友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「遺骨は拾わなくていい」

2023年05月19日 17時49分08秒 | Weblog

 朝、トイレに居たら電話がかかってきた。先輩からの電話だったので、折り返し電話を入れた。「例の話で、いろいろ考えているんだけど」と先輩が言いかけると後ろから、「そんな状態(状況?)じゃー無いでしょう」と女性の声がした。「また、行くから」と返事をして切った。

 先輩の言う例の話とは、生前贈与のことで、金額が話の度に変わるので定かでは無いが、自分が自由に寄付できる金額を、市に贈りたいのでどうしたら良いかということである。家族に自分の気持ちを話し、同意を得ることが大事だと話してあるが、どうも家族にはハッキリしたことを伝えていないようだ。

 「私の話など、家族は聞いてくれない」と先輩は嘆くけれど、キチンと話せば納得してもらえる家族だと思う。そのためならば、話し合いの席に私も友だちの市議も同席してもいい。家族にしてみれば、先輩の行動が不安だから心配しているのだろう。

 明日の朝、先輩からまた電話があるだろうから、市役所がどういう対応をしてくれるのか知っておこうと思い、市役所へ出かけた。市の職員はすっかり若返ってしまい、知り合いが少なくなってしまったが、数少ない職員を通して担当者から話を聞いた。これで明日、電話がかかってきても大丈夫だ。

 市にすれば、寄付してくれる市民はありがたい存在である。「文句を言う市民」は嫌だが、寄付してくれる市民なら大歓迎である。百万円以上の寄付なら、広報に名前が出るし、市長から感謝状が授与されるから、家族としても安心だろう。私たちの世代は皆、裸一貫から出発し、働いて働いて財を築いてきた。

 子どもたちが生活に困らない財産があるのなら、自分の小遣い分くらいは市に恩返しに寄付したい、そう考える先輩は立派だ。私は子どもたちに、「遺骨は拾わなくていい」としか、言い残すものが無い。

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