友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

寒さが振り返す

2009年03月26日 17時59分26秒 | Weblog
 また寒さがやってきた。3月でありながら5月中旬の暖かさが続いた後だけに、今日の冷たい風が身に凍みる。何だか心まで冷える。自然が気まぐれなのか、人間がもたらした異常気象なのか。でも昔、こんな底冷えの日に試験を受けた記憶がある。大学受験はこの日1回しかない。高校1年の時に母が亡くなり、高校3年の1月に父が亡くなった。私はもう誰かのために生きるという必要がないと思った。これからどうするか、とりあえず東京へ出て、それから考えようか、そんないい加減な気持ちでいた。

 「大学へは行かない」と言う私に、兄が「国立なら授業料は安い。入学金は払ってやる。家から通えばいいじゃないか」と言ってくれた。授業料を免除してもらい、奨学金をもらったから、アルバイトをすればお金は何とかなった。我が家は材木屋であったけれど、私が大学2年の時に破産し、兄夫婦は離婚、兄は失踪した。私は大学の先生の家で家庭教師兼書生として住み込ませてもらった。先のことを不安に思うことは一度もなかった。また自分を不運な境遇にあるとも一度も考えたことがなかった。

 小説を地で行くような人生だと喜んでいた。この先には何があるのか、他人事のように期待していた。けれども振り返ってみれば何のことはない。止むを得ず職業は転々としたけれど、そのために家族は大変な目に遭ったけれど、私は自分ができることを楽しんでやってきて自己満足している。不満を抱いたことも、人を妬み恨んだことも、不運だと思ったこともたくさんある。けれどもそれが自分の人生と今は思うことができる。自分勝手だけれど、充分に幸せな人生である。

 ゴルフに夢中のカミさんは明日も早くから出かける計画だ。遊びに行くのによくそんなに早くから出かけられるものだと思うけれど、ゴルフ好きに言わせれば「遊びだからできる」のだそうだ。夢中になるものがあるのはいい。仕事とかお金とか世間とかに関係なく、自分がのめり込めるものがある人は活き活きとしている。私はぼんやりと寒々とした北の空を眺めている。机の上には読みかけの新書が3冊も置かれている。集中心を欠いている証拠だ。孫娘はもう2時間もピアノの練習を続けているのに。

 日記でも書こうか、そらまた心がどこかへ行こうとしている。困ったものだ。
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