友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

やちゃった

2008年12月21日 13時24分25秒 | Weblog
 昨日は、午前中に年賀状のイラストを仕上げて印刷屋さんへお願いに行き、午後は名古屋市公会堂で行なわれた小説家の五木寛之氏の講演を聞きに出かけ、その後、忘年会に参加した。五木氏の講演会についてはまた、別の機会にしたい。

 講演会に誘ってくれたのは、私が高校の先生をしていた時の生徒で、私が事務を引き受けている大和塾の講演会にもよく顔を出してくれている。高校生の頃は、何でもハッキリ物をいう子で、既成の価値観や決まりへの反発は強く、大胆に行動してしまうような女の子だった。今は、人の生き方について強い興味を持っているようだ。

 忘年会は、私がお手伝いをさせてもらっているデイサービスの事業所の行事。この事業所の経営者は同じく私が先生をしていた時の他科の生徒で、不思議な縁で結ばれている。生徒と書いたけれど、今から40年も前、私が教師になりたての20代の頃だから、彼や彼女とは7つか8つしか歳の差はない。今は完全に同世代のようなものだ。

 この事業所にそんな50代半ばの男性スタッフが一人いて、忘年会が終わった後で、「このままお別れでは寂しいから2次会に行きましょう」と言う。若い女性2人と私の4人でカラオケに行くことになった。この男性が『山谷ブルース』を歌っているうちに涙声になってしまった。この歌が流行っていた頃は、おそらく高校生の頃だろう。学生運動にクビを突っ込んでいた連中なら、歌にまつわる思いでも多いだろうけれど、どうして泣けてしまったのかと気になった。

 電車に乗った時は、今日一日のいろんなことが思い出されて、興奮していた。寝過ごさないようにと「30分後の電話」をしてくれるように頼んだ。ポカポカと車内が暖かく感じてきたとともに深い眠りに入ってしまった。気がついた時は聞きなれない駅名を告げるアナウンスだった。「しまった。やってしまった」。最終電車の終点駅まで来てしまった。幸い、タクシーが1台止まっている。

 運転手さんに町名を告げるが、「知らない」と言う。「ナビで検索して行きます」と言うので、「ええ、お願いします」と答える。「ナビだと大きな道を勧めるので、遠回りになることがあるんですよ」と、運転手さんは恐縮する。「まだ運転手になって3ヶ月目で、道もよくわからない」様子だった。歳は50代半ばだと話す。車はナビに従い順調に走るが、運転手さんは知らない道なので不安気にハンドルを握っている。「大丈夫ですよ。正しい道を走っていますよ」と私は言う。

 ところがあるところで、ナビは大きく迂回するように示す。運転手さんは慌てて、「この方向でいいのですか」と聞く。「そうですね。このまま真っ直ぐに走っても同じところに出ますから、真っ直ぐに行ってください」と答える。「もう近いですか」と聞くので、「ええ、もう少しです」と答える。すると運転手さんはメーター計を下ろそうとする。「いやいや、近いといってもまだ2千円や3千円はかかりますよ」と言うと、「いいんです。ナビが大回りをさせてしまったんですから」と答える。

 ナビが大回りをさせたわけではなく、順調に来ることができたのに、新米運転手は私に気を遣ったのかと思った。タクシーを降りる時1万円札を渡した。「おつりを」と言う運転手さんの言葉を振り切り、「いや、お礼です。気持ちよく乗せてもらった」と伝えた。
コメント
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