友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

指導者はいつも、己のことしか頭に無い

2024年06月23日 18時20分51秒 | Weblog

 NHKラジオから、沖縄県糸満市の摩文仁平和公園で行われていた、沖縄慰霊祭が聞こえて来た。沖縄戦では24万余の人々が命を落とした。私は1944年生まれなので、沖縄戦の時は1歳の赤子で何も知らない。子どもの頃、広島の原爆の話は聞いたことがあるが、沖縄のことは聞いた覚えが無い。

 映画にもなった「ひめゆり学徒隊」で、初めて沖縄戦を知った。敗戦が濃厚だったのに、国の指導者は「本土決戦」を唱えていた。沖縄も敵軍の上陸に備えて、島民を総動員していった。女と子どもまで戦争に駆り出され、穴倉に閉じ籠るゲリラ戦に備えた。

 戦争を始める時も、終結する時も、指導者は己のことしか頭に無く、決して責任を取らない。敗戦で自害した人もいたが、指導的立場の人ではない。天皇陛下はポツダム宣言を受け入れたが、責任を取って切腹することは無かった。

 イスラエルでもウクライナでも、戦争は続いているが終結しようとする動きは無い。自分たちに有利な状況に持って行き、そこで話し合いのテーブルに着こうというためだ。日本も大戦の末期に、神風特攻隊や上陸した敵と刺し違える作戦をとった。

 どうしてこんな愚かな作戦を立てたのかと思ったが、今日の「中日新聞」の日曜版を見てよく分かった。「一撃を加えて有利な立場を築き、和平交渉する一撃講和」と解説してあった。どこの国の指導者も、昔も今も、有利な状況を作ろうとして、国民を犠牲にする。なのに、自分たちは決して責任を取らない。

 じゃーなぜ、国民はそんな指導者を許してしまうのだろう。昔から指導者は、国と国民との一体感を強調してきた。だから、国民の側から、国のために身を捧げようと口にするようになった。今も名古屋の河村市長は、「国のために死ぬのは美徳」と言っている。


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