弘法大師霊場 遺迹(ゆいせき)本山 高雄山神護寺
高雄、槇尾、栂尾は三尾と言われ、京都市北西部の紅葉の名所として知られています。
高雄山・神護寺、栂尾山・高山寺、槇尾山・⻄明寺。
高雄山の中腹にある神護寺は、京都市内でも早めに色づき始める、京都屈指の紅葉の名所です。
11月16日出かけてきました。
駐車場に車を停め、向かいます。
高山寺は日本ではじめて茶が作られた場所として知られています。栄西禅師が宋から持ち帰った茶の実を明恵につたえ、山内で植え育てたところ、修行の妨げとなる眠りを覚ます効果があるので衆僧にすすめたといわれています。
高山寺を代表する宝物である「鳥獣人物戯画」はよく知られています。
三尾マスコットキャラクター「高雄もみじちゃん」
佛教大学と高雄保勝会がコラボレーションして制作。2018年10月21日誕生。
2017年に11月に高雄に訪れたみなさんにキャラクター選挙を実施、54体のキャラクターから、見事1位になったそうです。
三尾の古刹(神護寺・西明寺・高山寺)、高雄エリア各地に配置されているんだとか。
「高雄もみじちゃん」と一緒に記念撮影をどうぞ・・・。
⻄明寺は、平安時代に智泉大徳によって開かれた山寺。
本尊釈迦如来像は運慶作と伝わる清凉寺式の立像。
さらに進むと見えてきました、神護寺へ向かう高雄橋。
高雄山・神護寺
781(天応元)年(奈良時代)和気清麻呂による建立。809年(大同4)から14年間空海(弘法大師)が住持、その後、荒廃したが、平安末期、文覚上人が再興。
国宝の薬師如来像をはじめ、平安、鎌倉時代の仏像、絵画、書跡などが多く残る。梵鐘(国宝)は日本三名鐘の一つ。
境内最奥の地蔵院から眺める、錦雲渓(きんうんけい)の雄大な自然も格別で、厄除けのかわらけ投げ(神護寺が発祥、家内安全を祈るとされています)を、楽しむことができます。
タカオカエデなど樹齢500年以上の古木が多く残り、山門への石段に葉を落とす風景など、見ごろの最盛期を過ぎた晩秋の境内を埋める散りもみじも風情にあふれています。
こちらから上がって行きます。
途中には「お休み処」が・・・。
楼門は見えてきましたが・・・。
楼門
清滝川畔から石段の参道を上りつめた先に建つ正門。両脇に二天像を安置。毘沙門堂などと同様、元和9年(1623年)の建立とされています。
今回、おおいがかかっていて見られませんでした・・・。
書院や宝蔵を見ながら。
毘沙門堂などと同様元和9年(1623年)の再建とされる。楼造の鐘楼で、
楼上に国宝の梵鐘があります。
金堂へ上がる階段が見えます。
金堂へと上る石段の下に建っています。入母屋造の三間堂。元和9年(1623年)の建築。
見えているのは、毘沙門堂と五大堂。
五大堂の南に建っています。入母屋造の五間堂。金堂が建つ前はこの堂が金堂であり、本尊の薬師如来像もここに安置されていました。元和9年(1623年)の建築。内部の厨子に平安時代の毘沙門天立像(重文)を安置しています。
毘沙門堂の西側に建つ入母屋造、杮(こけら)葺きの住宅風の仏堂。空海の住房であった「納涼房」を復興したもので、現存するものは近世初期の再建。内部の厨子に正安4年(1302年)作の板彫弘法大師像(重文)を安置。
金堂へは、この階段を上がって行きます。
入母屋造。
須弥壇中央の厨子に本尊薬師如来立像(国宝)を安置し、左右に日光・月光(がっこう)菩薩立像(重要文化財)と十二神将立像、左右端に四天王立像を安置。
金堂からさらに石段を上った高みに建っています。金堂と同様、昭和9年(1934年)、実業家山口玄洞の寄進で建てられたもの。内部に国宝の五大虚空蔵菩薩像を安置。
境内で。
高雄、槇尾、栂尾は三尾と言われ、京都市北西部の紅葉の名所として知られています。
高雄山・神護寺、栂尾山・高山寺、槇尾山・⻄明寺。
高雄山の中腹にある神護寺は、京都市内でも早めに色づき始める、京都屈指の紅葉の名所です。
11月16日出かけてきました。
駐車場に車を停め、向かいます。
清滝川にかかる白雲橋
茶山栂尾碑
茶山栂尾碑
高山寺は日本ではじめて茶が作られた場所として知られています。栄西禅師が宋から持ち帰った茶の実を明恵につたえ、山内で植え育てたところ、修行の妨げとなる眠りを覚ます効果があるので衆僧にすすめたといわれています。
高山寺、裏参道
高山寺を代表する宝物である「鳥獣人物戯画」はよく知られています。
三尾マスコットキャラクター「高雄もみじちゃん」
佛教大学と高雄保勝会がコラボレーションして制作。2018年10月21日誕生。
2017年に11月に高雄に訪れたみなさんにキャラクター選挙を実施、54体のキャラクターから、見事1位になったそうです。
三尾の古刹(神護寺・西明寺・高山寺)、高雄エリア各地に配置されているんだとか。
「高雄もみじちゃん」と一緒に記念撮影をどうぞ・・・。
西明寺へ向かう指月橋。
⻄明寺は、平安時代に智泉大徳によって開かれた山寺。
本尊釈迦如来像は運慶作と伝わる清凉寺式の立像。
振り返って・・・。
さらに進むと見えてきました、神護寺へ向かう高雄橋。
高雄山・神護寺
781(天応元)年(奈良時代)和気清麻呂による建立。809年(大同4)から14年間空海(弘法大師)が住持、その後、荒廃したが、平安末期、文覚上人が再興。
国宝の薬師如来像をはじめ、平安、鎌倉時代の仏像、絵画、書跡などが多く残る。梵鐘(国宝)は日本三名鐘の一つ。
境内最奥の地蔵院から眺める、錦雲渓(きんうんけい)の雄大な自然も格別で、厄除けのかわらけ投げ(神護寺が発祥、家内安全を祈るとされています)を、楽しむことができます。
タカオカエデなど樹齢500年以上の古木が多く残り、山門への石段に葉を落とす風景など、見ごろの最盛期を過ぎた晩秋の境内を埋める散りもみじも風情にあふれています。
こちらから上がって行きます。
途中には「お休み処」が・・・。
硯石
楼門は見えてきましたが・・・。
楼門
清滝川畔から石段の参道を上りつめた先に建つ正門。両脇に二天像を安置。毘沙門堂などと同様、元和9年(1623年)の建立とされています。
今回、おおいがかかっていて見られませんでした・・・。
境内図
書院や宝蔵を見ながら。
<和気公霊廟>
階段を上がった所に見えるのは鐘楼です。
<鐘楼(横から)>
階段を上がった所に見えるのは鐘楼です。
<鐘楼(横から)>
毘沙門堂などと同様元和9年(1623年)の再建とされる。楼造の鐘楼で、
楼上に国宝の梵鐘があります。
<明王堂>
金堂へ上がる階段が見えます。
<五大堂>
鬼瓦
鬼瓦
金堂へと上る石段の下に建っています。入母屋造の三間堂。元和9年(1623年)の建築。
見えているのは、毘沙門堂と五大堂。
<毘沙門堂>
五大堂の南に建っています。入母屋造の五間堂。金堂が建つ前はこの堂が金堂であり、本尊の薬師如来像もここに安置されていました。元和9年(1623年)の建築。内部の厨子に平安時代の毘沙門天立像(重文)を安置しています。
大師堂(重文)
毘沙門堂の西側に建つ入母屋造、杮(こけら)葺きの住宅風の仏堂。空海の住房であった「納涼房」を復興したもので、現存するものは近世初期の再建。内部の厨子に正安4年(1302年)作の板彫弘法大師像(重文)を安置。
金堂へは、この階段を上がって行きます。
<金堂>
入母屋造。
須弥壇中央の厨子に本尊薬師如来立像(国宝)を安置し、左右に日光・月光(がっこう)菩薩立像(重要文化財)と十二神将立像、左右端に四天王立像を安置。
<多宝塔>
金堂からさらに石段を上った高みに建っています。金堂と同様、昭和9年(1934年)、実業家山口玄洞の寄進で建てられたもの。内部に国宝の五大虚空蔵菩薩像を安置。
<本坊>
境内で。
説明文は公式サイトを参考にしました。