友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「夫からの宿題」

2008年12月02日 22時09分50秒 | Weblog
 朝日ホール(朝日新聞社15階)で、作家の遠藤周作氏の妻、順子さんの講演を聞きにいった。順子さんは昭和2年生まれだから81歳になるが、かくしゃくとしてみえる。私が遠藤周作氏に興味を持ったのは、『イエスの生涯』を読んでからだ。それで『キリストの誕生』も続けて読んだ。この2作はカトリック信者である遠藤氏の信仰告白であり、私に「信仰とはどういうものなのか」ということを教えてくれた本でもある。

 私は神を理解しようとばかり考えていた。神の言葉が何を意味するのかを考えることはできても、神の業を信じることがずっーとできないままだった。信仰は丸ごと神を受け入れることだと遠藤氏は言う。きちんと理解しなくては信仰できないと考えていた自分には目からウロコだった。だからとは言え、遠藤氏の本を読んで信仰の道に入るほど、純粋で柔軟な心ではなくなっていた。論理で物を考えようとするクセは抜けなかったし、理屈に合わないものを受け入れる気持ちも無かった。

 遠藤氏は若い頃は結核に苦しみ、人生の末期にはガンと闘いであった。晩年の闘病の苦しみをともにした夫人から最初に出た言葉は「70歳から80歳の女は大変よ。73歳で逝ったあなたはいつまでもパリッとしていられていいわねと、話していたところです」であった。それから「21世紀の世界を3日でもいいから見せてあげたかった」と話す。人間について科学的な研究が画期的な成果を挙げているからだと。

 遠藤氏は1998年に亡くなったが、その頃はまだ、医者の患者へのケアが充分ではなかったようだ。遠藤氏は腹膜透析を受けていた。医者から「燃え尽きないでくださいよ」と言われたけれど、その意味もわからないまま、1年が経ち、2年が過ぎた。するとだんだんと尿の量が少なくなり、排尿を促すために身体を動かしたりしなくてはならなくて、1日3時間眠れればよいような日が続いた。順子さんが一番言いたかったのは、今はどういう状態にあるか、そしてこれからどうなっていくのか、行なっている治療は何のためのもので、その結果がどうなっていくのか、そうした説明が全く無いまま、治療が行なわれていったことだ。

 最後に医者が「奥さんちょっと出ていてください」と言われて、病室を出たけれど、部屋に戻った時には遠藤氏は人工呼吸器を着けられていた。あれほど全ての治療関係者に「人工呼吸器はつけないで欲しい」とお願いしていたのに。「私の油断でした。あの時、部屋を出なければという悔しい思いがあります。多分、夫は申し訳ないという私の気持ちがわかっていたと思います。「死は終わりではないんだ」と、「夫からの宿題」として「心のあたたかな病院」を呼びかけること、そしてこの世から堕胎をなくす「エンブリオ基金」活動を生涯の目標と定めた。

 「病院では人間的に扱われたと思ったことは一度も無い。病院がベストを尽くしてくださったことはわかるけれど、生きるか死ぬかの権利は医者ではなく、その人が決めることだ。どこで亡くなるか、どのような死を迎えるかは、その人の権利だと思います」。
コメント (2)
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