蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ストレスフリーは、他者にストレスを押し付けているだけ

2018-09-18 | わたし
ストレスは病気になるモトらしい。
ストレスを溜めないためには、一日のうちの、ほんの数分でもいいから、何も考えない時間を持つことらしい。
禅の教義にも通じるところがあるとか。
頭を空っぽにする。と同時に、こころも。

こう教えてくれた人がいた。

あれ?
わたし、いっつも空っぽの時、多いです。
意識して意図して空っぽにしなくても、空っぽです。

上記の教えの場合は、頭にぎゅーぎゅー詰まっている人のストレス発散、解決策らしく、人によって違うそうだ。
わたしのようなタイプはストレス自体がない。
それはそれで素晴らしいから、今のまま
変えなくてもよい、と言われた。

しかし、別の人に同じ話をすると、
わたしがストレスを感じていない分だけ、他者が感じていると指摘された。
これには、ぐうの音も出なかった。
確かに、確かに、、、。

わたしの周りでも、思い当たる人がいる。
ストレスを感じていないと思われる人は、好かれていない。
自分の好きなことばかりしている。
ストレスを感じない自分って素敵!なんて思っていたら、えらい思い違いをしていることに気づく。

しかし、他者ばかりを重んじて、自分を封じ込めると、こころの病気になってしまう。
が、自分ばかりを前面に出すと、たんなる嫌われモノ、鼻つまみモノである。
バランスが大切だ。
他者には時として甘え、自分の負担を軽くする。
しかし、わたしの場合、いつも他者まかせで思い遣りなし。
たまには自分で制御して他者のことも考えるべき。
自己チュー、一本やりでは人として良くない。
何を今更、なのであるが、ストレスがないのは、他人にその分、ストレスを与えている、と言われて、ちょっと反省した次第である。

ちなみに、話は変わるが、ある知人Aさん。
今、ストレスの真っ只中にいるそうだ。
郷里の高齢のお母さんを引き取り、自宅で暮らし始めて3ヶ月。
一番キツイ時だとか。
頭が下がる。

彼女は、着道楽で、着るものには大層凝る美人さんなのだが、わたしはあまり羨ましいとは思わない。
食べ道楽も着道楽も、旅などの趣味も、自分の嗜好を満足させるもの。
嗜好自体が各個人で違うので、他人の嗜好を羨ましがることはない。
羨ましいなら、自分もすればよいのだ。
しない、ということは、羨ましいわけではなく、別の道を選んでいる。
趣味は、人それぞれ。
それで、気持ちが晴れるなら、活力になるなら、大いにやればいい。
ただし、自分を喜ばせるためであり、人から評価を受けるためではない。
ましてや、人を羨ましがらせるため、なんてのは、もってのほか。
そんな人は、いずれ、自分の思いに自分の首を絞めることだろう。

人の思惑を気にしないところあたりは、わたしは自己チューと言える。
どんなに評価してもらっても、自分が価値や楽しみを見いだせなければ、意味がない。
人のためにするのではなく、自分のためにする。

話を元に戻すが、頑張り屋のAさん、心身を壊さないように祈っている。

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