友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

あの女の子が幸せにいきていける社会に

2023年05月30日 17時53分56秒 | Weblog

 可燃ごみの袋を持って集積所へ行く途中で、小学校から帰って来た低学年の女の子とすれ違った。女の子が、「おじいさん、こんにちは」と頭を下げた。私はビックリして、「こんにちは」と返事をした。「おじいさん」とハッキリ言われたのは初めてだった。

 戻って洗面所の鏡を見て、「やっぱり、おじいさんか」と思った。自分ではいつまでも若いつもりでいたが、どう見ても年寄りなのだ。ただ、自分が子どもの頃に見ていた年寄りはもっと老けていた気がするが、自己援護なのだろうか。

 今朝の朝日新聞の広告欄に、「週刊朝日は今号をもって休刊します」とあった。おそらく復刊は無いだろう。「週刊朝日」と「サンデー毎日」は真面目過ぎたというか、時代に合わなくなってきていた。

 喫茶店に置かれている週刊誌は、裸の写真や芸能スキャンダルが圧倒的で、家で読めるような真面目なものは無い。新聞を購読する家も少なくなっていると聞く。私たちが若い頃は雑誌「世界」を読むことが、大学生のスタイルだった。

 理屈っぽい記事や、主張がハッキリしている雑誌や週刊誌は読む人がいないのか、でも、書店に行くと、「Will」や「Hanada」が積まれている。裸の雑誌やエロを売りにした雑誌も売り場を増やしている。

 隠れて買い、隠れて見ていた本が、堂々と書店に並べられている。若い人よりも中年以上の男性が買っているようだ。社会を支えてきた、あるいは社会の中心にいる、そんな人たちである。政治や社会の問題に、疲れたのか、嫌気が刺したのだろうか。

 国民が無関心でいてくれることが、政治家には一番都合がよいことだと泉房穂氏は言っていた。行政に携わる人々は、前例に従い、新たにことを起こさないように努める。横並びを尊び、自己の権益を守る。それが行政に携わる人々だと指摘していた。

 「おじいさん」と呼ばれて、ビックリしているようではダメだ。あの女の子が幸せに生きていける社会に、「おじいさん」も責任がある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする