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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

全編、黒人しか出てこない映画

2023年05月21日 17時22分34秒 | Weblog

 「土曜日なのに、観るものが無いわねぇー」と、カミさんは番組表を見て言う。カミさんがチャンネル権を放棄することは滅多に無いので、私は何気なく映画が観たくなった。映画は『ムーンライト』というタイトルだった。活劇なら切ればいいとスイッチを入れた。

 画面はキレイな南部アメリカの黒人街で、同じような家がズラリと建ち並ぶ。豪華なアメリカ車に乗った男が、麻薬の集金に来ていた。その前を小学生の男の子が走って行き、その後を悪童たちが追いかけて行く。

 逃げて行った男の子は、映画の主人公で瞳がキレイだ。本名は「シャロン」なのに、「リトル」と呼ばれ、内気でいつも下を向いている。彼は母親と二人暮らしだが、母親は麻薬を吸い売春で生活している。シャロンは家に居場所が無い。

 そんないじめられっ子のシャロンを助けるのが、麻薬売人の男で、まるで息子のように可愛がる。けれど、母親に売人とののしられ、シャロンにも気付かれてしまう。孤独なシャロンにも一人だけ友だちがいた。ケヴィンはシャロンに「いつもイジメられていて平気なのか。強いところを見せろ」と言う。ふたりは取っ組み合いをして遊ぶ。

 高校生になったシャロンはふとしたはずみでケヴィンと唇を重ねる。しかし、学校では相変わらずいじめの対象で、悪童たちはケヴィンにシャロンを叩き潰せと命じ、シャロンは打ちのめされる。シャロンは教室にいた悪童のボスにイスを振りかざして叩き潰し、少年院に送られる。

 成人となったシャロンは筋肉隆々の男で、高級なアメリカ車に乗る売人のリーダーになっていた。そこにケヴィンから電話が入り、シャロンはケヴィンのレストランを訪れ、ケヴィンの料理をいただく。ふたりは昔を懐かしむ。ケヴィンは結婚し、子どもがいると話す。シャロンはケヴィンと唇を重ねて以来、人の肌に触れたことは無いと告げる。

 映画はそこで終わってしまうから、この先が気になるし、何がテーマなのかと考えさせられる。全編、黒人しか出てこないのも映画の狙いなのかも知れない。

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それが人の幸せな道なのだろう

2023年05月20日 17時39分04秒 | Weblog

 先輩の家にも、ケイタイにも電話をしたけれど、「ただいま、電話に出ることが出来ません」のコールしかない。先輩から電話が入っているのに、私から電話してもかからない。行き違いが続き、何かあったのかと心配しているとやっとつながった。

 「あのねえ、私、昨日、入院した」と言う。原因はよく分からないが、倒れて病院へ運ばれたようだ。それでも、「お金を寄付する話だが、そういう制度が市にはあるよね」と言うので、「まあ、慌てずに。見舞いに行くから、また話しましょう」と言って切った。

 いったい何が起きたのか、先輩は「まだ死ぬ気は無い。やりたいことがいっぱいある」と元気だが、病院に運ばれたことは確かなのに、どうもチグハグな感じがする。それでも、電話が出来るようなので安心した。出来れば近いうちに、先輩の長男と会えればいいと願っているが‥。

 私自身が家にばかり籠っているせいか、外出をした時はなぜかしっかり歩けていない。知り合いの女性も、路上で転んで顔面を打ったという。歳は止められないし、歳の結果がこんなところに出てくる。

 日本の百歳以上の人口は昨年の9月の時点で、9万526人と発表があった。52年連続で増え続けているそうだ。百歳以上の人の89%が女性だという。ちなみに1963年の百歳以上の人の数は、僅か153人だったから異常な増え方である。

 健康で長生きなら、幸せなことだ。百歳以上の人たちは、戦争で苦労してきたのだから、最後は幸せな人生であった欲しい。長寿の老人を「お荷物」などと、悪く言ってはならない。先輩たちが必死に働いて、今日を築いてもらったのだから。

 けれど、長寿の傾向もいつかは減少に転じるだろう。自然の成り行きに逆らうことなく、その時その時を精一杯に生きていく、それが人の幸せな道なのだろう。

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「遺骨は拾わなくていい」

2023年05月19日 17時49分08秒 | Weblog

 朝、トイレに居たら電話がかかってきた。先輩からの電話だったので、折り返し電話を入れた。「例の話で、いろいろ考えているんだけど」と先輩が言いかけると後ろから、「そんな状態(状況?)じゃー無いでしょう」と女性の声がした。「また、行くから」と返事をして切った。

 先輩の言う例の話とは、生前贈与のことで、金額が話の度に変わるので定かでは無いが、自分が自由に寄付できる金額を、市に贈りたいのでどうしたら良いかということである。家族に自分の気持ちを話し、同意を得ることが大事だと話してあるが、どうも家族にはハッキリしたことを伝えていないようだ。

 「私の話など、家族は聞いてくれない」と先輩は嘆くけれど、キチンと話せば納得してもらえる家族だと思う。そのためならば、話し合いの席に私も友だちの市議も同席してもいい。家族にしてみれば、先輩の行動が不安だから心配しているのだろう。

 明日の朝、先輩からまた電話があるだろうから、市役所がどういう対応をしてくれるのか知っておこうと思い、市役所へ出かけた。市の職員はすっかり若返ってしまい、知り合いが少なくなってしまったが、数少ない職員を通して担当者から話を聞いた。これで明日、電話がかかってきても大丈夫だ。

 市にすれば、寄付してくれる市民はありがたい存在である。「文句を言う市民」は嫌だが、寄付してくれる市民なら大歓迎である。百万円以上の寄付なら、広報に名前が出るし、市長から感謝状が授与されるから、家族としても安心だろう。私たちの世代は皆、裸一貫から出発し、働いて働いて財を築いてきた。

 子どもたちが生活に困らない財産があるのなら、自分の小遣い分くらいは市に恩返しに寄付したい、そう考える先輩は立派だ。私は子どもたちに、「遺骨は拾わなくていい」としか、言い残すものが無い。

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苦しんでいる人に寄り添えない政治家はいらない

2023年05月18日 17時56分49秒 | Weblog

 広島で明日から21日まで、G7が開催される。世界の主要国の首脳会議が、広島で行われるからには、単なる儀式で終わって欲しくない。慰霊碑に献花するだけでなく、原爆資料館をじっくりと見てもらいたい。

 高校生の時、修学旅行で原爆資料館を訪れ、戦争の残酷さに圧倒された。中年になってもう一度、原爆資料館に行ってみたが、むごたらしさは無くなっていて、資料がキレイに展示される場になっていた。

 資料館の職員に訊くと、「むごたらしくないものにという指示で変わった」と言うことだった。世界の指導者にはぜひ、私が高校生の時に見た、「当初の資料」を見てもらいたい。戦争の悲惨さ、残酷さを自分の目で見て欲しい。

 戦争は殺し合いだ。正しい戦争など無いし、キレイな戦争も無い。他国に攻められないために、軍事力を増大すると言う。しかし戦争になれば、たくさんの人が死ぬし、被害者は軍人だけに限らない。想像してみれば分かることだ。

 想像力の欠如は、国会議員の中にもいる。スリランカの女性が入管収容所で亡くなった件を取り上げた維新の梅村みずほ議員が、「病気になれば仮釈放してもらえる支援者から聞いていた」とか、「ハンガーストライキによって亡くなったかも」と、発言している。

 わざわざ病気になる人はいない、ハンガーストライキで死ぬ人はいない、そう梅村議員は思っているのだろう。収容所の扱いに、「命を懸けてでも抗議したい」人はいるだろう。入管収容所が非を認めているのに、梅村議員はなぜこんな発言をしたのだろう。

 人に寄り添うとは、その人の立場になってみるということである。政治家の基本だと思うけれど、「先生」と呼ばれると、寄り添うことを忘れてしまうのか。苦しんでいる人に寄り添えない政治家を、辞めさせることも有権者の務めである。

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槙野万太郎さんに訊いてみたい

2023年05月17日 17時47分59秒 | Weblog

 初夏というより真夏のような一日、午前中しか作業が出来ないので、ルーフバルコニーに出て、掃除や水遣りの世話をする。小学校の運動場では体力測定が行われている。「ピー」と笛が鳴ると先生が、「休憩します。樹の下に入って」と校庭の南の樹木を指さす。子どもたちは一斉に、「ワアー」と声を上げて走り出した。

 みんなが一斉に同じ行動をする集団教育は、まだまだ健在だ。集団で何かを成し遂げることは大事な教育だと思う。教師としては、個々の子どもたちの違いを認め、その個性を尊重することだろう。ともすると、教師に忠実な子どもはひいきにし、反抗的な子はのけ者にされてしまう。教師は意外に、自分のえこひいきに気が付かない。

 子どもの数が減ってきて、どこの地域も「子どもに優しい街」とか「子どもを増やす街づくり」を掲げている。若い夫婦が移り住んでくれる政策が重要になっているが、全体の数は変わらないから、要は引き抜き合いをしている訳だ。「私たちの街」が良くなれば、過疎の街が生まれてしまう。

 「異次元の子育て支援」は何なのか、さっぱり分からない。1つの手当てをしても、全てがうまくはいかない。人口が減るのは仕方ない。現状に踏まえて、困っている人に手を差し伸べるしかない。どんなに商品を売って儲けても、買う人が少なくなれば儲けは少なくなる。相互扶助で生きていくしかない。

 子どもたちにいろんなタイプがあるように、大人はさらに幅広い価値観や美意識が存在する。他人を非難することも、自分を卑下することも、くだらないことだ。花たちが美しいのは虫に受粉を手助けさせるためだ。花の咲かない植物は、どうやって子孫を増やしていくのだろう。槙野万太郎さんに訊いてみたい。

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人間の身体は美しいが‥

2023年05月16日 17時58分51秒 | Weblog

 我が家のルーフバルコニーは、午前中は日陰になるので、咲き終わったペチュニアの花を取り除いた。先日、友だちが「地域の公会堂の広場に並べてはどうか」と言ってくれた。地域の役員に、「リサイクルイベントを提案してみる」と言い、そのためには「空の鉢よりも花があった方がいい」と言う。

 せっせと花や根を取り除き、鉢を空にしてきたが、急な方針転換である。嫁に出すからには見栄えの良いようにと、花の手入れに熱中した。見るとガーベラの鉢から、ペチュニアが伸びてきて花を咲かせている(写真)。ペチュニアは繁殖力が旺盛で、花が咲き終わると実をつけ、実がはじけて種をまき散らすようだ。

 青い花の隣に白い花が咲き、2つの花がかけ合わさって青い花に白い文様が出来たりする。私が牧野富太郎博士くらい植物に関心があれば、いろんな花をかけ合わせて、文様のきれいなペチュニアを育てたかも知れないが、気ままに育てているから、「あれっ、これは珍しい文様だ」と感心してばかりいる。

 見ていると、チョウやハチが来て受粉の手助けをしているばかりか、アリもまた花から花へと歩き回っている。ペチュニアは花も葉も茎も、棘があるのかベタベタしている。植物は子孫を増やすためにいろんな工夫をしていると感心する。人間はどんな努力をしているのだろう。

 弱い国と見れば攻め込み、破壊と虐殺を繰り返す。自国でも弱い立場の人は、みんなの合意が無ければ虐げられてしまう。人間は生物の頂点に立ち、賢いはずなのに、未だに平気でというか、建前を設けて殺し合っている。動物の中でも人間の身体は美しいのに、考えはなかなか進歩していない。残念だ。

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昔のことがなぜか懐かしい

2023年05月15日 18時09分52秒 | Weblog

 昨日のブログに写真を載せたところ、「Googleの画像検索では、写真の花はニオイニンドウと載っています」と、中学からの友だちがコメントを寄せてくれた。私に「ブログをやろう」と勧めてくれ、彼との約束が無ければ続けて来られなかった。

 中学校の同級生だから私と同じ歳だと思ったら、私は4月生まれなので79歳だが、彼は12月生まれだからまだ78歳、身体が大きくて兄貴分のような人だ。彼は今もECC英会話教室に通うほど前向きに生きている。

 しかも、彼はブログの他にFacebook等にも写真や記事を載せている。ブログの記事は1400字を目途にしているというから、私のブログの倍近い文字数である。昨日のコメントの時間を見ると、私が『どうする家康』を観ている時間帯である。

 「Googleの画像検索では」とあるから、彼は検索の知識と技術を持っている。常に新しいことに挑戦する意欲があることが羨ましい。彼は高校時代は文芸部の部長で、機関誌に作品を書いていたが、私はもうひとりの同級生の作品に興味があった。

 彼は吉行淳之介の作品が好きだったが、私はドストエフスキーが好きで、かみ合わなかった。「枯れすすき」や「籠の鳥」は彼から教えてもらった。高校を卒業し、彼は浪人の道を進んだが、中学からの同級生を誘い居酒屋通いをするようになった。しかし、今は酒も煙草も口にしていない。

 「ニンドウ」は蔓性の植物で、「忍冬」と書く。工業高校デザイン科の工芸史では、「忍冬唐草文様」が出てくる。古代エジプトやイラン辺りから伝わって来た文様で、正倉院の宝物の中にも見られる。昔のことがなぜか懐かしい。

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不平不満を口にすることも無く、幸せだったのだろうか

2023年05月14日 17時20分04秒 | Weblog

 朝から雨降りのため、ルーフバルコニーに出られない。小雨になった時、急いで写真(下)を撮ってきた。12日のブログに「カミさんのお父さんから譲り受けたジャスミンに似た花」と書いたが、カミさんから「ジャコウニンドウと書き直した方がいい」と言われ、写真を掲載しておきたかった。

 今日は「母の日」。ふたりの娘からカミさんに、プレゼントが送られてきた。ゴールデンウィークに子どもや孫たちのために、大奮闘した母への感謝だろう。娘たちはそれぞれのダンナの母親にもプレゼントを贈っただろうかと心配すると、「そんな大事なことを怠る子どもたちではありません」とカミさんは言い切る。

 次女は娘を授かって10年になるからと、10回目の『母の日』を記念して、『つくばフェスティバル』へ家族3人で出かけた写真を送ってきた。親としては、家族が仲睦まじいことが何よりも嬉しい。親・兄弟・姉妹が仲良く楽しい日々を送っていてくれたら、とても安心できる。

 私の父は祖父と仲が悪かった。祖父が築き上げた材木屋を継がず、教員となり、祖父の許可も得ずに、年上の母と恋愛結婚した父の生き方が気に入らなかったのだろう。一緒に食事をしていても口を利くことは無かったし、原因は分からないが大喧嘩になり、父が茶碗をたたきつけて席を立って行ったことがあった。

 母はいつも、一番最後の風呂に入っていた。私が「湯加減はどう?」と聞いても、「いいよ」と言っていたが、母が出た後で湯に手を入れてみると、冷めた湯でぬるっとしていた。けれども母は何も言わなかったし、近くの銭湯に行くことも無かった。不平不満を口にすることも無く、幸せだったのかと思う。

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話し相手になることも出来ない

2023年05月13日 17時26分31秒 | Weblog

 人は誰でも歳を取る。人も動物も植物も皆同じだ。地球で生命を受けたものの定めである。年老いた人でも、いつも前向きで、ジムに通ったり、人の輪に入りおしゃべりを楽しむ人がいる。逆に、家に閉じ籠り、テレビや新聞ばかり見ている人もいる。

 今朝、小学校の運動場でグランドゴルフの大会が開かれていたが、まるで小学生のような大きな声ではしゃいでいる。男性も女性も関係ない、むしろ恋人同士のように称え合っている。幾つになっても、夢中になれるものがある人は若々しい。

 先輩の中にも常に仲間がいて、みんなのために下支えで頑張っている人がいる。サラリーマン時代はキャバレーやスナックに通い詰め、惚れ込んだ女性に店を持たせるほど働いたそうだ。今は普通の老人だが、背筋がピリッと伸びている。

 「若々しいのは、どうしてですか?」と訊いてみた。「妄想かな」と言うので、「妄想って、夢を見ているってことですか?」とさらに訊くと、「男としてはもう、役には立たん。でも、頭の中で勝手に思い描くことは出来る」。

 「例えば、好きなタイプの女性に出会うだろう。この女の足首はどんなだろう。うなじが見えれば、背中を想像する。抱くことは無くても、抱いた時の感触は想像できる。すると、もう恋に落ちた気分になれる」と、得意そうに言う。

 いつも先輩が口にする「最後の恋」とは、そういうことかと思った。川端康成の『眠れる美女』は、老いた男の憧れを表現している。喫茶店で年老いた男が、ヌードが載っている週刊誌に見入っているのも同じことだろう。

 今朝、先輩に呼び出されて家に行った。家族から見放されて、話す相手がいないのだ。身体が不自由で歩くことも難しい。子どもは父親の老いを遅らせようと、手を出さない。しかし、話し相手になることも出来ない。孤独な老人は夢想する余裕も無い。

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思春期の坊やたちが感じていたもの

2023年05月12日 18時39分52秒 | Weblog

 朝から夕方5時まで、ルーフバルコニーで作業を続けた。明日は天候が崩れるとの予報だったので、どうしても今日中に片づけておきたかった。チューリップが植えてあった10鉢をブルーシートの上にひっくり返し、球根を取り出し、残った根を拾い上げて、土を袋に詰める単純な作業だが、足腰が痛くてどうにもならない。

 ついでの時にとか、中途半端でもいいとか、なかなか割り切れない。計画したことは最後までやり切りたい性格のようだ。だから無理な計画は立てない。自分の出来る範囲で、自分が好きなように、やることが自分に合っている。細かな単純な作業は好きだが、賭け事は性に合わない。

 ルーフバルコニーで作業をしていると、隣りの小学校の運動場から子どもたちの声が聞こえてくる。ボール遊びでも鬼ごっこでも、必ず大声で指示する子がいる。女の子でも大きな声で名前を呼び、指示している子がいる。私は学級委員だったのに、大きな声が出せなくて、先生から「もっと大きな声で」と言われていた。

 小5の、あのストライキ事件が私を大きく変えた。ストライキは計画されたものではなく、全く偶発だった。朝、いつものように学校の池で遊んでいた。授業開始のサイレン(鐘だったか?)が鳴った。誰かが「今日はストライキだ」と叫んだ。一斉に学校の隣にある公園へ走った。けれど、何人かは残った。

 移動するたびに何人かが学校へ戻って行った。私は何も考えもせず、みんなと行動を共にした。みんなで決めたというのが私の行動の指針だった。なぜ、ストライキをしたのか、誰がリーダーだったのか、よく分からないまま月日が流れた。当時、工場ではストライキが繰り返されていた。

 今では、何となくだが、若い女性教師への関心がストライキに替ったような気がする。先生の白いブラウスがとても気になった。母親には無い「女」を、思春期の坊やたちが感じていたような気がする。

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