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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

子供じゃあるまいし

2016-08-13 | 
今年のお盆は、退屈この上ない。
姑ダウンで、姑の自宅は留守。
姑宅で、お坊さんお参りスタンバイ。

明日のお盆行事日程も、今日にまとめてやってしまい、早く自分の家に帰りたい。
姑宅の地元で長く暮らす、手伝ってくれている高齢の女性に、「前倒しは、ダメですかね?」と聞いてみた。
「いいんと、ちがいますか」との答。そのほうが、彼女も省エネ。

が、早く家に帰りたい、なんて、子供じみたことは言えないし、(自分ちで何がしたいわけでもないのに)
「そんなことは家の主(あるじ)が決めること」と、夫にも反対された。

で、今は、行事と行事の間の時間待ち。

退屈で退屈でしかたない。こんなに退屈なものだったっけ?
お盆って、そうやって、里帰りしてきたご先祖様と、のんびり対話するためにあるのかも知れない。

しかし、ご先祖様で実際に知っているのは二人だけ。
しかも、二人とも、あんまり、話らしい話はしたことがない。
宗教心などほとんどない、血のつながらない嫁の私にとって、仏さん行事は、義務以外のなにものでもない。

気持ちが入らないのは、けしからんのだろうけれど。
でも、いちおう、義務は果たします。
とりあえず、イエの嫁であるという認識はありますので。

若いピチピチの新人嫁でもない、ひねたトウのたった嫁は、かわいくもなんともない。
なんといっても、もう、名実ともに、おばあさんだから。
おばあさんには、おばあさんの収まりどころというものが、あるはず。

でも、(跡取りが自分たちではない)核家族、都会の家は、また別の収まりどころがあるのだろうか。
自由と引き換えに、自立、個人主義。
それはそれで、それぞれに良い面も良くない面もある。
なんだって、どんなことだってそうだ。

今年のお盆

2016-08-10 | 

もうじき、お盆。

今年は、司令官が壊れてしまっているので、わたしが司令官代理。
というか、司令官になりたくないけれど、司令官 兼任 実践者。

お盆の行事。
あんなに力を入れていた、「お盆・命」「イエ行事・命」の、
すっかりお盆のことなど忘れてしまっている、もと、司令官。
とても不思議な気がする。

もし、誰にも継承していなければ、お盆の行事は闇に葬られていたところだ。
たまたま、(というか、無理やり)、毎年毎年、わたしが参加させられていたので、
わたしはさすがに、体で覚えた。

さて、マインドはどうか。
どうなんだろう。

司令官が壊れているから、もう、お盆の行事はやめとこうか、と(本気ではないけれど)、そう次女に呟いてみた。

すると、次女は「おばあちゃんが生きている限り、続けたほうがいいんじゃない?」と、ぼそっと言った。

本来、息子の嫁がいて、わたしがそうだったように、お盆の行事を姑と嫁が、いっしょにすれば、
お盆行事が継承される。
のだが・・・。
息子は遠い遠い地に行ってしまっている。(この世ですが)

家の行事はよほどマインド、想いが強くないと、継承されない。
すごくマインドの強い親戚がいて、そっちは、今の跡継ぎが娘さんなので、しっかり継承されている。
次世代は、まだまだお若い、未婚の息子さん。
むこうは、もう何代も前に本流から枝分かれした親戚なのであるが、人材がしっかりしていて、継承もしっかりされる。
(頭も性格もやる気も、きっちり)
伝統行事や慣習で、わからないことがあれば、聞きにいけば教えてくれることだろう。(情報・ノウハウの逆輸入)
元祖であっても、ぼけっとしていると、だめですね。

なにがだめなのかというと・・・やはり、人材である。
その人材こそ、わたしなのである。
(夫は、姑まかせ、嫁まかせ。戦力外。わたしよりヒドイ。
が、自分は何も知らなくて、何もしなくても、当然のように、完成されたものを求める。
このスタンスに、わたしはものすごくストレスを感じる)

わたしには、強いマインドがない。
押し付けられ、強制されたマインドや行事に、反感こそ覚えても、積極性は育たなかった。
代々の伝統行事であったとしても。
とりあえずは、かたちだけ、最低限度継承する予定ではあるが。


もともと、わたしの人生の自問自答、答えが出ていないものが、いくつかある。
ほじくってみても、解決にはならないので、ほっている。
眠った子を起こしても、徒労に終わるだけである。

親がしっかりしすぎると、子世代は、しっかりしない。
我々は、これの典型である。
しかし、しっかりしない親に育てられた、子世代、これがまた、しっかりしている。
順番・交替制度か。

強弱、強弱、スロー、クイック、スロー、クイック、、、そうやって綿々とつながっていくようだ。
細くても強いピアノ糸のようなもの、そういう芯だけ、しっかりあればいい。
頑丈な枠踏みがあれば、中身は時代に応じてリメイクすればよい。
ただし、枠組が大きすぎる場合は?
時代に合わない時は、英知を絞って考えればよい。


郷に入れば郷に従え、であるが、郷に入ってないので、郷に従わない。
「郷」と、「out of 郷」が二本ラインで同時進行ということになる。
しかし、このやり方は、次世代はどうするのだろう?
次世代(産んだとたんに、周りから、でかしたぞ、と、大喜びされた人物)継承人自体が、どこか遠くに行ってしまっているので(何度も言うようですが、現世です)
なんぞの折には、しゅるしゅると、タコの糸を手繰り寄せることになる。
糸は、もつれて解けなくて、やっと解いたら切れているか、解く途中で短気を起こして、切ってしまうか。
時代によって形は変わるので、旧来の方法を押し付けても、逃げられるだけだ。

火を消すのも、絶やすのも、種火だけ点けておくのも、バトンを受け取った者の行動に左右される。

まったくそんなこととは関係のない生き方をしている人も、とても大勢いて、
価値観はまったく違うので、それはそれで、それぞれに良い。

と、この記事、どう結ぼうかと考えていたところ、
実家の親戚のお嫁さんから、初盆お供えを送ったお礼の電話が入った。
ご丁寧に、恐れ入ります。
ちゃんと教育されている、このお嫁さん。
わたしとは、デキが違うと感じた。
せめて外に向けてだけは、最低限度、わたしも嫁としての役割を果たしたほうがいいかな、と実感した次第だ。
と同時に、中に向けても、である。

 

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おじいさんになりたい小学生

2016-02-02 | 

お若い方から、蝶ブログをリンクしていただき、とても光栄です。
「とても光栄である」と書きたいところだが、「です」「ます」体で表現したい気持ち。

で、お若い方の年齢は、まあ、なんと、わたしのこどもたちと同じ世代。

わたしには、アラサーの男女3人のこどもがいる。
こども、といっても、大人であるが。

このアラサー3人。
わたしに似ているのか、似ていないのか知らないが、ほんの少しだけ変わっている。

息子。
彼は、小学生の時から「はやく、おじいさんになりたい」と言っていた。
今、毎日、彼の願いは、どんどん目標に近づいてきている。
こういう目標って、なんの努力もしなくていいから、いいなあ、と、不思議なわたしの感想。

しかし、今は、まだ彼はアラサーで、おじいさんではないので、まだまだ目標はほど遠い。

下の娘の同僚で、この息子の元・高校の同級生とやらがいるそうだ。
その元・同級生の弁によると
「彼は、あんなに純粋だと、社会で生きていけないんじゃないかと心配します」
とのこと。

当時の中・高校生のまんまだと、生きていけないだろう。
雑菌だらけの我が家で、しかも超おおざっぱな手抜き子育てで、なんであんなに純粋に育つのか、
親の顔が見たいところだが。親は私なので、ナゾは深まるばかり。
雑菌対応システムがオートセルフで組み込まれているのか。 あくまで、対応であって、自動除去装置ではないはず。

小学生の時は、クラスの同級生のおかあさんに、
「うちの息子みたいな乱暴な、トモダチのいない子にも優しくしていただいて、
とてもありがたく思っています」
と言われたような気がする。

別のおかあさんには、「どうやって育てると、ああいうふうになるんですか?」
と、筆記用具を携え(うそです)、メモメモ態勢の人もいた。

高校を卒業し、進路が決まったある日、
息子が居なくなった彼の部屋で、
「ああ、これで子育て卒業。子育て戦争終了」と感慨深く、ひとりで呆然と座っていたわたしがいた。

高校を卒業して、別に住むようになって、もう長い年月が経っている。

たまに帰省したりすると、息子に、おちょくられたり、からかわれたり、わたしは悪戯のターゲットになる。
生活様式について、咎められたりもする、世の中によくいる(らしい)姑のようなこともする。

あまり息子のことはよく知らないのだが、摩訶不思議な人物であることは確かだ。


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5年後、10年後、20年後

2016-01-05 | 

長い長い長い、年末年始が終わった。
2016年、やっと平常モードに戻りつつある。

年末から年始にかけて、民族大移動。
それぞれの核家族が、実家に帰省する。

長女一家は、お婿さんの実家へ。
ちょうど、関西と関東の境目ぐらいの位置か。
年末の一週間。
あちらのお父さん、お母さん、ご苦労様。
一番、手のかかる乳幼児連れが、一週間も滞在。
日頃、老夫婦、二人だけの静かな生活に、若手が、どかどか乱入。
しかし今回は、まだお婿さんのお兄さん一家も同時滞在、芋の子を洗う戦場でなくて、よかった。
一緒だと、お風呂の順番なんて、なかなか回ってこないと、長女が言っていたような気がする。

我々は、夫の実家へ。
日頃、老人一人住まいのところに、大人が3人加わる。
義母とのやりとり、どっと疲れる、嫁のわたし。
風習だの、慣わしだの、伝統だの、簡素化しようとするわたしと、
体が動かなく、記憶もだんだんぬるくなってきているのに、想いとアタマと口の達者な義母と、ことごとく衝突。

お正月明けて、長女一家、乳幼児連れが、どかどか4人乱入。
むこうの、お婿さんのご両親、おそらく万歳三唱。やれやれ、と。

こちらは、迎春準備はバタバタだったものの、明けて、大人だけの静かなお正月に、活発どたばた世代が増加。
ダイニングキッチンは、ぎゅうぎゅう詰め。

さらに、そのメンバーで、今度は、わたしの実家にGO。
実家では、姉一家(姉夫婦、シングル甥っ子や、ちび連れ姪っ子たちファミリー)と合流。
若いお婿さんは、これで、3人に。
母や兄たちは上座に鎮座。
各世帯、お年賀品・交換会、物流、交流、わーわー。
老若男女向き・和洋折衷・昼食、お茶&和菓子、コーヒー、と、進んで、あっという間にお開き。
ばたばた。


各家々に三々五々の後、我が家には、うちの長男が帰省。
我が家が、「モノが多すぎる」と、長男による断捨離の粛清が始められる。

ぽいぽい、ゴミ袋に入れる息子。

「それは、捨てたらあかん」
「どう見ても使ってないで」
「これは、大事に取っておいているものなんやから」

「賞味期限、過ぎてる」
「塩昆布は、べつにいいのよ」

「こんなもん、まったく要らんものや」
「いや。要る。わざわざ買って、集めているんやから」

あちこちで、すごいスピードで、ゴミ箱行きに仕分けされる。


息子が帰ったあと、捨てられたものの中から、執着心のあるものをわたしは、レスキューする。
が、息子が言う通り、なくてもよいものばかりではある。
が、見切りをつける期間が、わたしと息子では、時間の長さが違うのだ。

次女は、
「お兄ちゃん、一年に一回しか帰ってこない、実家の大掃除して、どうする気や?」
と、冷ややか。

義母宅の冷蔵庫を賞味期限切れチェックをして、はるかに賞味期限が切れているのを見て呆れておきながら、
自分の家では、息子に呆れられている。

自分の実家に訪れる身でありながら、子供に実家を訪れられる身、同時進行している。
核家族が、いっぱい。
交通整理しないと、統制がとれない。
求心力、まとめ役、牽引役が必要である。

子供は、あと30年すると、自分の子供(わたしの孫)に実家を訪れられ、実家を訪れられる気持ちがわかるだろう。
そして、子供と孫が、「おばあちゃんち」として、うちを訪れることになる。
我々は、30年先、実家を訪れるとすると、そこには誰が住んでいるのか?
我々? ひ孫? それとも、Nobady?
メビウス状態になってきた。


実家に移住しないで、自宅から通って管理だけするとするとしても、
高齢になって自立できなくなると、自分は老人ホームに入ろうと思っている。
管理は、子供にバトンタッチということになる。
子供も高齢になってくると、管理は孫にバトンタッチということになる。
管理費は、どこから捻出する?
遠方にいる場合は?

よほどの信念と経済力がないと、困難である。
親が居なくなると、売却してしまい、はい、それでオシマイ。
死んで、あの世から化けて出てくるわけにはいかないので、自分がいない後のことなど、
だれが約束してくれようか。
(存命のうちに自分の家を売却する人もいる)

核家族になって分裂して、消滅して、それでオワリ。
これをあきらめるのか、自分の目の黒いうちに、スピリッツと資金を残しておくのか。
そのつもりにしていても、
自分の死に際に、予想以上におカネがかかってしまって、残す資金がなくなってしまったら、それはそれで、しかたない。
老人ホームに入るプランは立てられても、死期プランは立てられない。
その時はその時。どうせ、自分はこの世にいないのだから、どうなっていてもわからない。
せめて遺言だけは、残しておこうと思う。

通いで管理するのがだんだん、体力的に辛くなって、軸足を実家に移すかも知れない。
軸足を移す時の準備をしておくのも、選択肢のひとつではある。


5年後には、夫は、仕事を減らし、義母は、通院か入退院で、自宅と病院を行き来か、老人ホームを検討。
あと10年すると、夫は完全にリタイア、義母は、あの世とこの世の中間。
その頃、わたしはどんどん下り坂、順調な老化のカーブを曲がっていると思われる。
やりたいこともやりつくし、
というか、やりたいことを続行しようとすると、老化などで、支障をきたし、やりたいことが出来なくなっておもしろくなくなって、したいことを変更しているかも知れない。
その微妙な頃は、親を見送る時期と重なることだろう。
親の介護に専念したとしても、そろそろ本格的に介護という覚悟が自分の中で出来上がり、
やりたいことも、見送りも、「やり残した感」はそうないと予想する。

しかし、70歳ではまだヒヨコで、80歳にならないと、老境に突入しないかも知れない。
自分の老いとの闘いは、80過ぎてから、85ぐらいで本格的かも。
その頃には、親はあの世に行っている(はず)。
本腰入れて、自分との老いと向き合うことになる。

今回、息子にも言われた。
自分の入りたい老人施設、決めといてね、と。
順調にいけば、まだじっくり時間はある。
今から20年~25年の間に決めよう。
あ、その前に、義母。


なるように、なる。
なるようにしか、ならない。

 

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新年明けましておめでとうございます

2016-01-01 | 
年越しそばの後、深夜にごそごそ、やっとこさ、まだ終わっていなかった元旦の準備が出来、今はお風呂の順番待ちです。
迎春準備は、そうとう遅刻しています。
最後に、迎春用・箸袋に一人一人の名前を筆ペンで書いて、とりあえずは、終了しました。

〆縄、干支置物、おふだ交換、鏡餅をセット(鏡餅・大小、ともち、だいだい、ウラジロ、干し柿)、迎春用お椀&小皿、おせち料理作り、などなど、迎春設えの最小限のことをしました。
あまり、凝りません。
伝統は最小限にしないと、負担が大きいと、次代には繋がりません。


こちらでは、お年寄りの話をよく聞きました。
皆さんの行動や考え方、同じ高齢者でも、ダンスの人々は、ちょっと特徴が違います。
ある意味、特殊かも知れません。
でも、超個人主義で気持ち良いぐらい、自分を大切にしているように思います。

この地域は、田舎で、考えが古く、さらに、親の年代の人(義母)としか話さないので、あまりの価値観や関心事、関わっていること、日常生活の違いが大きすぎて、宇宙にいるようです。
猿の惑星か?
一方通行の話を一方的に聞かされると頭痛がしてきます。
まだ、義母は、自立していて、しっかりしていますが。

年を取るということは、重く苦しく哀しいですが、逃れられない運命です。
大先輩のお年寄りたちは、現世に、しがみついているように見えます。
私も25~30年後はそうなるのでしょう。
いつまでも引退しない長老たち。
引退、勇退の美学など、彼らの辞書にはありません。
私もきっと同じ道を行くと危惧するので、非難はできません。
迷惑をかけまいと必死で自分の道を歩こうと頑張っていますが、特権や利権は手放しません。
手放すと、もう、座敷牢の世界が待っている恐怖と闘っているのでしょう。
崖っ淵。
安らかに老いるというのは、口先だけのキレイごとだと感じます。

夕方には、長女一家が、娘婿の実家から自宅経由で、こちらに到着します。

本年もどうぞ宜しくお願いします。




迎春前夜、大晦日

2015-12-31 | 
朝からバタバタ、お手伝いのおばあさんと、義母。
彼女たちは、同じ年。
一方は、雇い主で、一方は雇われ人。
同じ年齢の超高齢、ご近所住まいなのに、不思議な構図です。

私の仕事は減って楽なものの、あんな高齢の人に仕事をさせるのは複雑な心境です。
が、経済活性化や、人材活性化、生き甲斐?のためにも、悪くないようです。
私の布団も彼女が敷いてくれたもの。
「朝は早く起きてこないでね」と義母からの要望。おもしろいです。
ここでは、超高齢者の皆さんは、お元気です。

もう一人、私と同じような世代の便利屋さんお助けマン女性がいます。
彼女はさすがに、フットワークが軽いです。
掃除や買い物、スイスイ。私設・家事ヘルパーさんのようなものです。
彼女は、頭脳明解、高学歴。
アタマも体も回転が早いです。

私は彼女たちの間を縫って、ぬらりくらりと仕事しているような、していないような。
おそらく、「なにもしない人」という烙印、評価だと思いますが(心の中で皆さん、思っていることでしょう)、受けいれています。
昨日は、超時間続く、義母のパワフル機関銃トークに、すっかり疲れました。

さて、大晦日。
それぞれのワールドで、のびのび頑張ることにします。
午後に次女がやってきます。

良い一年の締めくくりでありますように。

うどん屋の釜、らしい

2015-11-28 | 

母を見ていると、30年後の自分の姿が見える。

娘を見ていると、30年前の自分の姿と重なる。

孫を見ていると、
(成長して)今はまったく別の生物体となってしまった子ども達の姿を思い出す・・・はずなのだが、
初めて見るかのごとく。
自分が子育てしている頃は、一日一日の成長ぶりに感動する余裕などまったくなく、
どうやって育ててきたのだろう・・・と、首を傾げる。

例えば、夕食。
娘が、孫に食べさせていると、娘は自分の食事がさえぎられる。
大変だなあ、自分のご飯もゆっくり食べられないで、と気の毒に思う。
わたしは、上の孫(2歳)の食事介助は出来ても、下の孫(1歳)は、気難しいし、食事ルールがあるようだから、
へんに手を出して、ややこしくなるよりも、母親である娘に任せる。
自分の時はどうしていたのだろう・・・と、記憶の糸を辿る。

あ、そうだ。
子供に食べさせるのが精一杯で、自分は同時に食事しなかったと、たぶん思う。
それどころではなかったと。
あるいは、すっかり、まったく忘れて、アタマの記録紙が真っ白になっているのかも知れない。
その場その場を切り抜けて、ただひたすら毎日を送るのみだった。

押しつぶされそうに次から次へと降りかかる、やるべきことが、どんどん肩に乗ってきて、
それを振り払っても振り払っても、次から次へと用事が新しく生み出されていった。
考える暇はないが、少しぐらい段取りや、効率性を考えなければ、山積みのまま処理しきれない。

全部、完璧に処理しようと考えると、ストレスの山になる。
大雨の時の車のワイパーのように、前が見える分だけ、どりあえずは、雨や雪を払いのける。
そうしながら、走る。

だから、子供が小さい頃のことをあまり覚えていないのだろう。
ワイパー作業に追われながらも、車を運転し続けなけれないけない。
車の外の景色なんぞ、見る余裕はなかった。

だから、孫を見ていると、うちの子供たちはこんなんだったっけ?と、どうしても思い出せない。
脳の回路に焼きつくヒマもないほど、全力投球の毎日だったのだろう。


今は、イクメンが、重要な子育ての役割を果たしてくれる。
一昔前は、イクメンどころか、子供が一人増えるかんじで、夫が家に帰ってくると手間が増えるので憂鬱になるほどだった。

その夫の代わりに、夫の両親、主に義母が、子育てをサポートしてくれた。
あの時は感謝していたが、夫が父親になる試練の場を、先回りして、先々、夫の母親が奪ってしまったのかも知れない。
夫は子育て戦争にはまったく巻き込まれず、「のうのうと」(この表現には悪意とウラミが込められていますね)
仕事や遊びに精を出していたと言える。

その場その場がしのげればよい、と考えていたわたしは、義母の援助には、こころの底から感謝した。
が、家族という車の両輪の片方は、義母になり、夫との両輪は、築かれないまま、今日に至る。
昔の男性、父親は、そういうものかも知れない。
が、権限、威厳があった。家父長は重いものを背負っていた。

重いものは親が背負ってくれ、いつまでも子供のまま歳を重ねている。
これは、夫だけでなく、わたしにも言えることだろう。
親なき後、いったいどうするつもり?

なし崩し的に消滅していく恐れをわたしは抱いている。
せめて、ぐっと足をふんばり、崩れていってほしくない部分を支えたいと考える。
実践するために、その部分は、どんな部分なのか、形を明確にしたい。

土砂降りの中でのワイパーを必死で作動させる時期は卒業した。
これからのわたしのワイパーは、車の中から、外をクリアーにはっきりと見えるよう、きっちり動かして、
車がいつ止まってもいいように、だが、車はどこに向おうとしていたかを表せたらいいなあと思う。

後の人々(家族)にやってほしいと思うことを、自分でとりあえずは、体現したい。
自分はなにもしないで、なにかをしてほしい、と望むのは分が良すぎる。

時代の流れもあるので、各時代に生きる家族たちは、流れに沿いつつも、呑み込まれないよう、独自の道を模索して欲しい。

ただ、自分の意思、遺志を伝えるのは、文字だけでは伝達能力が低い。
これは、今、母がせっせせっせと毎日、文章を書いていてそれを傍らで見ていて、そう思う。
思いは、書くだけでは伝わらない。
行動しなければ。
(母はしっかり、めいっぱい行動していたが→我々、子ども達から大ブーイング)

母に若い頃、よく言われた。
「あんたは、うどん屋の釜や。湯(言う)だけ」
さすが親。的を得ている。

言うだけでは、なにも起こらない。
しかし、洗脳という手段もある。
洗脳は、巨大な行動力を生み出す。
しかし、わたしのこの年齢、行動力、能力からすると、今から洗脳は無理。
洗脳されるのも、洗脳するのも、両方、無理である。
第一、自分のアタマで考えられるようにしなければ、洗脳などというものには、恐れるものの、価値を見出さない。

自分の願うような方向に、自分が向うのは出来なくもないような(出来るような)気がするが、
人をしむけるのは、そうとうな力が必要である。
今更ながら、であるが。

ただただ望みを言うだけでは、叶わない。
今まで、人を動かした経験がないので、どうにもこうにもできないだろう。
が、自分自身、悔いが残らないよう、長期戦で、行動してみようかと思っている。

(と、思うだけ、言う【湯】だけかも知れない)

 

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終の棲家

2015-10-23 | 

わたしは、今、住んでいる家を建てた時、アタマに描いていたイメージは・・・

多くのモデルハウスや、建築雑誌、インテリア冊子などを何年も延々と眺めていた。
いよいよ建て替えたいと思うようになった時は、
折込チラシなどに載っている、建築設計図の平面図だけ、ただただ、むさぼるように見ていた。
平面図を見て、立体図をアタマで建てて想像していた。
どんどんアタマの中で、イメージは膨らんでいた。

家は、3軒建ててみないと、理想や好みを追求したものは建てられないという。
それは、おカネとヒマがたっぷりある人に、やっていただくとして。

まあ、理想をわたしなりに追求した。
とても幸せなことである。満ち足りた日々である。


ある日、北欧(スエーデンだったか?)の高齢者の生活レポートをテレビで見た。
80代後半ぐらいだったか、その人をメインに紹介されていたが、各お年寄りの家々に、ヘルパーさんが巡回してくれる。
お年寄りは、住み慣れた愛着のある自宅で、ヘルパーさんの助けを借りて生活していた。
その家の様子、インテリア、空間が、今のわたしの家に良く似ていた。
わたしは、その映像を見て、自分も最後は、こういう暮らしだったら理想だろうなあと感じた。

お年寄り同士が、週に一度ぐらい、家に集まり、わいわい和やかに楽しんでいた。

しかし、現実には無理だろうと思っている。
まず、認知症を発症していた場合、一人住まいは、危険だ。
巡回のヘルパーさんでは、まかないきれない。
子供や孫が時々、顔を出してくれても、毎日の暮らしをサポートするにはとてもカバーできない。
身体がいくら丈夫で、趣味のことも十分に楽しめて、文章もスラスラ、ブログにも毎日アップできても、
認知症は部分的に症状が現れるので、外部の人が、外からうっすら表面を見ている分には、問題が発覚しにくい。

一人で住んでいると、たとえ時々ヘルパーさんが巡回してくれても、
部屋も汚くなるだろうし、身もかまわなくなるだろう。
刺激もないので、だんだん、理想的な暮らしから遠のいていきそうだ。

自分がアタマに描いた理想の暮らし、理想の老後が送れていない、とその時点で自分で判断できるのだろうか。

かといって、心身健康なときに、理想の暮らしを切り捨てて、老人ホームに入る勇気があるかどうか。
英断が下せるのだろうか。

有終の美を飾りたい。ピークのときに引退したい。
そう理想は唱えるが、実際になると、自主的に自由意志でそんなことは出来ないと思う。
よほどの強い意志でもない限り。
あるいは、よほどの外圧、外からの強制力でもない限り。

いくら美学を貫きたいと思っても、認知症にかかってしまえば、貫けない。
ただ、問題は、白黒はっきりした、だれが見ても深刻な認知症ならわかりやすいが、
アタマがばっちり冴えている時と、そうでない時にわかれる、ジキルとハイドの認知症、
いわゆる「まだら」になった場合。

自分で無意識、無自覚に行っている行為があり、その行為をモノの移動や、事象の検証で確認できた場合、
あるいは、他人に「あなた、これこれ、こんなことしてましたよ」と知らされた場合、
我に戻ったハイドは、認知症のジキルの行動を知って、愕然となる。
まさに認知症のまだら状態は、人間の二面性といってよいのではないだろうか。
自分の知らない自分を知ったら愕然とすることだろう。

徘徊老人は、まさにそれ。
真っ裸になって道の溝にしゃがんで、すっぽり入っている老人、
「お~い、追い炊きしてくれ~」と、本人はお風呂に入っているつもり。

夕方になると徘徊するおばあさんは、本人は夕食の支度にかかっているのだ。
部屋中をかき乱している老人も、仕事をしているつもり。

わたしなら、おそらく、テーブルに平たいものを持ち出し、指をかちゃかちゃ動かして、ブログをアップしているつもりの老人になりそうだ。
大人しい、手の掛からない老人ならよいのだが。

現実とアタマの中を行ったり来たり。
その区別がだんだん出来なくなる。
あれ? 今でもその傾向のあるわたしは、歳をとっても、認知症状が発覚しにくいことだろう。

ゴミ屋敷と化した、お気に入りの自分の家で、
「今日は、娘一家が来るので、掃除しないといけない・・・」なんて、かちゃかちゃ、平たいものの上に、指だけ動かしているのだろうか。
でも、きっと、こころは、楽しい平和な時間なのだろう。

大のお気に入りの空間、お気に入りの時間、それを切り離して奪ってしまうのは、
自分自身の心身の老化のせいなのか、
はたまた、お気に入り状態から離れたくない自分から、無理やり引き剥がす、身近な家族なのか。

人は生まれるからには、弱って死んでいく運命にあり、それは誰にも避けられない。

 

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知らない幸せ

2015-07-14 | 

価値観は、時代によって変わる。

「もったいない」から「大量生産&大量破棄」「飽食」の時代になり、
やがて、「省エネ」へ。

「ケチ」は、節約、もったいない精神として美徳と解釈されることもある。
食べられない時代があったのに、今は飽食の時代。
賞味期限、消費期限・・・これはおおまかに、製造年月日を確認するものであるが、
腐っていなければ、多少風味が落ちようが、昔なら気にせず食べていたものも、捨てる。

食べ物だけではない。

モノのなかった時代に育った人は、モノを捨てない。
集めて集めて、ゴミ屋敷に。
今の人は、モノのない贅沢を味わう。
モノは、アンチ贅沢というわけだ。

コレクター、収集家は、どうなる?
欲しがる人がいるなら、モノで持たずに、データ化して換金すべき、という考え。
持っておくな。モノが増える。
モノは、なるべく持たないのが、洗練・知的生活のステータス。

ロココ調のゴテゴテ猫足家具なんかは、どうなる?
代々伝わる、家具は?

大きなお屋敷、広大な庭は?
たくさんの洋服、バッグ、靴は?

要らないものは、捨てろという考え。
今は、その考えが主流になりつつあり、モノを必要以上に持つと、罪悪であるかのごとく。
物理的側面での断捨離から、精神的側面からも、ときめかないモノは、捨てろ、と、
さらに年齢が高くなると、終活へと、世間では、ますます断捨離に拍車がかかる。
モノへの執着は、老醜のごとく、醜いものでもあるかのように。

「要らないもの」の定義が、キーである。
そこに、各自の価値観が大きく顔を出す。


「使わないもの」「必要ないもの」は、捨てる、処分する。
子供たちと話していると、世代間ギャップを感じる。
というか、世代というよりは、個人の考えの相違だろう。
しかし、個人の考えは、時代の流れを反映する要因もある。

義母なんかは、どうなる?
昔、昔、大昔のモノを所持していることに誇りを感じている。
結婚当初、わたしが、古いものが好きだということがわかり、義母は、喜んだ。
叔父が「処分したら?」と言おうものなら、烈火のごとく憤慨する。

美術品は、美術館で観るものであって、個人が所有するものではない、と、
お金に換えたら?という、またまた、お金主義。
家もモノも、すべて、不良債権化を未然に防ぐ。
子孫に美田は残さない。おカネも残さない。それがいいと言われている、
なのに、手入れができない家を残されても、困り果てている人が、全国に多くいる。
家は、住んでこその継承、住まないと愛着はわかない。
土地、地域そのものに、愛着がないと、住まいにも当然、愛着はない。
家は家族の歴史や文化を入れるもの、箱である。
ソフト面で継承されない家は、住んでいた人がいなくなったら、ただの箱だ。

コンパクトに身奇麗にしろ、という。
墓も持たない人がいる。
後々、面倒をかけるのは、しのびないからと。
これは、いつから、こうなったのだろう?

確かに、墓掃除、墓参り・・・面倒である。
たいして信心もしていないのに、負担が大きい。
葬式も、実質本位になってきている。
母たちの世代からすると、晴天の霹靂(へきれき)だろう。
家は、修理を重ね、長く大切に使い、愛着と誇りのシンボルである。
いかにお金がかかるか、と、愚痴を装いながら、じつは、プライドが大いに満たされている。
わたしの世代は、まあどうにかなるとして(どうにもならないかも知れないが)、
子供たちの世代にはバトンタッチされず、消滅しているものに対して、お金をかける気にならない。

わたしは、つい最近まで、いかに世代間継承をすればよいか、そればかり、頭を悩ませていた。
しかし、子供たちのドライな発言を聞くと、
大切にしていたものも、時代の波とともに、ぷつんと切れることがある。
母たちには、そんな考えを聞かせるのは、酷なので、
なにも伝えず、価値観を否定され、継承されない今後のことであっても、
なにも知らないまま、この世を去ってもらおうと考えている。
ひょっとして、ひょっとすると、自分自身も、古い価値観が色あせて見えてきているのかも知れない。

それと・・・
目上の勢力、お年寄りたち・・・
価値観のズレや、考えが合わないことも出てきているが、あといくらかの年月が経つと、いなくなるので、
あえて衝突はせず、耐えて、待つ。
そうやって、わたし自身も子供たちから、指折り数えて、じっと我慢されて、自分の方針を貫くのかも知れない。
自分がいなくなった時は、あとのことは知らないんだから、それでいい。
自分がいる間は、ガンコを貫く。

知ることばかりが幸せとはいえない。
知らない幸せもある。
わたしとて、自分の目の黒いうちは・・・などとガンコに頑張っていたとしても、
自分がいなくなったら、すべて処分されている可能性は、大、大、大である。
ガラクタや、モノは、自分で断捨離したとしても、家、墓、そういったものも、処分されているかも知れない。

せめて、負の遺産を残さないよう、頑張るか。
孫のお守り、ちょっとぐらいは、お手伝いしてあげなくっちゃ、と神妙な顔になってみる?

 

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盛者必衰

2015-04-24 | 

今日の記事内容は、多くの人に共通することはなく、一般的ではありません。
都市部にお住みの方は、さらっと斜め読み、あるいは、スルーが良いかと思います。

・・・・・・・

親の家、娘はどう見ているか。

子供たちが自立、独立している今、
実家である親の家(今、わたしが住んでいる、わたしのお気に入りの家)の処分を彼らは、もう視野に入れている。
たんなるシュミレーションではあるものの、ちょっとショックだった。

わたしは、自分の実家を大切に愛おしく思っている。
できる限り、維持したい気持ちだ。

が、子供世代は、自分たちのことだけで精一杯。
それ以上の負担を強いられたくないという思い。
わからないでもない。

わたしが大切に思っているもの、大好きなものは、なにも、子供にとっては、大事とは限らない。
すべて、ゴミ。
家の中の不用品の山を見渡し、処分するのにも、お金がかかりそうな現状を見て、子供はため息をつく。

仮に、不用品をすべて処分し、すっきりした暮らしを手に入れたとしよう。
が、いくらすっきりしようが、家そのもの、箱モノが不要なので、売却を検討するのも、選択肢の一つのようだ。
出口を考えずに作られた、大きな、塩漬け不良債権だそうだ。

世代の違い。
わたしは、けっこう古い地域で育ったので、旧式の感覚なのかも知れないが、
今風の考えには付いていけない。
母や義母などは、想像もできない考えだろう。

時代の流れとはいうものの、こんなにも考えが親子でも違うのかと思うと、驚きを隠せない。
長い歴史など、彼らには、まったく、たんなる負担なのかと思うと、
これまで維持してきた人々の軌跡が虚しいものに感じる。

人は、この世からいなくなれば、それまでか。
残った者の好きなように、思うようにすればいいのだろう。
受け継ぐということは、いかに難しいことなのか、今頃になって重く捉える自分がいる。

自分がいかに大切なものであっても、子供にとっては、そうでない。
その現実を目の当たりにすると、なんだか、複雑な、頭ではわかっても、でも、情では、理解できない。
実際に、家を売る手続きに入っているわけでもなんでもないが、
時期が来たら、そうなる可能性は大いにある。

家は、住まい、日々の暮らしの詰まったものだと思っている。
暮らしには、こころが詰まっている。
そういう積み重ねを感じていたのは、自分だけだったのかと思うと、虚しい。
が、彼らには彼らの暮らしがあり、今から積み重ねて築いていく、現在進行形。
足を引っ張るわけにもいかない。
親を乗り越えていってもらう、親は踏み台でいい、と思いたいところだが、「無」「リセット」は、やはり哀しい。

時代は変わるものだと、つくづく思う。
が、その責任の一端は、伝統や慣わしから逃げることばかりを考えていた自分にもあると感じる。
イエ制度や家父長制などは、もう名実ともに、戦後70年の時を経て、完全に消滅しているのか。
わたしの世代は、名と実の過渡期なのか。
養子を取ったりして、頑なに守り継いでいるイエもある。
それとも、考え方は、暮らしている地域の色に染まるのか。

しかし、より良い未来のために、知恵を絞るのは悪くないこと。
カタチは、違っても、思いが伝わり、残れば、それでよいのだろう。

 


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