新スマホ、感度が良すぎて迷惑、いや困惑している。
別SNS日記にお寄せいただいたコメントに、せっかくお返事を心を込めて書いたのに、指のどこやらが当たって、パー。
露と消えた。
なかなか面白い文章になったと我ながら悦に入っていたのに、また一から入力し直し。
膨らんだ心の風船の熱は下がり、しなしなに萎えていった。
でも、また一から入力する。
温度が下がろうが、雨が降ろうが槍が降ろうが、、、。
それが、わたし。
とは言え、また失敗しないか、ビビりまくり、ヒヤヒヤ。
わたしの指先よ、お願いだからブルブル震えないでおくれ。
ただ今、リフォームの里(夫の実家)へ。行きの電車内である。
今日は別に行かなくてもよい。
解体日は既に決まっているので、満足できないまま、片付けられないまま、ガシャガシャガシャと、直前にダンボールに詰め込むだけの話。
その時間もなければ??
いや、どうにかなるはず。
とは言っても、吟味したところで、ダンボールに詰め込むだけの話。
中身を確認して詰め込むのか、確認せずに詰め込むのかの違いだ。
たぶん、今後、開けることなく、次世代は捨てることだろう。
それなら、先に捨てておいてあげるべき。
そういうモノ、品々が、山のようにある。
モノと時間の経緯、謂れは、先人から、伝説のごとく、言い伝え、申し送り、引き継ぎのように、語り継がれ、伝えられてはいる。
モノも、収納する空間があると、なかなか捨てられないものだ。
がらーんとした空間を次世代は自由にフリーハンドで描くかのように使う?
使わないこともあり得る。
それなら、建物ごと壊したらよいかも。
そして、高さ50センチぐらいの石碑を建てる?
○○跡。
では更地をどうする?
ほっておくと、草ぼうぼう。
買い手はいない。
ただの近所迷惑。
更地にもなっていない、現存の建物を見上げて、さて、これからどうするかなあと思う。
とりあえずは、今、着手にあたるリフォーム。
これに取り掛かる。
その後のことは、このリフォームが終わってから考えよう。
そもそも、リフォームは大々的に何度か節目節目に行われている。
今回の家の隣に建つ、昭和4年築の棟(現名、ちびっ子ハウス。ネーミングはわたし)は、わたしが嫁に来た時は、姑の姑(舅の母親)が住んでいた。
舅の両親が住んでいたのだが、おじいさんが先に亡くなった。
で、おばあさん(姑の姑)が一人で住んでいて、姑が毎日、食事を作って運んでいた。
おばあさんが亡くなると、舅は、ずっと待ち侘びていた、おばあさん宅のリフォームを行った。
それまでにも最低1度はリフォームされている。(たぶん、第二次世界大戦後)
舅がその家をリフォームした後、舅が亡くなってから姑がまたリフォームした。
最低3度はリフォームしている。
今回のリフォームはその家ではなく、母家。
母家は半世紀近く前にそれまでの建っていた家を壊し更地から新築し、一から建て直されている。
わたしは、前の母家のほうが風情があって好きだ。
(建て直した家しか知らないのだが)
まあ趣味の違いだとは思うが、テイストがどうも好きではない。
今回はその半世紀前に建った家の半分をリフォームするが、大規模リフォームになる。
建て直すには気合いと情熱が足りない。
わたしはあまり積極的ではなかったが、姑が亡くなった時は、長女が丁度産休中だったため、コトが動いた。
夫はこれから週に何回かは実家に泊るだろう。
姉の嫁ぎ先と全く同じパターンになった。
両親亡き後、夫を、生まれ育った地方の実家にお返しするコース。
円満に2つの生活を同時パラレル進行。
とまあ、理屈はそうなっているのだが、ここで、4つ目の乗り換え駅。
一旦ここでアップしないと、片付け作業に差し障る。
今日も一日、片付け、頑張らなくっちゃ。