最後の嫁
2017-08-16 | 家
ここのところ、忙しく、1日の終わりが近づいた時間に、ブログをアップするようになった。
お盆は、誰一人、見る人(オブザーバー)がない中、ひとり、黙々と、帰省中のご先祖様たちに、定番、お盆メニューの、おさんどんをして、お供えした。
ずっと前は、御膳を5膳も出していたので、お供えする量も5膳分あり、結構な量だった。
ある年、姑の提案で、2膳にした。5分の2の分量になり、助かった。
姑の姑がいた頃は、あんころ餅も自家製で、とても忙しかった。
今は、まあ、かんたん。既製品。
姑は、いつでも、何にでも、あふれるばかりの量を用意する。
あんころ餅も20個用意した時もあった。
お供えしたあと、20個のあんころ餅、どうする?
食べきれない。
出入りの人に、もらってもらう。
お正月のお餅も、姑は、あり得ないほど多く用意する。
残ったお餅は、人にもらってもらう。
なんで、あんなに大量なのか、わたしは意味不明だった。
誰の指図も受けない今は、わたしは、きっちり必要な分量だけ用意するので、捨てたり、人にもらってもらったりを余儀なくされるようなことはない。
誰も見てないから、手を抜いてもいいのだが、なぜか、まじめに、ちゃんと行った。
全て、写真に撮った。(記録)
で、お供えとお供えの間の待ち時間に、暇を持て余し、ご先祖様たちのメンバー表を作った。
大きな大きな紙に2枚。
過去帳を見ながら、一人一人チェックして書き写していった。
年号が古くて明治より昔はわからないので、西暦に直した。
没年月日と享年から、生年月日を計算する。
全体像が、とても、わかりやすくなった。
結構、面白い作業だった。
今まで、姑から何度も何度も、耳にタコができるぐらいご先祖様のことや、経緯は聞かされていたが、自分で表にすると、相関図が理解できる。
姑の説明は、一方通行気味だったが、やっと、流れを把握することができた。
今頃、やっと。
嫁は全員、後に姑になっている。
嫁が一人だけでお盆の行事をすることは、おそらく長い過去にはなかっただろう。
いつもは、姑と嫁のコンビ、あるいは、三代にわたる嫁コラボ。
今、姑は在宅しておらず、さらに、次世代の嫁の席が空席なため、わたしはひとりでの行事になった。
現代の流れだろうか。
「家」の概念は、世の中の動きや、現状とともに変わりつつある。
で、20年後と30年後と40年後の計画を立てた。
計画は、ガチガチの決め込みではない、おおよそのプラン。
緩やかなルールにしようと思うが、緩やかすぎて、誰も仏祀りをしてくれないかも。
してくれそうな子に、全てを任せるのは、気の毒である。
手書き、手作りの家系図をじっと見て、悦にいってる。
わたしも、嫁の役割を末端で担っている。
嫁のなかでも地域で有名な、よく、働き、名をあげたおばあさんもいる。
時代の推移と共に栄枯アップダウンもあるし、若くして家族を亡くす悲しみにくれた経緯もある。
一家を地方の片隅で、陰になり日なたになり、支えた、おばあさんたち。
ご苦労さまでした。
いろんなおばあさんがいる中で、わたしは無色透明で、最も、音がしない、働かないおばあさんなんだろうなあ。
わたしが、最後の嫁だったりすると、皆さんに申し訳ないかなあと、ふと思ったりする。
どんなにヘボ嫁でも、存在しないよりは存在するほうが価値がある、と、ここで自己肯定しておこうか。
が、次世代に継承させていない今、現在、役目を全うしていない。
お盆は、誰一人、見る人(オブザーバー)がない中、ひとり、黙々と、帰省中のご先祖様たちに、定番、お盆メニューの、おさんどんをして、お供えした。
ずっと前は、御膳を5膳も出していたので、お供えする量も5膳分あり、結構な量だった。
ある年、姑の提案で、2膳にした。5分の2の分量になり、助かった。
姑の姑がいた頃は、あんころ餅も自家製で、とても忙しかった。
今は、まあ、かんたん。既製品。
姑は、いつでも、何にでも、あふれるばかりの量を用意する。
あんころ餅も20個用意した時もあった。
お供えしたあと、20個のあんころ餅、どうする?
食べきれない。
出入りの人に、もらってもらう。
お正月のお餅も、姑は、あり得ないほど多く用意する。
残ったお餅は、人にもらってもらう。
なんで、あんなに大量なのか、わたしは意味不明だった。
誰の指図も受けない今は、わたしは、きっちり必要な分量だけ用意するので、捨てたり、人にもらってもらったりを余儀なくされるようなことはない。
誰も見てないから、手を抜いてもいいのだが、なぜか、まじめに、ちゃんと行った。
全て、写真に撮った。(記録)
で、お供えとお供えの間の待ち時間に、暇を持て余し、ご先祖様たちのメンバー表を作った。
大きな大きな紙に2枚。
過去帳を見ながら、一人一人チェックして書き写していった。
年号が古くて明治より昔はわからないので、西暦に直した。
没年月日と享年から、生年月日を計算する。
全体像が、とても、わかりやすくなった。
結構、面白い作業だった。
今まで、姑から何度も何度も、耳にタコができるぐらいご先祖様のことや、経緯は聞かされていたが、自分で表にすると、相関図が理解できる。
姑の説明は、一方通行気味だったが、やっと、流れを把握することができた。
今頃、やっと。
嫁は全員、後に姑になっている。
嫁が一人だけでお盆の行事をすることは、おそらく長い過去にはなかっただろう。
いつもは、姑と嫁のコンビ、あるいは、三代にわたる嫁コラボ。
今、姑は在宅しておらず、さらに、次世代の嫁の席が空席なため、わたしはひとりでの行事になった。
現代の流れだろうか。
「家」の概念は、世の中の動きや、現状とともに変わりつつある。
で、20年後と30年後と40年後の計画を立てた。
計画は、ガチガチの決め込みではない、おおよそのプラン。
緩やかなルールにしようと思うが、緩やかすぎて、誰も仏祀りをしてくれないかも。
してくれそうな子に、全てを任せるのは、気の毒である。
手書き、手作りの家系図をじっと見て、悦にいってる。
わたしも、嫁の役割を末端で担っている。
嫁のなかでも地域で有名な、よく、働き、名をあげたおばあさんもいる。
時代の推移と共に栄枯アップダウンもあるし、若くして家族を亡くす悲しみにくれた経緯もある。
一家を地方の片隅で、陰になり日なたになり、支えた、おばあさんたち。
ご苦労さまでした。
いろんなおばあさんがいる中で、わたしは無色透明で、最も、音がしない、働かないおばあさんなんだろうなあ。
わたしが、最後の嫁だったりすると、皆さんに申し訳ないかなあと、ふと思ったりする。
どんなにヘボ嫁でも、存在しないよりは存在するほうが価値がある、と、ここで自己肯定しておこうか。
が、次世代に継承させていない今、現在、役目を全うしていない。