蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

お金の現実

2011-04-20 | 暮らし

お金って、大事だ。人生の選択肢に大きくかかわる。

お金だけでは、解決できない事もあるが、たいがいのことは、お金でカタがつくことが多い。

お金には換えられないものも、もちろんある。

お金は、あっても邪魔にならないし、できれば、たくさんあるほうが、心強いのも確かだ。

でも、必要以上にお金があると、傲慢になったり、働かずに怠惰になったり、と、負の作用もあるだろう。

 

夫婦にも、お金は重要な要素。

たとえば、熟年離婚。

お金をスッキリ分けて、別々の道を歩んで行くのも、ひとつの道。

分けるお金がない場合は、どうする?

あるいは、一人では歩いていけないほどのお金しかない場合は、どうする?

離婚というカタチをとらなくても、別居とも同居とも言えない、時々顔を合わせる、

つかず離れずのような、二本の線を同時進行という選択肢もある。

 

夫は、「仕事がもう嫌になっている、やめたい」と言うのが口癖。

(特に、日曜日の夜にそういう気分になるようだが、これは若い人でも同じ)

早朝から夜まで、馬車ウマのごとく働いているので、いいかげん疲れるというのもよくわかるのだが。

はやく大キライな仕事をやめて、リタイアしたい、と、言う夫。

そこで、まだ走らなければいけない馬の、目の前のニンジン効果として、

わたしは、夫には、「リタイア後にはロングステイしたら?」と理想の夢を見ることをおすすめしている。

 

毎日、大好きなゴルフができる、お酒が飲める、仲間とワイワイ南国の地で、愉しく過ごしたらいいじゃない、と。

どなたかのブログで、そんな生活は、数分で飽きる、と書いておられたが、それは、まだお若い証拠。

うちの夫の場合は、泣いて喜ぶと思う。

 

わたしも気が向いたら、夫のステイ先をぶらりと訪れるかも知れないし、

わたしはわたしで、好きな国にも行きたいし、大手を振って、束縛されることなく、過ごせる。

夫がステイ先でステキな女性と仲良くしているとしても、

お金は、もうすでに二人で分けていれば、各自、自分の分のお金の使い道は自由。

故郷にUターンしたければ、すればいいし、田舎に移住したければ、すればいい。

お互いに干渉しない。

自分は自分で、楽しめばいい。

お互い、別々の楽しみ方もあるし、いっしょに楽しむ場合もあるだろう。

夫が別の女性と結婚するのであれば、半別居は解消され、本格的に離婚することになるだろうけれど。

 

ただし、これらは、ある程度のお金と、健康が必要だ。

一人では無理で、二人いっしょでないと、生活できない状況であれば、同居せざるを得ない。

お金と健康さえあれば、あとは、どうにかなる。

それに、あとは、よほど変人でもない限り、人とのお付き合いも、多い少ない、頻繁かそうでないかという、

多少の個人差はあっても、そこそこ人との交流はあるだろう。

 

生きていると、あれこれあるだろう。

ただ、その二つは、気をつけていなければ、知らない間に、なくなっていたりする。

日々、努力しないと保てないもの。

目減りしていっても、補充しなければ、心寂しい。

だが、年を取ると、お金も健康も、目減りしていくが、補充の術がない。

 

人とのお付き合いも、努力を怠ると、だんだん先細りしてくるだろう。

お金も、健康も、人もままならぬ、となると、

くたびれて、うちひしがれていても、夫と細い肩を寄せあって生きるしかない?

いえ、夫じゃなくても、同じ想いの(異性とは限らない)人と、寄り添いあって生きるのも、ひとつの残された方法か?

 

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はやくパソコン、直してくれないかなあ。。。。

娘Rよ。

母は、自宅で落ち着いてブログ更新できなくて、とても困っておりまする。

Rに身を小さくして頼むと「自分でやれば?」と言う。

わたしができるなら、頼むわけないじゃろ。

いじわる娘に、いじめられております。