友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「老いらくの恋」の行く末

2024年06月02日 18時25分38秒 | Weblog

 井戸水の苦情を聞くために出かけた。手押しポンプの隣りに電動ポンプが据え付けられ、どちらでも使えるように工事されていた。これは私たちでは無く、ご主人か息子さんが行ったものだろう。ホースから水を出し、「水はよく出て来るけど、バケツに貯めて置くと茶色の膜が張られ、布を入れて絞って干すと真っ茶色になってしまう」と嘆かれる。

 「これでは全く役に立たない。かと言って、もう1本掘るほどの金もない。地下のことは誰にも分からないし、嘆いて毎日暮らしているよ」と笑って言われる。悔しさは私たちも同じだが、お金を払っている分もっと大きいだろう。それでも、「何かの時に、地域の皆さんの役に立つならそれでいい。防災用の備蓄倉庫も造るつもりでいる」と言う。

 自分のことしか考えられない人は大勢見て来たが、他人のためになることを考える人は珍しい。「ここまで生かしてもらったんだから、恩返しをしなくちゃー」と笑うが、なかなか出来ることでは無い。そういう奇特な人のおかげで、私たちは今日を生きていられるのだろう。「大上段に構えずに、自分の出来ることをすればいい」と教えられた。

 中学からの友だちは、ブログに毎日の出来事を綴っているが、ちょっとした小さな思いやりが散りばめられている。彼は積極的に外に出て、街や庭を観察したり、カラオケや文章教室に顔を出し、交遊関係を拡げている。彼のブログに出て来る、中学から20歳くらいまでの女性は私も知っているので、恋多き青春だなと思い出す。

 私だって彼に負けないくらい恋をしたと思うが、彼のように出会う人毎に恋に落ちることは無かった。彼はすぐに惚れ込むのに、すぐに気移りしてしまう。基準がどこにあるのだろうと思ったくらいだ。恋多き男だったが、今も変わらないだろうか。私は4月で80歳の傘寿を迎えたが、彼は12月生まれだからまだ先だ。

 昔、「老いらくの恋」という言葉が流行った。「老いらくの恋」の行く末を、またいつか語り合える日があるだろう。

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