【折々の花だより】

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花たちとの出会いを楽しんでます

2019年度 奉祝 天皇陛下御即位 京都非公開文化財特別公開

2019-11-17 | デジカメ紀行
2019年度 奉祝 天皇陛下御即位 京都非公開文化財特別公開
11月1日~10日に開催されました。

6日、梅辻家住宅と金臺寺を、訪れました。

上賀茂神社の神主筋(七家)の社家の一つである、梅辻家住宅へ。

「社家町」は神主さんなど神職(社家)の住宅が集まる町です。
神職は仕える神社のすぐ側に家を構える事が多く、特に大きな神社ともなると数多くの社家住宅が建ち並び、社家町が形成されています。
上賀茂神社の社家町は昔ながらの社家住宅が連なる町並みとして国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
江戸時代には300軒を越える社家があったそうですが、現在、上賀茂には社家住宅がおよそ20軒残っています。

上賀茂神社




上賀茂の社家町は、明神川と呼ばれる小川に沿って続いています。社家邸宅の門や土塀、小橋が連なっています。
外観や間取りなどは武家の住宅に近いのですが、部分的に寺院建築の特徴も併せ持つ、建築様式となっています。




この明神川は、上賀茂神社の境内を流れる「ならの小川」から注いでいるもの。
「ならの小川」は百人一首にも詠まれ、祭事の際には禊や人形流しが行われる、神水の川で、それが神社の境内から出ると「明神川」と名を変え、社家町を潤しているそうです。




それぞれの家の敷地内に明神川の水を引き込み、生活用水や庭園の遣水、そして身を清める禊の水として利用してきました。
庭園を巡っただけの水はそのまま明神川へと戻されますが、洗濯などに用いられた汚水は「水口(すいくち)」と呼ばれる下水処理専用の井戸へと流し、明神川の清浄さを保っています。
社家町を過ぎた後は農家の農業用水としても用いられ、地域の田畑を潤しているそうです。




上賀茂神社から明神川に沿って社家町を眺めながら歩いていくと大きな楠が見えてきます。
その大木の根元に朱色の垣に囲まれた藤木社(ふじのきしゃ)があります。

藤木社、楠





祭神は瀬織津姫神で、明神川の守護神として信仰されてきました。
上賀茂神社の境外末社で、葵祭には南大路町の氏子により神輿渡御が行われます。

楠は幹周4.2メートル、樹高10メートル、推定樹齢500年といわれ、この地のシンボルとして崇められてきました。
市の保存樹に指定。ノキシノブなどの着生植物が多いそうです。


付近のお店




梅辻家住宅が見えてきました。




梅辻家住宅(うめつじけじゅうたく、市指定・賀茂七家唯一の現存遺構)、社家に伝わる文書等が公開されています。

上賀茂神社に仕えた社家で、建物は居室部と座敷部からなり、天保9年(1838)頃には、ほぼ現在の形に。
居室部は正面に式台を設け,妻面は柱と貫で飾り、座敷部は座敷と次の間からなり、座敷は押板風の床の間と付書院を備えて花頭窓があります。
京都市指定有形文化財。

長屋門をくぐると入母屋造の式台といわれる表玄関があります。


高貴な客が出入りする玄関です。私たちはこちらから・・・。

鳥居形の大戸口。

内玄関で一般の人たちはこちらから出入りします。

撮影はお庭だけOK。



トユ



トユ先が長く出ているのは、雨水で建物が汚れないような工夫だそう。

雨落とし

ここに雨水が落ちるようになっています。


  


梅辻家を後にして金臺寺へ向かいます。

金臺寺(こんたいじ)
本堂、客殿、御本尊 釈迦如来像、狩野永岳筆襖絵、白隠慧鶴筆法貝変妖之図、他が公開されています。

金臺寺は妙心寺の境外塔頭で、北区等持院にあります。
平安時代の創建で池上寺と称していましたが、江戸時代に妙心寺第131世輝岳宗暾が国泰寺と改め、のちに現在の金臺寺となりました。

白隠慧鶴は江戸時代の禅僧で、禅の教えを絵に描いて説きました。
「法具変妖之図」は、手足が生えて妖怪になった法具たちの動きがいきいきと描かれている絵巻です。


江戸東京博物館掲載写真をお借りしました。



朝日新聞掲載写真をお借りしました。

龍頭の幡を持った赤鬼や琵琶にひかれた琴や如意の化け物が姿を見せる。室町時代の「百鬼夜行(ひゃっきやぎょう)絵巻」(真珠庵本)から題材をとったとみられる。
粗末に扱われ化け物になった法具を描くことで、仏法をおろそかにする者たちへの戒めとしたのだろうかと。

お庭も含め、撮影不可なので、外から・・・。







折鶴、頂きました。


説明文は、朝日新聞や博物館、パンフレット等を参考にしました。


後日、初公開の「正覚庵」「大雲寺」へ。

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