【折々の花だより】

”季節の花だより”
花たちとの出会いを楽しんでます

西国第十番札所 明星山 三室戸寺

2023-06-11 | 花だより
「夜もすがら月をみむろとわけゆけば 宇治の川瀬にたつはしらなみ」
の御詠歌できこえる、西国三十三箇所霊場十番の観音霊場、明星山三室戸寺は、観音応現の霊地であり、光仁天皇勅願の精舎です。
本尊は千手観音像、厳重な秘仏です。
寺伝によれば、宝亀元年(770年)光仁天皇の勅願により南都大安寺の僧行表が創建。
明星山、三室戸寺は西国観音霊場十番の札所で、本山修験宗の別格本山です。 約1200年前(宝亀元年西暦770年)、光仁天皇の勅願により、三室戸寺の奥、岩淵より出現された千手観音菩薩を御本尊として創建されました。
開創以来、歴代天皇・貴族の崇拝を集め、堂塔伽藍が整いました。
光仁天皇の開創以来千有余年の間、皇室より庶民にいたるまで、私達の悩みの一切を必ずお救い下さる、大慈大悲の観世音菩薩の信仰の中心として、三室戸寺への尊崇は厚く続けられました。

6月1日訪れました。


三室戸寺の入口に架かる小さな橋を蛇体橋といいます。

この橋名の由来民話です。
宇治の三室戸寺には、参道の入り口に小さい橋がある。名を蛇体橋というてな、 なんでも雨の降る日には橋の裏側に、蛇の影が現れるのやそうな。 ずっと、昔のことや。山城の綺田(かばた)村に、三室戸の観音さまを信仰している心のやさしい娘がいた。
ある時、娘は村人が蟹(かに)を殺そうとしているのに出くわし、 「魚の干物をあげるから、逃がしてやっておくれ」と頼んで、蟹を助けてやった。 さて、ある日のこと。その娘の父親が畑に行くと、蛇が蛙(かえる)を飲み込もうとしていた。 そこで父親は、「蛙を放してやりなさい。放したら、わしの娘をやるから。」と、蛇に言うたのや。蛇はすぐに蛙を放し、やぶの中に消えていった。
その夜、蛇はりりしい若者に姿を変え、父親のところへやってきた。 「約束通り、娘をもらいにきたぞ。」 父親はびっくりぎょうてん。 「三日後に、来てくれ」 と、言い逃れをして蛇を帰したのや。
三日後、娘は戸をしっかり閉めて部屋に閉じこもると、三室戸の観音さまを念じながら、一心に観音経を唱えた。 恐ろしくて気が遠くなりそうなのを必死でこらえてな。 外で娘を待っていた若者は、ついにしびれを切らし、蛇の姿にもどると、尾で戸を打ち破った。 「観音さま!」 娘が叫んだとたん、たくさんの蟹がこつぜんと現れ、はさみをふり立てて蛇に切りかかった。怒り狂う蛇を退治したのや。
翌日、娘は三室戸寺へお礼参りに、出かけた。途中で雨が降りだし、三室戸寺についたころには、本降りになっていた。 娘が参道の橋を渡り、なにやら気配を感じて振りかえると、橋の上に蛇が横たわっていた。 蛇は悲しげな目で娘をじっと見つめると、橋の裏側にまわり、ふっと姿を消したのや。 雨が降る日には蛇の影が現れる。 いつしか人々は、この橋を蛇体橋と呼ぶようになったのや。
娘は蛇を供養するため、蛇の姿をした宇賀神の木像(非公開)を奉納したと伝えられています。


<境内図>


蛇体橋を渡り、受付を済ませ、進みます。







右手下方にアジサイ園が見えます。



<山門>



山門をくぐると、見えてきます。



<あじさいのアート>



今年も60段もの石段に景気の回復に向けた願いが描かれています。
古くからウサギに縁のあるお寺で、本堂に続く60段の石段にはおよそ700株のポットアジサイを使用しコロナからの脱却と飛躍、それに景気上昇を願い、月に向かう「あじさい花うさぎ図」が描かれました。

あじさいを見ながら、石段を上がって行きます。



<手水所>





<宇賀神の像>

気軽に触れてもらおうと、木像に似せた石像を設置。
財運・金運の蛇神で、頭は老翁、体は蛇で蓮に乗っています。宇賀神を撫でると、財運(金運)・良運がつくといわれています。


<本堂(江戸時代・府文化財)>



文化11年(1814年)に再建。重層入母屋造の重厚な建物で、秘仏の千手観音立像が安置されています。



本堂の前に。

<勝運祈願の宝勝牛(牛玉)>

三室戸寺に観音詣でをしていた富右衛門というお百姓が飼っていた弱々しい牛が、観音様のご利益で立派な牛になり、 地域一番の権兵衛の牛に戦い勝ち、その時に得た報奨金をもとに、牛の仲買人として成功したという故事によります。
この宝勝牛がくわえている牛玉の観音様に触れると、勝運に恵まれるといいます。
牛の腹には小さな覗き窓があり、そこから胎内におさめられた牛の木像が見えます。


<運勝祈願の手形 横綱 貴乃花・若乃花>

若乃花関は平成10年の春場所直前に絵馬を奉納し、優勝。


<狛兎>

狛牛と対面して兎が安置されています。
三室戸寺のある地域は、古来より、菟道(うじ)と言われ、 仁徳天皇の弟、菟道稚郎子は宇治天皇とも称され、応神天皇と宇治の豪族、和邇氏の娘との間に生まれた皇子です。宇治の本拠としていたので、こう呼ばれていたようです。
菟道稚郎子が宇治に来た際、兎が道案内したとの伝承もあり、兎と縁があります。
御影石製で、高さ150cm、幅90cm。幅60cmの大きな玉を抱いていますが、玉の中に卵型の石があり、それが立てば願いが通じると云われています。


<阿弥陀堂(江戸時代・府文化財)>



<鐘楼(江戸時代・府文化財)>



<三重塔(江戸時代・府文化財)>

建立の全高16メートル。


<浮船古跡碑>









続いて、アジサイ園へ向かいます。


庭園「与楽園」 5,000坪。中根金作によって1989年(平成元年)に作庭された枯山水庭園と池泉回遊式庭園、広庭からなっています。5月は2万株のツツジ、一千本のシャクナゲ、6月は1万株のアジサイ、7月はハス、秋は紅葉の名所にもなっています。




























  


  


  


  


  


  


  
    



















  



<御朱印>
      
切り絵の御朱印です。



<汚水管マンホールの蓋>

宇治橋と市の木イロハモミジのデザイン。


説明文は公式サイトを参考にしました。





この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 敦賀市赤レンガ倉庫 | トップ | 越前和紙の里 »
最新の画像もっと見る

花だより」カテゴリの最新記事