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風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

キッシンジャー発言の波紋

2022-05-28 20:11:12 | 時事放談

 ダボス会議にオンライン参加されたキッシンジャー博士が、ウクライナ情勢について、「今後二ヶ月以内に和平交渉を進めるべきだ」「理想的には、分割する線を戦争前の状態に戻すべきだ」と述べたこと(時事 *)が波紋を呼んでいる。ゼレンスキー大統領は、クリミア返還を諦めるなどの「宥和策」を提案したものと受け止めて反発し、「『偉大な地政学者』は普通の人々の姿を見ようとしない」「彼らが和平という幻想との交換を提案する領土には、普通のウクライナ人が実際に住んでいる」と訴えた(同じく時事)。

 キッシンジャー氏の発言は、「ロシアが中国との恒久的な同盟関係に追い込まれないようにすることが重要だ」と強調された(同じく時事)ことからも分かるように、権力政治の文脈、すなわち世界政治を相手にするアメリカの論理に外ならず、分からなくはないが、ロシア・ウクライナ戦争の当事者であるゼレンスキー氏にとっては、たまったものではない。さすがのキッシンジャー氏も、昨日、めでたく99歳の誕生日を迎えられて、ちょっと耄碌されたのか、かつての米中和解の成功体験に溺れて、本来、このような場(ダボス会議)で発言することではなかったように思う。

 以下は余談である。

 これに関連して、キッシンジャー氏が言われるように「三方一両損」を引きどころにプーチン氏にも立場を与える調停が必要ではないかと、ある知人が言う。これも分からなくはない。

 しかし、「三方一両損」は、ここでは適切な譬えとは思えない。あの話は、金を落とした男も、拾った男も、無欲だったからこそ、町奉行(大岡越前)は意気に感じて、自ら懐を痛めてまでも、三者が一両損となって丸くおさまる美談として成り立ち得たのだった。ところがプーチン氏の場合は、無欲どころか欲の塊である(笑)。これを認めてしまうと、「ヤリ得」の世の中になって、プーチン氏がNATOに加盟するバルト三国やポーランドに攻め込むかどうかは甚だ疑問だが、中国や北朝鮮が図に乗るのは目に見えている。プーチン氏には「名誉ある撤退」を用意してあげられるとよいのだが・・・

 さらに、西側は戦争を煽るばかりで火消しをしようとしないと、その知人は憤懣遣るかたない。これも分からなくはない。

 しかし、戦後の国際秩序、所謂「ルール・ベースのインターナショナル・リベラル・オーダー」を守るためには、プーチン氏のような「ゴネ得」を許すべきではない。さもないと、19世紀的な権力政治、力による現状変更が闊歩する時代に舞い戻ってしまう。そうなったら、19世紀の帝国主義時代に受けた屈辱を雪ぐことを目標にする習近平氏にとっては願ってもない展開で、台湾や南・東シナ海を迷うことなくわが物とするだろうし、北朝鮮は半島支配の夢を捨てないことだろう。実のところ、2008年のジョージアや、2014年のウクライナでは、西側はコトを荒立てず、目をつぶったので、プーチン氏は勘違いして、図に乗ったのだった。しかし三度目はない、ということだと思う。

 ウクライナでの戦争を長引かせて、双方の被害が大きくなるばかりなのは、見るに忍びない。プーチン氏を追い詰め過ぎると、窮鼠猫を噛む、で、大量破壊兵器に手を出さないとも限らない。だが、此度は、余りにもプーチン氏に大義がない、露骨に不合理な戦争なので(プーチン氏は、国連憲章に言う、国際紛争を解決する手段としての武力行使ではなく、ドンバスの両州を独立させて、集団的自衛権の発動として武力介入するという、一応の屁理屈はこねたが、信じる者はいない)、西側としては落としどころを探しあぐねている、というのが正直なところだろう。西側は、決して煽っているわけではない。

 さらに、知人は、このどさくさに紛れた自民党の防衛費2%議論にも批判的だ。これも分からなくはない。

 しかし、フィンランドやスウェーデンですらも、ヨーロッパの安全保障環境の悪化に対応しようと、NATO加盟を申し入れる形で「反応」したのと同根で、それが東アジアにも波及しないようにと身構える日本の「反応」も、まっとうだと思う。日本の安全保障は、戦後、長らくアメリカに頼りっ放しだった。これを日本人が不甲斐なくも何とも思わないのを、外国人は訝しがるようだ(笑)。一説によると、日本が自主防衛するためには、GDP比4%以上が必要だという。それは今の少子高齢化の日本に現実的とは思えないが、だからと言って、いつまでもアメリカに頼っていてよいとも思えない。アメリカは、民主党のバイデン政権でも、トランプ氏と同様、America Firstなのは明らかだからだ。オフショア・コントロール、すなわち、地域のことはその地域の同盟国・パートナー国が一義的に対応するのに任せる、というスタンスであって、それは決してトランプ氏由来ではなく、アメリカの、特にベトナムやアフガニスタンの長い戦争の後に、厭戦気分が横溢する中での伝統だと思う。GDP比2%はNATO基準だが、アメリカが頼りにならなくなりそうな今後は、日米同盟だけでなく、日・米・欧で足並みを揃える意味でも、NATO基準に合わせるべきだと思う。その意味ではただの数合わせに過ぎない。中身のない2%を唱えても仕方ないという意見はよく分かる。また、未来永劫でもないだろう。中国が今のまま持続可能だとは思えないから、せいぜいここ10~20年の話である。

 まあ、多少の領土は、クリミアにせよドンバスにせよ台湾にせよ尖閣・沖縄にせよ、ケチらずに権威主義者にくれてしまえ、というのであれば、話は別なのだが・・・。

(*)https://www.jiji.com/jc/article?k=2022052600977&g=int

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チャップリンとゼレンスキー

2022-05-14 09:11:45 | 時事放談

 チャップリンとウクライナのゼレンスキー大統領は、喜劇役者だったこと、そしていずれも独裁者に挑戦しているところが共通する。
 日本チャップリン協会会長の大野裕之氏が面白いことを言われていた(*)。「今回の戦争は情報戦を組み合わせた“ハイブリッド戦争”で、21世紀の新しい戦争のかたちだという指摘もありますが、僕はそうは思いません。映像メディアを駆使した戦争の原型はヒトラーが作り、プーチンもゼレンスキーも、そのフォーマットで戦っているように見えます」と。確かにハイブリッド戦争自体は多かれ少なかれ伝統的に行われて来ており、とりわけ大衆社会の総力戦となった第一次大戦以降は宣伝戦の要素が強く、さらにネットワーク化社会の現代は情報戦の比重が格段に高まっている。そして、こうも付け加えておられる。かつて戦争を知らない若者たちの中に、「ヒトラーは悪くない」「ヒトラーはカッコいい」といったブームが起きたときに、コメントを求められたチャップリンは、「映像には毒が入っている」と喝破したというエピソードをひきながら、「独裁者ヒトラーという毒を、より強い『笑い』という毒で制したチャップリンは、あらゆる映像に何らかの“意図”が含まれる危険性に自覚的でした」と。
 喜劇役者チャップリンは、「新しいリーダーとして人気を博したヒトラーの危うさに、いち早く気づいて」(同氏)、「笑いものにしなくてはならない」と言って、『独裁者』(1940年)によってヒトラーを揶揄した。その後、大衆に向けたヒトラーの演説回数は激減したそうだ。そして今、喜劇役者出身のゼレンスキー大統領は、独裁者プーチンに対して、伝統的な戦闘だけでなく、SNSという新たなメディアを通した情報戦を挑んでいるという符合は、大野氏が指摘される通りになかなか興味深い。ウクライナ侵略後にプーチン氏のイメージは一変したが、大野氏は「これは正義が悪に勝ったのではなく、イメージがイメージに勝ったということ」だと、鋭く指摘される。
 振返れば、湾岸戦争は、現実の戦争なのに、私たちは無事で、お茶の間で晩飯でも食いながら、まるでテレビゲームを見ているかのような錯覚(現実感覚のなさ)に陥り、「劇場型の戦争」とでも呼ぶべき驚きがあった。今、「プーチンのウクライナ戦争」もまた、現実の戦争なのに、私たちは無事で、お茶の間で晩飯でも食いながら、SNSによってふんだんに提供される映像や、情報機関によって惜しげもなく提供される機密情報を、映像と解説付きの後世の歴史書でも読んでいるかのような錯覚(超現実の感覚)に陥りながら、似たような「劇場型の戦争」に戸惑っている。
 私は天邪鬼でへそ曲がりなので、プーチン氏の非道は言うまでもないが、さりとてゼレンスキー氏の演説を褒めちぎることもせず、プーチン氏の不条理な戦争の何故?背景?を巡って、私なりに本質に迫ろうとしてきた(が、ウロウロするばかりで核心に迫れていなかった)のは、この戦いが「イメージとイメージの戦い」だったからに他ならず、本能的に警戒していたせいだろうと得心した。
 例えば、連休前にキーウを訪問したアメリカのオースチン国防長官が「ロシアがウクライナ侵攻でやってきたようなことを繰り返す力を失うほどに弱体化する」ことを期待するようなことを述べ(CNNより。その後、サキ大統領報道官は、ウクライナがロシアに破壊されるのを阻止するという米政権の目標に沿った発言だと補足(言い訳)した)、ゼレンスキー大統領が国際社会に対して(際限なく)武器供与等を求めるのは、キリスト教的な善悪二元論の立場からすれば正しいが、やや危険なニオイを感じる。窮鼠猫を噛むではないが、プーチン氏を追い詰め過ぎないこともまた配慮すべきだろう。古代ローマのコロッセオでナマ観戦するわけでもない現代の私たちは、飽くまで映像(イメージ)として見る「劇場型の戦争」に潜む「毒」に自覚的であるべきなのだろう。
 プーチン氏の非道はあらためて言うまでもないことなのだが。

(*)前編: https://www.news-postseven.com/archives/20220511_1751767.html?DETAIL
   後編: https://www.news-postseven.com/archives/20220511_1751768.html?DETAIL

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本日の迷演説

2022-05-09 21:34:58 | 時事放談
 今日は二人のリーダーの演説が注目された。
 一つは言わずと知れた対ナチス・ドイツ戦勝記念式典でのプーチン氏のもので、ウクライナ危機について勝利宣言はおろか開戦宣言も出来なかったようで、辛うじて、「ロシアは新たな安全保障の枠組みについて対話を望んだが、欧米は耳を貸さなかった」「(軍事作戦は)唯一の正しい選択だった」と、国内向けに言い訳(自己正当化)するのがやっとだったようだ。最近テレビで引っ張りだこの中村逸郎教授によると、「プーチン大統領は相当早口でした。今までよりも。ですから、逆に言いますと、なぜ戦争宣言をできなかったというところに、プーチン大統領の焦りみたいなものがあると思う」と語っておられて、お説ごもっとも。「もし戦争宣言なら、(西側が)単に兵器を送るだけじゃなくて、兵士も送るんだということが言われていたし、現実味を帯びていたわけです。このメッセージが、かなり今回プーチン大統領が戦争宣言まで踏み込めなかった一つの大きな理由」とまで語っておられたのは、ほんまかいなと、NATOが兵士を送ることについては俄かに信じがたいが、「今回プーチン大統領の演説を見ると、かなり険しい表情であったし、早口になっている。戦果が何も手に入っていないという意味で、私は思った以上に弱気のプーチンという感じを持ちました」と語っておられたあたりは納得する。
 もう一つは、別に事前に注目していたわけではない(そう言えば明日、新・大統領が就任する)韓国・文在寅氏の退任演説で、お騒がせの元慰安婦や元徴用工の問題には言及がなく、成果のなかった北朝鮮問題については、融和政策で「平和と繁栄の希望を育てた」と簡単に触れるのがやっとだったようだ。しかし、「日本の不当な輸出規制による危機を全国民の団結した力で克服したことが決して忘れられない」「(日本の措置が)製造業の競争力強化につながった」と、国内向けに言い訳(自己正当化)したそうで、どうしてこの国では国のトップまでもが真実を語らなくて恥じるところがないのが不思議でならない。あれは輸出管理の運用強化であって、輸出規制ではない。不当でもなんでもなくて、韓国がアヤシイことをしたから国の評価が普通の国並みにダウン・グレードして優遇されなくなったまでで、アヤシイ取引をしない限りは多少手続きに手間と時間がかかっても規制されるわけではない。こうした胡麻化しを正さない韓国メディアのチェック機能の弱さ(イデオロギー的な偏り?)を感じないわけにはいかないし、日本に対して、儒教思想のせいか「(常に韓国の)正義」が先に立って、事実関係などどうでもいいという傍若無人な振舞いには辟易する。
 お二人には共通する問題があるように思う。自画像と現実とのギャップである。プーチン氏は、あるがままの現実(もはや経済規模は韓国並みでしかない)以上の「大国」幻想に囚われて、その(軍事)行動に危うさがある。他方、文在寅氏は、あるがままの現実(もはやGDPも防衛予算も世界トップ10にランクされる)以下の「小国」意識が抜けなくて、国際社会に対する責任の自覚はないし、日本は大国なのだから大目に見るのが当然だろうといった甘えが過ぎる。いずれもロシアと韓国という国家に歴史的に培われた習性なのだろうが、幻想でしかなくて、傍迷惑でしかない。報道や言論の自由が担保されない国では、このあたりの矯正は難しいのだろうか。
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19世紀的・ロシア

2022-05-07 14:51:41 | 時事放談
 前回ブログで無造作に書き連ねたロシアの行動特性は、小泉悠氏の著書『「帝国」ロシアの地政学』(東京堂出版)に依っている。それをこれまで無造作に「19世紀的」と形容して来たのは、その行動特性と言うよりプーチン氏のメンタリティが、19世紀・帝国主義の時代にこそフィットしそうな、遠い歴史的な(不躾に表現するなら、時代錯誤の)感覚としか思えないからだ。20世紀は、第一次大戦後に四つの帝国が崩壊し、第二次大戦後に多くの植民地が解放されて、世界がそれまでのヨーロッパ規模から地球規模にまで広がって、量的なだけではなく質的に大きく変わった革命的な時代で、国際政治学なる学問が生まれ、外交のあり方や戦争観がすっかり変わった。ところが、ロシアでは、共産主義革命が起こってから冷戦崩壊するまでのほぼ20世紀丸々、西側世界から隔絶されたがために、その間に西側世界で進行したポスト・モダンのリベラルな時代精神を、体感として共有出来ていないせいではないかと疑ってきた。プーチン氏本人だけでなく、彼を受け入れるロシア人をも含めて、19世紀的なもの(あるいはそれ以前のもの)がそのまま生き残っている気がするのだ。それがまんざら間違いではないと思えるようなフレーズを見かけた。連休中に読んだ本の中で引用されていた、19世紀後半を代表する鉄血宰相・ビスマルクの言葉である。

(引用はじめ)
「われわれは、ヨーロッパのチェス盤の上で3国のうちの1つになることの重要性を見失ってはならない。それこそは、歴代のあらゆる内閣の不変の目標であったし、とりわけ私の内閣の目標である。誰しも少数者になることは欲しない。政治の要諦はここにある。すなわち、世界が5大国の不安定な均衡によって統御されている以上、3国のうちの1つになることである」
(引用おわり)

 プーチン氏の政治感覚そのものではないかと目を疑った。かねがね、世界で突出した超大国の出現を望まず、多極世界で一極を占めることを願うプーチン氏が仮に今、言ったとしても、違和感がない(細かい数字の異同はあるにしても)。プーチン氏が尊敬するとされるピョートル大帝(初代ロシア皇帝としての在位1721~25年)以来、200年余りにわたってヨーロッパ五大国(=英仏普墺露)の一角として台頭し、革命を経て、アメリカと二大国として番を張った冷戦時代の40年余りを含めて、都合300年にわたる大国・ロシア(旧ソ連を含む)の矜持であり、多分にメランコリックな19世紀的メンタリティーなのだろう。コロナ禍で孤立し歴史書に耽溺することで増幅されたプーチン氏の妄想と言ってもよいのだろうが、「帝国」ロシアの成れの果てをまがりなりにも20年余りにわたって率いて来たプーチン氏にとっては、切実な問題なのかもしれない(でなければ、こんな蛮行には及ばないだろう)。
 名越健郎氏によれば、プーチン氏が大統領に就任した翌2001年に国民テレビ対話で、今どんな本を読んでいるかと聞かれて、「エカテリーナ女帝の統治に関する歴史書」だと答えたことがあったと、前々回のブログに書いた。プーチン氏のウクライナ侵攻は、エカテリーナ女帝(在位1762~96年)の行動・・・かつてオスマン帝国との二度にわたる露土戦争(1768~74年、1787~91年)に勝利してクリミア半島を含むウクライナの大部分を併合し、三次にわたるポーランド分割(1772、93、95年)を主導してポーランド・リトアニアを地図上から消滅させた・・・をなぞっているとの見方がある。
 また、袴田茂樹氏は、プーチン氏が以前からアレクサンドル三世(在位1881~94年)を讃えており、5年前にクリミア半島に同皇帝の記念像を建立したことを指摘されている。同皇帝が皇太子時代に従軍した露土戦争で獲得した領土がビスマルクによって放棄させられ、「消耗したロシア軍の再編、海軍の強化を図ることが将来の不測の事態を防ぐために必要であると感じ、軍制改革の必要性を認識した」(Wikipediaより)ところに、プーチン氏が置かれた境遇を重ねているのかも知れない。因みにアレクサンドル三世は「我々は敵国や我々を憎んでいる国に包囲されている。我々ロシア人には友人はいないし、友人も同盟国も必要ない。最良の同盟国でも裏切るからだ。ロシアが信頼できる同盟者はロシアの陸軍と海軍のみである。」と言ったことでも知られ、袴田氏によれば、ラブロフ外相も6年前に似たような発言をしたそうだ。「イワン雷帝の時代以来、世界の誰も強いロシアを望んでいない。歴史上、ほんの例外を除いて、わが国のパートナーが我々に対して正直だったことはない。次のことを理解しておく必要がある。すなわち、我々にとって主たる同盟者は、陸軍、海軍さらに現代では航空・宇宙軍である」と。
 「歴史は同じようには繰り返さないが、韻を踏む(The past does not repeat itself, but it rhymes.)」とはマーク・トウェインの箴言だが、英雄熱に浮かれた指導者が意図して韻を踏むように仕掛けることも多いのではないだろうか。
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大陸国家・ロシア

2022-05-05 12:08:27 | 時事放談
 「宣言」のないゴールデンウィークは三年振りとのことで、街は賑わっているようだ。Facebookを見ていると、明らかに遠出する知人の投稿が増えているように感じる。連休明けにはまた感染者数が多少は増えそうだが、世の中が平常に戻ることへの安心感には代えられない。しかし、地球の裏側・ウクライナでは、5月9日が近づいて、予断を許さない一進一退の状況が続いている。勝利宣言は諦めて(特別軍事作戦から格上げして)宣戦布告する(それによってあらためて総動員をかける)のではないかと警戒する声もあがっている。他方で、ロシア外務省は、日本政府が発動した対ロシア制裁への報復措置として、岸田文雄首相をはじめとする日本人63人のロシア入国禁止を発表した。多くは政治家だが、少数ながら袴田茂樹氏や神谷万丈氏や櫻田淳氏や鈴木一人氏といった、私が注目する学者が含まれており、誠に名誉なことだ。何しろロシアに日和った言論ではないことを証明してくれたようなものだから・・・。
 前回は、プーチン氏を駆り立てる情念について、勝手ながら「歴史に対する報復」だろうと推し量った。まさか彼が戦争(彼の言い方では特別軍事作戦)に打って出るとは思いもよらなかったので、彼の狙いは彼の頭の中を覗いてみないと分からないと言われたものだが、その言動をもとに専門家の話を総合すると、事前に主張していたようにNATOの東方拡大を止めること、それは決して被害妄想でも何でもなく、そのためにウクライナを中立化すること(例えばフィンランドのように)、ゼレンスキー氏を追い出してロシア寄りの傀儡政権をうち立て、防御壁の如くとすること、ということになりそうだ。伝統的に焦土作戦が得意なロシアが、当初、キーウ(キエフ)攻略に失敗したのは、緩衝地帯として温存するべく手加減したせいかも知れない。
 思えば、明治以来の日本は、南下するロシアの脅威を感じて、事大主義に陥りがちな朝鮮王朝を緩衝地帯とするべく、自主独立を促したが、どうにも頼りにならないので、結局、日清・日露の二度の戦争を経て、日本自ら半島経営に乗り出さざるを得なくなった。国境を接して臨戦態勢にある緊張状態よりも、多少なりとも距離を置く方が安心を得られるし、態勢を整えるまでの時間を稼ぐことが出来る(現代風に言えば、ミサイルが飛んで来るまでの時間を多少なりとも稼ぐことが出来る)。ロシアや中国のように統治そのものに脆弱性を抱えた国にとっては、イデオロギー(あるいはディス・インフォーメーションなど)の流入(その影響力)を多少なりとも堰き止めることが出来る。象徴的とも言えるのが、チョルノービリ(チェルノブイリ)原子力発電所の事故で最も被害を受けたのがロシアではなくベラルーシだったことだろう。国境を接する、近接するというのは、リスクなのだ。
 最近出版された『13歳からの地政学:カイゾクとの地球儀航海』(田中孝幸著、東洋経済新報社)のためのプロモーション記事(*)によると、ロシアも中国も大きな国なのに、なぜ領土にこだわるのか?という核心的な問いに言及し、「カイゾク」に、「いくら領土を広げても安心できなくなる心理」を語らせている。自分の領土を守るために、周りの国を攻め取って自分のものにする、その新たに取った部分は外に面して安全ではないから、さらに周りの土地を取っていこうと考えるようになる、あるいは自分のものにできなかったとしても、自分の言いなりになる子分にしようと思うようになる、と。本を読んでいないので何とも言えないが、誰しも能力を超えることは出来ないので、無限のループに入ることはなく、結果、緩衝地帯を設定したり、同盟戦略を検討したりするようになる。それが大陸国家の習性なのだろう。
 此度のロシアのように、19世紀的な帝国主義者としての行動を示すまで、覇権を論じる地政学が言うところの「大陸国家」なるものの性格について、正直なところ感覚的に理解出来ないでいた。島国・日本であればこそ、なのだが、根本的にその限りでのDNAが欠落しているのだろう。ところが、ロシアを見ていて、ポスト・モダンのリベラルな装いを剥ぎ取った「大陸国家」の姿はそんなものだろうと理解せざるを得ないと、今のところは感じている。
 中国の中華思想あるいは華夷秩序観も、中心(中華)を離れるほど野蛮で、中心により近い韓国ほど(遠い日本よりも)文明的だと、道徳的な自己満足として捉えられるのは、時代を経て風化した考え方に過ぎず、本来は中心(自国)に近い近隣を手なずけ、その周辺を警戒する安全保障観を表現したものだったのではないかと想像させ、ロシアの勢力圏の考え方に近いものを感じさせる。かつて矢野仁一京都帝大教授は、『近代支那論』(昭和2年)の中で、中国には国境の観念がないようなことを述べたらしく、南・東シナ海での海洋進出や、最近、話題になった「国恥地図」を見ていると、島国のように固定的な地理環境と違って、自らの支配の及ぶ範囲が変幻自在に自らの領域と見做す性癖は、中国に限らず大陸国家らしい発想なのかも知れないと思ったりもする。また、自らの運命を自ら決することが出来ないような中小国(例えば同盟に安全保障を委ねる日本やドイツなどですら)は相手にしないとか、中小国は所詮は大国に従うべきだ、などといった横柄な大国主義の意識は、ロシアにも中国にも共通する。ロシアが序盤のハイブリッド戦争、特にサイバー戦争で奏功しなかったのは、ウクライナがクリミア併合を契機に目覚めたからだし、アメリカなどの支援のお陰だろうが、結果として一点豪華主義のように大量破壊兵器(核や生物・化学兵器とその運搬手段としてのミサイル)に頼るロシア軍の通常戦力(及びその他のハイブリッド戦力)のお粗末さを見ていると、図体が大きい北朝鮮のような存在でしかないのではないか、との思いを強くする。今回のロシアの行動から、北朝鮮が核への信奉を益々強める悪影響を心配する声があるが、そもそもロシアにしても北朝鮮にしても、経済力の現実を虚心坦懐に眺めれば、本来の能力を超えた軍事力に依存し(より正確に言うと、「貧者の兵器」としての核や生物・化学兵器に頼り)、破滅への道を歩む同類にしか見えない。これも過敏・過剰な国境意識をもつ大陸国家の宿命なのだろうか。

(*)https://toyokeizai.net/articles/-/584807
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歴史に対する報復

2022-04-27 10:08:29 | 時事放談
 ロシアが当初、数日で片付けると高を括ったとされるウクライナ侵略は二ヶ月が過ぎた。昨日付のロイターによると、ラブロフ外相は国営テレビのインタビューで、核戦争が起きる「かなりのリスク」があり、「このようなリスクを人為的に高めることは望まない。高めたいと考える国は多い。深刻で現実の危険があり、それを過小評価してはならない」と脅したらしい。一昨日付のロイターによると、プーチン大統領は、西側諸国がロシアとの戦争でウクライナの勝利は不可能と悟り、「ロシアの社会を分裂させ、内部から崩壊させるという別の計画が明らかとなった」と非難しつつも、「機能していない」と強がって見せたらしい。ひねくれ者の私には、戦況が捗々しくなく、苛立っているようにしか見えないのだが、実際はどうだろう。
 他方、ウクライナのゼレンスキー大統領は、さらにその前日、アメリカの国務・国防両長官を首都キーウに迎えて、追加支援の確約を得て、安堵した表情を見せ、二ヶ月前に「私はキーウの大統領府にいる。ここから逃げない」と悲壮な覚悟で語ったときとは随分違うと伝える報道があった(昨日付FNNプライムオンライン)。ウクライナの人たちが果敢にも立ち上がったからこそ、西側は(ロシアからすれば想定外にも)結束して、(ロシアから見れば想定以上に)支援の手を差し伸べたのであり、今のところ良い循環が続いているように見える。因みにこの日、オースティン国防長官は、「ロシアが当分の間、今回のような軍事侵攻ができないくらいに弱体化させたい」と発言したとされ、毎度のアメリカのキリスト教(十字軍)的な善悪二元論の怖さを感じて、一瞬背筋が凍る思いだったが、余談である。
 恐らく、そんな想定外が続いているからだろうが、ロシアがそこまで残酷になれるものかと俄かに信じ難い(もとより情報戦争でもあるので、どこまで信じられるか心許ない)。あるいは、日ソ中立条約を破って侵攻した当時と変わらないのかも知れない。もっと言うと、タタールの軛以来800年の伝統なのかも知れない。首都攻略は諦めて、モルドバの沿ドニエストル地方まで、黒海沿いにウクライナ東・南部をぐるりと制圧しようとしているとの報道があるが、19世紀ならいざ知らず、21世紀の現代にあっては盗人猛々しいにもほどがあり、「現状維持」の人類の叡智を踏みにじるものだ。中国や旧・ソ連圏諸国(中央アジア諸国など)だけでなく北朝鮮にまで武器供与を要請したとの噂があり、全て断られたそうだが、まさか極貧の北朝鮮まで!?というところにロシアの苦境を示す、よく出来た話だ(どこまで本当か分からない)。
 前々回、「歴史に対する復讐」と言ったことに対して補足したい。
 週末、TBSが、ウクライナの前大統領ポロシェンコ氏のインタビューを伝えた。彼は、「プーチンがウクライナを攻撃した理由を説明できる人はいません。彼はクレイジーな行動を取ります。私は5年もプーチンと交渉し、重大な結論に至ったので忠告します。1つ目はプーチンを信用してはいけません。プーチンとは停戦、人質の解放軍の撤退など多くの約束をしましたが、プーチンが約束を守ることはありません」と語っており、その職責ゆえの重みがある。21世紀を生きる私たちには、ロシアのウクライナ侵攻は理不尽としか言いようがなく、その理由はプーチン氏の頭の中を覗いてみないと分からない。彼を駆り立てる情念について、勝手ながら推し量ったのが、「歴史に対する報復」だ。
 歴史的な事象は、単独のものとして存在するのではなく、何らかの形で連鎖する。それは(歴史的)記憶がそうさせるのであって、往々にして、プーチン氏のような独裁者が、自らの統治を正当化するために、あるいは個人的願望(ときに妄想)を具現化するために、寝た子を起こすように、民族の(歴史的)記憶を利用することがある。
 卑近な例では、韓国・文在寅大統領は、韓国の立場が弱かった時に締結された1965年の日韓基本条約を不当なものとして、ひっくり返そうとゴネた。中国・習近平国家主席も、中国の立場が弱かった帝国主義の時代に、アヘン戦争や日清戦争に負けて奪われた香港や台湾の地位回復を至上命題としている。ドイツ・ヒットラーは、第一次大戦後のベルサイユ体制に対するドイツ国民の不満をうまく吸い上げて、台頭した。だからこそ、そんな(歴史的)記憶の悪用を断ち切るべく、第二次大戦後、「国際紛争を解決する手段としての(侵略)戦争」を違法化することが国連憲章や日本国憲法で謳われたのだったが・・・
 プーチン氏は、ソ連崩壊を「20世紀最悪の地政学的惨事」と呼んだのは有名な話だが、恐らくそれがトラウマになっているのだろう。ロシア帝国(=旧・ソ連圏)復活が彼の政治の原点になっていると言われる。そして恐らく習近平氏が盛んに喧伝する「中華民族の偉大なる復興」に大いに触発されたことだろう。
 そのプーチン氏は、多極化された世界を理想とし、その中でロシアが重要な一極を占めることを目指して来たとされる。しかし、韓国並みの経済力しかなく、さしたる産業が育たず、資源依存では将来が見えない。それでいて、あれだけの面積の国土を守るのは並大抵ではない。クリミア侵攻以来の経済制裁(特にハイテク製品輸出規制)で、最新兵器の製造もままならないようで、電子機器の調達にせよ、資源の輸出にせよ、今後益々中国への傾斜は避けられないが、恐らくロシアの望むところではない。そんな彼も69歳で、将来はない。「ない・ない」尽くしの彼は、パーキンソン病などの病が噂されるが、それは措いておこう(最近も、ショイグ国防相がマリウポリ「解放」を伝えたときのプーチン氏の映像公開が、却って疑念を呼んだ)。そんな追い詰められたプーチン氏が独裁者(本人は皇帝と思っているかも)として20年を超える君臨の末、何等かの政治的レガシーを求めたい気持ちは分からないではない。トランプ氏は予測不能だったので取り扱いが難しかっただろうが、バイデン氏はリベラルで「腰抜け」と見られたフシがある。「後」がない彼は「今」というタイミングを見計らったのかも知れない。
 ロシアが専門の名越健郎教授によれば、プーチン氏は就任翌年の2001年、国民テレビ対話で、今どんな本を読んでいるかと聞かれ、「エカテリーナ女帝の統治に関する歴史書だ」と答えたことがあるそうだ。ペスコフ報道官によれば、プーチン氏はコロナ禍の隔離生活で、帝政ロシア時代の歴史書を読み漁っていたらしい。2月の開戦演説で、「ウクライナは手違いで独立国になった」「ウクライナはロシアの歴史、文化、精神空間に不可欠の一部だ」と述べて、「ロシア固有の領土」の属国化を一気に狙ったようだと、名越教授は解説される。歴史への一種の妄想である・・・というのが私の妄想である(笑)。
 だからと言って、プーチン氏のウクライナ侵略が、とりわけその手法が正当化されるわけでは毛頭ない。ただ、それを抑止することに西側(とりわけアメリカ)が失敗したことは認めざるを得ない。ミアシャイマー教授のポイントはそこにあったように思う。
 プーチン氏の場合は、冷戦崩壊という歴史に対する報復と言ってよいのだろう。昨今の米・中の対立は冷戦「的」であり「第二次冷戦」とも言われて来たが、プーチン氏の仕出かした暴挙こそ、また、権威主義と民主主義で分断される今後の世界の難しいありようこそ、「第二次冷戦」と呼ぶべき惨状ではないかと思う。習近平氏の場合は、もっと時間軸が長くて、冷戦そのものを対象とするのではなく、近代の歴史、すなわち中国にとって、アヘン戦争に始まる欧・米・日の帝国主義諸国による簒奪と、その後の、自らの立場が弱かったときに決まった戦後秩序に対する報復と呼ぶべきではないだろうか。ヒットラーが第一次・第二次大戦で連鎖したように、プーチン氏は冷戦・第二次冷戦と連鎖し、習近平氏はプーチン氏と共鳴しているように見えるが、韻を踏んでいるだけで、秘めたるものは同じではなさそうだ。
 問題は、冷戦の正面がヨーロッパにあって、今まさにヨーロッパが苦労しているように、中国が近代に受けた屈辱は、東アジアの秩序に関わることで、日本が苦労するのは間違いない、ということだ。
 民族の記憶はそれなりに風化するものだが、独裁者(や過激な活動家)はそこに火をつけることが出来る。そしてそれが自らの統治の正統性に紐づけられれば、「絶対」となる。こうした事態に対する処方箋は思い浮かばない(少なくとも日本が、歴史認識に対して無策だったことは責められるべきだろうが)。人間の業の深さを思うばかりで、無力感に苛まれ、恐ろしい近未来に立ちすくんでしまう。
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ウクライナにおける闘争

2022-04-21 23:14:26 | 時事放談
 ロシアは、戦場では意外にヘタレだが(そのためロシアの装備品に頼る中国や北朝鮮は当惑していると言われる)、経済制裁を受けても意外にしぶといと評価されているようだ(確かに制裁には抜け道が多い)。戦闘の中心は東・南部に移って、自衛隊の元幹部の方々を中心にロシア軍を軽く見る声が多いが、プーチン大統領は「マリウポリの戦闘任務完了」との認識を早々に示したのは、情報戦の一種なのか、予断を許さない。
 ちょうど今頃の季節のことだった。大学に入学して間もない麗かな春の日に、英語の講義が同級生の友人に乗っ取られたことがある(とは、過去にも本ブログで話題にしたことがある)。彼は北海道の出身で、大学の古ぼけた寮に住み、彼ら寮生たちは、老朽化した寮を取り壊そうと躍起になる大学当局との間で「闘争」を繰り広げていた。黒ヘルメットが彼らの目印だ(因みに、革マルは赤ヘルで、中核派は白ヘルだったと記憶する)。彼が教室の壇上で演説を始めると、担当教授は、諦めて何も言わずに教室を出て行かれた。私は申し訳ないことに彼の話の大半は聞き流したが、唯一、「自由は勝ち取るものである」と言い残したことが記憶に残る。当時の私には、ざらついた違和感しかなかったが、今となっては欧米の歴史ではごく当たり前の事実だと思う。
 ロシア・ウクライナ戦争を見ていて、ふとそんな記憶が蘇った。ウクライナは、まさに自由と自主独立のために戦っている。そこには、旧・ソ連をはじめとして、ウクライナ民族の独立が蹂躙された歴史的な記憶が大いに作用しているように思う。自由も独立も、地続きのユーラシア大陸にあっては(島国として周囲から隔絶される幸運に恵まれた日本人が思うような)所与のものではない。アメリカは、ウクライナの行く末など気にしない、軍産複合体を抱えて老朽化した装備品を一掃できて却ってハッピー、などと揶揄する声があがるが、それは言い過ぎで、アメリカはやはり理念の国だと思う。民主主義を破壊したトランプ氏の後を継いだ民主党のバイデン氏のことだから、なおのこと。
 先日、東京大学の入学式で、映画監督・河瀬直美さんの祝辞が物議を醸した。切り取られ発言だと援護する声があり、確かに分からなくはないが、それにしては無造作で隙があり過ぎる。祝辞の全体からすれば本丸ではないにしても、その限りでは本心と言わざるを得ない。曰く、「例えば『ロシア』という国を悪者にすることは簡単である。けれどもその国の正義がウクライナの正義とぶつかり合っているのだとしたら、それを止めるにはどうすればいいのか。なぜこのようなことが起こってしまっているのか。一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか? 誤解を恐れずに言うと『悪』を存在させることで、私は安心していないだろうか?」などと切り取ってしまったが(苦笑)、さすがに喩えとしては筋が良くなくて、国際政治学者の細谷雄一さんや池内恵さんや篠田英朗さんといった私が贔屓にする教授たちから批判が相次いだ。さらに祝辞の引用を続けると、「人間は弱い生き物です。だからこそ、つながりあって、とある国家に属してその中で生かされているともいえます。そうして自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要があるのです。そうすることで、自らの中に自制心を持って、それを拒否することを選択したいと想います。」・・・う~ん、本丸は分かるが、その主張の裏にチラつく本心にはやはり違和感がある。「自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性」に触れるのは、某野党幹部と同じである。こんなに平和ボケして骨抜きの国民になってしまったというのに(と、自戒をこめて・・・)。
 彼女が、とは言わない。あくまで一般論だが、リベラルな方は論理に溺れるところがあって、現実的な思慮に乏しく、奇を衒うことにも吝かでなく、危なっかしいように思う。
 学生時代、私が尊敬する、ロシア政治思想を専門とする教授は、一人のドストエフスキーをも輩出しなかった共産主義の旧・ソ連をボロクソに貶し、価値相対主義(今風に言えば「どっちもどっち」)なるものをこっぴどく批判された。甘ちゃんだった私は大いに戸惑ったものだが、今となってはよく分かる。世の中には、論理で割り切れなくても重要なことがある。
 政治学の文脈で、かつて第一次世界大戦以前、ナポレオン戦争後に、クラウゼヴィッツが言ったように、戦争は政治の延長であり、アナーキカルな世界にあっては、国家間の闘争は正義と正義の争いだった。日露戦争などはまさにその渦中にあった。今もなお、オフェンシブ・リアリズムで鳴らすシカゴ大学のジョン・ミアシャイマー教授は、かつてのジョージ・ケナン氏同様、ロシア・ウクライナ戦争のそもそもの責任をアメリカに帰しておられる。私はかねて氏の理論には敬意を払って来たが、だからと言ってオフェンシブ・リアリズムだけでこの世界を割り切るとすれば、覇権学としての帝国主義時代の地政学に舞い戻るかのようで、第一次世界大戦以降、価値の体系にも重きを置いて来た国際政治の理想主義的な側面との間でバランスがとれず、居心地がよいものではない。
 具体的に言えば、プーチン大統領が主張するNATOの東方拡大やウクライナとの民族的同一性は、彼一人の独善でしかなく、21世紀を生きる私には19世紀的なノスタルジーにしか見えない。その証拠に、まがりなりにも形式的には「中立」を維持して来た(実質的には1994年にNATOの「平和のためのパートナーシップ」に加わっていた)フィンランドとスウェーデンすら、今、NATOに追いやろうとしているではないか。これはロシアの行動が撒いた種(=結果)であって、NATO東方拡大が先にあった(=原因)わけではない。小泉悠氏の著書でも、旧・ソ連圏を「勢力圏」と見做すロシアの地政学について語られていて、なるほど現状が説明できてよく分かるのだが、だからと言って、ソフトパワーの魅力によって東欧圏を引き留めることが出来ず、ハードパワーとしての武力によって現状変更し、「勢力圏」を回復しようとする試みは、21世紀の現代にあっては19世紀的であって独善でしかない(と思うのは、プーチンにしてみれば西欧の独善なのだろうが)。
 二度の世界大戦を経て、その戦禍が余りに悲惨だったことから、人類は(侵略)戦争を違法化する新たな段階に踏み込んだ(かつての日本とドイツは、周回遅れの帝国主義で、世界の潮流から外れて悲劇を招いた)。その精神は、その後、国連憲章だけでなく日本国憲法にも埋め込まれている。こうして積み上げられて来た人類の(と言うより正確には西欧の・・・なのだが)歴史の叡智は、第二次世界大戦後に独立したアジア・アフリカ諸国を迎え入れた「世界」が西欧を超えて地球規模に広がってなお、まがりなりにも受け継がれていると思いたい。その重みを私たちは忘れるべきではないと思う。何よりロシアは、国際連合の常任理事国だったソ連の後継国家なのだから。
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ウクライナ戦争の裏で、中国の暗躍

2022-04-09 18:54:15 | 時事放談
 ウクライナ戦争は、ロシアがキーウ攻略を断念し、当初の狙いだった東部・南部に戦力集中するという、新たな局面を迎えている。その地球の裏側で、中国が南太平洋のソロモン諸島と安全保障協定を結ぼうとしている話は、かねて漏れ伝わっていた。米国に拠点を置くジャーナリスト(本人は軍事社会学者を自称)の北村淳氏が3/31付で、主にアメリカの視点からコラムを寄せておられた(*1)のに続き、中国ウォッチャーのジャーナリスト・福島香織氏が一昨日、AUKUSやQUADなどの中国包囲網を分断する工作として、包括的に論じられた(*2)。私は存じ上げないが、読売新聞でもここ一週間で二度、記事が出たらしい。
 アフガニスタンやミャンマーでの挫折からも、民主主義は、極めて特異な歴史的土壌の上に咲く、極めて稀に見る可憐な花であることが認識されていた。昨年12/9~10にかけて、バイデン大統領が主催した民主主義サミットには、世界から109の国家と2の地域が招待されたが、民主主義の実践度という点では、強固なものから弱々しく怪しげなものまで、多様だった。民主主義の成熟度として眺めれば、むしろ未成熟な国や地域の方が多く、中国としては、そこが付け込む狙い目になるということなのだろう。
 それこそロシアが、ロシア人を守るために、集団的自衛権行使を名目に、ウクライナ東部にロシア軍を出動したように、中国は、未成熟な国の中華街で暴動が起こるなどしたのを契機に、中国人救済を名目に、中国軍や警察による治安維持の支援を押し付け強要している構図に見える。実はチャイナ・マネーがその国の社会的不安を招くなどの原因になっているという意味では、マッチ・ポンプのような側面があるし、そもそも中華街での暴動すら、誰が火を点けたのか分かったものではない。
 いずれにしても、ロシアがヨーロッパひいては世界の安全保障秩序を自らに都合が好いように書き換えようと武力に訴えているのに対し、その裏で中国は、チャイナマネーによって静かに、自らに都合が好い安全保障秩序の構築、直截的には、西側の秩序の分断という伝統的な手法を強化していることに留意する必要があるように思う。
 この南太平洋の秩序に多大な関心を寄せるオーストラリアは、中国の動きを苦々しい思いで見ていることだろう。北村淳氏が指摘されるように、ソロモン諸島は「アメリカ(引用者注:端的にハワイ)とオーストラリアやニュージーランドを結ぶ補給線を側面から攻撃できる位置にある戦略上の要衝」に見えるからだ。これはオーストラリアだけの問題にとどまらない。南シナ海とソロモン諸島を結ぶ線は、日本のシーレーンとも交差する。ロシアが主張するような、大陸における勢力圏構想を、正しいか正しくないかはともかくとして、海に当て嵌めれば、制海権構想に行き着く。その縦深性を確保するべく南方進出した大日本帝国が当時のアメリカと死闘を繰り広げた餓島(ガダルカナル島)はこのソロモン諸島にある。大日本帝国の歴史に学び、その戦略をなぞるように、今、中国が南太平洋に進出していると見るのは、穿ち過ぎだろうか。
 最近、北岡伸一教授が提唱される「西太平洋連合」(*3)の原型は、故・梅棹忠夫氏の「西太平洋同経度国家連合」にあり、さらにこれらの島嶼国連合は大日本帝国の大東亜共栄圏から示唆を受けているとすれば、あらためて地政学の論理の強さを感ないわけには行かない。
 実は南方ばかりに目を向けていられない。プーチン氏は以前、「アイヌ民族をロシアの先住民族に認定する」という考えを示したことがあるそうだ(2018年12月、モスクワでの人権評議会、*4)。実際に、当時の北海道新聞もそれを報じている(が、「続きを読む」をクリックすると「ページが見つかりません」が表示されてしまう)。ロシアの先住民族(=アイヌ民族)を救済すると言ってロシアが北海道に侵攻する名目が既に存在するのは、なんとも不気味だ(苦笑)。
 上の写真: 桜の季節は終わろうとしているが、洋の東西でどんなに物騒なことが起ころうと、季節は巡り、自然の恵みをもたらしてくれるのが有難い。3/31撮影。

(*1)https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/69503
(*2)https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/69630
(*3)https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD0787X0X00C22A1000000/
(*4)https://www.zakzak.co.jp/article/20220226-OCWG37S3RZPJBH4V5HDN54EBYE/
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プーチン健康不安説

2022-04-05 23:48:58 | 時事放談
 プーチン大統領はパーキンソン病ではないかと噂されてきたが、ロシアの独立系メディア・プロエクトが甲状腺がんの可能性を伝えて、再び健康不安が取り沙汰されている。
 記事によると、「2016年以降、プーチン大統領のもとを、甲状腺疾患を治療する耳鼻咽喉科の医師が59回訪れたと説明。また、甲状腺がんの専門医も35回訪れた」「医師は全員、内務省に所属している機関の中央臨床病院の先生方」(*1)と、やけに具体的である。
 これに対して、慶應大学の広瀬陽子教授は、「プロエクトというのは相当、芯の通ったメディアですので、かなり信ぴょう性はあるのではないかと思います」「このプーチンの病状については、私も直接いろいろ聞いたことがあり、がんについては、2017年から18年にかけてフィンランドで研究を行っていたんですが、その際に研究仲間が“どうやらがんらしい”と言っていた」(*2)と語っている。
 これが事実だとすれば、要人(しかも情報管制がとりわけ厳しいはずのロシアの独裁者)の健康問題はトップ・シークレットであるはずなのに、誰がどういうルートで情報漏洩したのか気になるところだ(不謹慎ながらそれが内部崩壊に繋がらないかと期待してしまう)。また、プーチン氏は既にロシア男性の平均寿命を越えた年齢不安があり、健康不安もあり、ソ連崩壊の歴史に報復するという自らの野望を一刻も早く果たすべく、焦って、自暴自棄に陥らないか、憂慮される。第二次世界大戦でナチス・ドイツを破った「戦勝記念日」の5月9日には、此度のウクライナ戦争の勝利宣言を出すシナリオが想定されているとの噂もある。キーウ陥落は諦めて、東部に集中して圧倒的勝利を収める・・・ということは、首都キーウ近郊ブチャで明らかになった住民の大量虐殺や暴行や略奪が、東部でも繰り返されるのではないかと思うと、胸が痛む。撤退する腹いせなのか見せしめなのか、ブチャでの惨劇がプーチンの指示によるものか、現場の暴走によるものか、定かではないが、いずれにしても最高指揮官として現場の規律を守れない責任は免れない。実際に、戦場での野蛮な振舞いの点で、ロシア兵は、第二次大戦の頃からチェチェン紛争や南オセチア紛争に至るまで、頗る評判が悪く、恐れられてきた。
 10年前に出版された『顔のない男 ウラジーミル・プーチンの異例の昇進』(米ペンギン社)という本(多分、未邦訳)の中で、モスクワ生まれのジャーナリスト、マーシャ・ガッセン氏は「プーチンは顔のない小柄で小物の人物。シニカルで暴力的。クレムリンに冷酷なニヒリズムを持ち込み、被害妄想となった。無感情で残酷、慈悲心がなく、腐敗している」などと酷評しているらしい(名越健郎・拓大教授による *3)。まがりなりにも民主国家であれば、権力の抑制と均衡が働いて、一人の狂気(とその取り巻き)が暴走することはないであろうに、権威主義の独裁国家の悲劇である。2月24日の開戦以来、これまで何度も思って来たことだが、この狂気を早く止めて欲しい。
 なお、キーウ近郊ブチャの虐殺について、ロシア国防省は「一人の住民にも手を出していない。(民間人犠牲の)写真はウクライナ政府の挑発だ」などとシラを切るが、民間のオシント(オープンソース・インテリジェンス)専門家やNY Timesなどの欧米メディアは、衛星画像などを使ってロシアの主張に反論して、矛盾を次々に明らかにし、平気でウソをついて恥じないロシアの醜態を世界中に晒している(気の毒なのは、情報統制されて何も知らされないロシア国民だ)。これもまた現代的な情報化時代の戦争だと、感慨深い。

(*1)https://www.fnn.jp/articles/-/341914
(*2)https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/04/03/kiji/20220403s00041000438000c.html
(*3)https://president.jp/articles/-/56183
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戦争を知らない日本人

2022-04-03 13:20:17 | 時事放談
 私たち日本人は(幸か不幸か)もはや殆ど「戦争を知らない子供たち」だ。その私たちに、ウクライナの戦争はどう映っているだろうか。
 因みに、「戦争を知らない子供たち」は、北山修作詞、杉田二郎作曲で、ベトナム戦争まっさかりの1970年に発表された反戦歌だ。その翌年、北山修氏は同名の著書を出版され、私は高校一年の夏休みの宿題の読書感想文を書くために、夏目漱石や森鴎外ではなく、この書を選んだ。咎められた記憶はないが、今となっては何と大胆不敵だったことかと思う(そのときの国語教師は奈良女子大学出身の才媛で、希代の毒舌家だったが、さすがに言葉を失ったのだろうか 苦笑)。最近、北山氏は日経新聞夕刊にコラムを寄せておられるので、Wikipediaで調べたら、「日本の精神科医、臨床心理学者、作詞家、ミュージシャン」と紹介されている。元日本精神分析学会会長で九州大学名誉教授でもあらせられる。多才なお方だ。
 閑話休題。日本人は、安保法制の国会論戦に見られたように、戦争と言えば今なお太平洋戦争当時のドンパチをイメージするのではないだろうか。そういう側面は勿論あって、此度のウクライナでも、首都キーウ陥落のために戦車や装甲車が攻め寄せた。他方、湾岸戦争における(特に当時のロシアや中国にとっては衝撃だっただろう)テレビゲームのような精密誘導のハイテク兵器による遠隔攻撃という相がある。さらに2014年のロシアによるクリミア併合のように、血を流さない非正規戦を交えた所謂ハイブリッド戦争という相もある。とりわけ情報戦、世論戦は、当事国のみならず、世界をも巻き込む。ウクライナのゼレンスキー大統領がG7をはじめ主要国議会で行った演説が、各国をマーケティングしてそれぞれの国民の心を掴んだとして評判なのは、まさに見事な国際世論戦である。
 ところが、島国育ちの日本人は、私自身を含めて、地続きのユーラシア大陸で繰り返される異民族間の紛争の激しさを知らないせいか、ナイーブと言わざるを得ない。10日ほど前のことになるが、「ウクライナは降伏せよ」と主張されていた橋下徹氏とバトルを繰り広げていた平和構築の専門家・篠田英朗教授は、ロシア・ウクライナ戦争の深刻さが増す中で、日本では頓珍漢な紋切り型の議論が横行しているとして、5類型を挙げて、嘆いておられた(*1)。いずれも、多少なりとも身に覚えのある議論ではないだろうか(以下に抜粋)。

(1)「侵略者が来たら降伏しよう」論。降伏さえすれば、世界の問題は全て解決するといった話は全く現実とかけ離れている。(中略)憲法学者独裁主義体制下の日本の学校教育の弊害をあらためて痛感せざるを得ない。
(2)「世界に問題があるのはアメリカが解決していないからだ」という極度のアメリカの神格化にもとづく意味不明の糾弾。(後略)
(3)「プーチンにはプーチンの正義がある」論。タレントの太田光氏のテレビの発言が話題になった。プーチンにも利害や野心がある。だがそれは正義と呼べるようなものではないだろう。(後略)
(4)「人間には誰でも欠点はある」論。鈴木宗男議員が、「ウクライナにも責任はある、喧嘩両成敗がよい」といったことを国会で発言して、話題になった。(中略)百歩譲って、日本社会の中だけであれば、「いじめられる方も悪い」と呟いて事なかれ主義を貫くこともできるかもしれない。だが、国際社会でそれをやったら、日本は孤立する。
(5)「紛争当事者の一方に肩入れしてはいけない、中立が常に一番正しい」という思想。鳥越俊太郎氏らが、ゼレンスキー大統領の国会演説に反対するために、中立こそが常に絶対善、といった議論を展開して話題になった。(中略)日本国憲法も国連憲章も「正義(justice)」を追求し、そのために日本社会/国際社会全体が標榜すべき目的や原則も明らかにしている。それを一気にひっくり返して、「どれだけ悪い奴が原則や規則を蹂躙しようとも、とにかく常に中立を心掛けることだけが絶対的な善だ」と主張してみせるのは、反憲法的・反国際法的な困った態度である。

 また、3・4・5番目の点をひっくるめて、見るに見かねた細谷雄一教授も4日前、「ロシアもウクライナも両方悪い」とする主張は不適切だとツイッターで指摘された(*2)。
 日本経済新聞社とテレビ東京が3/25~27日に実施した世論調査によれば、岸田内閣の支持率は61%、ロシアのウクライナ侵攻を巡る日本政府の取組みを「評価する」67%、「評価しない」22%との回答だったので、両教授のご懸念は飽くまで一部の意見に対して向けられたものではある。日頃から、情報戦や世論戦を仕掛けられる時代であり、ただでさえ安全保障や戦争学に無意識に拒否反応を示しがちな日本人としては、何が本質なのか、留意したいものだと思う。
 なお、戦況はウクライナに有利に傾きつつあるのか、ロシアは、第一段階の目標は概ね達成されたとして、首都キーウや北部チェルニヒウでの軍事活動を縮小し、東部ドンバスなどでの作戦に集中しつつあるとの報道がある。一刻も早い停戦合意を望むところだが、戦況の有利・不利が停戦協議のポジションに影響するため、プーチン氏は劣勢挽回を図りたいところだろう。そのため、東部・南部では却って戦闘が激化するかも知れない。
 かかる状況において、米・英政府が、プーチン大統領の側近がウクライナ侵攻の実情を大統領に伝えるのを恐れている(そのため都合のいい情報しか上がっておらず、プーチン氏は真実を知らされていない可能性がある)と主張し牽制したのに対し、ロシア大統領府は否定しているが、今の狂気じみたプーチン氏のもとでは大いにあり得る話のように思われる。その意味で、米英が、極秘を解除して情報公開するのは、プーチン政権の偽情報対策であるとともに、プーチン氏本人に(側近による情報の壁を越えて)実情を認識させ、停戦協議を誤らせないためでもあるのだろう。
 こうして、ウクライナの想定外の奮闘は、NATO諸国から対戦車ミサイル(ジャベリン)や携帯式防空ミサイル(スティンガー)やドローンといった装備品が提供されるだけでなく、米・英から情報(公開されるものだけでなく、ウクライナ政府のみに伝えられるものも含めて)が提供されるのも、強力な支援になっていることだろう(さらにゼレンスキー大統領の暗殺を阻止し、あるいはウクライナ軍に対して武器使用や狙撃や破壊工作などの訓練を施すなど、米・英の特殊部隊の暗躍も伝えらえる)。
 戦争のあり方は随分変わったものだと思う。私たちが目にする戦争は、ウクライナとロシアとの直接の対峙のほかに、価値を巡る(すなわち力による現状変更を許さず、武力侵攻するロシアに得をさせない)西側とロシアとの間接的な(西側からの経済や情報による)攻防という、二重構造になっている。そこでは既に日本は他人事ではなく、当事者の一人だ。

(*1)https://agora-web.jp/archives/2055685.html
(*2)https://www.huffingtonpost.jp/entry/ukraine-russia_jp_6243c3fae4b0e44de9bab752
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