蚤の市の中では一番規模の大きなクリニャンクール。
買うぞ!!と意気込みは強かったものの、
根性なしの、お金なし(クレジットカード使えない、キャッシュオンリー)で、
大きくて重くて、チープで価値のない、くたびれ儲けのものを買ってしまった。
なんではるばる遠くパリまで来て、あんな、グラム当たり、安いものを買うのか、自分でも意味不明。
自分は、機会、チャンスを活かせない人間だと、ほとほと感じた。
帰りの荷物、一人で持つことをアタマに入れてる?
いえ。ノン。
考えただけでアタマが痛い。
高価で高価値、小さいものを選ぶべき。あほですね。
若い日本人女性バイヤーが買い付けに来ていた。
小柄ながら、頑張っていた。
アイメイクが目の1.5倍ぐらいある、ブルーのアイシャドーも濃く、
異国の地で頑張るには、あれぐらい気合いを入れた目ヂカラが必要なのかも。
劇団四季の舞台メイクのようだった。
午後2時半には、蚤の市を後にして、
買った重くて大きな荷物をアパルトマンに置くために、という理由(という言い訳)で
また部屋っ子になってしまった。
まだ午後3時だというのに、もう外出終了?
どんだけ仕事しない人?
もっと精力的にパリを縦横無尽に歩きまわり、嗅ぎまわり、吸収しまくるべき、なのに。
わたしのパリは、一日、数時間。
どんどん時間が狭まってきている。
恋い焦がれたパリ。
旅人は、パリでは異邦人。
自分のポジションがよ~く、わかる。
これも旅の醍醐味。
わたしは、決してネガティブにはとらえていない。
でも、アイデンティティをこんなに早く認識、自覚してしまうのは、年寄りのせい?
自分の能力の発展の伸びしろは、ないようだ。
でも、別のカタチの発展はあると思っている。
階級社会で、「見た目重視」社会のパリ。
わたしは、日本でも、自分の気分重視で、TPOに合わせた服装をするのが苦手。
でも、場所柄によっては、見た目も欠かせない要素なんだと、今頃、実感した。
服装=見なり=属している階級
日本は、中流のかたまりなので、少しでも目立つようなことをすると妬まれたり、叩かれたりする傾向にある。
出る杭を打つ、足を引っ張ろうという、横並び感覚がある。
逆に、落ちこぼれに対しては、同情したり、自分はそうならないように、とか、明日は我が身にような危険性をはらんでいる。
階級社会では、それぞれの階級は決して交わらないし、お互いに別のもので、歴然とした壁がある。
そのあたりは、大きく違うと感じる。
日本は島国で、移民も寄せ付けないし、同じようなヒトばかりが集まっている。
鎖国も長かったし。
ヴィトンのバッグは、階級社会の現れのひとつ。
でも、日本ではそうじゃない。
普通のヒトが、給料を貯めて買ったりする。
中古市場だってある。
各国、事情や背景が違う。長い歴史も違う。
まあ、いろんな国があり、国民がいて、違っているから面白いのだ。
異邦人は、どうあがいても、異邦人。
開き直って、パリのいいトコ取りをすればいい。
他国を侵略したり、一般市民から搾取してきた、庶民の汗と涙と血の結晶を、
権力をカサに、芸術というカタチでアプトプット。
どこの国でも、隆盛を極めた国や権力者は、偉大な足跡を残す。
グルメやファッションは、また違う側面を持つんだろうなあ・・・
たっぷり居眠りして、休養を取りまくっているせいで、
部屋の中ではゆっくりキー入力が出来て、いいなあ。
旅の報告をすればいいのに、こんなことばかり書いていたら
読む人は、つまらないだろうなあ・・・
パリという、旅という、モルヒネがそろそろ切れ始めている。
切れた頃に旅は終わる。
仕事や家のことが、心配になってきた。
あと二日。
さて、どう過ごそうか。
まだお土産を買っていない。
これだけ、ぼんやり部屋の中にいる時間が長いくせに、
肝心のやるべきことは、後回し。
最悪の場合、空港で。
あるいは、頑張って最終日に、オペラ座近くのラファイエットで。
個性ゼロの義理土産を。
ああ、かわいげのない、わたし。
写真は、久久ぶりに飲んだビール。
軽い口当たりで、気分爽快。
買うぞ!!と意気込みは強かったものの、
根性なしの、お金なし(クレジットカード使えない、キャッシュオンリー)で、
大きくて重くて、チープで価値のない、くたびれ儲けのものを買ってしまった。
なんではるばる遠くパリまで来て、あんな、グラム当たり、安いものを買うのか、自分でも意味不明。
自分は、機会、チャンスを活かせない人間だと、ほとほと感じた。
帰りの荷物、一人で持つことをアタマに入れてる?
いえ。ノン。
考えただけでアタマが痛い。
高価で高価値、小さいものを選ぶべき。あほですね。
若い日本人女性バイヤーが買い付けに来ていた。
小柄ながら、頑張っていた。
アイメイクが目の1.5倍ぐらいある、ブルーのアイシャドーも濃く、
異国の地で頑張るには、あれぐらい気合いを入れた目ヂカラが必要なのかも。
劇団四季の舞台メイクのようだった。
午後2時半には、蚤の市を後にして、
買った重くて大きな荷物をアパルトマンに置くために、という理由(という言い訳)で
また部屋っ子になってしまった。
まだ午後3時だというのに、もう外出終了?
どんだけ仕事しない人?
もっと精力的にパリを縦横無尽に歩きまわり、嗅ぎまわり、吸収しまくるべき、なのに。
わたしのパリは、一日、数時間。
どんどん時間が狭まってきている。
恋い焦がれたパリ。
旅人は、パリでは異邦人。
自分のポジションがよ~く、わかる。
これも旅の醍醐味。
わたしは、決してネガティブにはとらえていない。
でも、アイデンティティをこんなに早く認識、自覚してしまうのは、年寄りのせい?
自分の能力の発展の伸びしろは、ないようだ。
でも、別のカタチの発展はあると思っている。
階級社会で、「見た目重視」社会のパリ。
わたしは、日本でも、自分の気分重視で、TPOに合わせた服装をするのが苦手。
でも、場所柄によっては、見た目も欠かせない要素なんだと、今頃、実感した。
服装=見なり=属している階級
日本は、中流のかたまりなので、少しでも目立つようなことをすると妬まれたり、叩かれたりする傾向にある。
出る杭を打つ、足を引っ張ろうという、横並び感覚がある。
逆に、落ちこぼれに対しては、同情したり、自分はそうならないように、とか、明日は我が身にような危険性をはらんでいる。
階級社会では、それぞれの階級は決して交わらないし、お互いに別のもので、歴然とした壁がある。
そのあたりは、大きく違うと感じる。
日本は島国で、移民も寄せ付けないし、同じようなヒトばかりが集まっている。
鎖国も長かったし。
ヴィトンのバッグは、階級社会の現れのひとつ。
でも、日本ではそうじゃない。
普通のヒトが、給料を貯めて買ったりする。
中古市場だってある。
各国、事情や背景が違う。長い歴史も違う。
まあ、いろんな国があり、国民がいて、違っているから面白いのだ。
異邦人は、どうあがいても、異邦人。
開き直って、パリのいいトコ取りをすればいい。
他国を侵略したり、一般市民から搾取してきた、庶民の汗と涙と血の結晶を、
権力をカサに、芸術というカタチでアプトプット。
どこの国でも、隆盛を極めた国や権力者は、偉大な足跡を残す。
グルメやファッションは、また違う側面を持つんだろうなあ・・・
たっぷり居眠りして、休養を取りまくっているせいで、
部屋の中ではゆっくりキー入力が出来て、いいなあ。
旅の報告をすればいいのに、こんなことばかり書いていたら
読む人は、つまらないだろうなあ・・・
パリという、旅という、モルヒネがそろそろ切れ始めている。
切れた頃に旅は終わる。
仕事や家のことが、心配になってきた。
あと二日。
さて、どう過ごそうか。
まだお土産を買っていない。
これだけ、ぼんやり部屋の中にいる時間が長いくせに、
肝心のやるべきことは、後回し。
最悪の場合、空港で。
あるいは、頑張って最終日に、オペラ座近くのラファイエットで。
個性ゼロの義理土産を。
ああ、かわいげのない、わたし。
写真は、久久ぶりに飲んだビール。
軽い口当たりで、気分爽快。