友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

自然の美しさに感服するが

2008年12月08日 18時09分25秒 | Weblog
 金曜日は雷雨だった。激しい風と雨で先が見えないほどであった。それが夕方には上がり、実に奇妙で美しい夕焼け空を作り上げていた。西の空に残るおびただしい雲の群れは、夕陽を受けて金色に輝き、そして次第に赤みを帯びていった。

 翌日の夕焼けも不思議な風景を描いていた。上空には真っ黒な雲が重く大地に覆いかぶさる長い帯となっていたのに、その雲と地上のわずかな狭間は赤みを帯びた金色の層となっていた。上空の黒い雲のためにいっそう明るく、家々の屋根の形がシルエットのように浮かび上がってきれいだった。

 私の住まいは濃尾平野に建つマンションの1室で、西側にはルーフガーデンがある。この西側には大きな建物がないので、地上35メートル当たりから遠方を眺めることになる。すると、ビックリするような美しい夕焼けに出会うことがある。カメラに収めたならその美しさを人に伝えられるのではないか、そう思って写したことがあった。しかしプリントしてみると期待したほどではない。目に見える光景とカメラのレンズを経た光景とはどうも一致しないのだ。

 親しい友だちのブログを見ていると、3人がこの日の夕焼けについて書いていた。夕焼けが美しいと感じているのは私だけではなかったことを知りちょっと安心した。バンコクにいる末娘に「そういう時は写真を掲載して」と言われそうだが、残念ながら写真は撮らなかった。写真よりも自分が見た夕焼けはきれいでスケールが大きいと思ったからだ。

 友だちとそんな夕焼けの話をしていたら、「最近の夕焼けは茜色や朱鷺色にならずに真っ赤になるが、これは大気汚染ためだ」と指摘する。おそらく江戸時代の人々が眺めていた夕焼けと今、私たちが眺めている夕焼けでは色に違いがあるだろう。空気中に含まれる一酸化炭素をはじめとする様々な浮遊物は、江戸時代にはないものばかりだろう。私たちの子どもの頃と比べても夕焼けの色は赤みが多いのかもしれない。

 人間は不思議だ。自然の景色に感動したり、敬意を払ったりするのに、その片方では自然を破壊してしまうことに何も罪悪感を抱かない。古代ギリシアもきっと緑豊かな国だったと思う。ギリシアが栄えたのは戦争で土地と人々を略奪し、その植民地の人々の労働によって生まれたものだが、生活が豊かになった分だけ多くの薪を必要としたはずだ。現代中国の農村はまだ薪で生活しているのか、山に大きな木が見当たらなかった。

 人は緑によって生かされてきたのに、緑をなくしてしまう生活をしている。地球温暖化について、各国が話し合って食い止めようとしているが、先進国のアメリカは同調しないし、後進国の中国は先進国と同じ扱いはアンフェアだと譲らない。人が生き残れるのかが問われているのに、自分の国の利益だけが優先されている。誰に聞いても「みんなで仲良く暮らせる社会が一番」と言うのに、現実はこっそりとあるいは堂々と資源を独占したり、大量の兵器を揃えたりしている。

 「人間の本質は何ですかね。悪ですか、善ですか」。友だちは即答する。「そりゃー、悪に決まってるさ。だけど、それを正す能力を人間は持っているし、その能力は人々が暮らす中で培われるんじゃないか」。そうありたいと思う。
コメント
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