梅雨の時季に咲くアジサイが私は好きだ。子どもの頃、家にはたくさんのアジサイが植えられていた。アジサイを見ると、そんな昔を思い出す。新聞やテレビが、咲き始めたアジサイを特集しているのを見ると、ちょっと出かけてみたい気になる。
私の住むマンションも、かつてはアジサイやキンモクセイやツバキなどの花木が植えられていた。マンションの住人で樹木の世話をしている人は、せっかちな性格なのか、やたらと剪定したがり、今ではアジサイもキンモクセイもツバキも、僅かしか残っていない。
アジサイの花芽は、気温が下がり始める前年の秋に形成されるのに、これを剪定してしまう。「えっ、大丈夫なの?」と尋ねると、「大丈夫。春には新しい芽が出て来る」と言う。春に伸びて来る枝には花は咲かないのにと思っても、言える雰囲気は無かった。
マンションの庭の花についても、考え方はいろいろで、受け持っている場所による違いは明白にある。学校や公園の花壇のように整然と花があるのが好きな人と、イングリッシュガーデンというと聞こえがいいが、花も雑草も混在しているような雑然とした花壇にしている人といる。
私は几帳面な性格なので、キチンと植えられた花壇が好きだった。それなのにどうしたことか、最近ではあまり手入れをしない雑然とした花壇を好むようになってきた。年齢によるせいなのかと思うが、自分の身体が若い時のように作業できないためでもある。
どんなに理想論を掲げても、自分がそうできなければただの空論である。ヒロヒコ君に「物事を片眼でみてませんか?」と注意されてしまった。もし、私が迷惑を受けている地域の住民なら、率先してゴミ拾い隊を結成するのだが、現実はきっとそう出来ないだろう。
頑張れるものが無いのは、情けないが仕方ない現実だ。