1月15日がまだ成人の日だったあの頃私は1月15日に披露宴をしたのだった。
次の日が振替休日で休みで出席いただいた方にもいいと思ったからだ。
そう、披露宴二日後の初出勤の朝起こったのだ。
17日の地震の朝は私は起きてトイレから戻りベッドの淵に座っていた。
嫁も起きて私のベッドに潜り込んでいたからだ。外はまだ暗い。
「何やっとんねん(笑)」なんて言った直後だったと思う。
外がゴー!ピカピカ!となり家が壊れると思う揺れが来たのは。
嫁をベッドの間に入れて布団をかぶせてその上から私が覆い被さる。
「わ”-ぎゃー!家が壊れるぅ!」とか二人で叫んでいたのは覚えてる。
後は轟音の中揺られるしかなかった。
終わった後リビングを見たら無茶苦茶になっていて靴なしでは家の中は歩けなくなった。
即電話を握ったが壊れて使えない。ケータイなどまだまだ一般の人は持ってなかった時代だ。
嫁さんが不安がって呼ぶのも聞かずに実家のほうが心配だった私は公衆電話に走り両方の
家に電話したら無事とこのことだった。
直後は電話もすぐ出来た。
このあとコンビニに走ると閉まっている。ドアを叩いて乾電池だけ売ってもらった。
ラジオを聞くためだ。道路は亀裂が走り地震の為に事故った車が発煙筒を焚いて止まっている。
気が付けば周りの家もいくつか倒壊していた。
嫁の友人が一駅向こうに住んでいたので私らが落ち着いてから見に行くことにした。
水は出ないし電気もなかった。「誰かいませんか?」倒壊した誰もいない家を何軒も声をかけてまわったりもした。
一駅(西宮方面)に行くほうが家がたくさん倒壊していた。
友人は無事、やはり家は靴で歩いていた。
外で立ち話している間にも余震が来て隣の倒壊しかけた家が音と砂埃をさらに崩れる。
「誰もいませんね」誰かがその家の中に声をかけた。
帰りも公衆電話を探しながら歩いたが、倒壊したマンションの前の電話には血が付いていた。
当時仁川に住んでいたのだが火事こそなかったが人も結構亡くなられていた。
更地になった後に花が供えられていてそれとわかった。
そう言えば16日の日に友人が遊びに来ていて泊まるように促したけど
結局帰ってしまった。
後から思えば正解だった。食器棚の下敷きになるところだった。
書けば書き尽くせないので地震のことはもうやめる。
しかし地震を境に転勤になったり、色んなことが合った。
あも地震がなければ亡くなったひろひろさんに会うこともなかった。
この写真から12年も経ったのかと思うと年月の長流れを感じる。
変わってないと思うけど写真は正直だなぁ・・・・。
まぁ、一応元嫁はんの顔はわからんようにしておこう(^^;
「オリックスのあれこれ・・・」
あの前川投手が起訴されたとのニュースがあった。
南警察署から検察庁に連れて行かれるところが映っていたが今、留置場に
おるんやなぁと思った。
逮捕されたのだから仕方ないが南警察署って窃盗とか暴行とか色んな人が
数十人いるそうだ。
そんな人たちと一緒にいるのだからきっと大変なことしたと今更ながら
思っているだろう。
起訴されたら絶対裁判を受けなければならないし保釈金を払って許可が出ないと
拘置所にも行かなければならない。大変だ。
オリックスの社長が観客動員のために大阪市を訪れたらしい。
「できれば近鉄ファンだった人にも来て欲しい」
と言っていた。アホかボケ!!おまえが言うな!・・・・・・・・。
ノリもとうとう自由契約になってしまった。
「ユニフォームが着られるならどこでも行かせていただきます」
と話していた。とてもふてぶてしいノリではなくなってしまっていた。
気になります。
次の日が振替休日で休みで出席いただいた方にもいいと思ったからだ。
そう、披露宴二日後の初出勤の朝起こったのだ。
17日の地震の朝は私は起きてトイレから戻りベッドの淵に座っていた。
嫁も起きて私のベッドに潜り込んでいたからだ。外はまだ暗い。
「何やっとんねん(笑)」なんて言った直後だったと思う。
外がゴー!ピカピカ!となり家が壊れると思う揺れが来たのは。
嫁をベッドの間に入れて布団をかぶせてその上から私が覆い被さる。
「わ”-ぎゃー!家が壊れるぅ!」とか二人で叫んでいたのは覚えてる。
後は轟音の中揺られるしかなかった。
終わった後リビングを見たら無茶苦茶になっていて靴なしでは家の中は歩けなくなった。
即電話を握ったが壊れて使えない。ケータイなどまだまだ一般の人は持ってなかった時代だ。
嫁さんが不安がって呼ぶのも聞かずに実家のほうが心配だった私は公衆電話に走り両方の
家に電話したら無事とこのことだった。
直後は電話もすぐ出来た。
このあとコンビニに走ると閉まっている。ドアを叩いて乾電池だけ売ってもらった。
ラジオを聞くためだ。道路は亀裂が走り地震の為に事故った車が発煙筒を焚いて止まっている。
気が付けば周りの家もいくつか倒壊していた。
嫁の友人が一駅向こうに住んでいたので私らが落ち着いてから見に行くことにした。
水は出ないし電気もなかった。「誰かいませんか?」倒壊した誰もいない家を何軒も声をかけてまわったりもした。
一駅(西宮方面)に行くほうが家がたくさん倒壊していた。
友人は無事、やはり家は靴で歩いていた。
外で立ち話している間にも余震が来て隣の倒壊しかけた家が音と砂埃をさらに崩れる。
「誰もいませんね」誰かがその家の中に声をかけた。
帰りも公衆電話を探しながら歩いたが、倒壊したマンションの前の電話には血が付いていた。
当時仁川に住んでいたのだが火事こそなかったが人も結構亡くなられていた。
更地になった後に花が供えられていてそれとわかった。
そう言えば16日の日に友人が遊びに来ていて泊まるように促したけど
結局帰ってしまった。
後から思えば正解だった。食器棚の下敷きになるところだった。
書けば書き尽くせないので地震のことはもうやめる。
しかし地震を境に転勤になったり、色んなことが合った。
あも地震がなければ亡くなったひろひろさんに会うこともなかった。
この写真から12年も経ったのかと思うと年月の長流れを感じる。
変わってないと思うけど写真は正直だなぁ・・・・。
まぁ、一応元嫁はんの顔はわからんようにしておこう(^^;
「オリックスのあれこれ・・・」
あの前川投手が起訴されたとのニュースがあった。
南警察署から検察庁に連れて行かれるところが映っていたが今、留置場に
おるんやなぁと思った。
逮捕されたのだから仕方ないが南警察署って窃盗とか暴行とか色んな人が
数十人いるそうだ。
そんな人たちと一緒にいるのだからきっと大変なことしたと今更ながら
思っているだろう。
起訴されたら絶対裁判を受けなければならないし保釈金を払って許可が出ないと
拘置所にも行かなければならない。大変だ。
オリックスの社長が観客動員のために大阪市を訪れたらしい。
「できれば近鉄ファンだった人にも来て欲しい」
と言っていた。アホかボケ!!おまえが言うな!・・・・・・・・。
ノリもとうとう自由契約になってしまった。
「ユニフォームが着られるならどこでも行かせていただきます」
と話していた。とてもふてぶてしいノリではなくなってしまっていた。
気になります。