友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

テレビドラマ『長生き競争』

2008年12月28日 22時09分47秒 | Weblog
 一昨日、東海テレビで76歳の老人たちを主人公にしたドラマ『長生き競争』を、またしても初めの部分だけを見た。東京の下町、佃島辺りが舞台と思ったが、新聞の解説では千葉県浦安市とあった。何年かぶりに小学校の同級生が集まり、いわゆるクラス会を行なうところからドラマは始まった。肉体と精神をこよなく鍛えていると豪語する銭湯のおやじが、「みんなで賭けをしないか」と提案する。「出資金はそれぞれが自分で決めればいい。44,444円でもいい。最後に残った者がその金を受け取る。これは長生きをしてもらうための賭けだ」と言うのである。

 なんとなく人の生をそんな風に賭け事にしてしまっていいのかと思うけれど、まあそれもいいかとも思う。人生は賭けのようなものかもしれないから。たまたま運のよい者もいれば悪い者もいる。その判断も自分ではなく、実は他人が行なっているものだ。ドラマの中では、石原さとみのような若い女性が後期高齢者である宇津井健のところに転がり込んでくるが、人生にはそんな風にありえないようなことが時には起きると象徴しているのかもしれない。石原さとみが幸運の女神なのか疫病神なのか、なぜ宇津井健と一緒に住むようになったのか、定かではないけれど、女神か疫病神かは受け手が決めることなのかもしれない。

 今日はカミさんの実家で忘年会だった。話の中で、義弟もこのドラマを見ていたようだったので、どんな展開だったのか、あるいはどんな感想だったのか、聞いてみようと思っていたのに、お酒をいただいているうちに忘れてしまった。カミさんから聞いた話では、最後は子どもの頃から好きだった二人が生き残ることになり、賭けのお金は花火に遣ってしまったそうだ。なるほど、宵越しの金は持たないと言った江戸っ子気質を表しているのかと思ったから、佃島辺りが舞台で間違いないはずだったが、浦安でも隅田川のような花火大会があるのだと知った。

 そんなことはどうでもいいことか。昔を懐かしむ気持ちと76歳という丁度私の一回り上の人たちが生きてきた人生とが妙に引っかかる。私たちもクラス会などやると、あの頃、誰が誰を好きだったなどということが話題になる。そんな好きだった者同士が残ったとしても、それでどうしたの?ということが現実の人生というものなのだ。今好きな人がいることや、今子どもや孫とどんな風に暮らしていることや、今こういう仕事をしていることや、自分が活き活きとしている何かがあることが、人生を豊かしてくれるのではないだろうか。

 そんなことより早く年賀状を書いたら現実が催促する。
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