goo blog サービス終了のお知らせ 

風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

新女王・紀平梨花

2018-12-11 22:40:03 | スポーツ・芸能好き
 次は順当に中国の習近平ネタにしようと思っていたが、急遽、号外。フィギュアスケートのGPファイナルで初出場・初優勝を果たした紀平梨花が凱旋帰国した。日本人のGPファイナル優勝は真央ちゃん以来5年振り、GPデビューシーズンでのファイナル制覇も真央ちゃん以来13年振り、という快挙である。
 「世の中には難なく壁を越えられる人がいる。とてつもなく大きな壁で、一流と言われる人でも、もがき苦しむところを、あっさりとこなしてしまう。そんなことをしみじみ感じさせてくれた」のが大谷翔平選手だと、つい先日ブログに書いたばかりだったが、彼女もそんな凄さ、と言うより彼女の場合は軽やかさを感じさせる。海外で知られるようになったのは、ほんの2年前の中学2年のときで、ジュニアGPシリーズ第5戦のフリーで、トリプルアクセルに史上7人目の成功、トリプルジャンプ8回に女子史上初の成功で、優勝したそうだ。そして昨年12月のジュニアGPファイナル・フリーでは、ISU公式大会で史上初となる「トリプル・アクセル~トリプル・トウループ」を成功させたという。
 確かに彼女の強さはジャンプの技術のようで、真央ちゃんに憧れて習得した大技は、伊藤みどりさんによると「紀平さんは軽やか。難しいのに簡単に跳んでいるように見える。いまどきの回転軸の作り方で、効率のいい跳び方をマスターしている」ということだ。ジャンプばかりでなく、その他の要素でも、フリーではスピン、ステップともにレベル4を獲得しているし、見たところ身長154センチとは思えないくらい手足がすらっとしていて見映えが良く、大人っぽい繊細な演技ができる。パトリック・チャンは「今回の女子の中で、リカ(梨花)のスケーティングの巧さは抜き出ていた。彼女のスケーティングは緩急をきちんとつけている。強弱が滑りで表現できる質の高いスケートだった」と絶賛したらしいし、荒川静香や真央ちゃんのコーチも務めたタチアナ・タラソワも目を見張り、「とても美しいプログラム、とても美しい技の連続」と感嘆したのに続き、実況が「彼女は鼻で呼吸している、全然疲れていない感じがする」と語ったことにも同調したらしい。それほど、彼女は幼少時から運動神経が抜群で、体力にも自信があるようだ。
 しかし今回彼女が見せた強さの中で光るのは、ミスをリカバリーできる冷静さだろう(というのは後で知ったのだが)。フリーの冒頭、得点源となるはずだった「トリプル・アクセル~トリプル・トウループ」は回転が足りずに着氷時に手をついて、ダウングレードの「単独トリプル・アクセル」になって大きく得点を落としてしまうと、その後の演技構成を変更し、直後の「トリプル・アクセル」に「ダブル・トウループ」をつけて2連続ジャンプにした上、「トリプル・ルッツ~ダブル・トウループ」は「トリプル・ルッツ~トリプル・トウループ」に難度を上げて、冒頭で失った点を可能な限り取り戻したのだそうだ。
 しかも、ジャンプでふんわり軽やかに舞うように、取材でもふんわりとした関西弁を喋る普通の女の子っぽいというから、是非、その声を聞いてみたいものだ・・・大阪出身の私は大阪弁を喋る女の子には弱い(笑)。素朴で素直な性格はメディアやファンの受けも良いらしいから、真央ちゃん二世の(と言わず真央ちゃんを超える)人気と活躍を期待したい(まだ成長期で体形が変わるだろうから調整が大変だろうけど)。
 上の写真は、先週、通りがかった日比谷シティ隣のデコレーション。早いもので今年もあと三週間を切った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

快挙:大谷の新人王

2018-11-16 22:34:22 | スポーツ・芸能好き
 世の中には難なく壁を越えられる人がいる。とてつもなく大きな壁で、一流と言われる人でも、もがき苦しむところを、あっさりとこなしてしまう。そんなことをしみじみ感じさせてくれたのが、大谷翔平選手だった。キャンプでは打率.125、防御率27.0で「高校生レベル」と酷評されるなど散々だったのに、レギュラー・シーズンが始まって早々の4月5日のFOXスポーツに出演したA・ロッドから「大谷が入るとメジャー選手が高校生レベルに見えてしまう」と逆に絶賛された。
 フル出場ではなかった。打者として104試合に出場し、打率.285、22本塁打、61打点、OPS.925、10盗塁、投手として10試合に登板し、4勝2敗、防御率3.31という成績を残し、投票権を持つ全米野球記者協会の記者30人の内、25人から1位指名を受けるという文句なしの評価を得て、今シーズンのアメリカン・リーグ新人王に輝いた。
 日本人選手では、1995年の野茂、2000年の佐々木、2001年のイチロー以来、17年ぶり4人目の快挙という。また同一シーズンで2桁本塁打をマークし4勝以上を挙げたのは、1919年のベーブ・ルース以来だという。あるいは同一シーズンで「10試合登板、20本塁打、10盗塁」はメジャー史上初だとか、15本塁打以上を放ち50三振以上を奪ったのはメジャー史上初だともいう。野暮ったい言い方になってしまうが、長年、日本のプロ野球を愛してきたファンとして、日本人としての誇らしさを感じる。
 今シーズン最高の思い出を問われて、大谷は初本塁打を挙げ、「嬉しかったですし、ベンチに帰ってからも(無視されて)楽しかった」とコメントした。本拠地初出場となった4月3日のインディアンス戦に8番・DHで先発し、3ラン・ホームランを放ったもので、ベンチのチームメイトから、背中を向けたまま無視されるという歓迎の儀式である「サイレント・トリートメント」の仕打ちを受けて、祝福の“おねだり”をするあどけない大谷の姿が拡散されたことでも話題になった。なんとも愛らしくて、まさに名場面として永遠に語り継がれることだろう。彼の人気は、こうした何の衒いもない素直なキャラクターに負うところも大きいように思う。
 「二刀流」の大谷のことをUSA TodayやNY Timesは「Two-Way Star」と呼んだ。2年目のジンクスは打者として、そして3年目にはいよいよTwo-Wayの真価が問われる。大挙して太平洋を渡った一時期の日本人メジャーリーガー・ブームが去って、たった一人で再びシーズンを楽しみにさせるとは、とてつもない選手が現れたものだ。暖かく見守って行きたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

追悼:フランシス・レイ

2018-11-10 21:40:57 | スポーツ・芸能好き
 アメリカの中間選挙もあって、書きたいことはいろいろあるのに、故あって今またブログをなかなか思うように書けないモードに入ってしまった。しかし、11月8日付の日経に、フランシス・レイさん死去のごく小さな記事が掲載されたことだけは触れておきたい。7日に出身地の仏南東部ニース市の市長がツイッターを通じて死去の事実を公表したそうだが、死因や亡くなった日は明らかにされていない。
 あらためてWikipediaを見た。1932年生まれとあるから、86歳、アコーディオン奏者から作曲家に転身した、とある。ブログで繰り返しになってしまうが、中学生の頃、なけなしの小遣いで「スクリーン」という月刊誌を購読し、高校受験を控えながら、毎週少なくとも一本はテレビで映画を観ていた映画好き少年にとっては、映画と言えばハリウッドではなくフランス映画であり、フランシス・レイと言えばアカデミー作曲賞を受賞した「ある愛の詩」(1970年)もさることながら、「男と女」(1966年)、「パリのめぐり逢い」(1967年)、「個人教授」(1968年)、「雨の訪問者」(1969年)、「さらば夏の日」(1970年)などの映画音楽は忘れられない。中でも、「個人教授」のナタリー・ドロン(名前からも分かる通りアラン・ドロン夫人だったと言っても、アラン・ドロンを知らない人が多いかも知れない)に憧れて、パリジェンヌに憧れ(彼女はモロッコ生まれだけど)、パリに憧れた(笑)。「ほろ苦く切ない恋を綴った青春ラブロマンス映画の名作」(Wikipedia)だが、主演のルノー・ヴェルレーも今は72歳だという(苦笑)。
 「イージー・リスニング」というカテゴリーに入れられてしまう作曲家だが、2016年に朝日新聞の電話インタビューで映画音楽について「音楽と映画の関係は不可欠で、映像にエモーショナルなものをもたらす。一度聞いたら口ずさめるような音楽にしたい」とさらりと答えているところに、「イージー」の意味を語って余すところがない。
 フランスの映画音楽の巨匠は他にも、ミシェル・ルグラン氏がいるが、なんと同じ1932年生まれ。ある方のサイトで「おすすめフランス映画の音楽」10選を見かけて(https://france-cinema.net/music/)、共感した。年齢も近いかも(笑)。フランシス・レイが半分を占めている。
 1.「白い恋人たち」(1968年)    フランシス・レイ
 2.「シェルブールの雨傘」(1963年) ミシェル・ルグラン
 3.「男と女」(1966年)       フランシス・レイ
 4.「禁じられた遊び」(1952年)   ナルシソ・イエペス
 5.「さらば夏の日」(1970年)    フランシス・レイ
 6.「雨の訪問者」(1969年)     フランシス・レイ
 7.「あの愛をふたたび」(1969年)  フランシス・レイ
 8.「地下室のメロディー」(1963年) ミシェル・マーニュ
 9.「太陽がいっぱい」(1960年)   ニーノ・ロータ
10.「エマニエル夫人」(1974年)   ピエール・バシュレ
 音や声の記憶というのは、文字とは違って身体に染みついており、魔法のように、それを聴いた年頃にふっと戻ってしまう。恐らく永遠に。フランシス・レイさんのご冥福をお祈りし、合掌。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青梅への道(1)

2018-10-18 00:15:20 | スポーツ・芸能好き
 今年も東京マラソンに落選した。やけっぱちな、と言うよりは、淡々とした事務的なものの言いなのは、なにしろビギナーズ・ラックで当選して出場した2013年2月の第7回大会以来、6年続けて振られっ放しとなるのだから(涙)。今年のマラソン一般枠への応募は、定員27,320人に対して330,271人、抽選倍率12.1倍だった。昨年も12.1倍、一昨年は12.2倍と、高止まりしており、このままでは、残りの人生であと2回走れたら「御の字」、せいぜい1回走れるかどうかという、まことに希少価値の高い大会になってしまった(苦笑)。
 昨年から、東京マラソンの抽選結果が判明する前に、青梅マラソンの申込み(先着順)が始まるようになった(カード払いで即刻引落し)。両マラソンの実施日は例年一週間(今年は二週間)しか間が開いていないので、この齢で、万が一、両方とも当選して両方とも走ることになると、正直なところ辛い(青梅を断念してエントリー・フィー7000円をドブに捨てるのも惜しい)。まあしかしどうせ東京マラソンには当選しないだろうと高を括って、今年も青梅マラソンに申込み、無事(!)、東京マラソンに落選したので、シリーズ・ブログ・タイトルは今年も「青梅への道」となる。
 つい最近、プレジデント社のWeb記事に、笹川スポーツ財団の調査報告が載っていて、2016年にジョギング・ランニングを年1回以上した人の数は推計893万人、前回2014年調査では986万人、前々回2012年調査では過去最高の1009万人だったので、2回続けての減少となり、4年で100万人以上がジョギング・ランニングをやめてしまったことになる、とあった。空前のブームとしては、明らかにピークアウトしたようなのだが、なかなかどうして東京マラソンの人気は根強い。人口減少社会でも駅近くの不動産物件の値が下がらないのに似ている(とは妙ちくりんな喩えだが 笑)。
 それはともかく、遅まきながら先々週末にシーズン走り初めをやった。マラソン・シューズを履いたのは実に半年振り、いつもの10キロ・60分コースを15分程余計に時間をかけてゆっくり走ったのだが、その最中にも普段使わない肩や背中の筋肉が張って上半身が硬直し、その最中にはちょっと疲れただけだった太腿の筋肉は翌日から三日間、ガチガチに硬直し、階段の昇降に往生した(やれやれ・・・)。しかし、普段、歩くときには指関節が痛むだの、膝に違和感があるだの、なんだかんだ不具合があって不満たらたらだったりするのに、いざ走ると何事もなく走れてしまうのは、実に幸せなことだと思えるようになった。我ながら成長したものだ。いつまでも美味い酒と食事を好きなだけ楽しめるよう、今年も半年間、走り込んで身体を絞ることにする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

追悼・輪島大士

2018-10-10 01:28:41 | スポーツ・芸能好き
 元横綱・輪島さんが8日に亡くなっていたことが分かったという。享年70。
 私はまだ物心つく前から先代・豊山を応援していたらしいのだが(なんて言うと年齢がばれる)、小・中学生の頃、父親の影響で大相撲が(再び?)好きになり、父親に連れられて春場所(大阪体育会館だったと思う)を毎年のように訪れて・・・その当時は支度部屋にずかずか入って行っても咎められることはない大らかな時代で(と言いながら、そんな図々しくも大胆不敵なことをしでかしたのは私の父親くらいかも)、トイレに入ったら既に引退していた大鵬親方も入って来て、期せずして二人並んでツレションしたのもその頃・・・贔屓にしていたのが輪島だった。北の湖との所謂「輪湖時代」全盛の頃のことだ。デーモン閣下が「吾輩は輪島や北の湖、貴ノ花を見ながら相撲の世界のいろはを学び、その魅力にどっぷりとはまっていった。つまり相撲における吾輩の師匠であると言える」と語っているのと似たような経験をしていて、自称10万55歳の閣下とは、やはりというか、まさにというか、まあほぼ同世代だ。
 なにしろ当時の相撲は今とは比べものにならないくらい面白かった(というのは私が子供だったから、だけではないと思う)。昨今のような人材不足はなく、粒ぞろいで個性派力士も多かったから、取組みからは目が離せなかった。それでも、その当時にあっても、どっしりと重たくて憎たらしいほど強い北の湖と互角の勝負が出来るのは輪島くらいで、輪島の左の下手と北の湖の右の上手の(これも一つの相四つなのだろう)がっぷり四つ相撲は、今、思い出しても手に汗が滲み出てきそうなほどだ。輪島のまわしの色(禁断の金色!)に引っかけてか「黄金の左」と呼ばれ、左で下手を取ると、右からの押っつけが厳しく、相手力士の腰が浮いて、下手投げで叩きつけるか土俵際に寄り切る強さは絶品だった。相撲史に残る二人の好取組みは、輪島が23勝21敗と辛うじて勝ち越しているのは、年齢差があって横綱になるのが早かったからではあるが、見ごたえがあった。
 そうは言っても、お相撲さんとしての輪島は、「稽古」を「練習」と呼んだり、その「練習」にランニングを取り入れたり、出世が早くてまげが結えずにパーマをかけて国技館入りしたり、場所入りの際に外車(リンカーン・コンチネンタル)で乗り付けたりと物議を醸し、破天荒で言わば新人類(死語か?)的なところがあって、引退後の私生活では、相撲とは対照的な脇の甘さが災いし、ついには廃業し、プロレスに転身したことには、正直なところ輪島らしいと思いつつちょっとがっかりしたものだった。
 通算成績は673勝234敗85休、幕内では620勝213敗と、圧倒的な勝率を誇るのは、学生横綱出身で、ある程度、出来上がっていたからでもある。生涯58人の力士と対戦し、北の湖を含め54人に勝ち越し、3人と引き分け(若浪、黒瀬川、大錦、いずれも2勝2敗)、負け越しているのは横綱・玉の海ただ一人(輪島の新入幕が1971年1月で、その平幕時代に、横綱・玉の海が同10月に現役中に死亡するまでの間に、一度だけ対戦したらしい)というのも圧倒的だ。私にとっては、次点の千代の富士を差し置いてダントツの「アイドル」だった。
 角界はいま貴乃花引退で浮足立っている。かつて田舎では兄弟が多くて、貧しい家庭で腕っぷしが強ければ力士に・・・なんて時代があったものだが、今となっては昔の話、外国人に頼らなければならなくなって久しい上に、5年前に大鵬が亡くなり(享年72)、3年前に北の湖(享年62)、2年前に千代の富士(享年61)と、早過ぎる死が相次いで、私のような世代の人間にとっては寂しい限り。一つの時代が終わった感慨に打ちひしがれている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界は、ひとつになれる。

2018-10-02 00:42:57 | スポーツ・芸能好き
 週末の朝以外はテレビを見なくなって久しいので、芸能情報にすっかり疎くなってしまった・・・などと言いながら、芸能界のことなど、この齢になればどうでもいいのだが、TVコマーシャルの中に、たまに良い出来のものがあって、それを見ることがないのはちょっと寂しい気がしていた。その昔、「ケンとメリーのスカイライン」は子供心にも衝撃的で、Buzzの「ケンとメリー~愛と風のように~」のBGMに乗せて、オトナになったら絶対スカイラインGT-Rに乗るぞっ!と真剣に思ったものだった(その後、暴走族御用達になったのは偶然ではないのかも!?)。それから「いい日、旅立ち~」なんてのもあったし、山下達郎の「クリスマス・イブ」を使ったJR東海のクリスマス・エクスプレスは、同じ世代だったので、今でも胸にじ~んとくる(苦笑)。
 そんなわけで、昨年12月頃のTVコマーシャルの話をすると鬼が怒りそう(!?)だが、知人にYouTubeの在り処を教えて貰って、見てみると、なかなかいい・・・と感動したのが、ANAの「世界は、ひとつになれる。」 BGMは「世界中の誰よりきっと」を、WANDSではなく徳永英明がしっとりと歌っている(心に残るコマーシャルはBGMも重要!)。ニューヨークと東京で遠距離恋愛中と思しき男女を、画面左右で噛み合わせて見せるのが絶妙で、女性の方がニューヨークにいるというのも今風でいい(リバイバルした「東京ラブストーリー」に着想を得た・・・わけではないだろうな)。最後に、飛行機を遠目に見やりながら、お互いを想い、(彼女)「寂しい?」、(彼)「別に・・・・・・(30秒版はここで終わるが、60秒版ではしっかり呟きが入る)寂しいよ」
 ANAのfacebook(昨年12月4日付)には「このCMのように、離れているけれどそれぞれの場所でがんばる皆さんをANAは応援します☆」とある。そう言えば、心に残るコマーシャルは、車だったり、電車(新幹線)だったり、飛行機だったり・・・乗り物が舞台装置になるのは必ずしも偶然ではないような気がする。自分たちの夢に向かって、なのか、過去から逃れるため、なのか、人は旅に出る。電車(新幹線)や飛行機は、離れた土地と土地を結び、人と人を繋いでくれる。
 久しぶりに旅に出たくなった・・・
 (上の写真はANAではありませんが)

https://www.youtube.com/watch?v=qQcrSSvTYzk
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なおみ節

2018-09-14 00:38:24 | スポーツ・芸能好き
 今朝、大坂なおみ選手が凱旋帰国した。「なおみ節」とは、インタビューでの屈託のないキャラで独特の“ほんわか発言”が話題なのが、どこかの記事でそう呼ばれていて、なかなかナイスなネーミングだと思って借用させてもらった(「なにわ節」と韻を踏んでいるのは、苗字の大坂にかけているわけではないと思うが・・・笑)。
 産経新聞デジタルに30分余りの記者会見動画が掲載されていたのを見ると、日本語の質問に、ほぼ全て英語で答えていて、3歳でアメリカに渡ったのは伊達ではない、それでも日本人(正確には年齢がまだ届かず二重国籍)なのだと、ちょっと驚かされたし、時折り茶目っ気を差し挟むことがあったものの、「なおみ節」炸裂とまではいかなくて、さすがに到着後数時間しか経っていない疲れにどんより包まれていたのは、ちょっと気の毒だった。
 全米オープン決勝でのセリーナの暴言に対して全米テニス協会から1万7千ドルもの罰金が科されたらしいが、準優勝の賞金185万ドルから差し引かれるのだと聞くと、なんのことはない、蚊ほどの痛みもない。このときのセリーナの対応と主審の判断を巡って、議論になっているようだ。「女子が感情的になるとヒステリックだと言われ処分となるが、男子が同じことをしても率直な意見として見なされ、問題にならない」(往年の名選手ビリー・ジーン・キング女史)などと、主審の判断はダブルスタンダードだと主張する声や、主審はラケットの破壊に対しては違反を取るべきではなく、もしセリーナが態度を改めない場合はどうなるかを先に伝えるべきだったとして、「男子に対する基準と異なるというのは、間違いなく彼女が正しい」(往年の名選手ジョン・マッケンロー氏)といった声もあれば、「われわれは常に規則に縛られていた」(往年の名選手マーガレット・コートさん)と述べて、セリーナへの共感を示さない人や、「あの日、あの時に関してはセリーナが間違えていた」(元ATPツアー幹部で主審を務めた経験もあるリチャード・イングス氏)などと、主審の判断は男女、人種差別とは全く関係なかったと弁護する声もあるなど、割れている。全米テニス協会の会長は、「主審へのふるまいに関して、男子と女子は平等な扱いを受けていない。全体的にある程度の一貫性がなくてはいけないと思う」などと、セリーナの主張を認めたらしい。私は試合を見ていないので何とも言えないが、当時の場面・・・第2セットの第2ゲームで、試合中のコーチングが違反行為にあたるとして最初の警告を受け、セリーナがブレークに成功したあとの第5ゲームでダブルフォルト2つを絡めてブレーク・バックされると、ラケットを地面に叩き付けて破壊したため二度目の警告(ポイント剥奪)を受け、第6ゲームをラブゲームでキープした大坂が第7ゲームをブレークすると、チェンジオーバーでセリーナは主審に対して「この泥棒。私に謝りなさい。あなたは私のキャラクターを攻撃している」と威圧的に罵倒し続けて三度目の警告を受け・・・と振り返ってみると、セリーナが思い通りにプレイ出来ない苛立ちを審判にぶつけていたのではないかという疑念は拭い去れない。
 そして、表彰式の間、おさまらなかった観客のブーイングは何に対して向けられたものだったのか、またそのとき、大坂なおみが“I know everyone here was cheering for her, so I am sorry it had to end like this.”と“I’m sorry”を使ったのは、彼女自身が謝ったものなのか、「残念に思う」程度のコメントだったのか、で意見が割れたようだ。今回の記者会見では質問されても、軽く受け流していたが、帰国前夜、米国の人気トーク番組「エレン・デジェネレス・ショー」に出演した際には、「表彰式で、セリーナはあなたに何て言っていたの?」とストレートに聞かれて、「彼女は、『あなたを誇りに思う、観客のブーイングはあなたに向けられているものじゃない』と言ってくれました。あの時、みんな私に対してブーイングしていると思っていたんです。何が起こっているのかわかりませんでした。あまりにも大きな音で……。ちょっと、精神的に疲れちゃいました」と、正直に答えていたようだ。
 ・・・とまあいろいろあったようで、また今日のところは移動後でお疲れのようだったが、来週から始まる東レ・パンパシフィックでは勝ち進んで、インタビューでほのぼのとした「なおみ節」が炸裂するのを、是非、見せて欲しいものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大坂なおみの快挙

2018-09-09 15:27:03 | スポーツ・芸能好き
 全米オープン女子シングルス決勝で、第20シードの大坂なおみが優勝した。まさか日本人がテニス(やゴルフ)の四大タイトルを獲れるとは正直なところ思っていなかった。しかも錦織圭(や松山英樹)ではなかったから、驚いた。以前なら弱冠二十歳と言うべきところ、最近は若い人が臆することなく活躍する時代なので、以前ほどの違和感はないが、36歳の対戦相手セリーナ・ウィリアムズと並べてみれば、初々しさが際立つ。
 何しろ相手はテニス界のWTAツアーでシングルス72勝、ダブルス23勝を挙げ、男女を通じてシングルス・ダブルスともにキャリア・ゴールデンスラム(=四大大会制覇+五輪金)を達成した唯一の選手であり、生涯獲得賞金が8千万ドルを超えるという点では全ての女子プロスポーツ選手の頂点に立つ、絶対女王である。彼女(大坂なおみ)にとっては物心ついた頃からの憧れの選手であり、地元(彼女にとって育った地ではあるが、アウェイ)の四大大会の一つで決勝で対戦するとは夢見心地だったことだろう。
 しかし、なかなか厳しい試合だったようだ。朝日新聞デジタルは次のように伝えている。

(引用)ウィリアムズが、審判に対して抗議を続けるなどし、ポイントやゲームを失った(注:審判に抗議して警告を受け、苛立ってラケットをコートに叩きつけて破壊して二度目の警告を受け、納得が行かないばかりにゲームの合間にも抗議して三度目の警告を受け、大坂に1ゲームが与えられるという、決勝という厳粛な試合にしては珍しく荒れた)。後味の悪さが残る形で決着がつき、満員のスタジアムは異様な雰囲気に包まれた。その重圧は相当なものだったのだろう(注:産経新聞デジタルは端的に「表彰式が始まると、S・ウィリアムズの出産後初の全米制覇を期待していた客席からブーイングが起こった」と伝えた)。
 大坂は(注:わざわざ「ちょっと質問じゃないことを語ります」と断った上で)「みんなが彼女(セリーナ)を応援していたのは知っています。こんな終わり方ですみません。ただ、試合を見てくださってありがとうございます」と声を詰まらせた。幼い頃に過ごした街・ニューヨークで、あこがれの元世界女王への敬意も忘れなかった。「セリーナと全米決勝で対戦できてうれしい。プレーしてくれてありがとう」と涙ぐんだ(注:このときセリーナにお辞儀した)。(引用おわり)

 最近、齢のせいか涙もろくなって、TVのニュース映像やウェブ記事を読んで、何度も涙ぐんでしまった(苦笑)。
 全米オープンの観客の反応には、アメリカ人ではなく、日本人であり、またハイチ共和国人でもあるという、その出生が影響しているようにも見受けられるのは、アメリカの地でアメリカ人に囲まれれば、ある程度は仕方ない。問題は日本人である私たちの方だ。
 日本人の活躍と言いながら、ダルビッシュやオコエ瑠偉、ウルフ・アロンやベイカー茉秋、ケンブリッジ飛鳥やサニブラウン、中村優花など、最近はハーフの活躍も目立つ(渡嘉敷来夢のようなクォーターもいる)。ハーフやクォーターはまだいい方で、血が入らないと余計ややこしくなる。移民の国とは露にも思わない純血主義が根強い日本人には、法律はそれとして、感情的に日本人と認められるかと言うとそれほど簡単なことではなさそうだ。例えば最近、トルコ系移民問題に揺れるドイツで、W杯ドイツ代表のメスト・エジル選手が代表引退を発表した。本人は生まれも育ちもドイツながら、トルコ系移民の両親をもつ三世で、試合前にコーランを唱えたり、トルコを訪問した際にエルドアン大統領に謁見したりして、ドイツ国内で批判の声があがり、W杯予選敗退すると戦犯のような扱いを受けたことが記憶に新しい。彼が残した言葉、「勝った時にはドイツ人、負けた時にはトルコ人と言われる」とは、哀しい。
 私がオーストラリアに駐在したときのビザ申請では、入国にあたってオーストラリアという国に忠誠を誓わされたことを思い出す。短期滞在ですらそういう次第だから、国籍となると、ますます重い。その意味では純血日本人の中にも日本人らしくない人が一杯いることになりはしないだろうか(笑) その点、彼女の180センチ、69キロの恵まれた体格は、日本人離れしているし、3歳のときに生まれ故郷の大阪を離れて、日本語もたどたどしいが、シャイなところ(日本語で言えば謙虚で奥床しくさえあるところ)や、先ほどの引用文中に補足注記したようにお辞儀するなんぞは、どう見ても日本人だ。
 試合後、今一番したいことを聞かれて、日本語で「抹茶アイスクリーム食べたい!」と答えたらしい。Wikipediaのプレースタイルには、「豪快でパワー溢れるグラウンドストロークを持ち味とし、両サイドからウィナーを打つことが出来る。パワフルなフォアハンドが武器だが、脚を踏ん張り、一度の強打で形勢を逆転できるバックハンドも得意」とあって、その通りと思うが、インタビューで見せる舌足らずなところや天真爛漫な子供っぽいところとの落差がとてもチャーミングだ。弱冠二十歳とは死語かも知れないが、今後の活躍に大いに期待したい。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サッカーW杯の夢

2018-07-05 01:23:23 | スポーツ・芸能好き
 日本代表チームは、開幕前の下馬評をものともせず、決勝トーナメントまで勝ち進み、優勝候補のベルギーを相手に大いに善戦した。誰かが書いていたように、「日本もベルギーも意味もなく倒れたり、ファウルを大袈裟にアピールしたりするような見苦しいプレーをしない、日本人好みのナイスゲーム」で、8強の夢は潰えたけれども、「何が足りないんでしょうね…」と茫然自失の様子で呟いた西野監督の言葉は重いけれども、夢にもう少しで手が届きそうな、前進していることを確実に実感させるような、悔しい敗北だったように思う。
 私は気がつくとONに魅せられた野球少年で(当時は関西でも巨人戦は放映されていた)、今も普段はプロ野球やMLBを追いかけて、サッカーについては日本代表チームの俄かファンに過ぎないから、個々の技術的な側面より、大雑把な印象論になってしまうが、それにしても、ドーハの悲劇をつい昨日のように思い出し、以後、定点観測して来て、あらためて日本サッカーも強くなったものだとつくづく思う。欧州リーグで活躍する選手を中心に、技術面でも俊敏性の点でもこの四半世紀の成長ぶりには目を見張るものがあり、実際に6大会連続となるW杯・本大会出場を果たしたし、決勝トーナメント進出は3度目を数えた。
 そもそもチームプレーは、夏季五輪・陸上男子4×100メートル・リレーや、冬季五輪・パシュート女子チームの活躍を見るまでもなく、日本のお家芸と言われる。ある韓国人は、日本人と韓国人とが1対1で対決すれば、体力に勝る韓国人が強いが、2対2では、チームとして協力し合う日本人が強いだろうと言っていて、確かにそういうものかも知れないと思う。しかし、ことサッカーに限ると、獲物をゴールポストに追い詰める狩猟民族のスポーツであって、ビジネスの世界で言えばさながら自営業者が集まるコンサルタント会社のようなもので、伝統的な日本的経営を支えるような日本の組織力が必ずしも発揮できるわけではなさそうだ。むしろ日本の企業組織や官僚組織は、全体最適を目指す志は尊いものながら、組織として見れば上下の忖度やらヨコの顔を立てるやら相互牽制するやら、さまざまな力学が働いてパワーが減殺され、個の秀でた力を活かせなくて(すなわち単純計算で1+1=2以上にならず2以下になって)、しまいには太平洋戦争末期のように、組織とともに日本国も沈んでしまう・・・といった事態になりかねない。難しい競技だと思う。
 その意味で、グループリーグ第三戦の対ポーランド戦は出色だった。ゲーム終盤、時間稼ぎのパス回しをして1点差負けを能動的に選ぶと言う、日本人以外であればリーグ戦で必ずしも珍しいわけではなさそうな光景が日本人チームで見られたことに、ある種の感慨を覚えた。日本人として正攻法や潔さを求める気持ちはやまやまで、私個人としてはこれらの価値に高いプライオリティを置くけれども、いざ組織になると、それでよいとは限らないことが往々にしてある。とりわけ勝つことを義務づけられた合目的的組織にあってはなおさらである。その善し悪しはいずれにも理があって、状況に応じてとしか言いようがないように思う。
 決勝トーナメント進出を目的とするようでは、目線が低過ぎると非難する声もあった。優勝は野心的過ぎるにしても、決勝トーナメントで勝つことを目的とすれば、心の持ちようも、従って戦いぶりも、変わっていたのではなかったか、と。確かに私も会社では部下に、一つ上の目線を持てとハッパをかける。主任なら課長、課長なら部長、部長なら事業部長の目線で考えるからこそ鍛えられるし、昇進のチャンスは将来そのポストをこなせることに期待して与えられるものではなく、明日からその働きが期待できるからこそ与えられるものだからだ。しかし、何年か手塩にかけて育てたチームであればともかく、ほんの二ヶ月余り前に代表監督を引き受けたばかりの西野監督の思いや如何ばかりだったろうと思う。他力本願(同時進行のセネガル×コンロビア戦で、セネガルが失点して日本と勝ち点で並び、今回から導入されたフェアプレイ・ポイントでは日本がセネガルを上回っていたため、双方の試合が動かなければ、日本に勝ちが転がり込む)というギャンブル性を賞賛する声すらあがったが、実際のところ、ギャンブルと言うよりも、また目線の高さすら慮る余裕もなく、ただ勝ち残りの可能性が高い方を選ぶ現実的な判断に徹したのではなかったかと思う。今となっては、決勝トーナメントの戦いぶりを見た私たちとすれば、グループリーグ第三戦でよくぞ我慢して決勝トーナメントに勝ち進んだものと、見直されることはあっても、もはや弱腰批判は当たらないのかも知れないが・・・。
 そんなこんなで、例年より早く梅雨明けして、早くもヒートアップした夏なのであった。良い夢を見させてもらった。今日より明日、今年より来年、今回より次回の活躍に期待したい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イチロー的な終わらせ方

2018-05-05 00:48:03 | スポーツ・芸能好き
 まだ終わったわけではないから、「終わり方」ではなく「終わらせ方」とタイトルした(しかし限りなく引退に近いニュアンスである)。
 今朝、イチローがマリナーズの会長付特別補佐に就任し(ESPNはfront-office role as a special assistant to the chairmanにシフトする、と報じ、日本のメディアは球団の特別アドバイザーと翻訳した)、選手としては今季の残り試合に出場しないことが明らかとなった。ベンチ入り25人枠から外れ、練習しながら選手らをサポートするが、試合ではベンチには入らず、クラブハウスやビデオルームなどで状況を眺めることが多くなる見込みで、「選手が求めてきたことに、彼なりのアドバイスをしてほしい」と技術面だけでなく精神面での支えを期待されているようだ。
 引退はしないが、今季はプレーしない、来季以降は現役でプレー復帰するかもしれないという、分かりにくい内容の、異例の生涯契約である(ESPNもIt's a unique circumstance for a unique player.と言い、This was the most creative way to keep him within the organization and still give him an opportunity to play if that's what happens in 2019.とも言う)。そのため日本球界復帰の芽はなくなったとも報じられた。マリナーズにとってイチローは一時代を築いた最大の功労者であり、地元シアトルでの人気は高く、マイナー落ちや他球団への放出には踏み切らない武士の情けで、(最低でも!50歳までと言って)現役続行を希望するイチローに最大限、応えてあげたと言うべきだろう。イチローにとってもメジャー最初の球団で都合11年半在籍したマリナーズには愛着があるだろうし、球場から車で20分の湖畔に自宅を構えるシアトルからは去り難かったことだろう。このあたりを世界の王さんは、さすがに一言で本質を衝いて、この契約を歓迎された。「イチローにとってもマリナーズにとっても一番いい選択をしたということじゃないかな」。
 イチローも会見で次のように語って球団に感謝した。「マリナーズと契約してから今日まで毎日が僕にとってギフトを贈られたというかハッピーでした。今日もそうですがとにかくハッピー。毎日セーフコフィールドに来る。家からの道のり、帰り道。ユニホームを着ている時間。毎日、噛み締めていました。それが終わってしまうのかと考えた時に提案を頂いた。こんな形を取ってくれた。信じられないことですよ」。そして「僕の近くにいる人なら分かると思いますが、野球の研究者でいたい。44歳でアスリートとしてどうなっていくのか見てみたい。プレーしなくても毎日鍛錬していくとどうなっていくのか見てみたい。チームと一緒に練習できる。例えこれで終わりだたっとしても(練習を)続けると思う。喪失感みたいなものはまったくありません」とも語った。「野球の研究者」とは、まことにイチローらしいが、私たちは喪失感を禁じ得ない。
 実際、イチローと言えども、過去3年を振り返ると、衰えは隠せなかった。が、それ以上に出場機会が限られてしまった。イチロー自身の、と言うより、メジャーという球界の、年齢の壁が厳然としてある。
 2014年に(三年半在籍した)ヤンキースからFAとなったイチローは、翌2015年にマーリンズと契約して三年間在籍し、1年目こそ打率.229(438打席)と低迷したが(91安打)、2年目は出場機会が減ったものの打率.291(365打席)まで持ち上げて、まずまずの成績を残した(95安打)。しかし3年目は自身最少の215打席しか打撃の機会が与えられず(往時の三分の一以下)、それでも代打安打数ではメジャー記録にあと1本と迫る27安打を放ってそれなりに存在感を示したが、シーズンを終わってみれば打率.255、自己最少の50安打とほぼ半減してしまった。今季は30試合の半分に出場して、打率.205、安打9にとどまっている。
 昨年11月、マーリンズからFAとなったときには、ヤンキース時代の同僚だったデレク・ジーターCEOからイチローに対して直々に(ということは敬意を表して)来季構想外であることが伝えられたものだった。古巣オリックスが指導者含みで誘いを掛けているとか、他にも噂にあがった球団があったと報道されたが、なかなか去就が決まらずに気を揉ませ、ようやくマリナーズ入りが決まったのはつい3月に入ってからのことだった。近年、急速に若返りが進むメジャーリーグで(否、そもそも新陳代謝が激しいアメリカ社会で)、44歳でのメジャー契約は異例、と報じられたものだ。
 その間、年末に故郷の愛知県豊山町で行われたイチロー杯争奪学童軟式野球大会では、子供たちから「日本球界復帰の可能性はありますか?」と直球の質問が投げかけられ、さすがのイチローものけぞりながら「メディアがいますから。ややこしいこと聞くね~」とうろたえたが、「言葉は難しいし、便利で…可能性という言葉を使えば、両方あります。これは僕の逃げの言葉。可能性っていろんなことに使えるから、ゼロじゃない限りは可能性はあります…ややこしいなあ」と言葉を濁し、完全否定することはなかった。そのときの心境を、犬好きらしく「ペットショップに売れ残った大きな犬みたいな感じ」と自虐的に表現し、「アメリカっていう国は、44歳っていうのが何かひっかかるらしいのね。44歳のオジサンはどーなのっていう」などと、メジャーでプレーする自信を持ちながらも、年齢の壁が立ちはだかっていることへの不満を漏らしたものだった。それでも野球大好き少年のイチローには現役へのこだわりがあった。以前、「40歳を超えて現役でいることは大事なこと。現役でないと分からないことがたくさんある」と語ったこともある。
 それだけ難産の挙句のマリナーズへの復帰だっただけに、会見では「今、マリナーズが必要としていること、僕がそこに力になれるのであれば何でもやりたい」と語り、球団への恩返しを誓った。
 イチローは言うまでもなく屈指のメジャーリーガーで、メジャーの中にも称賛する声は多いが、ここでは直近、昨年9月19日、メッツ戦9回にイチローが同点タイムリーを放って、延長10回サヨナラ勝ちを呼び込んだ試合の後の記者会見で、マーリンズのマッティングリー監督が語ったことを取り上げたい。「イチはアンビリーバブルだよ。いつも同じ。変わらないんだ。見ていて楽しかったよ」「色々なプランもあるし、選手もそれぞれだが、みんなにはイチの域に達してもらいたい。どんな打席でも変わらない。スプリングトレーニングだろうが、開幕戦だろうが、10点差でリードしていても、されていても、ギリギリの状況でもだ。シンプルさを保つことは難しいんだ。そういうメンタリティでいれば、どんな打席でも変わらないメンタルでいられる。それがイチローを偉大たらしめるものなんだよ。殿堂入りする選手はいつでもいい打席を見せてくれる。状況は関係ないんだ」・・・アメリカ人的なリップサービスもあるだろうが、これほど正確に理解して貰えていたのは、偉大であるが故とは言え幸せな男だ。
 これで、(次回6日のマリナーズ戦にも登板が予定されていた)大谷との対決は、恐らく未来永劫、見ることが叶わなくなってしまった。イチローは大谷が生まれる2年前の1992年からオリックスでプロ野球生活を始めており、大谷にとってイチローは少年時代からの憧れで、世間一般で言うと親子ほどの年の開きがある。大谷のメジャー行きが決まったときにイチローは「まだ翔平がプレーしているところを実際に見たことがないので、まず見てみたい。でも『誰が見ても世界一の才能と言っていい』とよく聞く。そんな選手と対戦することは野球の醍醐味の一つだと思うし、必ず実現させたい。でもそれは、僕がピッチャーで」と、最後に笑いをとりつつも、最大限の賛辞を惜しまず、今回、大谷が「イチローさんと(対戦)できる選手っていうのは凄く限られている。そういう機会がもしかしたらあるというだけで凄く楽しみ」と言えば、イチローも「僕が対戦できるように頑張るしかない」とつい最近も応えていた。野球ファンとしては残念でならない。
 あと一つ、日本での凱旋プレーの可能性が残されている。マリナーズは来年3月20、21日に東京ドームでアスレチックスと対戦することが正式決定されている。ベンチ入りは25人ではなく28人に増枠されるから、7年ぶりの大リーグ公式戦日本開催には、日本のファンへのサービスとして、イチローのプレーする姿が見られることだろう(実際、マリナーズのGMはこれがイチローの引退試合となるであろうことを仄めかしている)。これも生涯契約の一つの大きな目的じゃないかと思うのだ。勿論、イチローの日本のファンへの(日本でプレーしないことのお詫びと)感謝のしるしとして。そういう男だと私は思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする