風が吹けば桶屋が儲かる。
この流れで、買ったばかりで即、失くした、半年近く探していたモノが見つかった。
毛布の洗濯をしようとする→「毛布用洗濯ネット」を探す→毛布用洗濯ネットがあった洗面台の下から「非常時持ち出し袋」を発見→非常時持ち出し袋に詰めるモノをあれこれ用意→必要品を入れる「巾着袋」を探す→ストック庫から巾着袋とタオルの隙間に長年の「探しモノ」発見
なんと嬉しい、、、というか、苦笑い、、、というか、というか、道草ばっかり、、、
ではあるが、自分のポリシーを改めて再認識、再確認した。
もはやわたしの哲学になっている。
諦観の先にある、目標達成。
探し物ゲット。
諦めた頃に、ご褒美。
今回の探し物は、次女が昨年、実家に身を寄せていた期間の最初の頃、地元の生協で買ったもの。
1000円ぐらいの小さい塵取りミニ・ハケ。
平べったいハケを、親指と人差し指、中指で挟んで、小さな置物の埃はらいに使う。
値段も値段だし(万が一、無くなっても嘆き悲しまなさそうで)それだけに絶対に失くしそうなので、置き場にはかなりアタマを使った。
いくらなんでも、書類や貴重品コーナーにはふさわしくないが、台所のごちゃごちゃと一緒くたにすると、瞬く間に紛失しそうだと強く思った。
気合いを入れて保管場所を2、3回、移動させ苦労して決めた。
次女も注文した横で知っているし、失くした時もリアルタイムで知っている。
なので、人知れず、わたしだけがこっそり知っていることではなく、失態、失念を次女は身近で見たわけだ。
思えばこれが、母の認知症の始まりの頃だった、、、などと将来、遠い目で症状の進行度合い、検証の答え合わせをすることだろう。
だが、次女を含む、他の子供たちよ!
こんなことでひるんでいてはいけない。
母(わたし)は、かなり若いころから、今とあまり変わらない、超うっかり屋さんなのだ。
彼らもその被害には何度も遭っているはずなのに、「何故、何も感じなかったの?」と長女に聞いてみた。
「何も疑うことも変に思うこともなかった」と彼女は言う。
なんと純粋で純朴で母(わたし)に着いて来てくれる幼い子供たち。
だが、今となれば、わたしのポカをなんでアンタたちが疑問に思うなり、注意するなり警告するなりしてくれなかったのだ?!と逆ギレしている。
が、頭から信じているので、何も感じなかった、と言われたら、グウの音も出ない。
まあ大事に至らなかったから良かったものの、あれが、35年後の今なら、わたしはすっかりしょげて落ち込んでいることだろう。
若い頃から、しょっちゅう、大ミスだらけ。
注意力散漫というのでもなく、わたしの場合は、どうもムラがあるようだ。
良い時と悪い時の差が激しい。
頂点とボトムの雲泥の差、、、で、中間がない。
脳みその混ざり具合が良くなかったようだ。
仕方ない。
オンとオフの自分が2人いることにしよう。
いや、オンオフは誰にでも言えることなので、低エネルギー状態と高エネルギー状態というかんじか。
こんな脳のパイプ接触不良だから、学生の頃は苦労して当然かも知れない。
当時はそういう微妙なライン分けをしなかったので、
精密適正チェックもされず、がさっと大まかにハイレベル優秀集団に放り込まれてその後、何のフォローもせずに放置された、、、
かわいそうなわたし。
どうにか、良い時もあったおかげで瀕死ではあるものの、そこから抜け出せたが。
と、またまた過去のトラウマが顔を出す。
これは過去ではなく、わたしの個体としての特徴のようなので、一生のお付き合いとなる。
天然。
もっと深刻な別の失くしモノは、数年に及んだが、過日、発見できて、こころの底から、こころの快晴を迎えた。
もう別れたきり二度と会えないと諦めていた、生き別れた我が子との再会のようだった。
一生分の安堵を得た思い。
闇スポット、コトンと暗黒ブラックホールに落ち込むのだが、ひょこっとある日、失くしたモノが顔を出す。
何だろねー。
わたしは幸せものに違いない。
固執、確執のものは、モノ(物体)だから。
一瞬にしてモノを含む思い出を喪失したとすると、どうなるのだろう?
あまりにもたくさん一度にそんな瞬間が来たら、、、
想像を絶する喪失感。
ちょっとしたことでもこころが痛むのに、歳を重ねるに従い、人の悲しみを想像すると胸が張り裂けそうになる。
自分も潰れてしまいそうになるのは、誰しも望んでいない。
なので、こころの交通整理をする。
さて、と。
出て来た掃除ミニハケ、また同じところに戻して仕舞い込んだ。
掃除する気、あるのか?わたし。
ミニハケ購入と同じ頃に、糠床(ぬかどこ)の素を買ったがまだ使わず、あと2か月で賞味期限を迎える。
はやく糠漬けを作らないと、、、。
なかなかお尻が重い。
生協で買った時に見ていた次女も今は家にはいないので、着手しなくてもわからない。
が、ある日、言われることだろう。
「おかあさん、あの糠床どうした?」
「糠漬けを漬けて、お漬物を食べて使い切ったよ」と、次女の目をちゃんと見て言い切れるか?
しれっと言ってしまうかも知れない。
だが、その時は、
「さあ、、、どうしたんだろうねえ??」
と、失念のふり、かも。
「おかあさん、失念と放念は違うよ」などと説教されそうだ。
きっと次女も仕事と子育てに忙しいから、忘れていることだろう(と期待する)。