出雲大神宮は京都府亀岡市の北東部に位置し、大国主命(オオクニヌシノミコト)と后神である三穂津姫命(ミホツヒメノミコト)を奉斎し、特にこの二柱を合わせて出雲大神、出雲大神宮(日本書紀)、出雲神社などと言われています。
古事記や日本書紀に見られるように、大国主命は因幡の素兎で知られる慈愛に満ちた神様で、当宮末社に祀られる少那毘古名命(スクナヒコナノミコト)と共に国土経営に尽力なされました。
その後、皇孫に国譲りの後、幽世(カクリヨ)を統治すべく、現在の島根県にある出雲大社に鎮座される事になり、ここ出雲大神宮に古来より元出雲の信仰があるんだそうです。
三大御神徳
長寿・縁結び・金運
夏越大祓式(なごしのおおはらえ)
「私達は生来、清らかな心身を保つものですが、生身なるが故に知らず識らずのうちに罪や穢れに触れています。
半年に一度積もった罪や穢れを人形(ひとがた)に託し、本来の健全なる心身に立ち返る神事です。」
出雲大社宮司、千家尊佑さん、揮毫の石碑です。
鳥居をくぐると
茅の輪がみえてきます。左手には、神主さんたちが「お浄め」をされるための準備もされています。
夏越大祓式(なごしのおおはらえ)
大祓は古来より続く伝統行事で、6月30日「夏越(なごし)の大祓」行われました。
「人形(ひとがた)」に名前と、年齢を書いてお祓の申込みをすると、「大祓詞」と「奉書」と「水無月の引換券」を頂きます。奉書の中は「人形(ひとがた)」「切麻(きりぬさ)」です。
切麻とは、お祓い具の一つで、紙と麻を細かく切って混ぜたのものです。
神主さんのお祓いをうけ、参列者全員で大祓(おおはらえ)の詞を唱えます。次いで、自分自身で「切麻(きりぬさ)」で、頭や肩から振り掛けお祓いをし、「ひとがた」で自分の身体の悪い所をさすり、またもとのように包んでおきます。
神主さんが「布」を八つに切り裂きます。
<布を八つに切り裂くことで罪や穢れを解除すると言い伝えられています>
「禊(みそぎ)の小川」に流すため、切り裂かれた「布」は、先ほどの悪い所をさすった「ひとがた」と一緒に唐櫃に入れられます。
<「大国主命(オオクニヌシノミコト)」の后神「三穂津姫命(ミホツヒメノミコト)」の名より付けられた保津川の清流で一切を祓い清め、これからの暑さに負けないよう、また残り半年の無病息災を祈願します>
その後参列した全員で「水無月の夏越の祓する人は 千年の命延ぶといふなり」と、唱えながら、「茅の輪くぐり」をします。
<「茅の輪」を八の字に三回くぐると罪穢れが祓えると言われています>
左足でまたぎ、一回目は左方へ出ます。二回目は右方へ、三回目は左方へ出、八の字にくぐります。
神主さんに続いてくぐります。
唐櫃も担がれています。
頂いた「水無月」です。
昔、宮中の人々は氷室(京都衣笠山西麓)から取り寄せた氷を口にして暑気払いをしました。貴重な氷は一般大衆の手には入りにくかったため、小麦粉を練って氷片になぞらえたのが水無月です。水無月の上にある小豆は悪魔払いの意味があり、三角の形は暑気を払う氷を表しているそうです。
夏の酷暑を乗り切り、無病息災を祈願するお菓子です。
境内をまわってみました。
本殿
御祭神 大国主命(オオクニヌシノミコト)
縁結び・金運・福の神
三穂津姫命(ミホツヒメノミコト)
社殿は元明天皇の和銅2(709)年に建立され、現在の本殿は鎌倉時代末期の元徳年間、あるいは貞和元(1345)年に足利尊氏が修造した事が当時の史料から知られています。
造りは中世神社建築に多く見られる三間社流造平入。建坪14坪弱、檜皮葺を施しており、明治39(1906)年に旧国宝、現重要文化財に指定されています。
坂道を上がっていくと横から見えます。
獅子狛は彩色されているようです。
後ろから。
春日社
御祭神 建御雷之男神(タケミカヅチノオノカミ)
天兒屋命(アメノコヤネノミコト)
大国主命による国造りが完了して、皇孫に国譲りの際、天津神の使者として遣わされたのが建御雷之男神です。
磐座
磐座内は神域、禁足地となります
御蔭の滝
竜神乃神をお祀りする滝として いにしえより地域の源として崇められています。
稲荷社
御祭神 宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)
五穀豊穣・商売繁盛の神
お稲荷さんで親しまれている穀物の育成を司る神様です。
上の社
御祭神 素戔嗚尊(スサノオノミコト)厄難消滅の神
櫛稲田姫尊(クシイナダヒメノミコト)
上の社本殿は向拝を設けるなど出雲大神宮本殿を模倣した流造ですが、その造りは一間社と珍しい構造で、創建は文化10(1813)年と擬宝珠に刻まれています。
出雲大神宮は、背後に控える 御蔭山 (御神体山) を古くから神と崇めてきました。
御祭神 国常立尊(クニノトコタチノミコト)
神々様が御降臨されたのは御神体山である御蔭山で、出雲大神宮の本殿が立てられる以前から公武を問わず、尊崇を集め、国の最も優れた中心地でした。
笑殿社
御祭神 事代主命(コトシロヌシノミコト)
商売繁盛の神
少那毘古名命(スクナヒコナノミコト)
事代主命は当宮の主祭神大国主命の御子神で、皇孫に対する国譲りに功績のあった神様で、託宣を司る御神徳で著名です。
また少那毘古名命は国譲り以前の国造りに際して大国主命に協力され、共に温泉を衆庶に広めて医薬を教え、完了後は常世国に移られました。
医薬・健康の神
境内で見られた花達・・・。
古事記や日本書紀に見られるように、大国主命は因幡の素兎で知られる慈愛に満ちた神様で、当宮末社に祀られる少那毘古名命(スクナヒコナノミコト)と共に国土経営に尽力なされました。
その後、皇孫に国譲りの後、幽世(カクリヨ)を統治すべく、現在の島根県にある出雲大社に鎮座される事になり、ここ出雲大神宮に古来より元出雲の信仰があるんだそうです。
三大御神徳
長寿・縁結び・金運
夏越大祓式(なごしのおおはらえ)
「私達は生来、清らかな心身を保つものですが、生身なるが故に知らず識らずのうちに罪や穢れに触れています。
半年に一度積もった罪や穢れを人形(ひとがた)に託し、本来の健全なる心身に立ち返る神事です。」
(出雲大神宮ホームページより)
出雲大社宮司、千家尊佑さん、揮毫の石碑です。
鳥居をくぐると
茅の輪がみえてきます。左手には、神主さんたちが「お浄め」をされるための準備もされています。
夏越大祓式(なごしのおおはらえ)
大祓は古来より続く伝統行事で、6月30日「夏越(なごし)の大祓」行われました。
「人形(ひとがた)」に名前と、年齢を書いてお祓の申込みをすると、「大祓詞」と「奉書」と「水無月の引換券」を頂きます。奉書の中は「人形(ひとがた)」「切麻(きりぬさ)」です。
切麻とは、お祓い具の一つで、紙と麻を細かく切って混ぜたのものです。
神主さんのお祓いをうけ、参列者全員で大祓(おおはらえ)の詞を唱えます。次いで、自分自身で「切麻(きりぬさ)」で、頭や肩から振り掛けお祓いをし、「ひとがた」で自分の身体の悪い所をさすり、またもとのように包んでおきます。
神主さんが「布」を八つに切り裂きます。
<布を八つに切り裂くことで罪や穢れを解除すると言い伝えられています>
「禊(みそぎ)の小川」に流すため、切り裂かれた「布」は、先ほどの悪い所をさすった「ひとがた」と一緒に唐櫃に入れられます。
<「大国主命(オオクニヌシノミコト)」の后神「三穂津姫命(ミホツヒメノミコト)」の名より付けられた保津川の清流で一切を祓い清め、これからの暑さに負けないよう、また残り半年の無病息災を祈願します>
その後参列した全員で「水無月の夏越の祓する人は 千年の命延ぶといふなり」と、唱えながら、「茅の輪くぐり」をします。
<「茅の輪」を八の字に三回くぐると罪穢れが祓えると言われています>
左足でまたぎ、一回目は左方へ出ます。二回目は右方へ、三回目は左方へ出、八の字にくぐります。
神主さんに続いてくぐります。
唐櫃も担がれています。
頂いた「水無月」です。
昔、宮中の人々は氷室(京都衣笠山西麓)から取り寄せた氷を口にして暑気払いをしました。貴重な氷は一般大衆の手には入りにくかったため、小麦粉を練って氷片になぞらえたのが水無月です。水無月の上にある小豆は悪魔払いの意味があり、三角の形は暑気を払う氷を表しているそうです。
夏の酷暑を乗り切り、無病息災を祈願するお菓子です。
境内をまわってみました。
真名井の水
日本水質保健研究所によれば、古生代の石灰岩層をつたって火山噴火でできたマグマの接触変成岩層から湧き出ている「うまい水」で、ミネラルがバランスよく含まれる極めて健康によい理想の水であるとするなど地質学的に実証されているそうです。このような水は自然界の中でもほんの一部しか存在しないという事です。
水を持ち帰ることもできます。
夫婦岩
辨財天社
御祭神 市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)
芸能・財運・女性の神
手水舎
日本水質保健研究所によれば、古生代の石灰岩層をつたって火山噴火でできたマグマの接触変成岩層から湧き出ている「うまい水」で、ミネラルがバランスよく含まれる極めて健康によい理想の水であるとするなど地質学的に実証されているそうです。このような水は自然界の中でもほんの一部しか存在しないという事です。
水を持ち帰ることもできます。
夫婦岩
辨財天社
御祭神 市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)
芸能・財運・女性の神
手水舎
拝殿
入母屋造、妻入で本殿と同じく檜皮葺を施した舞殿形式の建物であり、明治11(1878)年に官費により造営されました。
拝殿前の狛犬。
入母屋造、妻入で本殿と同じく檜皮葺を施した舞殿形式の建物であり、明治11(1878)年に官費により造営されました。
拝殿前の狛犬。
本殿
御祭神 大国主命(オオクニヌシノミコト)
縁結び・金運・福の神
三穂津姫命(ミホツヒメノミコト)
社殿は元明天皇の和銅2(709)年に建立され、現在の本殿は鎌倉時代末期の元徳年間、あるいは貞和元(1345)年に足利尊氏が修造した事が当時の史料から知られています。
造りは中世神社建築に多く見られる三間社流造平入。建坪14坪弱、檜皮葺を施しており、明治39(1906)年に旧国宝、現重要文化財に指定されています。
坂道を上がっていくと横から見えます。
獅子狛は彩色されているようです。
後ろから。
春日社
御祭神 建御雷之男神(タケミカヅチノオノカミ)
天兒屋命(アメノコヤネノミコト)
大国主命による国造りが完了して、皇孫に国譲りの際、天津神の使者として遣わされたのが建御雷之男神です。
磐座
磐座内は神域、禁足地となります
御蔭の滝
竜神乃神をお祀りする滝として いにしえより地域の源として崇められています。
稲荷社
御祭神 宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)
五穀豊穣・商売繁盛の神
お稲荷さんで親しまれている穀物の育成を司る神様です。
上の社
御祭神 素戔嗚尊(スサノオノミコト)厄難消滅の神
櫛稲田姫尊(クシイナダヒメノミコト)
上の社本殿は向拝を設けるなど出雲大神宮本殿を模倣した流造ですが、その造りは一間社と珍しい構造で、創建は文化10(1813)年と擬宝珠に刻まれています。
出雲大神宮は、背後に控える 御蔭山 (御神体山) を古くから神と崇めてきました。
御祭神 国常立尊(クニノトコタチノミコト)
神々様が御降臨されたのは御神体山である御蔭山で、出雲大神宮の本殿が立てられる以前から公武を問わず、尊崇を集め、国の最も優れた中心地でした。
笑殿社
御祭神 事代主命(コトシロヌシノミコト)
商売繁盛の神
少那毘古名命(スクナヒコナノミコト)
事代主命は当宮の主祭神大国主命の御子神で、皇孫に対する国譲りに功績のあった神様で、託宣を司る御神徳で著名です。
また少那毘古名命は国譲り以前の国造りに際して大国主命に協力され、共に温泉を衆庶に広めて医薬を教え、完了後は常世国に移られました。
医薬・健康の神
境内で見られた花達・・・。
説明文は出雲大神宮ホームページを参考にしました。