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風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

清宮デビュー

2018-05-03 12:36:17 | スポーツ・芸能好き
 プロ野球ファンなら、日ハム・ファンでなくとも、つい気になってしまう、清宮幸太郎が実戦デビューした。
 最近はテレビを見なくても、その場面だけなら後から動画で見られるのが有難い。二回、二死走者なしの場面で、カウント1-1からの三球目、(その前の投球が内角への変化球だったのにも惑わされることなく)甘く入った外角高め145キロのストレートを、素直にセンター方向に弾き返し、フェンス直撃の二塁打とした。私のような素人目には、さすがだなあ、もっているなあと思わせる鮮やかな一打だった。
 しかしプロの目からは、ポイントはむしろ第二打席の初球にあったようだ。元・投手の川上憲伸はあるニュース解説で、良いバッターのポイントとして内角ストレートの打ち方をあげていて、まさにこの第二打席の初球、内角ストレートを、右翼線ファールになったが、左の脇を締めてきれいに打ち返してみせた。投手の岸は、第一打席に二塁打を浴びて「ものすごい打球が飛んでいったので、次からはしっかり投げようと思った」と苦笑いして答えていたが、この第二打席の初球を打ち返されて、あらためてスイッチが入ったのではないかと思う。第二・第三打席とも、チェンジアップで三振に切ってとられた。
 とりわけ第三打席は、七回、0-1で1点ビハインド、二死二塁からワイルドピッチで三進して一打同点、本塁打で逆転という試合を左右するかも知れない場面で、空振り三振に終って、本人は余程悔しかったのだろう、片膝をついたまま天を仰いだ。第二打席の初球にファールを打ってからは、球にかすらせてもくれなかった。所謂プロの洗礼である。岸とバッテリーを組んだ嶋は「懐の深さとか非常にいい雰囲気を持っていたので、普通になめてかかったらやられるなとは思った」と語っているが、岸と嶋という日本プロ野球を代表するバッテリーにここまで言わしめたのは、注目新人へのただのハナムケだけではないだろう。ベンチで「あれが日本一のチェンジアップだから」と声をかけられたというが、「一級品のボールを見ることができて良かったです」と本人も認めるように、デビュー戦でこれほどの対決が実現するのは得難いものだし(大谷のデビュー戦も岸だったらしい)、我々ファンにとっても、これこそプロ野球の醍醐味である。
 しかしここに来るまでは曲折があった。早実の和泉監督は、「だいぶ痩せて、苦労したみたい」と語っているように、新人合同自主トレで右手親指を痛め、春季キャンプ中に急性胃腸炎となり、オープン戦期間中に限局性腹膜炎と診断されて入院し、開幕一軍入りを逃した。いくら高校生離れしているとは言え、肉体面、精神面、ともにプロの水は甘くなかったということだろう。二軍戦15試合で50打数11安打、打率2割2分ながら、チームトップの4本塁打を放ち、一軍昇格を果たしたのだった。
 昨年8月の記事が目に留まった。野村克也氏の右腕としてヤクルト、阪神、楽天でヘッドコーチや二軍監督を務めた松井優典氏は、清宮について、最近、甲子園でホームランが増産されるようになったパワー(筋力アップ)とは違う次元の、技術(の結果)であり、一言でいうと、あれだけ体が前に出ないバッターはなかなかいない、インパクトが柔らかい、前の肩(右肩)が開かない、手本になるような部分が、ちょっと考えただけですぐに三つは出てくると絶賛され、このままプロになれば、強打者ではなく(かつての篠塚和典のような)巧打者になる可能性が高いのではないかと見ておられる。勿論、プロに入って筋トレして、ホームランバッターとしてどこまで成長するのか楽しみだとも言われ、「(プロ出身の)我々とすれば、(高卒で)プロに入ってほしい選手」だと待望されていた。なんと幸せな選手であろう。
 実に、次が見たくなる、どんな活躍を見せ実力を備えて行くのか、これからが楽しみな選手だ。
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ギブソン経営破綻

2018-05-02 22:56:53 | スポーツ・芸能好き
 アメリカのギター・メーカー、ギブソン・ブランズ社がチャプター11(米連邦破産法11条、日本の民事再生法に相当)の適用を申請した。まあそういうこともあるよなあ・・・と表面上は冷静に受け留めつつ、心の中ではちょっとした驚きを隠せない。
 ギブソンと言えば、B・B・キング、エリック・クラプトン、ジョン・レノン、ジミー・ペイジなどの著名アーティストに愛用されたことで知られる。今後は楽器製造にフォーカスし、2014年にフィリップスから買収していたオーディオ機器・家庭用娯楽機器などからは撤退するという。
 私のような年代には憧れのブランドで、アコースティック・ギターではマーチン(Martin)、エレキ・ギターではギブソン(Gibson)やフェンダー(Fender)といった固定イメージがある(Gibsonもアコースティック・ギターを製造しているが)。学生時代にフォーク系のバンドを組んだときには、Martinには手が出なくて、当時、ラジオCMで頻りに流れていたキャッチフレーズ「モーリス(Morris)持てばスーパースターも夢じゃない」という、かまやつひろしだったか谷村新司だったかの甘い声にほだされて、Morrisを買った。確かMartin D-18の音に近いからと、わざわざMorrisの安いモデルを(しかし値段はMartinとは一桁違った)買ったものだ(今も捨てずに実家にある)。というわけで、GibsonやFenderとは、ギター・ピックでしかお付き合いがないのだが、まあ、いつか上手くなったらMartin、Gibson、Fender・・・というブランドだった(実際に、ペナン駐在の頃、エレキ・ギターを買いたい衝動に駆られたことがある)。
 近頃、アメリカの音楽市場では、ギターを余り使わないヒップホップが人気を集める一方、ロック音楽が低迷し、エレキ・ギター市場も縮小傾向が続いていた、と解説される(朝日新聞デジタル)。そんな中で、Gibsonは多角化に失敗したわけだが、なんとなく状況は分からないではない。フェンダーも赤字経営で苦戦していると聞く。私たちの世代には、先ほども触れたように、モテたいがために・・・いや趣味のドライブや音楽と言うよりもむしろ生活の一部として、車やギターは必須のアイテムだったが、今どきの若者には響かないのだろう。ヴァーチャル全盛の世だけにリアルの世界もちょっとは頑張るだろう・・・というのは年寄りの甘い夢、ただのノスタルジーだったようだ。隔世の感がある。
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懐かしのボストン・マラソン

2018-04-18 00:17:50 | スポーツ・芸能好き
 昨日、米国マサチューセッツ州はパトリオット・デイの祝日(4月の第3月曜日)で、毎年、世界最古のマラソン大会であるボストン・マラソンが開催される。
 今年の大会は第122回で、あの市民ランナー・川内優輝が2時間15分58秒で初出場初優勝した。日本人としては、昨年、大迫傑が初マラソンで3位に入って注目されたが、今年の優勝は、1987年大会の瀬古利彦さん以来、実に31年振りらしい。記録がぱっとしないのは、メジャーリーグの試合が中止になるほどの季節外れの異常な寒波に襲われて、レース前から大雨と強風が吹き荒れ、気温は氷点下、コースには大きな水たまりができる最悪のコンディションだったせいでもありそうだ。ところが暑さが苦手の川内にとっては「最高のコンディションでした」(本人談)というから、呆れてしまう(笑)。中盤からは昨年の優勝者ジョフリー・キルイ(ケニア)が独走態勢で、35キロ地点では1分30秒あった差を残り2キロで逆転し、逆に2分25秒差をつける圧勝だったという。実業団に属さない市民ランナーで、この走りっぷりは相変わらず大したものだ。
 このボストン・マラソンは年齢別に資格タイムをクリアしていなければ参加出来ない、エリートランナーの大会だ。そこで、1995年と1997年の二回、ボストンに住んでいた私は、日本人の同僚とともに手造りのゼッケンをつけて、資格ランナーの後ろを金魚のフンのようにくっついて、勝手に走ったことがある。今はどうか知らないが、当時はそんな資格なしの不届き者が1万人ほど、野放しで、鷹揚な大陸国アメリカらしい呑気なものだった。この内、1995年は私にとって記念すべき人生初マラソンで、そのくせロクに練習もせず、安い運動靴で走って、足の裏はマメだらけ、膝はガクガク、立ち止まると二度と走れないのではないかと痛みを堪えながらも、よたよたと走り続けることが出来たのは、若さ故だろう。高校時代に陸上部だった当時の意識のまま殆ど給水しなかったら、汗が出なくなって、脇の下や股間がミミズ腫れになって往生した。コースは全般的に緩やかな下りなので、油断していると、30キロ過ぎたあたりに「心臓破りの丘(Heart-break Hill)」が待ち構えていて、マラソンで試練となる30キロ過ぎにあるからこそこの異名がある上り坂がきつかったのを懐かしく思い出す。
 1996年は第100回記念大会で、歴代優勝者が招かれる言わばお祭りだったので、走るのはやめて応援に回った。君原健二さんの姿をみつけたので名前を呼んで応援したら、驚いて振り向かれたのは、まさかボストンの片田舎で自分のことを知っている日本人がいるとは思わなかったのだろうか。因みに君原さんが優勝したのは1966年の第70回大会で、Wikipediaには1位から4位まで日本人選手が独占したとある。古き良き時代だ。ボストン・マラソンでの日本人優勝第一号は田中茂樹さんで、戦後間もない1951年の第55回大会のこと、当時は指又のある地下足袋型シューズで走って、ゴール直後、外国人の新聞記者から「日本人の足の指は2本しかない」と驚かれたというエピソードを聞いたことがある。聞いたこちらが却って驚くほど、のどかな時代だ・・・。
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大谷・二刀流の真価

2018-04-13 00:49:53 | スポーツ・芸能好き
 その後、エンゼルスの大谷翔平は、打者として3試合連続本塁打を放ち、ちょっと鳥肌が立って、ブログに書こうと思い立ったが、ぐっと踏みとどまって、投手としての次の試合内容を見てからでも遅くはないだろうと見守っていたら、なんと7回一死まで走者を1人も許さない完全投球という圧巻の内容で2勝目を挙げて、こりゃ出来過ぎだと、却って二刀流のどこが凄いのか凄くないのか、冷静に考え直すキッカケになった。
 ネットを検索していると、エモやんこと野球評論家・江本孟紀氏のインタビュー記事が引っ掛かった。日米で投打二刀流への期待が高まっているが、との問いかけに対して、「期待しているのはファンとメディアだけ。プロ野球を経験した人は、そうやって大谷を見ていません」と突き放す。へええ・・・。「中6日で登板し、その合間にDHで出場することが二刀流なら、基準が低過ぎる」と言う。じゃあ二刀流の成功基準をどこに置くのかというと、「1シーズンを通して先発ローテーションを守って20勝、さらに野手として全試合出場して、本塁打王もしくは首位打者などのタイトルを取ったとき」だと実に厳しい。確かに投手として中4日が当たり前のメジャーで中6日で登板しても、メジャーの規定投球回162イニングに達するのは難しいし、登板の前後を休みにすれば、打者として規定打席502打席に到達するのも難しい。「大谷が素晴らしい仕事をしても、規定投球回、規定打席に足りてなければ防御率も打率も参考記録です。ましてや、一流選手の証である1シーズン200イニングも無理」というわけだ。
 日本のリトルリーグや中学・高校野球で投手と言えば、だいたい野球センスに優れていて、エースで4番というパターンが多いものだ(巨人の応援歌にもあるように)。かつて巨人の堀内もよく打ったし、阪神の江夏もよく打った(いずれも投手で名球会入り)。PL学園出身の桑田もバッターとしてのセンスが光っていた。実際、プロになって投手から打者に転向した選手は多く、古くは王さんだって、最近ではイチローだって、高校時代は投手として鳴らしたものだ。言い方は悪いが、中途半端で、という意味は規定投球回や規定打席に達しなくて、投手としてあるいは打者として、瞬間風速で通用する選手は、過去にもいたかも知れないし、今だって結構いるかも知れない。それこそ50打席程度なら夢の4割だってキープできるのだから(今日時点で日ハムの近藤は55打席44打数19安打で4割3分2厘の成績)。そしてベーブ・ルースも、実は二刀流ではなく、レッドソックスに入団した当初は投手として試合に出て本塁打を放ち(当時はDHがなかったから)、ヤンキースに移籍した後は打者専門になったらしい。そういう意味で、シーズンを通して、規定投球回を投げてなお、また規定打席に達してなお、成績を残すことにこそ価値がある、という江本さんの意見には一理あるように思う。
 念のため、江本さんの名誉のために申し添えると、江本さんも、大谷が打者としても投手としても才能が超一流であることは認めておられ、打者としては松井秀喜以上、投手としてはダルビッシュ有に匹敵する選手になれる可能性があると言われるが、二刀流を続ける限りはこの二人の選手を超えることはないと、これまたつれない発言である。確かにそういうものかも知れない。
 2年ほど前、週刊朝日の記事で、西武の元エースで監督経験もある東尾修さんは、二刀流を否定しないものの、強弱をつけなければ、双方のパフォーマンスに影響を与えてしまう、と言われる。先ずは「投手」に軸足をしっかり乗せるべきで、その上で「野手」として出場する試合を吟味していくべきだとも述べておられる。両方を追いかければ、練習や試合で何倍もの負荷がかかり、ハードな練習を重ねれば、十分な休養が必要で時間を奪われ、投手として休むべきときに野手として試合に出ていたら、回復にも影響する・・・野球人として一流の結果を残された方の見方として説得力がある。
 更に5年前の週間朝日の記事では、かつて日本のオールスター戦で9者連続奪三振(通算では15者連続奪三振)の偉業を成し遂げた江夏さんは(因みに江川さんは8者まで連続三振を奪いながら9者目に当てられて大記録をフイにした・・・江川さんらしい 笑)、「大谷は打っても投げても大したもん。ただ現実問題として、ずっと二刀流はできない。いずれは自分で決めないとね」と語っておられ、通算206勝、シーズン401奪三振、最優秀救援投手5回などの日本記録をもつ江夏さんの言葉は、やはり重いと思う。
 ・・・というわけで、大谷のメジャーでの活躍を楽しみにしつつも、記憶に残るだけではなく、記録を残すことにも期待する野球ファンとしては、浮かれることなく冷静に見守って行くことにしたのだった。
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大谷翔平の強運

2018-04-06 00:46:37 | スポーツ・芸能好き
 ゴジラ松井がメジャー・デビューした2003年、開幕戦で初打席に初ヒット、本拠地ヤンキー・スタジアムでのデビュー戦でメジャー初本塁打となる満塁本塁打を右翼席に叩き込んだのを思い出した。大谷翔平も、開幕戦で初打席に初ヒット、本拠地エンゼル・スタジアムでのデビュー戦で第一打席にメジャー初本塁打を放ち(ワイルドピッチがなかったら満塁本塁打になるところだった)、この試合は4打数3安打3打点と大活躍した。この本塁打について、ロサンゼルス・タイムズ紙は、勝利投手になった後2日以内に打者として一回に本塁打を放つのは実に1921年のベーブ・ルース以来で、「歴史的」と評価した。その翌日も、二試合連続本塁打を含む5打数2安打2打点と活躍し、しかも本塁打は、昨年最多勝で自身二度目のサイ・ヤング賞を受賞したコーリー・クルーバーからだから価値がある。これまでのところ、投手として初登板初勝利を挙げる一方、野手として3試合で打率.429、2本塁打、5打点と、絶好調な滑り出しである。運も実力のうちと言うが、やはり彼も「持っている」と思わざるを得ない。
 大谷翔平という選手については、張本さんがいつも「サンデーモーニング」で、二刀流じゃなくどちらか一方に絞った方がよいと話すように、私も野球を甘くみたらあかんと思ってきた。日本でそれなりの成績を残しても、その内、壁にぶつかるだろう、とか、さすがにメジャーでは通用しないだろう、などと思っていた。まだメジャー・デビューして間もないが、鮮烈なデビューに目が眩み、もしかしたらもしかするかも・・・と思うようになった(現金なものだ)。
 彼の動画も話題になっているらしい。
 記念すべき初本塁打では、ベンチに戻ると、「サイレント・トリートメント」という、チームメイトによる「完全無視」の洗礼を浴び、知らんぷりして背を向ける同僚たちを振り向かせようと、そのうちの一人に“祝ってぇ~な~”と言わんばかりに背中にまとわりついてピョンピョン飛び跳ねる姿がカワイイと、ネット上で評判らしい。二号本塁打では、同僚たちと次々とハイタッチを交わし、あるいはがっちり抱擁し、ひとしきり歓迎の嵐が吹き過ぎると、ヘルメットがなくなっている(主砲のトラウトに奪われた)ことに気づいて、あるはずのヘルメットを押さえる仕草を見せて、周囲をきょろきょろするところが、なんとも愛嬌がある。いずれも如何にもアメリカらしい手荒くも暖かい祝福である(微笑)。
 二刀流として果たしてメジャーでこのままやって行けるのかどうか気になるところだし、投手としてはイチローとの対戦が今から楽しみだ。
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また青梅への道(5・終)

2018-03-29 22:08:57 | スポーツ・芸能好き
 なんと北朝鮮の金正恩委員長が極秘裏に中国を訪問し習近平国家主席と会談したとか、イチローが9番・レフトでマリナーズの開幕先発メンバーに入ったとか、東芝の「サザエさん」スポンサー契約が終わったとか、興味深いニュースがいろいろあったが、今回も、しつこく今シーズンを振り返りたい。
 今年の花粉症の症状は例年になく軽く、もしや加齢により身体の反応が鈍ったのではないかと訝しく思ったりするのは気のせいかも・・・と思える範囲だが、走ることにかけては、いつもの練習コースでほんの2~3年前のスピードを出せずに低迷するという目に見える形で、加齢による衰えの現実を突き付けられる。そのため、今年の青梅と、先週の佐倉では、5キロ30分を切るペースには拘らなかった。その分、青梅では後半に多少の余裕が残るくらいだったが、(練習量とか練習の形態を変えない限り)年齢相応の走りに徐々に切り替えていかざるを得ないのだろうと思う。
 こうして毎年、冬場(10~3月)だけ走り込み、2~3の大会に参加する生活を続けていて思うのは、人間の身体(生理)の不思議である。冬場に頑張って走り込んでも、なかなか体脂肪は減らないが、春になれば、私にとってのオフで運動しなくなっても体脂肪は自然に落ちていくのである。昔は、そんなことは気にしたことがなかったが、今はそれなりに努力して年齢相応よりも体重を落としているので、晩酌で日本酒を飲んだら太ってしまうとか、ちょっとしたことにも敏感になっているのだろう。
 さて、そんなこんなで、早いもので6度目のシーズンが終わった。ビギナーズ・ラックで東京マラソンに当選した年から始めて、その後5度も続けて落選したことになる。そこまでして何故、走るのか、と時に自問自答する。
 足腰の筋力をはじめとする体力の衰えに抗うつもりはないが、体力の衰えに愕然とした経験は何度かあった。中学時代は軟式テニスで、高校時代は陸上部で鍛えた自信があったのに、8年前、あるゴルフ場の砲台グリーンを駆け上ったところで肉離れを起こしたのはショックだったし、その翌年の東日本大震災で、会社に一泊した翌日、エレベーターが動かなかくて36階の執務フロアから歩いて階段を降りて、翌日も翌々日も筋肉痛に苛まれたのもショックだった。これじゃあ関東大震災に襲われたときにサバイブ出来ないのではないか、と。
 そんな体力に自信をなくしつつあった私に、自然に年を重ねるままにまかせていると、その内、食事や酒の嗜好さえも矯正させられかねない(例えば塩分は控えめに、は当然にしても、日本酒ではなく焼酎やウィスキーなどの蒸留酒に切り替えろ、とか)という恐怖心が加わった。実際に7年前の健康診断でコレステロール値が高く出たため、ラーメン(卵麺)は控えてウドン(小麦粉麺)にしろと医者に言われたときは、さすがにこたえた。大好きなラーメンを思う存分食べられないなんて・・・これが引き金となって東京マラソンに申し込んだのだったが、こうして好きなものを食べ、飲むという、人生のささやかな楽しみを失いたくないという思いが強いのは間違いない。そのためには、適度の運動(かどうかは議論があるところだが)によって五臓六腑を健康な状態に維持しなければならない、もはや努力しなければ維持できない年齢なのだ、という自覚がある。そして、これくらいの練習をすれば、まだここまで頑張れる、といった確かな実感を、秘かに心強く思っている自分がいる。
 ところが、6度のシーズンで、8度のハーフ、4度の30キロ(青梅)、7度のフルを走って、ガス欠で(栄養補給に失敗して)走る元気が出ないとか、靴が合わなくて(マメが潰れて)失速したとか、ブドウ糖不足で視野狭窄に陥ったとか、情けない理由によって、これまで体力の限界まで走り切ったことがないから、満足な記録も出ていない。そうである以上、年齢と戦いながら、そしてマメ対策などの課題に一つひとつ取り組みながら、また来年も懲りずに挑戦するのだろうと思う。
 上の写真は、一昨日、東京タワーそばまで外出したときのもの。折角の満開の桜なのに、花曇り。シーズンが無事終わったことを祝福してくれているかのよう。
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また青梅への道(4)

2018-03-26 23:47:33 | スポーツ・芸能好き
 青梅マラソンは先月終わったが、シーズンに一度はフル・マラソンに挑戦したくて、昨日、佐倉朝日健康マラソンを走って来た。マラソンは30キロ過ぎから、などと言われるように、青梅の30キロでは、コースこそアップダウンがあってキツイ(と瀬古さんはかつて言われた)けれども、市民ランナー・レベルでは騙しだまし走れてしまうから、マラソンと名がついてもマラソンの名に値しないんじゃないかという負い目がある。その先の10キロを克服してこそ、フルマラソンFinisherとしての矜持がある(多分)・・・と偉そうなことを言ってはみたものの、私には二つの課題が重くのしかかる。
 一つは、もともと燃費がよくない私が4時間半~5時間もの長丁場を(しかも今回のように9時半にスタートすると、ゴールは昼食時を過ぎた2時とか2時半になる)耐え凌ぐためには、ガス欠にならないよう途中で適切に栄養補給する必要があることだ。20年前、アメリカ駐在の頃に地方の大会に出たときは、お腰につけたキビ団子ならぬバナナを腰にぶら提げて走ったものだった(ウソのような本当の話)。20~30キロ地点で口にする頃には、熱と小刻みの振動で、バナナの皮は真っ黒になったが(苦笑)、今はジェル状の栄養食品が充実しており、まあ便利になった。
 もう一つは、足裏のマメ対策だ。体重の三倍の重圧がかかると言われる足(裏)を守るのは重要で、足の型を計測して、合う靴を選ぶのが基本のようだが、私のように軽い気持ちで衝動買いすると、長時間の熱と摩擦によるマメで苦労することになる。そのマメが破れようものなら、ただでさえ疲れて筋肉が硬直して思い通りに足が前に出ない上に、マメ部分が痺れてキック力が落ち、精神的にもめげて、一気に減速してしまう。試行錯誤の末、辿り着いた5本指ソックスが先月の青梅マラソンで思いのほか効果があったので、今回も喜び勇んで、過去の大会でマメが出来たために封印していた靴(アシックスのターサー・ジャパン)を引っ張り出して、試したところ、確かに致命的なマメは回避できたが、足の指の付け根の関節が痛んで、思うように走れなかった。一緒に走りに行った知人を待たせることがなかったならば、そのまま歩きたいほどだった。新たな課題の出現である。実は、一ヶ月前の青梅でも、マメが出来なくて喜ぶ一方、足裏(関節)に痺れがあって、どうやらそれが復活・悪化したようなのだ。ネット検索すると「足のお悩み百科」なるサイトに「モートン病」なるものが出て来て、なんとなく症状が似ている気がしないでもないが、良く分からない。単に走り込み不足で無理をして炎症を起こしただけかも知れない。青梅の後の5週間で走り込んだのは91キロ、今シーズンは10月初めから走り始めて半年弱で通算270キロだから、やっぱり少ないのだろうし、アシックスのターサー・ジャパンは上級者向けで、私のような年寄りには負担が大きいのかも知れない。
 というわけで完走したものの、5時間17分という自己ワーストを記録した。前回、昨年4月の長野マラソンでは、気温24度という、その季節にしては異常な暑さの中で、41.1キロ地点で5時間の関門に残り100メートルのところで引っ掛かってしまい、記録なしに終わったので、今回は記録があるだけマシじゃないかと慰めてはみたものの、それ以前の12回のマラソンのどんな状況でも5時間を越えたことがなかっただけに、寄る年波には勝てないのかと侘しくなり(笑)、一度、記録が途絶えてしまうと、もはや歯止めがきかなくなって諦めが早くなるものだと、人間の性(サガ)を恨めしくも思う(苦笑)。
 この大会は、高橋尚子さんや有森裕子さんが練習を積んだことから今では「金メダル・ジョギング・ロード」と呼ばれるところを走るのが売りで、確かに狭いながらもフラットな田舎の舗装道路は走り易いが、どこまでも田園風景が広がり、のどか過ぎて却って応援する人も少なくて、ちょっぴり物足りなくもある。田舎道や河川敷より、青梅のように(一応、同じ田舎でも)街中を走りたいものだと思ったのだった。
 これで今シーズンも終わりだと思うと、ホッとするやら寂しいやら・・・
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五輪の裏で:二人の羽生

2018-03-09 00:52:59 | スポーツ・芸能好き
 これまた旧聞に属する話で、今となってはどうでもいいのだが・・・平昌五輪で羽生結弦が勝った時間帯に、将棋で羽生善治竜王が藤井聡太五段に負けた。二人の「羽生」と言っても読み方は違うわけで、「ハニュウ」と「ハブ」が入り乱れてちょっと混乱があったらしい(笑)。国民栄誉賞を受賞したばかりの実力者が、弱冠とまでも言えない(通常、弱冠は男子の数え年二十歳のことを言うので)僅か15歳6ヶ月の若者に負けた衝撃は半端ではない。
 藤井聡太五段はそのまま朝日杯オープン戦に優勝し、史上最年少、最速で六段に昇段した。
 それにしても、驕らず、臆せず、昂ぶらず、その老成した落ち着きぶりは、どうしたものだろう。ひふみん(加藤一二三九段)は言う。「並大抵ではない重圧を軽やかに力へと換え、新たな将棋界の歴史を日々創造するお姿を、心から頼もしく思います」 そう、軽やかに、しなやかに、淡々と。周囲はつい暖かく見守ってしまう。しかし谷川浩司九段は、その若武者の台頭を許す棋界に敢えて苦言を呈する。「私たちの予想をはるかに上回るスピードで、強くなっているようです。名人と竜王を破っての優勝は見事ですが、ただし、20代、30代の棋士に対しては、『君たち、悔しくないのか』と言いたい気持ちもあります」 
 なお、羽生善治竜王の奥様は元女優の畠田理恵さんで、熱狂的な羽生結弦ファンらしい。漢字だと紛らわしいが、ハブさんの奥様は、ハニュウくんのファンらしいのだ。この日も朝から「羽生・羽生勝負日」と気合十分だったという。漢字だと紛らわしいが、「ハニュウ・ハブ勝負日」ということかな。そして羽生結弦が金メダルを獲得すると「連覇!連覇!連覇!おめでとうございます この瞬間に立ち会えて、ありがとうございます」と興奮気味にツイートし、羽生善治竜王が藤井聡太五段との対局に敗れると、「悲しい涙とうれしい涙で忙しい」とも。こういうシチュエーション、なんとも言えず微笑ましい。
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また青梅への道(3)

2018-03-02 23:46:08 | スポーツ・芸能好き
 先週末の東京マラソンでは、設楽悠太が16年振りに日本記録を更新し(2時間6分11秒)、また日本人2位の井上大仁も日本歴代4位(2時間6分54秒)と、一つの大会で6分台が二人も出たのは初めての快挙で、低迷気味だった男子マラソン界が俄かに活気づいた。
 その一週間前、ひっそりと(!?)青梅マラソンが開催され、私のように東京マラソンに落選した多くの人たちが30キロ走を楽しんだ。
 設楽悠太は、箱根駅伝を席巻したNIKEの厚底シューズ(NIKE ZOOM VAPORFLY 4%)で走って日本記録を叩き出したようだ。新しモノ好きの私には、ちょっと羨ましくもあるが、私にはまだアシックス・ターサー・ジャパンがあるので、ぐっと我慢である(苦笑)。このターサー・ジャパンは、地面を捉える感覚、所謂グリップ力が素晴らしいのだが、10キロとかハーフ・マラソンなど短めでスピード・レース向きと言うべきかも知れない。私のような年寄りには、齢を重ねるたびに足への負担が大きくなり、つい厚底に目移りしそうになってしまう(笑)。
 さて、青梅マラソンの結果は、3時間11分、昨年より1分短縮、一昨年より3分悪化と、相変わらずのペースだった。そもそも田舎道で混雑するため、余程、早い到着予想タイムを申告しないことには、スタート地点は後ろの方になり、混雑を抜け出すのに一苦労する。私の場合は、しかしもう焦らない。どうせ加齢とともに体力が落ちて来た身で、無理して前に出ず、周囲のペースに合せてスローペースで走り始めた。その分、余力があったのか、最後の5キロは32分を切るという、私にしては珍しい展開になった(通常は疲労とマメによって失速する)。
 その最大の理由は、5本指ソックスを初めて試してみて、過去にさんざんマメに悩まされたターサー・ジャパンでもマメが出来なかったことだ。事前の練習量はいつも通り(年明けから一ヶ月半で140キロ強・・・というのは少ないなあ)だったことを考慮すると、どうやら効果がありそうだ。
 幸い天気もよく、寒さも緩んで、絶好のランニング日和だった。青梅は、行きも帰りもアップダウンがあってかなりタフでなコースで、でも沿道の応援はいつも暖かく、今回は念願のヤクルトを貰えて元気百倍! 数年に一度は大雪で中止となるリスクがあるものの、これからも末永く付き合って行きたいと思う大会だ。
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五輪:閉幕

2018-02-27 01:37:56 | スポーツ・芸能好き
 平昌五輪が昨日、17日間の熱戦の幕を閉じた。ミーハーにつらつら書いて来たので、最後まで律儀に書いておこうと思う。
 前回ブログから更に、新種目のスピードスケート女子マススタートで高木菜那が金メダルを獲得した。伏兵と言ってもいいのだろう。まさか金メダルが1個追加になろうとは正直なところ思ってもみなかった。大勢で一斉に16周を、ただ速く滑るだけではなく、仕掛けるタイミングなどの駆け引きや状況判断が重要で、団体追い抜きと同様、仲間との連係が鍵だと言われる、なかなか面白い競技だが、1回戦で佐藤綾乃が転倒に巻き込まれて敗退し、決勝は単独滑走という不利な状況をものともせず、初代女王に輝いたのは立派だった。
 さらに、カーリング女子では日本代表「LS北見」が英国を破って銅メダルを獲得した。試合のハーフタイムは「もぐもぐタイム」と言われ、彼女たちが食べるお菓子は生産が追いつかず販売が一時休止になったらしいし、試合中に交わされる「そだねー」は、早くも今年の「流行語大賞」の呼び声が高い。
 振り返ると、日本のスピードスケートが大いに躍進しており、競泳、バドミントン、卓球などと同様、所属の壁を越えてナショナルチームとして強化するシステムが導入されたからだと言われる。かつて冷戦時代のソ連や東ドイツが五輪で圧倒的な強さを見せていたのは、国威発揚のため、国を挙げて育成強化していたからで、日本でもその気になればそれなりに成果が出せるということだ。
 今回、文在寅大統領は「平和五輪」を標榜し、開会式では韓国と北朝鮮の選手団が仲良く合同入場を行ったが、閉会式では別々で、韓国選手は(北朝鮮選手とは違って)統一旗を掲げなかったらしい。この空気の違いについて中央日報(電子版)は、合同チーム「コリア」を結成したアイスホッケー女子をめぐり「南北間に微妙な葛藤があった」ことや、北の選手に支給した装備について国連制裁などを理由に韓国側が大会後の返却を求めたところ「関係が気まずくなった」ことを指摘している。
 競技場の外はもっと喧しかったようだ。最大野党の自由韓国党や支持者らは閉会式前日午後から、北朝鮮代表団の車列が通る予定だった道路を占拠し、徹夜の抗議活動を行ったらしい。また反北団体が、閉会式の会場周辺に集結し、「アイ・ラブ・イバンカ」「アイ・ラブ・パククネ」などと書かれたプラカードを掲げ、「北朝鮮代表団は出ていけ」とシュプレヒコールを上げていたという。
 それでも、88年のソウル五輪や02年のW杯を経験された黒田勝弘氏(産経新聞ソウル駐在客員論説委員)は、今回は愛国主義がどこか後退した感じがし、韓国人あるいは韓国社会のある種の“成熟”が出ているように思うと述べておられる。
 それにしては、団体追い抜きで負けたのをチームメイトのノ・ソンヨン選手の遅れのせいにするような発言をして批判を浴び、代表資格の剥奪を求める声が高まって、謝罪会見に追い込まれたキム・ボルム選手が、スピードスケート女子マススタートで銀メダルを獲得した後、氷上に置いた韓国国旗を前に両膝をついて土下座した姿は痛々しかった。韓国社会の激しさを垣間見た思いで、同胞に対してこうなのだから、況や日本人に対してをや、である。引越し出来ない隣人なのだから、なんとか付き合って行かざるを得ないのだが、神様は日本人に試練を与えたもうたものである。
 とまあ、スポーツをスポーツとして楽しむだけでなく、運営面や政治面についても好き勝手に書いてきたが、なんだかんだ言って五輪を盛り上げてくれた(メダルが獲れても獲れなくても)全ての選手にはやはり感謝したいと思う。願わくば、純粋に選手ファーストの大会たらんことを。
コメント (2)
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