椿の鉢に残しておいたツユクサが、椿を超えるほどに伸びてきた。いつからルーフバルコニーに居座るようになったのだろう。友だちのお父さんが「好きだった」というので抜き取らずにおいたが、繁殖力は並みではない。青い花は小さくて、一見可愛く見えるけれど、よく見ると鬼のような顔をしている。
余りに茂ってきたので切り取って、花瓶に挿してみた。華道家の假屋崎さんが喜ぶような前衛的な作品になったが、しばらくして写真を撮ろうとした時には、花は萎んでしまっていた。野に在っても朝にしか見ることが出来ない花だからなのか。友だちのお父さんは、この儚さに心惹かれたのだろうか。
明日は長女のところのふたりの娘、私の可愛い孫娘の合同誕生日会に出かける。誕生日は過ぎてしまっているが、コロナ禍のために集まることが出来なかった。長女も上の孫娘も看護師だから、病院から感染しないようにと厳しく言われているからだ。
ここ最近、全国的に感染者は増えている。愛知県も以前にない感染者数になっている。感染が広がっていても、働かなければならない人は働く。私たちのような年金生活者は、感染しないために家から外へ出ない。新しい生活様式などと言われているが、どこかおかしい気がしてならない。
感染予防のために誰がどのように行動したのか、ケイタイの機能で分かるようになるという。既に「NTTドコモに寄れば、先週より人出は4%増えている」と報道されている。個人の動きが監視されているのに、コロナ禍との戦いだからと容認してしまっていていいのかと思う。
ツユクサにはツユクサの運命があるが、私たち人間はどんな運命にあるのだろう。他人の行為を気にして、時には干渉するような社会は間違っていると思うのは、私がおかしいのだろうか。