芸能好き

 先々週末はYouTubeで坂本龍一さんの音楽にどっぷり浸った。お陰で先週は、ふと気が付くと通勤途上だろうが仕事の合間だろうが、頭の中を『戦メリ』のメロディーが流れ続けた(苦笑)。さすがに今週は平常に戻って、ようやく筆を執る。

 困ったもので、常日頃、ファンでも何でもないと気にすることはないのに、いざ亡くなったことを知ると無性に恋しくなる方がいる。高校生の頃、クラブ活動に明け暮れてインベーダーゲームなどやったことがなかった私に、「ピッ、ボッ、ブー」を取り込んだテクノ・ポップは、馴染みの音楽とは程遠い、異次元の世界だった。また、クラシックが苦手な私にとって、東京芸大・院卒というだけでビビッてしまう坂本龍一さんは、苦手意識が先に立って、どこか遠い存在だった。しかし、同時代を生きて来た者として、気になる存在であり続けた。

 何はさて措いても『RYDEEN』である。

 YMOを世に送り出した音楽プロデューサーの川添象郎さんが語る。

(引用はじめ)

 村井邦彦から電話が来た。電話口の村井はなにやら困ったような声音で「細野に任せた例のアルバムが完成したんだけど、ちょっと聞いてくれないかな」と言う。

 さっそく村井の事務所へ赴くと、「これなんだよ」と彼がかけたテープから聞こえてきたのは「ピッ、ボッ、ブー」といった調子の奇妙な電子音だった。

 あとでわかったことだが、あれはYMOのファーストアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』に収録されたイントロダクションの電子音だったようだ。

 細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏というたった3名のメンバーで録音されたこのアルバムは、コンピューターを駆使して創られた。

 細野晴臣は、当時からミュージシャンのあいだでは名を知られていたものの、ヒットアーティストとは呼べず、なにやら面白いことをやっているらしいと一部の音楽専門誌が取り上げたこともあるが、反響は皆無だった。

 誰も聞いたことのない、奇妙で前衛的な電子音から始まるインストゥルメンタルの音楽なのだから、放っておいても売れるはずがないことはわかっていた。

(引用おわり)

 まさにその感覚を共有する。後に当事者たちが語ったところによれば・・・1970年代末の当時、東洋の不思議の国・日本がハイテク国家として世界に台頭しつつあり、ディスコ・ブームがあり、スターウォーズ公開があり、高橋幸宏さんには和風のディスコ・ミュージックが出来ないかとの思いがあったそうだ。モチーフはなんと黒澤明監督の映画だという。

 「僕は『七人の侍』かな。あちらは全然イメージ違いますけどね。なんかこう勇ましい感じだったですよ。それと同時に、戦うというネガティヴな部分をむしろ排除して、なんか明るくて、桜吹雪がパーッと舞うような、ね」(高橋幸宏氏)。

 『RYDEEN』は『七人の侍』のYMO版サントラとして作られたのだった。その証拠に、曲の半ばで馬の駆ける音が表現されているし、そもそも『RYDEEN』のリズム自体、馬が駆ける音だったようだ。当時のシンセサイザーは「タンス」と言われるほど巨大で、「それをより一層、大袈裟にステージで見せていた。彼らから見ると、当時、日本っていうのは電気製品の国ですから、アメリカは『電気製品のロックバンド』みたいなエキゾティックなイメージで見ていたのではないか」(細野晴臣氏)。

 そんな遊び心は、当時まだ十代の私には理解不能だった。

 「コンピュータに演奏させることがある程度できるようになり始めた頃、メンバーで、教授なんかとよく言っていたのは、結局、ソフトを作る人間のイメージが益々豊かでないと益々詰まらないものが出来てしまう。テクニックを磨かなくても簡単に音楽がつくれるけれども、感性の部分がよりストレートに出てしまうので、その部分が益々大切な音楽になるよねってよく話して。YMOはその部分をとても大切にしていたと思います。細野さんも、教授も」(高橋幸宏氏)。

 「あれは作ったときの幸宏のとても開放された鼻歌感覚とか、それを面白おかしく皆で作って行ったときの楽しさというのが、やっぱり僕たちはそれを本当に楽しんで作ったということが、ヒットして行った。余りそういうことはないし、今もない」(細野晴臣氏)。

 折しも、2月の日本経済新聞「私の履歴書」は村井邦彦氏の担当で、その24回目に、YMOがデビューした当時のエピソードが綴られている。「ニューヨークのテレビでは、僕が『西洋の技術で日本の心を表現している』とYMOの音楽を説明した。和魂洋才である。」

 このあたりは、今となっては、なんとなく分かるような気がする。世に「天の時、地の利、人の和」などと言われるが、あの時代にして、ほんの5年ほどの出来事ではあったが、まだ洗練されたとは言えない混沌とした東京の地で、川添象郎氏が言う「天才・細野、奇才・坂本、商才・高橋。YMOはそういう個性の3人」が集まって、ほんの遊び心で作った音楽が世界を席巻した。奇跡と言うべきかもしれない。私にとってYMOの音楽は今もなお「奇妙な前衛的な電子音」でしかなく、異質な世界の出来事だと思っているが、決して嫌いではないし、面白いとすら思う。それは、どこかで「和魂」が通じ合うからかもしれない。

 そして、『戦場のメリークリスマス』である。

 教授こと坂本龍一さんは、同時多発テロ以降、非戦を語り、東日本大震災以降、脱原発を主張されてきた。政治的に、私は相容れないが、人間の欲が巻き起こす戦争など虚しいものだと言わんばかりの、『戦メリ』の哀しいメロディーは心に響く。

 今から14年前、NTTドコモは第三世代携帯電話(FOMA)の新機種としてN-04Aを発売した。著名な家電デザイン企業amadanaを起用し、デザイン重視のこの携帯電話には(ヒューマン・オーディオ・スポンジの頭文字HASと、イエロー・マジック・オーケストラの頭文字YMOを組み合わせて命名された)HASYMOが協力し、着うたフルとしてHASYMOの3人による共作のインスト曲「グッド・モーニング、グッド・ナイト」がプリセットされた。さらに細野晴臣氏と高橋幸宏氏が手がけた着信音・メロディ・アラーム音が14曲(音)も入っている。細野晴臣氏による「セサミ」「ブルー・ヘヴン」「アテンション」「グッド・ニュース」「アラーミング」「リング・リング」「マーキュリー」「エアロ」「オープン・セサミ#1」「同#2」「クローズ・セサミ#1」「同#2」と、高橋幸宏氏による「ホープ」「ア・ヒント」である。私はほんの3年前までこの携帯電話を使い続け、今は、ネットワークに繋がらないが、目覚まし時計替わりにして、毎朝、「ホープ」で目を覚ます。私にとっては手放せない玩具である(上記写真参照)。

 YMOは、そして坂本龍一さんは永遠に。

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WBCの歓喜

2023-04-02 12:08:59 | スポーツ・芸能好き

 野球ファンは、今頃は待ちに待ったペナントレースに熱狂するところだが、私は今なおMLBが提供する無料のYouTube動画でWBCが繰り広げた感動の余韻に浸っている(苦笑)。今さらではあるが、準決勝と決勝の印象を書き留めておきたい。

 あの日、打合せから席に戻って、やおらYahoo!のSports naviを開けて見ると、点差は1点に縮まったもののリードを保ち、一球速報に目を移すと、2アウト・ランナー無し(果物チームの梨ではない 笑)で大谷が投げ、バッターにマイク・トラウトを迎えていた。エンゼルスの同僚で、MLBを代表する二人が、この期に及んで日・米それぞれのチーム主将として直接対決するという、なんという巡り合わせだろう。痺れる場面で結果を待つ。3-2のフルカウントの末、三振を奪う。大谷はきっと吠えているだろう。観客は大盛り上がりだろう。その姿を、声援を、思い浮かべながら、オフィスの片隅で音のない静かなゲームセットに、思わず右手拳を突き上げていた・・・。

 野球の醍醐味は、チームプレイを基本としながら、西部劇のガンマンの対決よろしく、個と個がぶつかり合うところにある。最後にこのような対決を用意するとは、野球の神様は実に心憎い演出をされたことだろう。

 いやこの決勝だけではない。準決勝メキシコ戦でも、7回裏に吉田正尚が起死回生の同点3ランを放ち、突き放されてなお、8回裏に山川穂高が犠牲フライで1点を返し、9回裏、大谷翔平が二塁打を放ってベース上でベンチに向かって吠えて士気を鼓舞すると、しぶとく四球を選んだ吉田正尚に続いて、村上宗隆が逆転サヨナラ二塁打を放つという、日本の球史に残るドラマティックな逆転劇を演出された。決勝のアメリカ戦では、8回をダルビッシュが、9回を大谷が締めるという、豪華リレーが見られた。いやそれは栗山監督の采配だろうと言われるかも知れないが、いくら栗山監督が準備していても、最後を大谷が締める展開にならなければ大谷は登板しなかったはずだ(この大会のDHは、投手として登板すると以後、打者としては出られなくなるのだ)。大谷はこの決勝の登板のために、エンゼルスの監督とGMに事前に相談し、快諾を得ていたらしい。大谷と首脳陣の信頼を、つまりは大谷の人柄を感じさせるエピソードであり、かつWBCの知名度が上がりつつある証拠でもあろう。

 野球は筋書きのないドラマだと言われるし、今回は漫画のようだとも言われ、実際に大谷が二刀流の活躍でMVPを獲得するとは漫画のような展開なのだが、本人たちはさながら甲子園で頂点を目指す野球少年に戻って、今日負ければ明日はないという今日を戦って来ただけではないだろうか。そんな彼らに野球の神様が微笑んでくれたのだろう。

 因みに大谷は、30日のメジャー開幕戦に先発し、6回を2安打無失点、10奪三振3四球と好投しながら、後続が打たれて勝ちを逃してしまった。エンゼルスではなくもっと強いチームにいたらもっと数字が積みあがっていただろうとは言うまい。しかし、(ワールドシリーズのように)短期決戦で負けたら終わる、痺れるような緊張感の中で頂点を目指す快感を求めていたのは確かだろう。残念ながらエンゼルスにいたら今年も詮無い夢かもしれない。

 大谷だけではなく、他の選手も、2006年や2009年のWBC制覇のときとは一味違うチームの雰囲気に包まれていたように思われる。それは日本のアスリートが五輪や世界大会のような檜舞台で日の丸を背負ってガチガチに緊張しがちなのとは些か違う戦いぶりだった。野球少年のように緊張しながらも、(ダルビッシュが言うように)「楽しんで」いたようだった。2009年のWBC決勝・韓国戦で同点の10回、ランナー二・三塁でイチローが勝ち越しのツーベースを放ったときの、緊張に包まれつつクールを装っていたのとは対照的だった。チームプレイでありながら、個の実力が世界レベルに近づいているからこその余裕の心境なのかも知れない。

 吉井理人氏は最近の野球事情について次のように述べておられる。

(引用はじめ)

 今は飛び抜けたスーパースターはほとんどいないが、すべての選手のレベルが昔に比べて格段に上がっている。コンディションを整えて最高のパフォーマンスを発揮しないと、通用しなくなっている。

 レベルが上がった要因は、一つには情報が集めやすくなり、練習方法やコンディショニングの知識が成熟してきたからだ。技術の向上はもちろん、選手の体格も変わってきている。それに加え、野球人口が減ってきているので、幼少期から教育の専門化が始まっている点が考えられる。それらの要因によって平均的に上がったレベルを超える優れたパフォーマンスを発揮しなければ、プロ野球選手として生き残っていけない。

(引用おわり)

 そんなプロ選手の中から選りすぐりの逸材を集めたチームが覇を競う中で、個性をぶつけ合い、しかもそれが国別対抗戦だから、WBCが面白くないはずはない。世界的にはサッカー人気にまだまだ及ばないし、アメリカでもバスケやフットボールの人気にまだまだ及ばないが、アメリカが本気になって、今回だってもっと実力ある投手が出場してくれれば、WBCはもっと盛り上がることだろう。それを見た野球少年たちが、次こそは自分が、と技量を磨いて世界の頂点を目指すのを見てみたい。あの日のイチローを見た野球少年たちが躍動した此度のWBCのように。野球はやっぱり面白いのだ。

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