友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

夫婦もそれぞれ

2008年12月06日 18時40分47秒 | Weblog
 定年を過ぎた夫婦は、「それまで気がつかなかった面を見つけることがある」と言う。私と同じ歳の夫婦で、夫の方は両親の面倒を見るために会社を辞め、単身で故郷に帰っていた。妻の方は夫に代わって家庭を支えるために働き続けていた。今年になって、夫の方の両親は亡くなり、故郷でそのまま暮らすことまで考えたようだが、今はこちらで妻と2人で暮らしている。夫は両親の面倒を見ながら長く生活してきたので、家事は何でもできる。

 ある時、夫は妻に「洗濯物をタンスにしまう時は、左から順番に入れてくれないか」と言う。何のことなのかと妻は夫に聞き直した。「順番にしまっておけば、いつも同じものを着なくていいだろう」と夫は言う。その几帳面さに驚いたが、同じものだといっても洗濯した清潔なもの、痛んで着られなくなるならすてればいいし、結局どんなふうにしまっても同じことではないかと妻は考えたが、夫には黙っていた。

 夫が洗濯物を干す時は、いちいち同じもを一つのハンガーに干すし、それも左右のバランスを考え、大きなものを内側に小さなものを外側にしている。妻の方は、手に取ったものから順に干していく。そんなことも乾いてしまえば同じことで、几帳面に並べたから早く乾くというわけでもないし、たとえ早く乾いたとしても取り込む時は一緒だから、結局干し方の違いにたいした意味はない。

 食べた食器の片付けも2人の思いは大きく違う。夫の方はちょっとこだわりがあるのか、食べた食器がいつまでも食卓の上にあるのがいやなので、早く片付けて欲しいのだ。これは全くの感覚の問題だ。妻にしてみれば、一日働いてきて食事を作り今食べたばかりなのだから少しはゆっくりしたい。ましてやお酒など飲めば、動きたくない気分になる。こんなことは些細なことなのだから、夫の方は今では自分でさっさと片付けるようにしている。片付けた食器はとりあえず水につけておけば、食器洗い機に入れる時に役立つ。油のものなら湯で流しておけばさらにありがたい。

 この夫婦ではないけれど、料理好きの夫の方は妻の料理の仕方にご不満である。「料理しながら使った道具を洗って片付けていかないから、流しや調理台がごちゃごちゃで、あんなんじゃーろくなものはできん」と言う。妻の方はそんなことを言う夫に腹を立てているかというと、「お父さんが作るものはとても美味しいんですよ」と上手に夫を操縦している。

 「妻はトイレの掃除をするけれど、敷物とスリッパを新しいものと取り替えるだけで、便器を洗うことがないのでちょっと注意をしたら、『そんなに気になるのでしたらご自分でなさったら』と言われてしまった。癪にさわるので自分でやることにした」と言う人がいるが、こちらも上手に妻の策にはまったような気がする。

 本当はこんなことはどうでもよいことなのだ。先の講演会で、遠藤周作氏の妻の順子さんは「お父さんがお母さんの下働きをすることが、家事を公平に負担するとことだと考えている人がいるけれど、それは間違い。家事は女の仕事ですよ」と話した。やはり男子厨房に入らずという戦前に教育を受けた人だと思った。洗濯をやろうがトイレ掃除をやろうが、夫婦がそれぞれ納得していればどんな形であってもいい。人はそれぞれなら、夫婦もそれぞれなのだから。
コメント
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