蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

異邦人は、見た。

2011-11-06 | リアル パリ
蚤の市の中では一番規模の大きなクリニャンクール。
買うぞ!!と意気込みは強かったものの、
根性なしの、お金なし(クレジットカード使えない、キャッシュオンリー)で、
大きくて重くて、チープで価値のない、くたびれ儲けのものを買ってしまった。

なんではるばる遠くパリまで来て、あんな、グラム当たり、安いものを買うのか、自分でも意味不明。
自分は、機会、チャンスを活かせない人間だと、ほとほと感じた。
帰りの荷物、一人で持つことをアタマに入れてる?
いえ。ノン。
考えただけでアタマが痛い。
高価で高価値、小さいものを選ぶべき。あほですね。

若い日本人女性バイヤーが買い付けに来ていた。
小柄ながら、頑張っていた。
アイメイクが目の1.5倍ぐらいある、ブルーのアイシャドーも濃く、
異国の地で頑張るには、あれぐらい気合いを入れた目ヂカラが必要なのかも。
劇団四季の舞台メイクのようだった。

午後2時半には、蚤の市を後にして、
買った重くて大きな荷物をアパルトマンに置くために、という理由(という言い訳)で
また部屋っ子になってしまった。
まだ午後3時だというのに、もう外出終了?
どんだけ仕事しない人?
もっと精力的にパリを縦横無尽に歩きまわり、嗅ぎまわり、吸収しまくるべき、なのに。
わたしのパリは、一日、数時間。
どんどん時間が狭まってきている。


恋い焦がれたパリ。
旅人は、パリでは異邦人。
自分のポジションがよ~く、わかる。
これも旅の醍醐味。
わたしは、決してネガティブにはとらえていない。
でも、アイデンティティをこんなに早く認識、自覚してしまうのは、年寄りのせい?
自分の能力の発展の伸びしろは、ないようだ。
でも、別のカタチの発展はあると思っている。


階級社会で、「見た目重視」社会のパリ。
わたしは、日本でも、自分の気分重視で、TPOに合わせた服装をするのが苦手。
でも、場所柄によっては、見た目も欠かせない要素なんだと、今頃、実感した。
服装=見なり=属している階級
日本は、中流のかたまりなので、少しでも目立つようなことをすると妬まれたり、叩かれたりする傾向にある。
出る杭を打つ、足を引っ張ろうという、横並び感覚がある。
逆に、落ちこぼれに対しては、同情したり、自分はそうならないように、とか、明日は我が身にような危険性をはらんでいる。
階級社会では、それぞれの階級は決して交わらないし、お互いに別のもので、歴然とした壁がある。
そのあたりは、大きく違うと感じる。

日本は島国で、移民も寄せ付けないし、同じようなヒトばかりが集まっている。
鎖国も長かったし。

ヴィトンのバッグは、階級社会の現れのひとつ。
でも、日本ではそうじゃない。
普通のヒトが、給料を貯めて買ったりする。
中古市場だってある。
各国、事情や背景が違う。長い歴史も違う。

まあ、いろんな国があり、国民がいて、違っているから面白いのだ。
異邦人は、どうあがいても、異邦人。
開き直って、パリのいいトコ取りをすればいい。
他国を侵略したり、一般市民から搾取してきた、庶民の汗と涙と血の結晶を、
権力をカサに、芸術というカタチでアプトプット。
どこの国でも、隆盛を極めた国や権力者は、偉大な足跡を残す。
グルメやファッションは、また違う側面を持つんだろうなあ・・・


たっぷり居眠りして、休養を取りまくっているせいで、
部屋の中ではゆっくりキー入力が出来て、いいなあ。
旅の報告をすればいいのに、こんなことばかり書いていたら
読む人は、つまらないだろうなあ・・・


パリという、旅という、モルヒネがそろそろ切れ始めている。
切れた頃に旅は終わる。

仕事や家のことが、心配になってきた。

あと二日。
さて、どう過ごそうか。

まだお土産を買っていない。
これだけ、ぼんやり部屋の中にいる時間が長いくせに、
肝心のやるべきことは、後回し。
最悪の場合、空港で。
あるいは、頑張って最終日に、オペラ座近くのラファイエットで。
個性ゼロの義理土産を。
ああ、かわいげのない、わたし。


写真は、久久ぶりに飲んだビール。
軽い口当たりで、気分爽快。

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