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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

丸呑み

2020-09-01 | 無題
映画は映画館で観ることにしている。
自宅で観るのは最後の最後の砦と決めている。
なんの最後か?
いつでも出来ることリストの最後に列挙される。
何もすることがなく、退屈で退屈で、誰とも交流がなく、話もせず、人と会いもしなくなったら、映画に相手をしてもらう。

しかし、活動的にしている時に観る映画と、終末期、動きのない時に観る映画では、受け取り方や活用の仕方が違う。
こころの響き方が違う。
動かないのは、身体だけでなく、こころも動かない。

昔の映画だったり、地元の映画館では上映されていない映画は、家で観るしか方法がない。
だが、現在上映中でも、わざわざ映画館で観るほどでもない映画というものもある。
テレビ放送で観る程度のものだね、なんて軽く扱う。

映画に限らず、文芸作品の論評をしている人は素晴らしい。
博識である。
深層を深く追求する。

感性がまったく違う人と同時に同じ映画を観るのは不快なだけである。
なので、おススメしない。
映画は一人で観て、あとから誰かの論評をちらと見ると、程よい答え合わせになってよい。

感性には正誤はない。
どれも各人のそれぞれの思い。
だが、知識には正誤がある。
自分と同程度の知識の人は微妙だ。
相手の間違いが許せない。
うんと上の知識の人と話すと安心する。
ただし、相手は退屈でうんざりするだろう。
こんなこともわからない、知らないなんて、、、と。
無知を自覚している人ならカンに障らないが、○○通だ、とか、○○愛好家だとかを自負している割に、全く無知で、平気で間違ったことを堂々と主張する人は、わたしの神経に障る。
ありえない間違いを声を大にして言う。
その度に、ヒリヒリ、ピリピリ、わたしのカンに障るのだが、最近は歯の神経を抜くかのごとく、聞かなかったことにしている。
自分だって、とんでもない思い違いや間違いをしていることもあるに違いないし。

オールマイティはあり得ないので、分野ごとに、接する人を分ける。
多岐に渡る多くの分野に共通する人は存在しない。
マルチタイプ。
総合、汎用版。
仮に存在しても、凡人以下のわたしとレベルが合わない。

一分野に特別に秀でていても、他の分野が及第点にも達していない、
そんな専門家カラーの人は、わたしの評価は、○。
一分野が100点に近くても、また違う一分野が、マイナス1000点なら、そんな人とは、やはり距離を置くだろう。

専門部分だけ接して、あとの部分は目をつぶる。
どれもこれも100点は無理。
90点が一つあれば、あとは全部60点でも良い。
0点が一つあっても、90点が一つあれば良い。

なので、○○愛好家が無知なことを平気で言っても、他の分野が良ければそれで良い。
ダメ面は、その人から離れ、他の人や他の方法で埋める。

趣味面では、その分野だけ一致していればよい。
映画などでは、一致しなくてもよい。
一緒に観なければよい。
不快を避ける努力が必要だ。

あれこれ失望したり不愉快になったりすることはよくあるが、相手も同じように思っていることだろう。
だから、突き詰めない、追求しない。
人にも自分にも理想を求めない。

ただし、これは趣味分野に限るか、あるいは社会から退いている人に言える。
仕事人にはこんなことは通用しない。
高いところを目指して頑張って欲しい。

建設的な役割から退いて、好きなことをしていると、他人のことなどどうでもよくなる。
良く言えば、他人には寛容になる。
悪く言えば、無関心になる。

リタイアした人にも色々ある。
自分の道を力説しすぎる人は、しんどい。
自負は良いが、評価は他人がするもの。
自負や自信を生きるエネルギーにしているのは良いが、それはそれ。
他人にまで求めないでほしい。
もう、リタイアしたんだから、評価はいいんじゃないの、と思う。
いつまでも評価されないと生きていけない人は大変だ。
わたしは、降りました。

常に評価を求める暑苦しい人には近寄らないこと。
それと、無知を自覚していない人は静かにおとなしくすること。
無知を自覚している人は?


映画は視覚、聴覚を刺激する。
観劇もリアルタイムの臨場感が魅力だが、わたしは観劇は経験にとどまった程度で、あまり感動しなかった。
悪くはないけど、さほど感激もしない。
各人、好き好きだろう。


唐突に話は変わるが、、、
知人A。
なぜ、この人はグルメではないのだろう、と前々から疑問に思っていた。
小さい頃から胃腸が弱かったようだ。
それでなのか、、、。なるほど。
味より、中身、お腹への影響を優先する。

知人B。
なぜこの人はこんなに高額の費用を歯の治療(インプラント)にかけるのだろう。
不思議だったが、歯や歯茎が元々、丈夫ではなかったらしい。
なるほど、納得。

知人C。
この人の自己チューは、とんでもなく半端なくスゴイ。
よくこれで、社会人として、仕事人として、家庭人として、やっていけるなあと。
たんにわたしが、何も文句や不平不満を言わないから、それで問題ないと思っているようだ。
接点だけで接しているため、他は全て目をつぶっているからなんだけど。

人には総合得点と、各分野ごとの得点がある。
丸呑みしてしまった場合、得点がバラバラであろうが、足りなかろうが、総合得点はさほど変わらないから、お腹の中で調合するしかない。
て、読んでいる人は、意味、わからないだろう。

人との関わり方は、人の数だけある。




天敵がいない夜

2020-09-01 | 日々のこと
今日はまるで病人の入院生活のような一日だった。
歩いた歩数は50歩ぐらいなのでは?
(スマホで調べたら200歩ちょっとだった、、、)
食べたものも、お菓子やヨーグルト、麦茶1リットル、コーヒー、簡単手作りサンドイッチ、、、と、まともなものは、なし。
鳴かず飛ばず、なにもしない、なにも動かない一日。
こんなことをしていて良いのだろうかと自問に至る始末。
時間を持て余し、頭が空っぽを通り越して、カラカラになった。

ちなみに、関係ないが、デパートが相次いで閉店される。
もうデパートの時代ではないらしい。
寂しい話だ。
過去はどんどん過去になり、現在とはぷっつり遮断される思い。
特に、そごう。
大丸、そごうは、わたしの若き華やかな時代を支えてくれた。
(嫁入りタンスや着物の一部は、そごうで揃えてもらった。
お宮参りの子供晴れ着は、大丸か、そごう?)
わたしの時代は終わった。
楽しい思い出をありがとう。

幸い、まだ、大丸は営業しているし、高島屋もあるから、嘆くことはない。
しかし、、、まだ持っている、そごうの商品券、どうなるのか?
パー?無効?
調べるのは面倒だけれど、何割かでも戻ってくるなら問い合わせや手続きしたほうが良さそうだ。

しかし、もう百貨店とは縁がない。
知り合いの皆さんは、外商を利用されている人が多いが、わたしは百貨店は利用しなくなった。
それもわたしの購買意欲に関する時代の変化、推移と言える。
服も雑貨品もあまり欲しいとは思わなくなり、買うとすると、旅行先で記念やお土産兼用として。

年齢と共に物欲は減少する。
その割に、断捨離や終活は一向に進まない。
今あるものを愛しく大切に扱ってしまうためである。
わたしの頭が正気ではなくなったら、貴重品以外は、取捨選択せずに全て捨ててもらう。
(義姉の姑さんの新古品ハンカチまで引き取ってしまっているし)
物の取捨選択が最もエネルギーを要すると言われる。
自分で早めに捨てたら家族の手を煩わせず良いのだが、なにしろ持ち物全てに愛着があるので捨てられない。
が、いずれ捨てることが出来るだろう。
どっさりあって、さぞかし気持ちいいはず。

モノもヒトも、みんな切って、最後に残るのは何だろう?
ヒトは今も昔もほぼ最低人数。
これ以上、切る必要も、切る人員もなさそうだ。
何に向かっているのか?
まだ平均寿命まで30年近くもある。
健康寿命にはまだ10年ある。
すでに自宅で老人ホーム生活をしているようなものだ。
早い年齢から老人ホームに入所している人と同じ。
が、アーリーリタイアしている人とは、ちょっと違うような、、、

老人ホームと自宅と、どう違うというのだろう。
1人あたり個人の占有面積はかなり違うが、似たり寄ったり、ほぼ同じ。
毎日何もしないで過ごす。
どんどんボケそうだ。

ひとつには、あらゆることに興味が失われてきている。
好奇心の減少。
それと反比例して、涙もろくなってきている。
知性と引き換えに、感情の起伏(怒り系ではなく涙系)が激しくなってきているように思う。
やはり20年早いか。
ああ恐ろしや、、、

どんなに暑くても、よく眠れる。
人生の、持ち時間を睡眠に大きく割くなんて、もったいない。

わたしにとって、天敵(夫)がいないと、やる気も失せるようだ。
一番いなくなって欲しい人物は、実は、一番いてもらわなくては困る人物である。
相反する特色を同一人物が持っている。表裏一体。
真空の中で鳥が飛べないのと同じで、反対勢力がいないと力を均衡に保てない。

ひょっとすると、ストレスは、生きるためのスパイスかも知れない。
ストレスを取り除くと、あとは安らかにあの世に行くしかない。
生きるには、何らかのしがらみが必要だ。
プラスのものばかりではなく、不条理なものもある。

何もしないと、楽すぎて弱っていくばかり。
こんなに早く、30年も前から弱っていてはもったいない。
が、これもメリハリ。
今、休憩しているのだが、休みすぎは体には毒だ。
心配ごとがふと脳裏をよぎる。
このまま、悩みへと暗い方向にこころが変化したらどうしよう。
まあそんなことには、ならないだろう。

なんだか眠くなってきた。
今日はもう寝る。
おやすみなさい。