明日はノーベル賞の受賞式が行われる。別に自分が受賞するわけではないのに、今年は大江健三郎氏が受賞した時よりもなぜだか気になる。中日新聞も月曜日から「名古屋ノーベル賞物語」を連載している。ただ、カミさんが受賞者の小林誠さんと高校が一緒だったこと、同じクラスにはならなかったけれどテニス部で一緒だったというだけで、遠い人の感じがしないのだ。
新聞を読んでも、「小柄なのに、大きな声を出す人だな」と大学3年生の小林さんがゼミの指導に来た益川さんの印象を語っている場面が、実際に見たことはないのに目に浮ぶ。同じ大学に同じ姓の高校の同級生がいることも引っかかっている。大学2年の時、デモを行うために小林さんの大学へ出かけたが、学生運動の場面で出会わせたのはそのとき限りだった。高校1年の時に同じクラスになり、それ以来心からの友だちだと思っている。
中学からずっーと仲のよい友だちが4人、高校からの友だちがやはり4人いる。中学からの友だちだと思ってきた友が、「自分には親友がいない」とか、「お前ら、オレがガンだと言いふらしているんだろう」とか言われた時はショックだった。親友だから何ができるというものではないし、彼が抱える苦しみが100%わかるわけではない。それは家族でも恋人でも同じことだ。ひょっとすると人間は自分のことでも100%わかることはないのかもしれない。
だから肝心なことは、信じることだ。小林さんが益川さんと出会った時も、この人となら何かできるかもしれないと信じたからだろう。益川さんはテレビで見ていても変わり者だ。私たちの5年先輩になるわけだから、大学にはそんな変わり者の先輩がよくいた。私が学生の時にお手伝いした東京の出版社にも変わり者の先輩が何人かいた。安保闘争を熱っぽく語り、日本のこれからについてかくあるべきだと後輩の私たちに語りかけてきた。
安保闘争の経験のない私はまるで「遅れてきた青年」だった。それでも、高校の時の仲間は大学では共に新聞部に入り、ゆくゆくは社会を変えるマグマになろう、それならお前が党首でオレは幹事長か書記長だと言い合った。小林さんはそんな過激分子ではなかっただろうけれど、同じ空気を吸っていた仲間のような気がするのだ。
今、私たちは定年退職して一線から退き、単なるジジババであるけれど、同じ空気を吸ってきた仲間にノーベル賞を受賞したヤツがいる。オレたちは社会を変えることはできなかったけれど、科学の世界で世の中を変えたヤツがいる。それは同時代の私たちの勝手な誇りなのだ。彼らが話すことは私たちの言葉でもあるんだと、新聞を読んでいてそう思った。
新聞を読んでも、「小柄なのに、大きな声を出す人だな」と大学3年生の小林さんがゼミの指導に来た益川さんの印象を語っている場面が、実際に見たことはないのに目に浮ぶ。同じ大学に同じ姓の高校の同級生がいることも引っかかっている。大学2年の時、デモを行うために小林さんの大学へ出かけたが、学生運動の場面で出会わせたのはそのとき限りだった。高校1年の時に同じクラスになり、それ以来心からの友だちだと思っている。
中学からずっーと仲のよい友だちが4人、高校からの友だちがやはり4人いる。中学からの友だちだと思ってきた友が、「自分には親友がいない」とか、「お前ら、オレがガンだと言いふらしているんだろう」とか言われた時はショックだった。親友だから何ができるというものではないし、彼が抱える苦しみが100%わかるわけではない。それは家族でも恋人でも同じことだ。ひょっとすると人間は自分のことでも100%わかることはないのかもしれない。
だから肝心なことは、信じることだ。小林さんが益川さんと出会った時も、この人となら何かできるかもしれないと信じたからだろう。益川さんはテレビで見ていても変わり者だ。私たちの5年先輩になるわけだから、大学にはそんな変わり者の先輩がよくいた。私が学生の時にお手伝いした東京の出版社にも変わり者の先輩が何人かいた。安保闘争を熱っぽく語り、日本のこれからについてかくあるべきだと後輩の私たちに語りかけてきた。
安保闘争の経験のない私はまるで「遅れてきた青年」だった。それでも、高校の時の仲間は大学では共に新聞部に入り、ゆくゆくは社会を変えるマグマになろう、それならお前が党首でオレは幹事長か書記長だと言い合った。小林さんはそんな過激分子ではなかっただろうけれど、同じ空気を吸っていた仲間のような気がするのだ。
今、私たちは定年退職して一線から退き、単なるジジババであるけれど、同じ空気を吸ってきた仲間にノーベル賞を受賞したヤツがいる。オレたちは社会を変えることはできなかったけれど、科学の世界で世の中を変えたヤツがいる。それは同時代の私たちの勝手な誇りなのだ。彼らが話すことは私たちの言葉でもあるんだと、新聞を読んでいてそう思った。