【折々の花だより】

”季節の花だより”
花たちとの出会いを楽しんでます

天台宗 宝橋山 高蔵寺

2018-12-11 | デジカメ紀行
天台宗 宝橋山 高蔵寺

丹波篠山の自然豊かな地にたたずんでいます。

開創は孝徳天皇大化2(646)年、播磨国法華山一乗寺を草創して、この地を訪れた法道仙人が、黒頭峯(くろづほう)の嶺にかかる金銀珠玉の雲の架け橋を見て宝橋山(ほうきょうざん)と号したことが始まりといわれています。黒頭峯の堂之尾(どのお)と呼ばれた中腹には、七堂伽藍二十一ヵ坊の堂宇を誇りましたが、天正年中、明智軍の兵火に遭い、消失。
その時、氷上柚子村(ゆずむら)の人が雑兵にまぎれて守り奉ったのが、現存する本尊十一面観世音菩薩(稽文会・稽首勲両仏師の作)と伝えられています。大和(奈良)長谷寺の観音像と同木同作と伝承され、普段は秘仏として宮殿(くうでん)の中にお祀りされていますが、33年に一度御開扉されます。

本堂は、聖徳2(1714)年、本尊脇侍の龍王権現と雨法童子は、永禄10(1568)年の作。
平成7(1995)年に新・丹波七福神霊場として弁財天が奉安されました。平成13(2001)年に檀信徒の
先祖供養、回向道場として阿弥陀堂が建立。
花の寺としても知られており、平成25(2013)年より篠山市内、文保寺、大国寺と共に「丹波篠山もみじ三山」として秋には参拝者が多く訪れているそうです。

33年ぶり開扉期間の11月16日、訪れました。




楼門


明和7(1771)年作。


扁額


金剛力士像

右側は那羅延、左側は密迹。篠山市文化顕彰会指定の文化財。


左手に見えてくるのは・・・。





阿弥陀堂




歴代住職の念願であった阿弥陀堂が平成13(2001)年、篤信檀信徒および全檀信徒により、建立。
五間四面の木造寄せ棟造りで、阪神・淡路大震災規模の地震にも耐えうる構造となっているそうです。
檀信徒、参拝者の回向道場として広く解放され、新・丹波七福神の弁財天が奉安されています。
お堂正面には第二百五十五世天台座主渡邊恵進猊下に揮毫による
「光明殿」と書かれた扁額が掛けられているそうです。

新・丹波七福神とは。
平成7(1995)年、春に丹波地方の天台宗の寺院七ヵ寺(妙高山神池寺、安泰山大国寺、慈眼山済納寺、五大山白毫寺、照月山桂谷寺、竹林山常勝寺、宝橋山高蔵寺)によって設立されたのが新・丹波七福神です。
七福神とは、恵比寿・大黒天・毘沙門天・布袋尊・福禄寿・寿老人・弁財天の七つの仏様のことをいい、高蔵寺は七福神の中の紅一点、女性の仏様である弁財天をお祀りしています。
財宝をもたらす仏様、また愛橋・芸能の仏様として知られています。


右手に見えてくるのは・・・。



やすらぎ観音


平成3(1991)年、高蔵寺開創1354年・比叡山開創1200年を記念し、住職の発願により、篤信檀徒の寄進によって建立された(地上5メートル・身丈2メートル30)聖観音菩薩の石像。
このやすらぎ観音に手を合わせ、人々の安らかな幸と世界平和を願います。
やすらぎ観音前の庭園には憩いの庵・孝友庵や枝垂桜などがあり、
訪れる人々のやすらぎの聖地とされています。


右に見えるのが孝友庵です。参道を進みます。






観音名水



梵鐘




戦前にあった梵鐘は享保年間改鋳の鐘でしたが第二次世界大戦の折、供出。
現在の鐘は昭和28(1953)年鋳造のものです。
鐘の周りには「具一切功徳 慈眼視衆生 福聚海無量 是故応頂礼」と
観音経の四句が刻まれているそうです。


小宮堂



本堂






本尊十一面観世音菩薩像

ホームページより

境内で見られた花など。






  





  


説明文は公式サイトを参考にしました。

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