友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

模範も非行も

2008年02月19日 23時12分26秒 | Weblog
 どんなに素晴らしい人生が待ち受けていても、健康でなくては絵に描いたモチのようなものだ。あらゆる束縛から解放されて、自由な身となったのに、人間ドックで血圧が高いといわれ、何も考えずに2年間も与えられた薬を飲み続けてしまった。同級生の薬剤師に「高い薬を出してもらっているね。そこって、開院したばかりの病院じゃないの」と言われて、はたと気が付いた。もう一度、他の病院でも診てもらってから判断すればよかったが、何も考えず、病院が出してくれる薬を飲み続けてしまったことが悔やまれる。

 薬をやめてみて、1ヶ月ほど経つ。長女がバレンタインチョコの代わりにくれた血圧計で計ってみると、これまで見たこともないような高い数値になっている。血圧を下げる薬を飲んでいた人が薬をやめると血圧は高い数値を示すと聞いたことがあるが、そのとおりになってしまった。それならそれで、選択したのは私自身なのだから、前にも書いたが、結果が吉とでても凶とでても、受け止めるしかない。

 人間の中にはきちんと規律を守り、どこから見ても真面目で非の打ち所の無い人もいる。けれども、社会の尺度に当てはまらなくて、たとえば小学校のクラスでいたずらばかりして困らせるような子がいる。見た目にはっきりとわかるこのいたずらな子どもが度を越したことをすれば、先生は「この子は病気に違いない。普通のこと一緒にしておけば、他の子が病気になってしまう」と、たとえば特殊学級に入れた方がよいと考える。

 見た目にはっきりわかる子は、そういう手当てをされてしまうが、内在している子はそのままだ。先生から見れば、内在していても普通の子と少しも変らず、規律を守り、喧嘩もいたずらもしない模範的な子というわけである。病気と片付けてしまう前に、この子がどうして規律を守らずいたずらばかりするのか、見て欲しいと思う。私は子どもの頃から、模範的ないい子であったが、自分の中では規律に従うことがいやで仕方なかった。模範であることがイヤで仕方なかったといった方が当たっている。

 何もかも満足ならそれでよいのかというと、人間の中にはそれでも何か満たされない思いでいる人もいる。誰から見ても幸せで、それ以上何を求めることがあるのかと思える人でも、求めている人がいる。それを無いものねだりということもできるし、節制の無い欲深な人と決め付けることもできるが、人の心の中にまで入って止めることはできない。

 私がこれから何年生きられるか、わからないけれど、生き方を変えるなどということはできないし、とどのつまり、人は皆自分の人生を生きる以外にはないのだろう。
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昨日は長女をほめすぎた

2008年02月18日 22時13分48秒 | Weblog
 昨日は長女を少しほめすぎた。確かに彼女は頑張っているけれど、そして彼女を尊敬してやまない孫娘だが、私には母親のことを「本当に自己中だから」と嘆く時がある。長女の自己中心な面はたぶん私の遺伝子が働いているのだろう。長女とぶつかる時はいつもそんな場面だ。

 いつだったか、カミさんが旅行でいない時だった。孫娘は午後8時までプールで、その後は塾で3者懇談があるというので、「じゃー、終わったら近くの洋食屋さんへ行って食べようか」と孫娘と話していた。長女が帰ってきて、「外で食べるなら回転寿司がいい」と言う。私はそこへは行きたくなかったから「いや、今から食事の用意はするからなるべく早く帰っておいで」と答え、食事の用意に取り掛かった。午後7時は過ぎていたが、できない時間ではない。お米をといて、ご飯を炊く。鍋に水を入れ、冷蔵庫にあった人参、キノコ、ジャガイモ、キャベツ、豚肉を入れ、コンソメで煮込んだ。野菜と豚肉のスープだ。ミズナと鮭缶のサラダも作った。

 二人が帰ってきた時は、まだお茶碗やお箸が並べられていなかったが、後は佃煮や漬物を並べれて完成だった。長女は孫娘に「早くして!」と食事の用意をさかせていたが、明らかに何か苛立っていた。「そんなに慌てなくてもいいじゃないか」と言ってしまった。すると長女は「パパは体育生理学を知らないけど、こんなに遅く食べてはいけないの!」と強い口調で言う。遅いって?毎晩遅いわけではないし、それに何よりも作った人の気持ちは?

 8時から面談があって、帰ってきてから食事なのだから、当然の時間だ。彼女たちが帰ってきた時に食事の用意は完璧にできてはいなかったけれど、5分とかからずに終了したはずだ。回転寿司に出かけていたなら、食べ始める時間はもっと遅くなっていただろう。我が家で食べる方が時間は早く合理的だ。それなのに、感謝ではなく非難を受けるような状況とは一体何なのか。もしも、ああちょっと言い過ぎたと思うなら、「このスープ美味しいね」とでも言ってくれれば、作った方もそれで満足できたはずだが、その一言は無かった。

 無性に腹が立ったが、すぐに情けなくなった。考えてみると、長女のこうした言い方は、「甘え」なのかもしれない。でも、こんな風にしか「甘え」られないとしたら、なんとまあかわいそうな人か。いつだったか長女に「パパは自分の物差しでしか人を見ない」と言われたことがあるが、長女もまた私にそっくりだ。人のことにとても気を遣っているのに、親しい人になればなるほど、自分の物差しに押し込めてしまう。親しい間柄だからといって、本人の苦悩をそのままぶつけられたなら、受け止める方はイヤになるが普通だ。

 長女は仕事に追われ、とにかく休むヒマが無いような状態だから、気持ちに余裕が無く、情緒に欠けるのも無理はないかもしれないが、それを乗り越えることが大人である。自分の中の満たされないイライラを家族にぶつけてきても、こちらも気分が悪いだけだ。つらいことは自分の内にだけに留めておいて欲しい。人は他人のつらさなど見たくもないし聞きたくもない。溌剌と頑張っている姿を見れば、そのウラにどんなにたくさんの苦しみや悲しみがあるか、わかる人はわかる。

 そんなわけで、まだ大人になれない長女の成長を祈っておきたい。ついでに私も。
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頑張る母娘

2008年02月17日 23時21分24秒 | Weblog
 20日から期末試験が始まるというのに、孫娘は先週の日曜日に続いて、今日も水泳大会に出場するために朝早くから出かけていった。カミさんが「勉強はできているの?」と聞くと、孫娘は「勉強よりも大切な大会なの!」と言い切る。愛知県下を3つの地域に分け、1地域から6人しか選ばれないのに、「その一人になったのだから、参加しないような人はいない」と。私たちには大会が持つ意味がよくわかっていないが、彼女が自ら意気込んで参加しているのだから、結果を待つしかなかった。

 その結果は、18人中の15位というのでたいしたことではないように思ったが、自己ベストを0.2秒縮めたと得意気に話してくれたから、かなりよい成績のようだ。18人のランキングでは17位の記録であったので、記録の上でもかなり更新したようである。それがどれほど価値があるのか、私にはわからないが、とにかく孫娘が全力で取り組み、自分が満足のいく結果を出せたのだということはわかった。

 その彼女が先ほど英語の勉強をしていて、「問題がさっぱりわからん」と言う。「問題はどんなものなの?」と聞くと、次の言葉に当てはまる代名詞で答えなさいという。「それで?」と聞くと、「Mery,s bookって何?」と言う。「Meryの本だから、代名詞なら彼女の本ということだから、hers bookじゃないの」「そんなこと?なあーんだ。わかった」。簡単な問題を難しく考えてしまうのは、実はよくわかっていないからではないかと心配になる。

 それにしても、この10日間ほど、毎朝5時に起きて勉強し、毎晩2時間プールで泳ぎ、「ヤバイ!まだ、学校の宿題がやってない」と慌てふためく時もあるが、実際よく勉強する時間があるものだと感心してしまう。私が中学1年の時に、彼女くらい勉強していたなら人生変っていたかもしれないなどと思うが、きっとまた怠けて「勉強などして人生の役に立つものか」などとヘリクツを並べていたに違いない。

 孫娘がこんなに勉強や水泳に取り組むのは、私の遺伝子ではなく、カミさんのものだろう。孫娘の母親である長女の子どもの頃を思い出しても、孫娘ほど勉強に取り組んでいた記憶はない。ところが現在の長女は、果敢に自分のキャリアを高めることに取り組んでいる。社会人になり、結婚して子どもができてから大学に通ったり、広島だ東京だと出かけていって勉強し、全国に10人しかいないというような資格を取得したりしている。どうしてそんなに勉強するようになったのか、怠け者の私にはわからないし、その資格がどれほどのものかも知らない。しかし、孫娘は母親を見て育つというか、大きな尊敬と憧れを抱いているからエライ。

 「やれば結果はついてくる」と母親から教えられ、実際に母親が並々ならぬ努力をしている姿を見ているから、この言葉も孫娘にはストレートに入っていくようだ。長女は、孫娘と同じ20日から開かれる全国大会で事例研究の発表を行うというので、今晩も家に帰らないが、それを孫娘は「ガンバッテ!」と見送れるようになった。長女がこれからどんな風に人生を生きようとしているのか、実のところ、私にはよくわからない。彼女がやりたいように見守っていくしかないと思っている。ホントにこの母娘は頑張るネ。
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63歳の結婚

2008年02月16日 21時46分56秒 | Weblog
 私の友人がこの春に結婚することになった。同じ歳だから63歳である。彼女は初婚だ。相手は中学時代の同級生という。彼の方は5年前にカミさんを亡くし、今はボランティア活動に励んでいる。たまたまクラス会があり、その後、二人は急接近してしまった。わずか2ヶ月に満たないくらいのうちに、結婚が決まり、旅行に出かけ、そして彼は彼女の家の方々に挨拶するとともに、これから一緒に住む彼女のご近所にも挨拶に回ったそうだ。

 既に半分同棲しているようなものだから、結婚式のような形式は省くのかと思ったが、披露宴は行うというので、それならば人前結婚というものなのかなと思っている。その話を聞いた長女は「ひやー素敵じゃーない」と大喜びだ。メールの交換や交換したメールを友だちに見せたり、彼のためにセーターを編んだり、きっと今年のバレンタインは思い出深いものであったに違いない。「もう高校生と一緒ね」と長女ははしゃぐ。

 恋愛に年齢は関係ないなと思う。「樹氷を見に蔵王へ行こう」は高校生ではできないことだ。年齢を重ね、しかもお金があるからこそ、出来なかった「恋愛ごっこ」ができる。そっと手をつないだり、こそっとキスしたり、彼のためにリンゴをむき、「はい、アーン」なんて口に運んだりしているのだろう。たとえば、車の中でポットに入れてきたコーヒーを飲みながら、幸せなひと時を味わっているのかも知れない。

 今朝の中日春秋は「およそ会話というものは、突き詰めると自分を語り合うことであろう」と、述べていた。男でも女でも一生懸命で相手に伝えたいのは「自分」だと思う。自分を理解して欲しいのは、当然理解なしに相手を受け入れないからだ。人はみな愛して欲しいと思っている。また愛するためにはますます相手を知りたくなる。昨日、電車の中で女子高生が持っていた紙袋の英文を思い出す。「I want to understand you. Please be together all the time. 」

 結婚する友人もいれば、「まるで高校生のよう」に悩んでいる友だちもいる。彼は「男とは悲しい生き物だ。自分中心にしか、物事を考えられない。自分が悩んでいる分だけ、相手も悩んでいると思い込んでしまう。愛情の度合いに差があり、これから生きるスパンがそれぞれ違っていれば、当然、今までの愛憎に対する固執差が出てきて当然である。男はその辺のデリケートな部分を積極的に理解しようとしない情けない動物である。(略)一般論だが、女は過去を消したがり、男は過去に縋りたがる。(略)女はいろんな生き方が可能だが、男は一つの生き方に固執しすぎる性向がある」と、女性との中途半端な関係を嘆いている。

 彼には妻子があるが、彼はその付き合っていた(過去形である)女性を「最愛の人」とブログに書いている。それでいて「友だち以上恋人未満」の関係だから、プラトニックな「愛」だと言う。私にはそれが理解できないけれど、人はそれぞれにいろんな形で「愛」を探しているのだから、それはそれとして私が口を挟むようなことではない。みんなが幸せになってくれればそれでいい。
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日本史の必修化

2008年02月15日 23時28分50秒 | Weblog
 神奈川県が2013年度をめどに、全ての県立高校で日本史を必修とする方針を明らかにした。どこの高校でも日本史を教えてきたのではないのかと一瞬思ったが、現行の学習指導要領では世界史は必修だが、日本史と地理は選択して履修することになっている。そこで神奈川県教委は「国際社会で主体的に生きていくための基礎として、日本の歴史や文化に対する理解を深める教育は重要」(2月15日付け中日新聞)として、全国で初めて必修化を打ち出したのだ。

 中日新聞には松沢成文知事の談話が掲載されていた。松沢知事は「若い人が自国の歴史を学んでほしいという願いを持っていた。(日本史の必修化は)大変素晴らしい。愛国心や郷土愛がはぐくまれると思う。しっかりした日本人、国際人の育成のためには日本史は必要不可欠だ」と述べている。松沢知事は民主党の推す知事であり、今度新たに、北川正恭早大大学院教授(前三重県知事)や宮崎県の東国原英夫知事らとともに、次期衆院選に向けて真の改革を推進するための国民運動組織「地域・生活者起点で日本を洗濯(選択)する国民連合」(略称・せんたく)を発足させた一人である。

 産経新聞によれば「北川氏は次期衆院選での独自候補の擁立を否定したが、国民的知名度の高い東国原知事の参加により、今後、政界再編の呼び水となる可能性もある。『せんたく』は民間有識者で結成する「新しい日本をつくる国民会議」(21世紀臨調)を母体とし、北川氏が発起人代表を務める。発起人には松沢茂文神奈川県知事、山田啓二京都府知事、古川康佐賀県知事らのほか、財界から池田守男資生堂相談役、茂木友三郎キッコーマン会長、労働界から古賀伸明連合事務局長が名を連ねている。」と報じている。

 さらに今日のテレビニュースで、文部科学省が推進してきた「ゆとり教育」の大幅な見直しが行われるという。いつかそういう日が来るだろうと予想していたことだが、私は誠に残念な思いでいる。授業時間数が増えるのは、教師の負担が増えることで、多分現場では忙しさはそんなに変らないだろう。子どもを持つ親は、時間数が増えればたくさん教えてもらえる思いと単純に喜ぶだろう。このほかに道徳教育の充実や小学校での英語教育のいっそうの推進が図られるそうだ。そしてその分、「総合学習」の時間は減ることになる。

 私は「総合学習」の理念を聞いた時、理想的な教育だと思った。ぜひともこれを推進して欲しい、もし私が首長になれたなら、全国に先駆けた「総合学習」の先進地にしたいと考えていた。けれども、教育現場では「総合学習」はかなり重荷で、理想とは程遠い形骸化したものとなってしまっていた。子どもたちに自主的に学ばせるためには教師自身の力量が問われた。現場の教師に「総合学習」の理想は徹底しなかったのだ。

 神奈川県の日本史の必修化にしても、「ゆとり教育」の見直しにしても、私にはよい方向へ軌道修正されてきているとは思えない。「またいつか来た道」などと「復活」「復古」を口にする人がいるが、時代は変化しているのだから新しい危険な時代に向かいつつあると認識した方がよいと私は思っている。
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バレンタイン

2008年02月14日 21時10分28秒 | Weblog
 自分史が流行している。私の知人も自分史を自費出版した。自分が生きてきた道を辿りたい、そんな気持ちは誰にでもあるのかもしれない。わたしも自分がどういう人間なのか、自分探しをしているが、それは自分の中のことであって、自分史を本にしたいとは思ったことはない。小説はフィクションだから書きたいとは思うけれど、自伝を書きたいとは思ったことはない。

 自分史を自費出版した人は、およそ3百冊は印刷して、親戚や知人に配るというものらしい。私は中学の時から、ずーと日記を書いているので、自分史の材料は揃っている。小説家が私の日記を小説の材料に欲しいというなら差し上げてもかまわない。私にとっては書き綴られた日記は恥部のようなもので、恥ずかしくって人には読ませられない。

 私は、思いついた時に思いついたままを書いてきた。書いてきたけれど、決して真実ばかりではない。かなり誇張してしまっているところもあれば、本当のところはウヤムヤにしてしまっているところもある。酔っ払って、文字もよくわからないところもあるが、これが本音なのか、実のところはよくわからない。私が書いたことだけが唯一の真実である。

 この世に生まれ、育ち、働き、そして死を迎えるのが人生であるなら、この世に生まれたこと、生きて死を迎えたことにどれほどの意味があるのだろう。たかが一人の人生など、生きたことも死んだことも、それで何がどうなるというものではない。死を家族や知人は悲しんでくれるかもしれないが、時間が経てばいつか忘れる。それでよいのだ。それが自然だ。

 私は今も、私の父の日記や母のアルバムを持っている。父や母を思い出すのは、この家では私だけだ。カミさんも子どもたちも父や母を知らないし、アルバムを見ても単に私に関係のあった人でしかないだろう。人の記憶は三代までだという。私も祖父母は知っているが、その一代前は知らない。人はいつか、存在したことも忘れられてしまうものだ。

 だからこそ、今を大切に生きたいと思う。過去のことは取り戻せないし、やり直すこともできない。今日はバレンタイン。私も愛する人からチョコをもらった。チョコよりもっといいものももらった。ありがとう。
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映画「連合赤軍 あさま山荘への道程」

2008年02月13日 22時02分13秒 | Weblog
 映画「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」を見てきた。しんどい映画だ。3時間10分という長さだけの問題ではなく、同じ時代を生きたものとして、のしかかってくるものが大きく重い。あさま山荘の銃撃戦の中に、私の小学校の先生の息子が二人いた。「革命3兄弟」ともてはやされたが、長男は「総括」の名の下に殺された。

 あさま山荘に立てこもり、警官隊との銃撃戦に入る場面で、坂口弘が「死んでいった同志の弔いのためにも最後まで戦い抜こう」(セリフが間違っている気がするが)と言った時、最年少の16歳、3兄弟の一番下の少年が「違う!勇気が無かったのだ」と、ひとり一人の名を上げて言う。雪山で、「総括」の名の下に殺された12人の死ほど空しいものはない。彼らは悔しかったであろうし、やりきれなかったであろう。

 「革命」の大義が恐怖となったのは、小心者がリーダーになったからだ。彼をおだて、後ろ盾にしてに、権力者になる馬鹿な女がいた。同じ女性に一番厳しく当たったこの女こそ、彼女が「総括しろ」という「おんなの性」を最も意識した女と私は感じている。彼女が書いた「氷解」を昔パラパラと見たが、懺悔の気持ちはどこにあるのかと思った。閉じられた狭い世界、逃げ出すことのできない空間の中での生活。しかも馬鹿馬鹿しいかもしれないが、彼らは皆、革命兵士にならんがために集まったのだから、軍隊では上の命令は絶対的なものと思っていても不思議ではない。

 連合赤軍も中核や革マルなども、いや共産党も公明党も、皆中央集権体制だ。組織というものはどれもこれもこうしたピラミッド型だ。一人の兵士、一人の同盟員、それは底辺の一人の国民と同じで、生きていても死んでしまっても、権力者にはどうでもよい存在なのだ。彼らに関心があることは、今ある権力の座をいかにして維持するか、ということばかりだ。連合赤軍は同志殺害が悲惨だったから、皆の記憶に残っているが、オウム真理教も同じ性格のものだ。

 これは友人の受け売りになってしまうが、「トヨタだってそうですよ。トヨタイズムしか認めない。異議を申し立てないようにマスコミを締め上げる。新聞はトヨタやキャノンの問題はとりあげません」ということになる。「国際連合で、アメリカが圧倒的な力を誇示し、どこの国も逆らったりはしない。強いものが圧倒的に強い。人間の社会は、決して民主主義なんかじゃありません」。

 ピラミッド社会が続く限り、人間はいつまでも変らないということなのだろうか。「革命3兄弟」の末っ子が言うように、「勇気が足りない」のだろうか。映画の最後に獄中で自殺した小心者のリーダー、森恒夫が「革命へ跳躍する勇気が足りなかった」と述べていた。リーダーの資格が全く無い奴に振り回されたのも、「革命」の幻想にみんなが取り込まれていたからなのだろう。

 各自が自由に生きられる社会こそが、人間の究極の社会ではないかと私は思っている。
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第6感

2008年02月12日 21時31分50秒 | Weblog
 カミさんが友だちと食事会があると言う。孫娘は弁当を持ってプールから学習塾へ移動する日なので、「お弁当お願いね」と頼まれた。冷蔵庫の中のものをかき集めて、何とかお弁当のおかずはできそうに思ったが、さて、ご飯を炊くべきか否かと迷った。長女は日勤だが、このところ連日帰りが遅い。帰ってこない日もあるくらい忙しい日々だ。帰ってきても食べないかもしれないから、ご飯ではなくパンにすることにした。

 孫娘は「美味しい」と言って食べてくれたから、まずはお役目を果たしたことになる。孫娘のために作ったもので、残ったものを自分の晩御飯にして食べた。こういう時に限って、長女から「これから帰ります」と電話が入った。「晩御飯は?」と尋ねると、「まだ食べてない」と言う。やはり、不思議なことだと思うけれど、こうなって欲しくないと思っていることは意外に起きるように思う。「おかずはあるんだけれど、ご飯を炊かなかったんだ」と伝える。

 ここであの人にだけは会いたくないと思っていると出会ってしまったり、何事も無くいってくれるといいのにと思っている時に限ってトラブルが起きたりする。多分、こうなって欲しくないと思っていることがよく起きるのは、思っていたことがベースにあるから印象が強いのだろう。イレギュラーが起きる度合いは変らないのに、受け止める側が強く意識するから、いやなことはよく起きるように思ってしまうのだ。それにしても、人間には第6感というものはあるような気がする。なんとなく虫が知らせるというものだ。

 今月の4日だったか5日だったか、定かではないが、朝方に夢を見た。私が役所に出かけていくと、市長ともう一人の人が両脇をがっちりとした男たちに抱えられて出てきた。なんだろうと思って見ると手には手錠が見えないように布が巻かれていた。「逮捕?」。そこで目が覚めたが、いやな夢だった。カミさんに言わせれば、「行政の腐敗だとか、贈収賄だとか、ヘンな話ばかり聞かされて、頭に残ってしまったのではないの」ということになる。このところ、私の町にも黒いウワサが流れていて、時にはそんな話が私の耳にも入ってくるからだ。悪い予感でなければよいがと願っている。
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現実は強いが

2008年02月11日 19時52分19秒 | Weblog
 昨日は岩国市の市長選挙だった。その結果を新聞で見て、ガックリした。米軍の空母艦載機部隊の受け入れに反対する前市長の井原さんを破り、容認派の福田新市長が誕生したからだ。岩国市は06年3月の住民投票では87%が反対票を投じた。周辺町村との合併で、反対の先頭に立って戦ってきた井原さんが落とされるかと心配したが、この時の市長選挙では自民党推薦候補に圧勝した。ところが公明党が移転容認派となり、容認派が多数を占める市議会は、井原市長の提案する予算案などにことごとく反対する方針をとった。

 今度の選挙は、井原市長が市議会をねじ伏せるために打って出た選挙であったが、残念ながら敗北した。井原さんがどのような選挙戦術で戦ったのかわからないけれど、新聞を読む限りでは、艦載機の受け入れに反対し、「もう一度市民の声を結集し、国民の共感を呼べば政府も米国も動かせる」と主張したようだ。これに対し、容認派の福田さんは移転問題には触れず、「岩国再生」「生活が争点」「対立から調和へ」と訴えたそうだ。

 井原市長の移転反対に対して政府は、岩国市への補助金カットと周辺自治体への交付金という「ムチとアメ」の露骨な政策で揺さぶりを掛けた。一般市民が「移転には反対だけれど、生活が大事だから、福田さんに投票した」と発言するように、現実的な選択へと動かせた。市議会と市長が対立して議案が成立しないことも、「いつまでもこんな状態が続いては、市の発展がない」という空気を生み出した。「反対し続けて一番喜ぶのは国。艦載機も移すし、金も出さずに済む」とまことしやかな流言が闊歩した。

 艦載機部隊の移転反対は、単に自分たちのところに来て欲しくないという自分本位からの主張ではないはずだ。この地球上から戦争を無くしていくための第一歩の戦いだ。したがって絶対反対であって、何の条件も無い。ムチには耐えなくてはならないし、アメには落とし穴があることを知らせなくてはならない。現実的な選択は受け入れやすいが、現実の描き方が問題だと指摘しなくてはダメだ。いや逆に、理想がよく見えないから現実がよく見えてしまうのだろう。武器弾薬を抱え込んで望む「市の発展」とはいかなるものなのか。

 人間は本当に弱いな。そう思っていたら、NHK衛星第2で昔の連続テレビ小説の再放送を流しているが、今朝の『都の風』は考えさせられた。原爆投下の広島の惨状を訴え、二度とこのような悲劇を起こしてはならないと新聞記事に対し、満州から裸一貫で引き上げてきた男が「こんな記事を書く奴はのうのうと暮らしているからだ」と酷評する。「戦争で金儲けした奴だっている」と現実を突きつける。飯も食えない人間にそんな理想論などは通用しないと開き直る。「衣食足りて礼節を知る」と中国の春秋時代の言葉だけれど、どうやら衣食足りても礼節とは次元が違うようだ。

 理想が現実よりも説得力があれば、人間は衣食が足りなくても、理想に進む能力はある。けれども何が理想なのかとなると、一筋縄ではいかない。いかないことこそがキリスト教でいうところの「原罪」なのかなと思う。
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相変わらずか?

2008年02月10日 23時24分15秒 | Weblog
 私は日本人の書いたものはできるだけ読まないと決めてしまっていた。だからといって、外国語の精通していたわけではないので、日本人の小説とか随筆といった類のものというような誠に愚かな思い上がりだった。なぜそうなったのかははっきりとわからないが、とにかく幼い時に体験した、あの隣り近所なるものの、口やかましさ、因習、そうしたものがとてもいやだった。

 それらは、日本人の島国性なる特有のものと決め付けていた。そういうものが自分にたとえ身についてしまっていても、自分は西洋の合理主義、人間の個人の尊重、愛を学ぶというか求めることで、払拭していきたいと思っていた。だから、私は日本の古典や漱石や鴎外や龍之介も教科書以外のものは読まなかった。それなのに、大江健三郎や高橋和己や太宰治は好んで読んだから、この理屈は単なるヘリクツなのかもしれない。

 私は毎朝、コーヒーがないと一日が始まらないし、パンもサラダも好きな日本人である。自分では日本人離れした日本人だと思っているのに、好きな文豪のヘルマン・ヘッセやド不とエフスキーよりも高橋や太宰の方がよくわかるのだ。結局、私は、少しも西洋人にはなれていない。カミさんは「自分では西洋的だと思っているかもしれないけれど、ずいぶん浪花節的なのよ」と私を評してくれる。自分が抜け出したく思っているもの、自分が取り込めたく思っているもの、この二つはいつの間にか、私の中で逆転し、定着してしまっているようだ。

 嶋岡晨という人が書いた『愛と孤愁の詩人たち』という本(題名が間違っているかもしれない)に、8人の詩人が出てくるのだが、「この中で一番誰に似ているかな?」とカミさんに聞いてみた。「そうね、犀星でもなければ光太郎でもないし、朔太郎というところかしら」と言うが、あなたはとても詩人には似ていなし、詩人にはなれないと言いたかったのかもしれない。「でも、朔太郎はとてもだらしないなりだったとあるから、あなたのような几帳面な人とはまるっきり正反対ね」と言ったのは、ぐなゃぐなゃととらえどころがない点では似ているということなのだろうか。

 私自身は啄木に似ているような気がする。気弱で意志の弱いところが似ているように思うけれど、啄木は社会に目を向け、社会と自己との対決へ迫る強さを持っている。思春期から青年期における悩みや苦しみも、青年であるならば当たり前のものだということを、この詩人たちの青春を読むことで知り、過去の重くのしかかる暗い部分が少しは軽くなったような気がする。

 以上は1980年、私の36歳の時の日記だが、全く何も変わっていないと思う。朝の連続テレビ小説『ちりとてちん』の同じ場面を2度3度見てもやはり泣いてしまう。成長していないのか、いやそうではないようにも思う。『愛と孤愁の詩人たち』の中身は何一つ覚えていないが、今の自分はかなり達観して受け止められるようになったと思っているのだが、どうだろうか。
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