蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

まあ、いいんじゃないですかー

2019-03-07 | 日々のこと
久々ぶりの投稿。
時間はたっぷりあるのに、なぜか自分のブログを更新する余裕がない。
なぜか?
理由はよくわかっているが、割愛。
割愛するなら、初めから書くなよ、という声あり。もう一人の煩い、わたし。
もちろん、無視することもできる。
だって、わたしだから。
わたしが、わたしを無視するとは、どういうことか。
さすがに、それを延々と書いているほど、ヒマではない。
なら、書くなよ、という話し。
またまた、もう一人のわたし。
キリがないので、一人だけに絞り込む。

と、相変わらず、意味の無い助走、前振り、前書き、序章、プロムナード。
これ、書かないと始まらないわけ?
とまたまた、追いやったはずの、もう一人のわたしが、どこかから。
こんなことしていたら、時間たっぷり老後も、一瞬で終わってしまう。

さて、何を書こうか。
じつは、書きたいことがイッパイあり、すでに書いているのだが、お蔵入りにしている。
なぜなら、別SNSでわたしが書いた話題が盛り上がり、やり取りに追われていた。
コメントに、コメ返しもしなければならないのに、あちらでも、次の新しい日記をアップ出来ないでいる。
皆さん、真面目に真摯に取り組んでおられるため、真剣なコメントが多い。
なので、じっくり読み込んでコメ返しをしようとして、無いアタマが容量オーバーになりかけている。
しっかり読み込んで、相手の言っていることを理解した上で、自分の意見や感想を述べなければならないと思う。
アタマの良い人が相手だと、わたしとの頭脳のデキに開きがあって、困る。
まあ、そんな賢い人が、わたしのメチャメチャ日記にコメントをしてくださるのは光栄である。
ただ、こちらのデキが悪い分、返信には時間がかかる。
やっと全部コメ返しが出来て、無罪放免だ。
あ〜、久しぶりのシャバは 空気がおいしいなあ、、、

と解放感に浸るが早いか、眠気が早いか。
もうはや、眠くなってきた。

最近、コメントをつけようとしても、消してしまうことが多い。
あるいは、(ミスで)勝手に消えてしまい、ああコメント付けなくてよかった、と胸を撫で下ろすことも、しばしば。
べつに、会員さんと仲良くなりたいわけでも、おしゃべり相手を増やしたいわけでもない。
なんだろう?
暇つぶしか?
広告チラシの裏に殴り書きと同じだ。
まあ、いいんじゃないですかー、と、またまたもう一人のわたし。

この頃、まあ、いいんじゃないですかー、のもう一人が、よく出てくる。
アクシデントが起きたり、予定が狂ったりして、キリキリしているわたしに、まあ、いんじゃないですかー、と、間抜けな声で言ってくる。
(ちなみに、幻聴は聴こえません。表現方法の一つです。言っておかないと、真に受ける人がタマにいる)

わらしべ長者のように、一つ目のアクシデントのせいで、予期せぬ楽しい出来事に遭遇したりする。
具体例を出すと、前置きの長さ、大げさ表現に、皆さん、どてっと転けると思うが。

昨日、アポミスで一つアポが潰れた。
ミス原因は相手側とわたしの、半々。
なので、わたしは苦虫噛み潰し顔。
そのせいで、バスを遅らせた。
そのせいで、郵便局に行く時間がずれ込んで遅れた。
そのせいで、孫のマラソン大会のリアル現場に遭遇した。
皆んなが沿道に集まっているから、何があるのかと想像したが、マラソン大会だとピンと来た。
しかし、学年は?
よほど近くの人に聞こうかと思ったが、ぐっと堪えた。
わたしもバスを遅らせたものの、バスに乗らなければならない。
バスの時間とにらめっこしながら、楽しんだ。

いつもは絶対に大声なんか出さないのに、近くに孫が走り抜けると、無意識に「頑張れ! ◯君!」と叫んでいた。
◯君の日頃見ない、真剣な顔に、思わず応援コールを発した。

と、じつに、たわいない話し。
わたしの話は、いつもそう。
いったい、なにがあるんだろうと、身を乗り出して聞いてみれば、なんてことはない。
今日のこのブログ、まとめると一行。
「孫のマラソン大会の応援をした」

いつも長女に、「前置きは、もういいから、結論は?」と、叱られる。
まー、ええんとちゃうかー、と、もう一人のわたし(記事後半になり、ちょい、口調が、くだけてます)が、どこかに行ってサボっていることもあり、あたふた、もたもたすることもある。
もう一人のわたしは、気ままなので、いつ出てくるかわからないのが難点である。

まー、ええんとちゃうかー、と、自分でフォローを余儀なくされる。