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風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

「力こそ正義」という世界

2022-03-19 10:11:35 | 時事放談
 軍事力の裏付けのない外交など意味がないと言われる。ウクライナ情勢を見ていると、やるせない無力感に囚われてしまう。
 以前、このブログで書いたように、故・高坂正堯氏は、国家は、「力の体系」(=軍事力)、「利益の体系」(=経済力)、「価値の体系」という三つのレベルの複合物だと言われた。困ったことに、今、ウクライナでお騒がせのロシアは、帝国を志向する19世紀的な野心を抱き、力(=軍事力)こそ正義と信じて疑わない国で、軍事力でぐいぐい押しまくる(何しろ経済力は韓国やカナダやイタリア並みで非力だから)。また、アメリカと張り合うことで21世紀の国際社会の行方を左右しようとする中国も、やはり帝国を志向する19世紀的な野心を抱き、力こそ正義と信じて疑わない国で、こちらは、軍事力をちらつかせながら、経済力で威嚇する。他方、ポスト・モダンの欧米は、19世紀的な野心を打ち消すような「利益の体系」を代表し、それを守るためにハードパワーとしての経済力をバックに、ロシアや中国と対峙する。今、私たちが目撃しているのは、軍事力を行使することを厭わない(何の倫理的な後ろめたさも感じない)ロシアと、ロシア“帝国”の一部だとプーチン大統領に睨まれてしまったウクライナ、ひいては、西側の価値が侵攻を受けているとしてウクライナを後方支援し、軍事的対決を避けて経済制裁という経済力でなんとか抑止を図ろうとする日・米・欧との、非対称の、という意味では極めて現代的な戦争だ。非対称であるが故に、単純な戦力比較は難しく、我慢比べになりかねない。
 ロシアのプーチン大統領について、最近はその狂気あるいは異常ぶり(パーキンソン病説もある)を検証しようとする記事が多く出回るが、今に始まったことではないと主張する声も根強い。とりあえずは評価を避けて、開き直った独裁者と言っておこう。こうなると西側が明確に軍事的な対抗措置を取らない中で外交交渉するのは容易ではないのが見て取れる。身も蓋もない話になるが、ヨーロッパの近くにロシア(や中東)がなければ、また日本の近くに中国(や朝鮮半島)がなければ、どれだけ幸せなことだろうかとボヤきたくなるが、世の中には「力こそ正義」として「力」(狭い意味で言うと、軍事力)に頼る国があるのが厳然たる事実だ。
 以下は余談である。
 私の学生時代と言えば、所謂「進歩的知識人」が全盛で、『朝日ジャーナル』の筑紫哲也編集長など今で言うリベラル派が言論界を席巻した時代だった。しかし私は、友人の下宿の本棚に社会党・石橋書記長(当時)の『非武装中立論』が鎮座しているのを見ても違和感を覚えて食指が動かず、倉前盛道氏の『悪の論理』(=地政学の概説書)に手を伸ばすような、へそ曲がりだった。そんな私が、「力」の持つ意味合いを肌身に実感したエピソードがある。
 大学2年が終わった春休みに肉体労働のアルバイトをしたときのことだ。中学時代の幼馴染と、近所の物流倉庫の所謂「飯場」に詰めて、一日5千円でひたすら肉体を酷使していた。当時の私は家庭教師のアルバイトをしていたので小遣いに困ることはなかったのだが、大学生活にも飽きて、ちょっと外の空気を吸ってみるか・・・といったほんの気紛れだったのだろう。タバコの煙がもうもうと立ち込める飯場で達磨ストーブを囲んだのは、現場監督のおっちゃんの外に、高校時代は暴走族で鳴らしたという同い年の大学生と、校内暴力がもとで高校を中退したばかりの血気にはやるヤンキーのお兄ちゃんと、私たちとの4人の若者だった。初顔合わせで、見るからにごく普通のいでたちの私たちを見て、身分(大学名)を確認したヤンキーのお兄ちゃんは、なんでわざわざこんなところに働きに来るんや?! とボソッと呟いて、違う種類の動物でも見るような胡散臭そうな眼差しを向けたものだ。こうして、さしたる共通の話題などあろうはずはなく、殺伐とした雰囲気の中で日々を過ごしていた。あるとき、幼馴染が四方山話の中で、肘を痛めて腕相撲が弱くなった(昔は強かったのに)などとジジイのようなボヤキを始めると、ヤンキーのお兄ちゃんが即座に反応して、その場で腕相撲の挑戦を受けることになってしまった。ヤンキーのお兄ちゃんとしては、ここぞとばかりに「力」を見せつける好機と見たのだろう。自信満々で臨んだはずだが、あろうことか、ひ弱と蔑んでいたはずの私に負けてしまったのである。まさかの展開に、元暴走族の大学生は、一瞬、意外そうに一瞥をくれたものの、すぐに興味なさそうに顔を背けたが、ヤンキーのお兄ちゃんはその後、手のひらを返したように恭順の意を示すようになった。どういう風の吹き回しか、近い内に京都で飲みに連れてってえな・・・などと(彼女にスキーをねだられるならともかく)擦り寄って来るので、高校生の分際で(いや、中退していたが)馬鹿なことを言うな、と言いたいところを、ぐっと堪えて、その内にな・・・と、はぐらかし続けた。喧嘩をすれば、私の方がイチコロで負けていただろうに、ひ弱な優等生!?の腕相撲「力」を意外に思ったものだった。
 幼稚な、まさに幼児体験だが、寓話として成り立たないわけではないだろう。爾来、「力」を信じる世界があって、とりわけお互いを知り尽くさない余所行きの関係にあっては、たとえハッタリでも、ある種の「力」が威力を発揮し得ること、それがないと足元を見られて突っ込んだ会話にはならないだろうこと(国家間であれば外交交渉に繋がらないこと)、そして、それは「力」以外の「利益」や「価値」に引け目があるせいでもあろうことを、幼児体験として植え付けられたのだった。
 あらためて言うまでもないことだが、重要な前提条件を確認したい。それは「力」を信奉する相手にこそ「力」を見せつけることに一定の効果があるということだ。逆に、西欧や日本のように、近代的な戦争はもうこりごりだと思うポスト・モダンの世界で、核廃絶や非武装中立を心から信じて、憲法9条をノーベル平和賞に推薦するような人たちに、「力」を見せつけたところで、暖簾に腕押しで、むしろ嫌悪されて、何の役にも立たないのは論を俟たない。しかし、世界を見渡せば、大国になるほどに大国らしく振舞い、大国らしくもてなされることを望む威信の大国(=中国共産党に乗っ取られた国)もあれば、北極海を背に南方の国境を包囲されているかのような被害妄想に囚われて、「力」で押し返そうとするミドルの国(=プーチンというマフィアに乗っ取られた国)もあり、さらに人民が極貧に喘ごうがお構いなしに虎の子の核武装に突き進んで、王朝存続に汲々とする小国(=正統性にこだわる金王朝三代目が継承する国)もある。これら三国では、いずれも人々は「国民」ではなく「人民」と呼ばれ(但しロシアでは形ばかりの選挙があるから、一応、国民の負託を受けた形になっている)、人民の自由意思は尊重されない代わりに、何らかの統治の正統性を問われ続ける宿命にあるという、決定的な弱点を抱える。何より、これら三国が東アジアの(日本と目と鼻の先の)地で国境を接するとは、なんという不幸であろう。
 安倍元首相が、ニュークリア・シェアリング(核共有)の議論を否定すべきではないと主張されたことが物議を醸した。政治家のセンセー方は、せめてニュークリア・シェアリングのお勉強はして、非核三原則(とりわけ三つ目の「持ち込ませない」)の虚妄を論じて、あらためて東アジアの「力こそ正義」とする厳しい現実について認識合わせをしてもらいたいものだと思う(必ずしもニュークリア・シェアリングを勧めるわけではないが)。
 日本共産党の志位委員長は、「プーチン氏のようなリーダーが選ばれても、他国への侵略ができないようにするための条項が、憲法9条なのです」とツイッターで訴えて物議を醸した。今なお近隣諸国より自国の暴走を案じることには違和感を禁じ得ないが、維新の松井代表が「共産党はこれまで9条で他国から侵略されないと仰ってたのでは?」と疑問を呈されたように、志位さんはここに来てようやく真実を語られたと言うべきだろう。日本国憲法第9条が日本を守るのではない。占領期に制定され、だからといって無効とは言わないが、立法趣旨として日本の無力化を目指したものであったことは疑うべくもない。「力こそ正義」とする三国に囲まれ、75年の時を経てなお、この憲法が改められることがない現実に思いを致すべきだろう。
 ウクライナ危機の教訓は、「力こそ正義」という世界があることをも認め、それに対抗するために、先ずは自分の国は自分で守るという覚悟を持って弛まず努力すること(決して軍事大国を目指すのではなく、最低限の防衛力を備えるという意味では、何が最低限かが問題となる)と、次いで単独では非力であることも自覚し、「価値の体系」の連帯を飽くまで追求することだろう。西側が束になってかかれば、ロシアなどちっぽけなものだし、中国にだって十分に対抗し得るのである。
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プーチンの戦争

2022-03-05 15:57:46 | 時事放談
 戦争は誤算から起こると言われるが、2月24日以来のこの10日間は、プーチン氏にしても我々にしても、「まさか」の誤算続きだったと思う。
 そもそもドンバス地域はともかくとして、ロシアがキエフをはじめウクライナに全面攻勢をかけるとは、「まさか」思ってもいなかった。ここまで見え透いた偽情報をロシアがばら撒くことも、非核国のウクライナに対して核で恫喝することも、またあっさり原発を攻撃することも、「まさか」思ってもいなかった。このロシアの暴挙に対して、ウクライナ軍や国民の士気は高く、とりわけ喜劇役者出身で44歳の若さのゼレンスキー大統領が、アメリカの亡命提案を振り切って、先頭に立ってナショナリズムを高揚し指導力を発揮するとは、「まさか」思ってもいなかった。これを見た西側は結束し、ドル取引どころかSWIFTからの排除(一部の銀行とは言え)やロシアの外貨準備凍結まで決断するとは、そしてドイツが戦後の殻を破って防衛方針を転換するとは、さらに永世中立のスイスが資産凍結で西側に同調するとは、「まさか」思ってもいなかった。これにビジネス界が続き、ロシアで事業展開する多くのグローバル企業がこれほど速やかにロシアからの撤退や事業停止を表明するとは、「まさか」思ってもいなかった。
 現地では膠着状態が伝えられる。キエフまで約30キロに迫った地点で、ロシア軍の64キロにも及ぶ車列が3日以上ほとんど動いていないと、BBCが伝えた。その理由について、兵站(食料や燃料の不足)や機械的な問題(劣化して整備不良のタイヤなど軍用車の故障)や渋滞(気温が上がって泥に嵌っている?)や指令と伝達の問題(通信システムの不良や公衆回線で連絡をとりあっていることなど)に加え、ウクライナ軍による予想外の抵抗や、ロシア兵の士気の低さ(多くは徴兵で、自分たちが戦闘現場に送られるとは「まさか」思っていなかった兵士もいた)などが憶測されている。いったん進軍は止めて、ミサイルによる無差別攻撃に切り替えたのではないかとも観測されている。
 そうは言っても、この巨大な縦隊はいずれ首都キエフを包囲し、陥落させるのもそう遠くないのだろう。これに対して、戦略家のエドワード・ルトワック氏は、「迅速でほとんど努力を要しない勝利が約束されていた」プーチン氏は「突然窮地に立たされた」と指摘し、デビッド・ペトレイアス退役陸軍大将(南カリフォルニア大学教授)に至っては、「これはロシアとプーチン大統領が最終的に勝てる戦争とは思えない」と語ったそうだ。「彼ら(ロシア軍)は、おそらく首都を攻略できる。だが、それを維持することはできない。…ロシア軍は(必要な)兵の数を持っていない。…ウクライナの人々は、みな彼らを憎んでいる。成人の大部分は『人間の盾』であれ『どんな武器』であれ、手にして喜んで戦うつもりなのだ。…彼らにはチャーチルのような大統領もいる。人々の士気は挫けていないし、ウクライナ軍には『自分たちの国』という地の利もある」、と。
 楽観などできない。最大の変数は言うまでもなくプーチン氏の狂気だ。別に今に始まったことではなく、コロナ禍の孤独の中で多少は増幅されたかもしれないが、既にクリミア併合のときにも、また政敵の殺害のときにも、示されていたと言うべきかもしれない。もはや「ロシアの」と言うよりも「プーチンの戦争」と言ってもよいのだろう。旧・ソ連崩壊を「20世紀最悪の地政学的惨事」と記憶し、そのルサンチマンに囚われ、それ以前の旧・ソ連あるいは旧・ロシア帝国の栄光へのノスタルジーに囚われている・・・。
 ロシア対ウクライナの戦争に欧米諸国が軍を派遣しないのは、世界大戦を避ける理性だが、経済合理性だけではなくESGまで求められるポリティカル・コレクトネスの時代精神が、前時代的な狂気に立ち向かうという、すなわち「武力」対「(武力+)経済制裁」という非対称な戦争という、歴史的な瞬間を私たちは目撃している。バイデン氏は早々に軍を派遣しないと言って、プーチン氏の狂気を「抑止」出来なかったが、果たして経済的な制裁(とウクライナへの装備品支援)で「制止」出来るのだろうか。ロシア(プーチン氏)や中国(習近平氏)といった前時代的な狂気と、21世紀の現代を生きる私たちの時代精神との間の言わば時代相の違いが悲劇を生む世界の不条理を思わざるを得ない。
 「プーチンの戦争」が行われるのをよそに、中国では平和の祭典であるパラリンピックが始まった。もとよりロシアとベラルーシは排除されているが、前時代の狂気が演じる好対照は、もはや戯画としか言いようがない。
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ウクライナ危機

2022-02-27 19:17:55 | 時事放談
 プーチン大統領は、ウクライナ東部二州にある自治共和国の独立を承認し、その安全確保のために派兵を決めたのに続いて、首都キエフなどの軍事施設への攻撃を始めた。東部二州の停戦を約したミンスク合意だけでなく、核放棄後のウクライナの安全保障を約したブダペスト覚書(1994年)まで破るに至った。そこまでやるか・・・という無力感に囚われてしまう。これはウクライナ危機であるとともに、それを阻止し得ない西側世界の危機でもあるように思う。
 最近、プーチン氏は妙ちくりんな歴史書に執心しているとか、自身も昨夏に歴史論文をものして、ロシアとウクライナとの一体性を強調したとか、なんだか彼の精神状態を危惧する声も聞こえて来るが、一種の陰謀論になりかねないので、とりあえず措いておこう。もともと勢力圏(sphere of influence)の考え方が根強いロシアであるが、それにしても、執念深いまでにNATO不拡大、特に緩衝地帯としてのベラルーシとウクライナへの固執を唱える被害妄想は一体、どこから来るのだろうか。辛うじて察せられるのは、そこで主役を演じるプーチン氏のメンタリティが、冷戦時代のKGBの頃のままなのだろうということだ。ロシア=プーチン=マフィア国家と短絡する人もいるが、分からないではない。中国という国家が中国共産党に乗っ取られているように、ロシアはプーチン氏とその一味(元KGBや犯罪組織などの取り巻き)に乗っ取られているかのようだ。
 確かに、ロシアと言い、中国と言い、権威主義国はこんなものかと、思い知らされる。自作自演の動画まで用意し、偽情報をばら撒いて、自らの行為を正当化するのに余念がない。かねてソ連解体は「20世紀最悪の地政学的惨事」と語ったように、プーチン氏は旧ソ連という帝国復活を夢見ているのだろう。このあたりは、帝国主義列強に簒奪された19世紀中国の復讐を決意し、「中華民族の夢」を語る習近平氏に通じるものがある。私たちは言わば歴史の報復に直面しているのだ。
 そしてロシアにしても中国にしても、西側・民主主義諸国において、行き過ぎたグローバル化のもとで格差が拡大し、イデオロギー的に社会が分断され、追い討ちをかけるようにパンデミックで混乱する様子を見て、「『西側の衰退』という物語を信じている」(前フィナンシャルタイムズ編集長ライオネル・バーバー氏)のは間違いない。バーバー氏は、「プーチン氏は、西側の民主主義諸国が長期間の対峙に備えた胆力を持ち合わせていないことに賭けている」とも指摘される。その行動が予測不可能だったトランプ氏はもういないし、その暴れ馬トランプ氏をよく調教した安倍氏も、調整に長けたメルケル氏もいない。バイデン大統領は、早々に派兵することはないと言い切ってしまったし、アフガニスタンから慌てて撤退したように、もはや中東やヨーロッパではなく東アジア(対中抑止)に注力したがっている(すなわち二正面も三正面も同時に対応できない)のは明らかだし、長引いたイラク・アフガニスタン戦争後の厭戦気分が横溢するアメリカ社会では、直接の影響が及ばない地域の出来事に対して、世論は冷淡だ。もとより国際連合、とりわけロシアという当事者を含む安全保障理事会が機能不全に陥って何も決められないのは言うまでもない。そんな国際社会を、プーチン氏は見切っている(はずだ)。
 その国連・安保理の緊急会合(2/21)で、ケニアのキマニ国連大使が行った演説が注目された(*)。帝国主義の時代に、恣意的に国境線が(例えば直線で)引かれたアフリカの立場から、「民族や人種、宗教の同質性に基づく国家を追求していれば、何十年も血にまみれた戦争を続けることになっていただろう」「その代わりに、私たちは(列強によって引かれた)国境を受け入れ、アフリカ大陸の政治的、経済的、法的な統合を目指すことにしたのだ。危険なノスタルジアで過去を振り返り続ける国家をつくるのではなく」と皮肉った上で、「同胞と一緒になりたいと思わない人はいないし、同胞と共通の目的を持ちたいと思わない人はいない」「しかし、そのような願望を力ずくで追い求めることをケニアは拒否する。私たちは、二度と支配や抑圧の道に陥ることなく、今は亡き帝国の残り火から、回復を遂げなければならない」と語ったという。こうした声は、非常によく分かるが、残念ながら権威主義国の独裁者の心には響かないのだろう。
 国家は「力(=軍事力)の体系」「利益(=経済)の体系」「価値の体系」の三つのレベルの複合物だと言われる。とりわけ「価値」については、冷戦時代には資本主義と共産主義とで妥協できなかったし、今なお民主主義と権威主義とでソリが合わないように、国家主権を至高の権力と見做す、絶望的にアナーキーな国際社会にあっては、何が「正しい」のではなく、国の数だけ「常識」があり「正義」があると言わざるを得ない。こうして私が敬愛する高坂正堯氏は、50年以上前の著書の中で、「対立の真の原因を求め、除去しようとしても、それは果てしない議論を生むだけで、肝心の対立を解決することにはならない」「それよりは対立の現象を力の闘争として、敢えて極めて皮相的に捉えて、それに対処していく方が賢明なのである」として、混乱状態を間接に直すことが、現実主義の立場だと喝破された。西側諸国は経済制裁を発動することで結束するが、クリミア併合以来、既に経済制裁慣れし、そのためにドルへの依存を抑え、外貨準備を積み上げて来たロシアに、どこまで実効性があるのか疑問だ。残念ながらポリコレ全盛の時代に、力で力に対抗する胆力はもはや失われたことによる限界は明らかだが、それでもなお諦めることなく、現状を凍結する(棚上げする)現実的な知恵をなんとか活かして欲しいものだと思う。

(*)「ウクライナは『私たちの歴史と重なる』 ケニア大使の演説に高評価」(2/23付 毎日新聞)
   https://mainichi.jp/articles/20220223/k00/00m/030/052000c
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米露の情報戦

2022-02-18 20:20:21 | 時事放談
 ウクライナ情勢が相変わらず緊迫している。アメリカ政府は、オオカミ少年!?のように、「オオカミが来た」ならぬ「ロシア軍が今にも動く」かのような発言を繰り返し、情勢を煽っているのではないかと疑っていたが、どうもそうではなく、ロシアが偽情報を含めた情報戦を(私たちに届いているか否かは別にして)仕掛けるのに対抗して、機密情報を積極的に機密解除して開示するようにしているようだ。このように、現代の戦争にあっては、情報戦が前哨戦として行われることになるのだろう。
 プーチン氏は大風呂敷を広げて、その実、何が真の狙いなのか、よく分からなかったが、どうやらウクライナを取り戻すことそのものよりも、欧州の安全保障のあり方を見直そうとしていることが明らかになりつつある。最近、ネットで拾い読みした中では、ちょっと古くなるが、ダイヤモンド・オンラインに掲載された下斗米伸夫教授のインタビュー記事が最も説得力があるように思えた(*)。
 下斗米教授は、今の情勢を、「米露間の新しい戦略的予測可能な関係の再構築」「米国とロシアによる、グローバルな核管理や欧州安全保障を含めた国際秩序の作り直し」と見ておられる。
 振返れば昨年6月、バイデン・プーチン両大統領による初の米露首脳会談がジュネーブで開催され、「戦略的安定に関する共同声明」が発表された。この声明の冒頭に、「米露間の緊張が高まる状況でも、戦略的領域における予見可能性の確保、武力紛争のリスクや核戦争の脅威を低減するという共通の目標に関して前進することができる」と記された。8月にはアフガニスタンからの米軍撤退があり、バイデン氏の対中抑止にフォーカスしたい思惑がより明確になった。プーチン氏としては、米中対立が激化する今こそ、(バイデン氏の足元を見透かすように)欧州方面で冷戦崩壊後30年の間に積もった問題を精算しようではないかと提案したとしても不思議ではない。
 感心したのは、下斗米教授によると、昨年10月末、プーチン大統領と世界のロシア専門家との会合(バンダイ会議)があった(下斗米教授も参加された)ということだ。主要なテーマは、今後の米ロ関係を含むロシアと欧米の最悪の関係をどうリセットするか、ということだったそうで、この場でのプーチン氏の思いは、ロシア専門家の口を通して間接的に世界に拡散され、議論の環境をつくり、当然のことながらバイデン氏の耳にも入るだろう。プーチン氏はコワモテに見えて、なかなか芸が細かいと思う(そういう意味では、下斗米教授のお話も、かなりプーチン氏の核心に迫っているはず、とも読める)。
 結論として、下斗米教授は、現実的で望ましいと思うのは「ウクライナのNATO加盟については20年間のモラトリアム期間を置くこと」だと言われる。これは、私も前々回のブログで触れたことだが、ウクライナが自制できるかどうかが決め手だろう(ちょうど台湾が「独立」を言い出さないで「現状維持」を受け入れて自制しているように)。
 情報戦はいつまで続くのか・・・

(*)前編:「ウクライナ緊迫、ロシア研究の第一人者が「軍事侵攻は起こり得る」と考える理由」
       https://diamond.jp/articles/-/295537
   後編:「ウクライナは中国、トルコも絡む「多極ゲーム」?ロシア研究の第一人者が考える“現実解”」
       https://diamond.jp/articles/-/295680
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プーチン大統領の一人芝居

2022-02-05 13:21:20 | 時事放談
 ウクライナ国境で軍事的緊張が高まっている。
 またぞろバイデン大統領の失策を批判する声が上がるが、傍目にはプーチン大統領が軍事力をチラつかせ勝手にハードルを上げてゴネ得を狙っているようにしか見えない。勿論、バイデン大統領にはそのような環境を許してしまった責任の一端はあるかも知れない。かつてオバマ大統領は、シリア情勢に関して化学兵器使用を介入のレッドラインと公言しながら、忘れもしない2013年8月、アサド政権が反体制派地域に化学兵器を使用したにも関わらず、軍事介入を回避し、その弱腰を見透かされたロシアに半年後、クリミアに攻め込まれてしまった。アジア・シフトをわざわざ公言してアフガニスタンから撤退したバイデン大統領は、その過程で欧・米の足並みの乱れを露呈し、ヨーロッパ方面で言わば「隙」を見せて、プーチン大統領にその「隙」を衝かれた側面はありそうだ。そしてヨーロッパには折からのエネルギー危機がある。ヨーロッパ諸国はロシアからの天然ガス輸入に頼っているから、ロシアは言わば天然ガスを人質にとった形だ。勿論、ロシアにとって天然ガスはヨーロッパに輸出できる殆ど唯一のものと言ってよく、ロシア自身の首を絞めることにもなるが、短期よりも中長期の利害得失を選んだのだろう。
 学生時代のローマ法の講義で、ローマ法のことはすっかり忘れたが、比較法的に、ヨーロッパ世界ではお互いに100を主張し合った末に50対50で妥協するのに対し、日本は0対0から始まって50対50で妥協するという譬え話を聞いて、興味深く思ったことを思い出す。
 ロシア政府は、ウクライナを侵攻する計画はないと主張している(その懸念は拭えないが)。確かに本気で軍事侵攻するなら、クリミアでやったように人知れずハイブリッド戦争を仕掛けるだろうという議論がある。わざわざ緊張を高めて世界の耳目を集めておいて、ウクライナがいくらヨーロッパで二番目に貧しいとは言えヨーロッパで三番目(ロシア、フランスに次ぐ)の軍隊を持ち(Wikipediaによる)、正面衝突して消耗するような体力と覚悟が今のロシアにあるようには思えない。すると、交渉ごと、ということになる。プーチン大統領は、東欧諸国に配備されたNATO軍がロシアの安全保障を脅かしていると主張し、ヨーロッパの勢力図を1997年以前に戻すよう要求したことがあった(まさに100を主張したようなものだ)。かつてそのように口頭では話し合われたようだが、公式の合意があったわけではなく、風呂敷を広げたものだと思ったが、結局、プーチン大統領は1日のハンガリー首相との会談の後で、「NATOがこれ以上東方拡大しないという約束を含め、法的拘束力のある安全保障を要求したのに対し、アメリカはロシア側の懸念を無視した」(2日付BBCニュースによる)と不満を述べた。そこだけ読むと、それでもなんだか無理筋だと思ってしまうが、同BBCニュースは、続けて以下のように伝えた。

(引用はじめ)
 もしウクライナのNATO加盟が認められれば、他の加盟国がロシアとの戦争に引きずりこまれる可能性があると示唆した。
「ウクライナがNATO加盟国となり、(クリミア奪還の)軍事作戦が始まったとしよう」
「その場合、我々はNATOと戦うことになるのだろうか。この展開を考えた者はいるのか。どうやらそこまで考えが及んでいないようだ」
(引用おわり)

 中国風に言えば、プーチン大統領の核心的利益はクリミアにあって、もしウクライナがNATOに加盟した上で、クリミア奪回に動いてロシアと交戦することになれば、集団的自衛権が行使されて、NATO対ロシアの軍事衝突に発展しかねないと脅しているのだ。ロシアがウクライナのNATO加盟を許さないという、ウクライナの国家主権を無視した何とも横暴な話で、中国が台湾の独立を認めない話に似ている。片やれっきとした国家で、片や国家とは認めらない地域扱いの台湾だが、ロシアにとってウクライナは同じスラブ民族で、何より祖国発祥の地でもある、独特の親近感(中国が台湾を領土の一部と思うほどではないにせよ)がありそうだ。
 ローマ法の講義の話に戻ると、ウクライナがNATO加盟の意向を見せてロシアが阻止する行動に出てウクライナと交渉するなら分かるが、ロシアが相手にするのはNATO(とりわけアメリカ)だ。そのNATOは100を主張するわけでもないのに、ロシアは「NATO対ロシア」で言わば「0対100」のところ「0対50」を認めろと要求する、おかしな話である。そこで、プーチン氏がさも「100対100」から「50対50」に見せかけようとして持ち出したのが、「ロシアは騙された」というロジックだ。NATOへの東欧諸国加盟による東方拡大や、米国によるABM(弾道弾迎撃ミサイル)制限条約脱退などを挙げて、NATOにこそ非(=100)があってロシアは「騙された」と、被害者ぶって見せたのだ。役者であるプーチン大統領の一人芝居と呼ばずして何と呼ぼう(笑)。阿漕なものである。
 もとよりNATOは、ウクライナの意向を無視してロシアにコミットできるはずはない。振り返れば、1938年のミュンヘン会議で、英・仏などがチェコスロバキアの意向を無視して、ヒトラーのズデーテン地方割譲要求を認めた(そしてヒトラーを図に乗らせてしまった)悪しき記憶が蘇るようだ。
 日本は高みの見物ではいられない。ロシアの動きは中国の動きと連動するからだ。元はと言えば、ロシアがクリミアで冒険し、成功したからこそ、中国は東シナ海や南シナ海、さらに香港や台湾でアメリカを試すような強気の行動に出るようになったと思われる。習近平主席が香港に国家安全維持法を突き付けて、民主化の息の根を止めてしまったのは、トランプ大統領が香港の人権問題に関心がないこと(さらには大統領選での協力を期待することまで)を晒してしまったことと無縁ではないだろう(そしてパンデミックの混乱に乗じたものだった)。
 一人芝居を誰に見せるのかと言うと、きっとプーチン大統領はロシア国民にロシアの威信として見せつけたいのだろう(クリミア併合で沸き立たせたように)。まともな選挙で国民(人民)の負託を受けることのない権威主義国・ロシア(や中国)の、まさに力に頼った一人芝居と言ってよい。それに振り回されるNATOはたまったものではないが、もとより原則論として受け入れることなど出来ず、条件闘争で折り合えるのか、持久戦に持ち込むのか、それとも本来の当事者であるウクライナが、理不尽だけれども緩衝地帯という地政学的な立場を自覚し、自制するのか(台湾が「独立」を避けて「現状維持」に甘んじているように・・・もっとも、そのときにウクライナ国民は納得するのか)、かつての秘密外交の時代とは違って、それなりに世間の目に晒される時代に、お互いのエゴがぶつかり合い、身勝手とはいえロシアがいったん振り上げた拳をおさめるのは簡単ではなさそうだ。
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「したたかな外交」に見える危うさ

2022-01-21 20:50:45 | 時事放談
 前回ブログでは、心ならずも林外務大臣の姿勢に猜疑心を催したが、岸田首相の外交に関する発言にも首を傾げたくなる。今週月曜日の施政方針演説で、「日本外交のしたたかさが試される一年だ」と述べ、提唱する「新時代リアリズム外交」を展開していく考えを強調したそうだ(産経新聞による)。
 果たして、自ら「したたか」などと主張するものだろうか。他人が評価するなら分かる。そもそも日常的には(本来の意味合いは別にして)否定的なニュアンスで語られることが多い言葉だ。「リアリズム」にしても、自分から(自慢気に!?)言うものだろうか。時代が評価するなら分かる。その対極にある「リベラリズム」は、もともと岸田首相の看板だったはずで、君子豹変してしまったとも思えないから、その言わんとするところをいろいろ下衆の勘ぐりをしたくなる。
 産経新聞は、「首相が率いる自民党派閥の宏池会(岸田派)はリベラル派閥として、外交では『親中国』、安保では『軽武装・経済重視』を掲げてきた伝統がある。岸田政権にも『中国寄り』という〝疑い〟の目が向けられることを意識し、自身の外交・安保政策を『現実主義』と位置付けて反駁する意図も感じられる。」と解説する。なるほど、気負っておられるのは分かる。
 『小学館・精選版日本国語大辞典』によると、「したたか」の項の5番目に、「見かけはそうは見えないが、相当の能力をもち、簡単にはこちらの思うようにならない人のさま。多くは悪い場合にいう。一筋なわではいかないさま。」とある。そのように虚勢を張っておられるのだろう。あるいは、国民の8割以上が中国に親しみを感じないご時世に、まさか露骨に親中の姿勢を見せれば非難されるのがコワいし、だからと言ってアメリカのようにコワモテに対峙する勇気はなく、たとえ勇気があっても経済面へのダメージがあればやはり経済界から非難されるのがコワいから、その間で「したたか」に逡巡することがあっても責められないように予防線を張っているように見える。「言うべきことを言う」と自慢げにおっしゃることが多いが、とっとと態度で示して欲しいものだと思う。
 岸田首相お得意の「聞く力」というのもなかなか曲者だ。「決められない」のを糊塗しているようにしか見えない。安倍さんやスガさんのような頑固オヤジと違って、良く言えば柔軟、その実態は優柔不断で、野党には与しやすいと思われているようだ。しかし、信念や自己主張が見えないのは、腰が定まらなくて、頼りなく見えてしまう。
 そんな言葉遣いに加えて、もう一つ気になるのは、語りだ。どうも間延びするし、張りがないから、他所事のように聞こえて、説得力に欠ける。
 さらに、表情にもいまひとつ締まりがない。経産官僚OBの古賀茂明さんとは根本的に考えが合わないのだが、彼が「岸田氏の会見を見るたびに、違和感を抱く。なぜなら、岸田氏が非常に困難な課題について語る時、『涼しい顔』で用意した紙を読むだけで、全く危機感が伝わってこないからだ」と言われることには同意する。なるほど、「涼しい顔」。リーダーとして悲壮感がないのは時には良いこともあるが、良きに計らえ式のお殿様のような“他人事”感が漂うようでは、困る。
 このように言い切ってしまえば、良いところが何もなくなってしまうが、実はこれまでのところは、評判が悪かった安倍式、スガ式の逆張りで、内閣支持率は頗る良好だそうだ。コロナ禍対応では、水際対策が諸外国から批判的に見られるほどに世論に阿って厳しく処し、佐渡島の金山に関しては近隣国に配慮して遠慮がちで、といった具合いで、得意の「聞く力」が奏功しているのだろうか。一種のポピュリズムだと批判的に見る私は、あらためて偏屈者だと自覚する(笑)。
 私の友人の一人は、銀行員時代の岸田さんと接点があって、見た目が地味で、首相になるとは思わなかったと語っていた。庶民受けはしそうだが、この難しい時代に、軸を定めて、他から予見可能でないと、安定した外交は進められないし、外交に必要な強さも感じられないのを懸念する。
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竹島強奪70年

2022-01-19 20:43:31 | 時事放談
 70年前の昨日、韓国の初代大統領が「李承晩ライン」を一方的に設定し、竹島領有を表明した。その竹島について、知日派と思われる(しかし親日派かどうかは分からない)アメリカ人学者が現代ビジネスに寄稿された、なかなか日本人からは出て来ない、しかし日韓問題の核心をなすシンプルな論点を面白く思った(*)。
 竹島の領有権が日本にあることは、日本人なら誰しも信じて疑わないが、普段は日韓関係において喉元に刺さった小骨のように気にはなりつつ見過ごされがちだ。慰安婦問題にしても、徴用工問題にしても、その他諸々にしても、70年前の竹島領有問題にまで遡って韓国の不当を責めることはしない。だからと言って日本人は竹島問題が日韓問題の根底に横たわる重要問題であることを忘れているわけではなく、その日本人が言わない代わりに件の論者が明快に「韓国は、竹島の領有権放棄によって日本との関係に与えたダメージを元に戻すことから始め、その代わりに安全保障と経済の領域で大きな協力を追求するべきである」と結論づけてくれている。アメリカ人に言われることには何だか忸怩たるものがあるが、至極ごもっとも、だ。原点を忘れるべきではない。
 韓国がサンフランシスコ講和会議で図々しくも連合国側に加わろうとして米英から却下された話は有名だ。竹島問題は、当時、韓国がGHQ支配下という制約的な状況の虚を衝いて日本に仕掛けた、ある種の「戦争」と言えるかも知れない。少なくとも韓国人の一定割合は、そこで初めて日本に勝利したと自尊心を満足させているようだし、文在寅大統領はことあるごとに日本には二度と負けないと強がっている。何しろ実効支配しているのだから、黙って支配し続ければいいものを、ことあるごとに誇示するのだから、如何に晴れがましい、ある意味で疚しい気持ちが潜んでいるかが知れる。まあ「戦争」とまでは言わないまでも、積もりに積もった歴史上の怨恨の果ての、今に至る「復讐劇」の始まりを画するイベントだったのは間違いない。
 ルトワック氏だったか、戦争で死力を尽くして戦った者同士は後に仲良くなることが出来るが、そうじゃない者同士は難しい、というようなことを言われた。韓国はまさに後者の例で、国家間の関係は清算するのが難しいと感じる。
 もっとも国民のレベルで本気で復讐しようなどと思っているとは思えず、むしろ国民は日々の生活の方が大事だし、世代交代とともに記憶も薄れて行くものだと思う。ところが、民族の歴史は永遠に消すことが出来ず、わざわざ寝た子(国民)を起こし、国内で政治利用する輩がいる、というのが実相だろう。しかも、諸外国の目にどう映るかには頓着せず、病的なまでに(と、またしても佐渡金山を世界文化遺産に推薦する問題を巡る騒動を見ていて、そう思う)諸外国を巻き込んで騒ぎ立てて恥じないのは、歴史・地理的に中・露・日の大国に囲まれて肩身の狭い思いをしてきた事大主義の韓国の習い性であり、悲哀と言うべきだろうか。それに対して、引け目があるとは言え日本の宥和的な対応も問題だったのだろう。韓国も十分立派になったことだし、ええ加減、日本に甘えることなく自立して欲しいものだと思う。
 ところで、佐渡金山問題は、まさか林外務大臣は根負けすることはないと思いたいところだが・・・。

(*)ロバート・D・エルドリッヂ氏「竹島強奪70周年―韓国はアメリカも認めていない不法行為に終止符を」 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/91477?imp=0
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新・南北戦争

2022-01-16 11:01:36 | 時事放談
 年明けのおめでたいと日本人なら思う時節に、米・英の有力マスコミは揃って「南北戦争の再発」を警告する異常なことになったと、木村太郎さんが伝えておられた(*1)。
 「南北戦争」という和訳を使うと、なんだかイメージがズレてしまう(苦笑)。150年ほど前の「南北戦争」では、商工業中心の北・中部が、奴隷制は「神の国」アメリカの汚点だとして、その廃止を訴えたのに対し、奴隷制に支えられた綿花王国の南部諸国が南部連合(アメリカ連合国=Confedelate States of America)を結成し、対立・抗争した。私たちが教科書で、リンカーンの奴隷解放宣言とともに記憶するもので、つい奴隷制廃止のための戦争とイメージしてしまうが、奴隷制は大きな争点ではあっても、問題はあくまで「内戦(Civil War)」であって、南部諸州が合衆国から離脱するのを防ぎ、国の纏まりを維持し得たため、The Great Warとも言われる。当時、60万以上の命が失われ、両大戦とベトナム戦争の犠牲者を合わせた数よりも多い。アメリカ合衆国誕生物語として、1630年の植民の始まり(1620年のピルグリム・ファーザーズ102人は象徴的な存在だが、ただの「移民」であって「植民」ではない)と、1776年の独立宣言(United ColoniesがUnited Statesになった)に続く、第三幕と捉える人もいる。
 そのアメリカが保守・革新の新たな「内戦」で、分裂の危機にあるということだ。「民主党支持者の85%は共和党が人種差別主義者に乗っ取られていると考え、共和党支持者の84%は民主党が社会主義者に支配されていると信じている」(タイム誌)という。保守・革新の対立自体は目新しいものではなく、その異なるベクトルはある意味で人間の性(サガ)に根付くものと言ってもよく、普遍的だ。そこに、多民族国家アメリカならではの白人至上主義のように土地に固有の事情が絡み、あるいはもはや誰もが豊かになれる時代ではなく格差が広がりつつあるといった時代に特有の精神が影響して、時に対立は先鋭化する。「米国の政治は毀損し崩壊するかもしれない。カナダはそれに備えなければならない」(グローブ・アンド・メール紙電子版は2日)との、ややセンセーショナルな見出しは、ある研究者の発言を根拠にしているという。「米国の民主主義は2025年までに崩壊して政治が不安定化し暴力がはびこるだろう。さらに遅くとも2030年までに米国は右派の独裁者に支配されているだろう」(ロイヤル・ローズ大学カスケード研究所のトーマス・ホーマー・ディクソン所長)。
 中国はとうの昔に見越している。習近平国家主席は、内部講話で「東昇西降」(東=中国が興隆し、西=欧米が衰退していく)と力説したと伝えられ、西側諸国は民主主義や富の分配といった面に大きな問題を抱え、自滅のプロセスにあると、冷ややかに眺めているようだ(*2)。習氏は中国共産党結党100周年の講話でも、「われわれは人類文明の新形態を創造した」と述べており、日本総合研究所上席理事の呉軍華氏によると、中国は西洋文明への依存から脱却できたという強い自信を持ち、米国との関係を融和的なものにする必要性を感じていない、と言う(同)。
 確かに、自由の国アメリカでは、社会の分断がそのまま露出して「内戦」の様相を示し、あらゆる不穏な動きを封じ込めて静けさを装う中国のような権威主義国家の目には、弱さとしか映らないかも知れない。しかし、国の強さや弱さはそのレベルにとどまるものではない。むしろ内部事情が伝えられない中国にこそ、マグマのように不満が鬱積し、いつ爆発するとも限らない、かも知れない。中国共産党を脅かすものとして、巨大IT企業や大富豪から芸能人に至るまで、社会的影響力を増しかねない可能性の芽を先んじて潰し、社会統制を強めるのは、弱さの表れに他ならないと、自由社会の目に映っているとは、習氏は思いもよらないだろう。近年、若者の人気を集める「娘炮」(女性っぽい男性)と呼ばれる中性的な男性タレントを「いびつな美意識」と断じて禁止するのを、姫田小夏さんは、国境地帯で紛争を数多く抱える中国が「戦争」を意識し、まだまだ若い兵隊を欲しがっているからだと言われるが、その真偽はともかくとして、子供がオンライン・ゲームで遊ぶ時間まで国が規制するのは、どう見ても尋常ではない。
 しかし、いずれの見方にもバイアスがかかる。中国が自由・民主的であったためしはないから、中国人民が実際にどう思っているかは、私たちには測り知れない。一部では、経済力の高まりに加えて(混迷する西側を尻目に)パンデミックに打ち克ったとして若者を中心にナショナリズムに沸き立つ事情が漏れ伝わって来る。他方で、歴史で鍛えられた民主主義の実態を知らない中国が思うほど自由・民主主義はヤワではなく、私はアメリカのレジリエンスを信じている。その米・中で、秋に中間選挙と中国共産党大会を控え、その結果のみならず、そこに至る過程でどのような動きがあるのか、注目される。米・中だけにフォーカスしていると、世界でその間隙(所謂「権力の真空」)を縫って、不穏な動きが広がらないとも限らず、東・西(台湾・ウクライナ)で中・露が連動するのではないかと懸念する声もある。その可能性は高くないとは思うが、私たちを取り巻く秩序の永続を望むなら、いろいろ小さい不満はあってもやっぱりアメリカに頑張って貰うほかはない。

(*1)「米有力マスコミが揃って“新南北戦争”を警告 カナダ紙も「米政治は毀損して崩壊か」と指摘 日本の備えは?」(1/11付FNNプライムオンライン) https://www.fnn.jp/articles/-/296713
(*2)「習近平氏の本音は『西側は自滅する』、米中の緊張が2022年も高まる理由」(1/9付ダイヤモンド・オンライン) https://diamond.jp/articles/-/291207
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外交ボイコットに見る理想と現実

2021-12-25 16:59:46 | 時事放談
 岸田政権は、北京オリパラに閣僚など政府関係者を派遣しないことを決め、松野官房長官が閣議後の会見で発表した。アメリカが「外交ボイコット」を表明したのに続いて、英国、豪州、カナダ、リトアニアが同調し、ニュージーランドも閣僚レベルを派遣しないと明らかにしたことから、「話をよく聞く」けれどもなかなか決められそうにない、しかしリベラル派の岸田さんとしては「ニュージーランド方式」かな・・・と直感した(苦笑)。最近、「新時代リアリズム外交」を推進するなどと口走ったので、「ボイコット」という文言は避けるだろうと確信した。リアリズム(現実主義)がイデオロギーにこだわらないのは、かつてニクソン共和党政権でキッシンジャー外交が旧・ソ連に対抗するために社会主義の中国を取り込んだことを見るまでもない。そういう意味で、今回の矛先を鈍らせた決定を、「外交的ボイコット」を叫んで来た保守・強硬派の方々は物足りなく思うかも知れないが、経済重視の現実主義から「ボイコット」は考えないと開き直る韓国とは一線を画し、国家理念として「自由、基本的人権の尊重、法の支配が中国においても保障されることが重要であると考え・・・総合的に勘案して判断した」と表明して、なんとか米英側に踏みとどまった。
 キッシンジャー外交の現実主義に倣って、中国に対抗するためにロシアを取り込むのはどうかと、以前、本ブログで思考実験したことがあるが、実際のところ、ロシアの政治は人権問題があり、その強権的な執政に近づき過ぎるのはちょっと危険だ(ロシアとしても巨大化する隣国・中国とあからさまに敵対するのは躊躇するだろうが)。すなわち、現実主義と言えども「理想」がないと、ただの現実追随に堕してしまう。かつて、現実主義の国際政治学者だった高坂正堯・京大教授は、坂本義和・東大教授のような進歩派を批判しつつも対話を呼びかけておられたのは、現実主義と理想主義の間の、あれかこれかの二択ではなく、そのバランスがポイントだからであり、その間には無限のバリエーションがある。そして何より今の時代状況には大いなる懸念がある。
 バイデン大統領は頻りに「民主主義 対 権威主義」を煽って、反中では超党派で一致する議会や世論に迎合し、進歩派からは世界を分断するものとして批判されるが、それは中国が(バイデンさんにとっては主たる関心が人権問題かも知れないが)ある一線を越えてしまって、その中国に宥和的であるのを問題視するからでもあるだろう。覇権が脅かされる大国アメリカの被害妄想でもあるが、理解できなくはない。1938年のミュンヘン会議で、ネヴィル・チェンバレン英首相はナチス・ドイツの勢力拡大を一定程度認めて平和を維持しようとして、「宥和政策」の悪しき先例として後世、散々批判されて来た。そこまでのことはないにしても、今の中国の権威主義的な勢力拡大は問題含みで、そこを曖昧に中国と付き合おうとすると、中国自身が見誤りかねない。そのため、地理的に離れて極東の安全保障にさほど関心がない西欧諸国ですらも、特に昨年、パンデミックでの情報隠蔽や香港国家安全維持法の施行がある一線を越えたかのように受け止められ、中国に対する警戒を強めて、新彊ウイグルの人権問題に対しては明確に声をあげるだけでなく制裁を科すまでになった。EUとして、また英・仏・独にしても、自由で開かれたインド太平洋への関心が高まっている。世界の多くの国は、中国と経済的に相互依存の関係にあって、現実的な割り切った対応をしているように装うが、心の中で苦々しく思っていない国はないだろう。
 折しも現実派の知人が、自民党・保守派が「ボイコット」を叫ぶことに眉を顰め、そんなことを公言したところで何の「得」にもならないと言ったので、いやいや「損得」勘定だけではなく、ときに「理念」を示すことも大事であって、そもそも日本にもいろいろな議論があることが表に出るのは望ましい、それこそが自由・民主主義たる所以で、様々な声を集約して、最終的に岸田さんが政府として閣僚を派遣しないのを「ボイコット」とは呼ばないという甘目の対応に落ち着かせるにしても、その政策決定過程を、当の中国に対してだけでなく、欧米その他の有志国に対しても見せることが、最終的な結論にプラスαする重要なメッセージになり得ると思う、と答えた。そう言えば、安倍・前首相が「台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事でもある」と発言したことに反発した中国から呼び出された在中国日本国大使の垂氏が、安倍さんのように政府を離れた人の発言のひとつひとつに政府として説明する立場にないが、台湾を巡って安倍さんのような考えが日本にあることを中国は理解すべきであると、毅然と対応されたのは、外交官として実に見事だった(*)。
 このように、中国とは「是々非々」で付き合って行くべきだと思う。その限りではバイデンさんが中国との間で「協力」「競争」「対立」すると言われるものに近い。振り返れば聖徳太子も、恐らく是々非々で、遣隋使を送るけれども、「日いづるところの天子」などと称して、べったりではない最低限の付き合い(現代風に言えば「戦略的互恵関係」)を目指していたのではないかと想像する(笑)。もっと言うと、オリンピックを「外交ボイコット」すると言ったくらいで関係が危ぶまれるような弱腰の日中関係を作って来た政治を反省すべきだと思う・・・というのは言い過ぎだろうか(オリンピックを政治利用するな、と言うのであれば、そもそもオリンピックで首脳外交する過去をあらためて、今後、一切、政治が関わらないようにするのがよいと思う)。
 南京事件で犠牲者の人数を法外に膨らませて非難し続け、福島原発処理水を汚染水と言って放出に反対するのは、とても「科学的」な態度とは言えない、嫌がらせに過ぎない。南シナ海問題で仲裁裁判所の判決を紙屑呼ばわりし、尖閣に毎日のように侵入するのは、とても「法的」とは言えない、ただの身勝手だ。香港で民主的な活動を弾圧し、ウイグルやチベットや内モンゴルで人権を抑圧して恥じないのは、「非人道的」に過ぎる。そんな「非・科学的」「非・法的」「非・人道的」な側面に対して声を上げないことの方が有害であり、日本国として、国際社会・・・それは有志国だけでなく、日頃から中国の圧力を受けやすい東南アジア諸国や太平洋の島嶼国からも、どう見られるかに留意すべきだろう。遠慮したり忖度したりして、非難すべきところを非難しないで誤魔化すのではなく、また保守派のように毛嫌いして遠ざけるのではなく、引っ越し出来ない隣国同士なのだから、是々非々で、ダメなものはダメと言えるような、日本は凛として、清らかな神道的境地(あるいは皇室の“わびさび”の世界)を体現するような「国のカタチ」を模索して欲しいと、切に願う。

(*)“台湾有事は日本と日米同盟の有事”安倍元首相発言に中国抗議
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211202/k10013371311000.html
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強がる中国

2021-12-18 17:36:44 | 時事放談
 前々回のブログで言い足りなかったことがある。そもそも今の中国の実力はどうなのか・・・分かり難い国だ。中国共産党のトップ7人(所謂チャイナセブン)以外には、あの14億の人口を抱えて世界第二の経済を誇る大国の実態は分からないのだろう。いや彼らですら、もしかしたら地方の実態まで理解し切れていないかも知れない(強権政治に忖度はつきものだから)。そして世界中が寄ってたかってその実相を掴もうと躍起になる・・・。
 もう10日以上前のことになるが、日経に掲載された高坂哲郎さん署名記事「『弱ぶる米国』と『強がる中国』 非対称な軍事対立」が面白かった(*)。冒頭、「米国などで中国の軍事的膨張ぶりを危惧する指摘が相次ぐ一方、専門家からは『台湾を侵攻するといった能力は中国軍にはまだない』といった分析もされている」とある。本当にどっちなんだよなあ・・・と思ってしまう(笑)。第一の非対称として、米国は民主主義国であり、中国のように恣意的に国防予算を決めるわけには行かないから、議会に認めてもらうために、実態はともかくとして「米国は劣勢に立っている」と訴えることが効果的だとは、以前から言われて来た(最近、中国の極超音速滑空体の実験があったのに対して、米軍幹部が「第二のスプートニク」と呼んで大袈裟に反応して見せたのもその一つで、白々しい気がしないでもない)のに対し、一党独裁の中国では、プロセスより、威信を示すことが中国共産党の統治の正統性を示す上で重要であり、実態以上に軍事的に強いふりをしたがる傾向があるというのも、言われてみれば納得する。そんな政治体制の違いから、第二の非対称として、米軍には「隠し玉の兵器」を実戦まで表に出さない癖のようなものがあるのに対し、中国軍には、まだ完成前の兵器をあたかも完成したかのように見せかける傾向が認められる、と指摘されるのにも合点する。中国にとって先ほどの極超音速滑空体はそうかも知れない。逆に、最近、中国・新彊の砂漠に米軍の空母を模したような構造物が鉄道線路の上に配置されている様子が衛星写真から判明したという報道があって(BBCなど)、対艦弾道ミサイルの実験ではないかと憶測され、なんだ、まだそういうことをやっているのかとびっくりした。そもそも大海原に空母打撃群を発見するセンサーを装備することすらハードルが高いと言われるので、こうした記事を見ると、先はまだ長い気がしてしまう。何だか狐と狸の化かし合いのようだが、高坂さんは、「2つの非対称さを合わせて考えると、米軍は言われているほど弱くなく、逆に中国軍は装っているほど強くない、とみるのが妥当と言える」と結論づけられる。
 さらに第3の非対称として、「戦争になってしまった場合の影響の及び方」を挙げておられる。仮に中国軍が台湾を侵攻し占領に成功すれば、米国では責任論が生じて政権交代に至るにしても、大統領制と議会を軸にした民主主義体制が変わることは考えられないのに対し、もし中国が戦争目的の達成に失敗すれば、既に顕在化しているさまざまな社会の矛盾と相俟って民心が離れ、共産党政権の崩壊に至りかねない、という。こうして、「米中軍事対立がさまざまな非対称さでかたちづくられていることを考えると、対立が衝突に至るか否かはかなりの部分、中国共産党政権が内在する『弱さ』をどこまで自覚して軽々と台湾侵攻などに踏み切らないよう自制できるかどうかにかかっていることがわかる」と言われる。
 かつて2008年夏季の北京五輪を成功させ、翌年のリーマンショックでは巨額の財政出動により欧米を金融危機から救ったと自負し、その翌年、日本を超えて世界第二の経済大国に躍り出た中国は、以後、成長と言うより増長が著しく、国際社会における存在感と影響力を高めて来た。此度のパンデミックでは、当初、強権的な対応がうまく行ったのは事実で、それに引き換え、アメリカをはじめとする先進国のぐだぐだぶりを見て、さぞ自らの体制への自信を深めたことだろう。その間、太平洋を二分割するという大胆な覇権主義的な提案を、2013年6月にオバマ大統領(当時)に、2017年11月にトランプ大統領(当時)との共同記者発表で、表明し、先月の米中首脳のオンライン会談では、一部の地方紙しか伝えていないようだが(大手紙では見かけないが)、「太平洋二分割」案を「地球二分割」案に格上げ(!?)して、「地球全体にまで野心を拡大させた」(神戸新聞)ようだ。しかし国内に目を向ければ、最近の経済への締め付けや相変わらずの監視体制強化は、自らの脆弱性を覆い隠そうとする恐怖心から突き動かされているように思えて仕方がない。
 英国・秘密情報部(MI6)のムーア長官は、先月末に行った長官として初の演説で、「中国政府は、西側諸国のもろさに関する自らのプロパガンダを信じ、米国政府の決意を過小評価している」 「中国が自信過剰のあまり誤算をするリスクがあるのは、紛れもない事実だ」と述べたらしい(ロイターなど)。歴史的に、紛争は往々にして誤算や誤認によって惹き起こされる。バイデン大統領が習近平国家主席とオンライン会談に臨んだのは、二国間の競争関係を責任あるかたちで管理することを目的に、各課題に対する相互の認識を確認し合い、「競争が衝突に転じることがないよう、常識的なガードレールが必要との認識を伝えた」(JETROビジネス短信)とのことだが、危なっかしい状況だと、私が心配するまでもなく、当のバイデン大統領は気を揉んでいることだろう。強がる中国は何とも厄介だ。

(*) https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM231HJ0T21C21A1000000/
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