蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

当たり前の幸せ

2019-03-08 | 人生
一年に一度の胃カメラを飲んだ。
そろそろ胃カメラにも慣れてきてもよい頃だが、体調にも左右される。
この体調には、先生の体調も含まれる。
先生、寝不足で手が震えたりしないで下さいね。

ずいぶん前に書いた蝶ブログに登場する、ある女性。
若くして病死した妹さんをみて、残された自分の命を大切にし、自分の道を歩みたい、と言っていた。
その彼女に、久々ぶりにお目にかかった。

自分探しの旅は一時、中断し、元の地点に戻っていた。
自主的に中断したわけではなく、うまくいかなくて、やめて、元に戻ってきたのだが。
共に歩んでいた奥さんの、新しい出発を見送るご主人、またまた受け入れるご主人。
セパレートして、再ドッキング。
まあ、いいんじゃないですかー。
実行しないで後悔するより、実行して失敗しても、そのほうが納得できる。
元の居場所が空席だったから良かったが、別の人が入っていたり、席は潰されたりしていたら、戻りようがない。

ぶつくさ不満を抱えて、くすぶっているよりは、決裂してでも勝負に出たほうが良かった、という例である。

しかし、わたしの年齢では、問題を解決したり、切り拓くのに、外科手術はノーサンキュー。
重症になれば、西洋医学の治療法を選択するにしても、日常の軽いものは、漢方薬や自力による自然治癒の道を選びたい。
日常の些細なことに嫌味をちょこっと言ったり、口をきかずに冷戦したりする程度なら良いが、家出したり、離婚したり、そんな大きな展開は避けたい。
小さな不満とともに暮らすほうが、ローリスクだ。
大きな不満に発展する前に、大きな出来事が先に起こるような気がする。
例えば、病気をする、とか。
一大事の前には、小さな不満はどこかに行く。

平穏無事すぎて退屈していると、不満も出るだろうが、平穏無事は永遠に続くものではない。
せめて何もない間に、何もしなくていい間に、思いっきり、何も考えないで何もしないでサボろう。
て、これ、普通の人の発想と逆転かも?

普通は、「思いっきりしたいことをしよう!」だと思う。
わたしは、したい事がないのではなく、したいことは、「何もしないこと」。
趣味を聞かれたら「寝ること」と答えているようなものか。

まあ、平穏無事が一番良いと思えるには、紆余曲折があるかも知れない。
性格にもよるかも知れない。
堀ちえみが、今までなんとも思わなかった、当たり前の出来事に幸せを感じるとブログで言っていたとか。
わたしは、病気にもなっていない、束縛されるものもない、まったく自由な身でありながら、なんでもない、普通の当たり前のことに、幸せを感じている。
誰に言われたわけでもなし、信仰宗教に入ったわけでもなし。
ごくごく自然にそうなった。
じつに、不思議である。

わたしは、「自分教」の教祖 兼 信者だろう。
教祖、信者、合わせて合計、定員1名。
新信者は受け付けておりません。