ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

ミモロの祇園祭体験(8)祇園祭のハイライト「山鉾巡行」。36度を越える中での見物。

2012-07-22 | 祭事・神事・風習

宵山の夜に、「山鉾巡行」の好天を祈願して行われた「日和神楽」。
17日の「山鉾巡行」の当日は、その願いが天に届き、見事な晴天になりました。

「お願い届きすぎたのかも…」とミモロが思うほど、青空にぽっかり浮かぶ白い雲。そして燦々と降り注ぐ強い陽射し。この日の気温は、36度以上と、天気予報が伝えていました。

ミモロは、昨年は、山鉾の辻回しが、たくさん見られる四条通と新町通の交差点で見物。「去年もすごーく暑かったよねー。今年もすごいねぇー」と、もう額には汗が流れています。

今年は、河原町通と御池通の交差点、「京都市役所」の近所で見物することに。
ミモロが、そこに到着したのは、すでにお昼近く。もう「長刀鉾」など、十台以上が通過していました。

「あ、来た来たー」と身を乗り出して通りの奥を見ると、大きな鉾が近づいて来ます。
「菊水鉾」です。金色に輝く豪華な雰囲気。鉾の上には、稚児人形が能装束姿で乗っています。
現在、人間のお稚児さんが乗るのは「長刀鉾」だけ。他は、人形がその役割を果たします。
交差点に到着した鉾は、方向を変える「辻まわし」の準備に入りました。

直進しかできない鉾を90度廻すには、車輪の下に竹を敷き、それに鉾を乗せ、引手が力を合わせて、いっきに引き、方向を変えます。ギーと車輪のきしむ音が響く、まさに巡行の見せ場のひとつです。

「四条傘鉾」「芦刈山」など次々にミモロの前を過ぎて行きます。

また大きな鉾が…「鶏鉾」です。
鉾の後ろに下る「見送」は、16世紀ごろにベルギーで制作され、江戸時代に輸入されたタペストリーだそう。
「まさに動く美術館だねぇー」とミモロ。

次々通る山鉾を見ていたミモロ「わーもう暑くて…倒れそう…」とお手上げ状態。

「気温が高くなっています、みなさん熱中症に注意してください」と、広報のアナウンスが何度も流れます。
見物人は、日陰を見つけることができますが、巡行に参加している人たちは、もろに太陽を浴びて、それはもう大変でしょう。

「放下鉾」

「岩戸山」が続きます。

「あ、『船鉾』が来たー」ミモロのお気に入りの鉾のひとつの船の形をした鉾です。

引手には、外国人の方々の姿も目立ちます。わらじ履きは、きっと大変かも…。

「船鉾」は、先祭のラストの鉾。次に登場するのは、本来は神輿を八坂神社にお戻しする24日に巡行する後祭の山鉾です。

今年は、本来の順番に戻り「橋弁慶山」が先頭に。10基の山鉾が続きます。


「『大船鉾』まだ来ないねぇー」と、今年142年ぶりに唐櫃で巡行する『大船鉾』は、一番最後の33番目。ミモロは、気になってしかたありません。
「だって、みんな初めての巡行なんだよー。この暑さ誰も経験してなくて、大丈夫かな?」と、心配そう。

すでに巡行が始まって3時間以上が経過していますが、まだその姿は、ミモロのいる御池通からは、見ることができません。

「みんなどうしてるんだろ?」と、ミモロは、待ちきれず河原町通を四条方向へと歩き始めました。

*山鉾の豪華な飾りは、初めから豪華だったのではなく、少しずつ作り上げていくものです。その時代を代表する画家が描いたり、織物や刺繍などの工芸作家の技術により作られたもの。つまり、山鉾は、今も作られ続けているのです。古い時代から現代まで、さまざまの時の産物が、山鉾を形作ります。

山鉾が巡行するのは、神輿が訪れる町を清めるため。山鉾に、町やそこに住む人たちの穢れを吸い寄せる役割があるそう。そのため、巡行が終わり次第、即座に山鉾は、分解され、仕舞われます。神輿が町にやってくる夜までに、山鉾の姿は、京都の町から消えてしまうのです。






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コメント (2)
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