蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

痛い目に遭わないと、人は変わらない

2018-09-13 | わたし
ものの考え方。
これを書こうと思う。
若い人や、これからのポテンシャルを活かす人には不向きだ。
わたしのような、もうあとは、いかに楽してあの世に行くか、という人向けである。

一応、若い頃はそれなりに、わたしなりに頑張ってきた(つもり)。
(そう言うと、笑う人が必ずいるが、無視)

じつは、この記事、趣味SNSから影響を受け、わたしがその正反対、対極の位置にあるので、あちらに書くのはやめた。
やめた理由は、ある一人のメンバーに読まれたくないから。
(なぜ、読まれたくないかは、割愛)

元々、趣味SNSは、実際のリアル人ばかりの集まりで、わたしのように、ひたすらリアル自分、実態を明かさない人は相手にされない。
なぜなら、日記やコメントばかり、口先だけで別人を演じたり、架空の人物を作ったりできるからだ。
複数のアカウントを持ち、入会、退会を繰り返す人もいる。
ただ、趣味の中でも、実際、競技大会に出たりパーティに参加したり、そういうリアルの交流の場があると、ワケのわからない謎の口先人間は、はじかれる(はず)。

にもかかわらず、わたしは天性の詐欺師かも知れなくて、リアルを晒さないのに、堂々と仲間に入れてもらい、日記のアクセス数も上位にある。
かといっても、「上位」イコール「人気がある」「評価が高い」ではない。
書けばいつもアクセス数が高い、ある人、Aさんはいつも、かなりしょうもない、内容の薄いことを書き、ダンスレベルも高くなく、日頃の行いも仲間内ではあまり感心しない行動で知られている。
アクセス数が多いのは、読者がリアル参加していない、一般の外野的な人が多いからだろう。
あるいは、大阪メンバーの皆さんは知っている人なので、どんなヘマをしたのかな、と、優越感を感じたり、なごんだり、興味本位の息抜きかも。
(わたしに対しても、どちらかというと、それ系)

ちなみにわたしは、Aさんを知っている。面と向かって話したこともある。
Aさんは絶対にわたしを忘れていると思う。

話は逸れるが、人は、誰かと会って印象に残る場合、容姿が際立つとか、ユニークな言動や、自分と共通項を見つけた時。
わたしのように、人の後ろにそっと立ち、なんの自己紹介もしないような、影の薄い無色透明の幽霊みたいな人間は脳に入らず、すっと抜ける。
視界にも入っていないかも知れない。

と、逸れた話はさて置き、Aさんは、さしてどうってことのない人物だが(失礼極まりないことを平気で書く)、でも、アクセス数は高いという実例を知っているので、わたしの日記がアクセス数が高くても、なんの人気の証拠でもない。


で、長々と前置きにうんざりしながら、とある人に読まれたくないためだけの理由で、こちら、蝶ブログに書く。

趣味SNSでは、わたしのお気に入りの、とある女性から、体脂肪率を減らし、腹筋を6個に割る話題が出ている。
女性のお腹がプニョプニョ出るのは許せない、と。
筋トレばりばり、ライザップの嵐で盛り上がっている。
わたしは、その対極の位置にいる。

そこで、自己肯定しても始まらない。
ほんの少しでも、自分が出来る範囲で何かしら努力するのが良いと思う。
でも、しない。
単に、苦手でサボりなだけだ。
努力と結果をはかりに掛けると、努力が上回り、ストレスが溜まるだけ。
でも、しないより、したほうがよいのは重々わかる。
しかし、腹筋が割れるより、ストレスフリー重視。
贅肉タプタプでもいい。ぽっこりお腹でもいい。
ピチッとした、体に張り付くような服を着ず、ダボっとした服を着ればよい。
そうやって自分を甘やかし、どんどん服のサイズが大きくなっていくのだろう。

例えば、右手を高く上げると痛いんです、というなら、右手を高く上げなければよい、と考える。
痛くないところまで上げたらよいのでは。
右手が何もしなくても、寝ていても痛いのなら、処置なり治療なりが必要。

そうやって、初期発見、初期治療が遅れ、手遅れとなるのだろう。
結果はどうなろうが、自己責任である。
悔やんでも始まらない時が来るとすると、わたしのブログ内容は変わってくるだろう。
その時から、「サボりは良くない、初期始動が大事!」とシフトするだろう。
人間は痛い目に遭わないと、なかなかポリシーは変えられない。
一生、同じポリシーを貫ける人は幸せである。

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