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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

最後の嫁

2017-08-16 | 
ここのところ、忙しく、1日の終わりが近づいた時間に、ブログをアップするようになった。

お盆は、誰一人、見る人(オブザーバー)がない中、ひとり、黙々と、帰省中のご先祖様たちに、定番、お盆メニューの、おさんどんをして、お供えした。

ずっと前は、御膳を5膳も出していたので、お供えする量も5膳分あり、結構な量だった。
ある年、姑の提案で、2膳にした。5分の2の分量になり、助かった。
姑の姑がいた頃は、あんころ餅も自家製で、とても忙しかった。
今は、まあ、かんたん。既製品。

姑は、いつでも、何にでも、あふれるばかりの量を用意する。
あんころ餅も20個用意した時もあった。
お供えしたあと、20個のあんころ餅、どうする?
食べきれない。
出入りの人に、もらってもらう。
お正月のお餅も、姑は、あり得ないほど多く用意する。
残ったお餅は、人にもらってもらう。
なんで、あんなに大量なのか、わたしは意味不明だった。
誰の指図も受けない今は、わたしは、きっちり必要な分量だけ用意するので、捨てたり、人にもらってもらったりを余儀なくされるようなことはない。

誰も見てないから、手を抜いてもいいのだが、なぜか、まじめに、ちゃんと行った。
全て、写真に撮った。(記録)

で、お供えとお供えの間の待ち時間に、暇を持て余し、ご先祖様たちのメンバー表を作った。
大きな大きな紙に2枚。
過去帳を見ながら、一人一人チェックして書き写していった。
年号が古くて明治より昔はわからないので、西暦に直した。
没年月日と享年から、生年月日を計算する。
全体像が、とても、わかりやすくなった。
結構、面白い作業だった。

今まで、姑から何度も何度も、耳にタコができるぐらいご先祖様のことや、経緯は聞かされていたが、自分で表にすると、相関図が理解できる。
姑の説明は、一方通行気味だったが、やっと、流れを把握することができた。
今頃、やっと。

嫁は全員、後に姑になっている。
嫁が一人だけでお盆の行事をすることは、おそらく長い過去にはなかっただろう。
いつもは、姑と嫁のコンビ、あるいは、三代にわたる嫁コラボ。
今、姑は在宅しておらず、さらに、次世代の嫁の席が空席なため、わたしはひとりでの行事になった。
現代の流れだろうか。
「家」の概念は、世の中の動きや、現状とともに変わりつつある。

で、20年後と30年後と40年後の計画を立てた。
計画は、ガチガチの決め込みではない、おおよそのプラン。
緩やかなルールにしようと思うが、緩やかすぎて、誰も仏祀りをしてくれないかも。
してくれそうな子に、全てを任せるのは、気の毒である。

手書き、手作りの家系図をじっと見て、悦にいってる。
わたしも、嫁の役割を末端で担っている。
嫁のなかでも地域で有名な、よく、働き、名をあげたおばあさんもいる。
時代の推移と共に栄枯アップダウンもあるし、若くして家族を亡くす悲しみにくれた経緯もある。
一家を地方の片隅で、陰になり日なたになり、支えた、おばあさんたち。
ご苦労さまでした。

いろんなおばあさんがいる中で、わたしは無色透明で、最も、音がしない、働かないおばあさんなんだろうなあ。
わたしが、最後の嫁だったりすると、皆さんに申し訳ないかなあと、ふと思ったりする。
どんなにヘボ嫁でも、存在しないよりは存在するほうが価値がある、と、ここで自己肯定しておこうか。
が、次世代に継承させていない今、現在、役目を全うしていない。

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パワフル馬力は、ないけれど

2017-08-15 | 
姉はすごい。
パワフルである。
わたしの100倍ぐらい馬力がある。

昔、父が、姉は男だったらよかった、能力があるから女だと活かせないのはもったいない、と言っていた。
その点、わたしは、いつも、ダメ子の評価。期待されず。
まわりからも同じ評価を下され、スパルタ教育もされず、のうのうと甘んじてサボっていた。
今日の、ふにゃふにゃは、長い年月の積み重ねである。

で、まわりからも期待され、本人もやる気満々、体育会系の姉は、じつにバリバリよく頑張った。
エネルギーと計画性、実践力、体力にはアタマが下がる。
まあ、姉妹でも、ぱかっと分かれるのは、個性の違い。
(同じ傾向の二人より、正反対のほうが、役割分担しやすい傾向にある)

と、とりあえず、褒めておこう。
このスーパーウーマンは、味方である時は神様のごとく、であるが、敵に回った時は、、、?
まったく違う個性がぶつかり合うと、どうなるか?
(あ、ぶつからない。わたしは、ふにゃふにゃだから)
元々、力を合わせると、二倍が十倍のパワーアップになるところが、逆ベクトルに引っ張ると、意外にわたしは、しぶとい。
今まで気づかなかったが、最近、それを自覚した。

と、延々、これは前置き。
姉は、「姉ファミリーの家」と、「旦那さんの実家(田舎)」、「我々の実家」、「我々の実家の実家(田舎)」、と、なんと四軒もの家を管理している。
わたしとは、「我々の実家」と、「我々の実家の実家(田舎)」の維持管理、本来は姉妹で責務をシェアしなければならないが、ほとんど姉がやっている。
(ありがとう、お姉さん。感謝してます)

まあ、その理由のひとつとして、立地がある。
わたしの住む家は、実家から遠く離れた場所にあり、わたしの夫の実家(田舎)は、さらにそこから遠く遠隔地にある。
姉は、姉一家が住む家と、姉の夫の実家(田舎)に行く中間地点に、我々の実家がある。
我々の実家を通過して、姉の夫の実家にたどり着く。
動線的に、ついで感がある。
おまけに偶然、手と足になって動いてくれる姉の長女が、我々の実家の近くに嫁いで住んでいる。
鬼に金棒。協力サポーター。

わたしは、実家に行くだけでも、わざわざ感があり、へとへと。
わたしの子供たちも、実家が遠くて滅多に足を運ぶことはない。

わたしは、自分の実家とは真逆方向にある、夫の実家(田舎)に行くと、益々、自分の実家から離れる。
一家揃って、わたしの実家に行くとなると、相当遠く、時間もかかる。
地理的距離感は、精神的距離感にもつながる。
行きたい気持ちはあるのだが、身体が疲れ、移動距離、帰宅時間を考えると、「行って帰るだけ」に近いものがある。

姉とは、思いを実現するための、考え方や方法の違いがある。
が、実家を大切にする思いは同じなので、喧嘩しないで仲良く、ゆっくり、向き合うことにしたい。

それはそれで、さておき、
本題はここからである。

夫の実家。
お盆行事を済ませて、ひと段落。
劣等生である嫁のわたしであるが、さすがに35年も家の行事を続けていると、体が覚えているようだ。
姑が家には不在でも。

さて、今後、どうなって行くのやら。

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バテバテお盆

2017-08-14 | 
さすがに、バテバテ。
ブログや、ライン、SNSをいじくろうか、という気にならない。
目が、しょぼしょぼ。
長女一家も娘婿の実家に帰省していて、ラインする余裕なし。
ライン、来ない。
夏休み、孫たちは、あちらの、いとこたちとの子供交流会が行われ、娘はプールや遊びに付き添っていることだろう。
リアルが忙しいと、ネットに手が回らない。
インスタグラムは、本末転倒だと感じる。
(かつて、わたしも振り回されていた時期もあったが)

地方に空き家が増え、地方自治体も県外からの移住を促したりして、人口減少に歯止めをかけたい様子。
確かに、地方にある実家は、近い将来は空き家予備軍になる。
憧れの田舎暮らし、故郷にUターンや、Jターンはあるのだろうけれど、わたしは無理だ。
わたしは人に見られる生活が多大なるストレスを生み出す。
顔を知られた地元で、スーパーの買い物ひとつひとつ、見られるのは、わたしの性格からすると堪え難い。

家を2つも管理するのは疲れる。
身体が、へなちょこでヤワなので、働きが悪い。
とにもかくにも。
今日はおわりです。つかれました。

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住まいには愛が詰まっている、はず

2017-06-20 | 
憧れの住まい。
一生懸命、頑張ったご褒美。
自分なりの成功の証。

関西だと芦屋?
わたしは、西宮が良い、と感じる。
単に最近、西宮にレッスン通いしているからだけれど、まあなんと、梅田から近いこと。驚きの短時間。
阪急宝塚線も、とても便利。
我が街が、ものすごくはるか遠くに感じる。
まあ、それはそれ。
自分の住んでいる街には愛着を感じているから、別に良いのだ。

別荘も不要。
我が街には、目一杯、グリーンが配置されている。
ジョギングやウォーキングするには、最適。
しかも、都心には行きやすい。(梅田までは、西宮には負けるが、通勤圏内)
(ちなみに、前に訪れた、スタンダード・モスクワっ子の住まいは、ウィークデーは集合住宅で、週末は、都会から離れた家=別荘だった)

リタイアしたら、ますます都心から縁遠くなるので、別荘地に対するニーズも薄くなる。
べつにわたしは、別荘地に移住する人を否定する気持ちは、さらさらない。羨む気もない。
現状で満足しているからだろう。

ただ、うんと高齢になると、ずっしり溜まりに溜まった重い荷物(不用品)に見切りをつけ、駅近マンションに引っ越す人もいる。
自分も不用品の一部かも?(これは、わたしだけの自分のことに対するブラック感想です)

わたしは別荘地に住む気力がない。
気力(お金も)がある人は、どんどん挑戦してください。
山が好き、自然が好き、野鳥が好き、そういう趣味のある人は、第二の人生を謳歌する、理想郷としての住まいは素晴らしい。

わたしは、蚊や虫が苦手で、ものぐさなので、自然に恵まれた暮らしを謳歌できない。
座ったまま手を伸ばせば何でも届く、便利な暮らしに慣れている。
そして、家や土地の手入れ、維持、管理の大変さをよく知っている。
労働をケチる、わたしには、オーバーワークである。

なので、都心に行くには少し長く時間のかかる(電車の中は、マイ リビング)不便なマイタウンが、嫌いではない。
しかも、何故か、こんな不便な地に、娘一家も、我が家の近くに居を構える。

住めば都とは、よく言ったものだ。


だが、娘たちは、わたしが思い入れのあるわたしの実家には、なんの思いもない。
実に、あっさり。
悩みをシェアしようものなら、「売れば?」と、愛着の微塵もないようす。
ステイタスも、実のないプライドも、虚栄心も無いと見受けられる。
わたしには、親や祖父母の頑張りの表れだと慈しんでいる、愛のこもった実家なのに。
「家」とは、単なる箱ではない。
家族と暮らし、愛を育てるもののようだ。

住まい手がいなくなった家は、役目も終了しているのだろう。
淋しい、厳しい、哀しい現実である。

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しがない三味線弾き

2017-05-23 | 
ブログジャム セッション。
こちらは、三味線。
音色とか、リズム、合いますかね〜?
ん〜〜。

「おかあさん」と呼ばれる。
誰のこと?
すごい違和感。
最近、おかあさん業から遠ざかっている。
子供から呼ばれる、お母さん。
夫から呼ばれる、お母さん。
第一、わたし、夫の母親だった?
あんな年上の息子、産んだ覚えがない。

「ばーちん」
これには、即、対応。自然に笑顔。
しかし、時には、「このガキんこたち!!!ええ加減にしなさい!」と、目を三角にした、文字通りのオニババ。


夫に、ある仏事の采配と実践を頼まれた。
姑からの要請によるものだが、調べてみると同じ行事を三年前に既にやっていた。
「一度やっているから重複するので、やめたら?」とカットを提案した。
はじめは「全面的に任せた」と言っていた夫は、「(提案は認めませんので、こちらの言う通りに)してください」と、絶対命令に変更。
全面お任せ依頼だったはずが、全面押し付け、絶対服従となった。

いつものごとく、話し合いの余地は全く無い。


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時代によって変る価値観

2017-02-19 | 
わたしには、自分の身を支える軸足が、田舎とニュータウン、二つある。
田舎のほうの家は、日本全国、似たような傾向にあるようだが、ほぼ空き家になった。
軸足は一つ減って、ニュータウンの自分の家だけとなった、というなら模範解答の一つなのだが。
(さらに核分裂して、娘がニュータウンの我が家の近くに居を構えた)

田舎から引き上げて撤退、統廃合!なら合理的で解り易いのだが、そうはいかない。
田舎には、夫の、目に見えぬ代々のご先祖様の幽霊が彷徨っている。
生きていなくても、手がかかる。
これをどうしたものかとアタマが痛い。

夫は幽霊たちと仲よく一心同体。
わたしは?
血がつながっていないが、背後から目に見えない怖いオーラが迫ってくる。
オーラごと息子に押し付けようとしていたら、逃亡を図られた。
今からこの25年の間に、どうするか筋道を立てる予定だ。
(まだ四半世紀もある!)

幽霊にマインドコントロールされている夫が、一番、厄介だ。
夫は、わたしと同世代なので、どちらが先にあの世に行くかは、わからない。
夫があの世に行くのを待っていたら、わたしの現生の生活に支障をきたす。
なので、切り離し作戦。
同時進行パラレル・ライフが基本コンセプトである。

やはり軸足は二本ということになる。
空き家であろうが、なかろうが。
価値観そのものに、歩み寄りがない。
嫁は、「女偏(おんな へん)に家」と書く。
女は嫁げば、婚家の方針に従うもの、という、時代に逆流する価値観を持つ夫には、相容れないものを感じる。
あたしゃ、あんたと結婚したのであって、あんたの家と結婚したんじゃないよ。
と言いたいところだが、
しかし、そもそも、わたしの結婚相手の選択には、イエが付きまとう。
自らが蒔いた種。
だが、時代は変わる。

軸足が二本のまま、うまく歩けるか?
人間は二本脚なので、大丈夫だろう。
と、価値観が真っ二つに別れたまま、引き続き歩いて行こうと考えている。

義務を放棄し、権利だけ主張。
これって、いいとこ取り? 許されるのか?
あまり突き詰めて考えても、また時代は動く。
世の中が、自分と同じような流れになってきている。
が、皆んな全員、こけるかも知れない。
問題点に気づき、方向転換を図り、いち早く脱出方法を考え出して、泥舟から抜け出すか、あるいは、運命に身を任せ、ブクブクと沈んでいくか。
とりあえずは、様子を見てみよう。
あと四半世紀もあるんだし。

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枯れていくのか、枯らしていくのか

2016-12-06 | 

今日は、前アップ時より、ちょっと落葉。
見る度に薄くなる、うら淋しい、男性の頭髪のごとく。
かくいうわたし、女性も、だんだん髪が抜け、ウィッグにしようかと。
つけまつげの次は、ウィッグか。
では、もうしばらくすると、入れ歯、杖かな?

義眼、義肢までは、まだ少し時間がありそうだ。

先日参加した法要、(超高齢に比べて)(わたしを含む)比較的若い者たちが、重鎮の高齢者の皆さんを差し置いて、次々と奥から脚が悪い人のための椅子に座り、占領。
それは、本当に脚が悪いからなのだが、高齢者の皆さん、ちゃんと座布団に座っておられる。

「お年寄りを差し置いて、若い者が先に座って申し訳ないですね」と、隣の椅子に一番はじめに座っている、これまた超高齢ではない親戚に、こそっと言うと、
「脚が悪いのは、れっきとした障がい者なんですから、年の若い若くないは、関係ありません」と、きっぱり。
なるほど。
堂々としていたら良いのか。
なんだか、不思議な開き直りをしている、超高齢でもなく、若くもない我々、脚の悪いメンバーたち。
主催者も、座布団に座れない、わたしと同世代。
我々は、とっても中途半端なお年頃。


ちなみに、わたし、メガネ歴半世紀、コンタクトレンズ歴は、48年で、それだけは早かった。
だからといって、いいことは、全然ありませんが。


いただいたお歳暮、↓こういうのも癒される。
ただし、わたし、ガーデニング・オンチで、生物、長くて三カ月しか保たないのが、哀しい。


色づき、あとは落ちるだけ

2016-12-03 | 


今年のモミジは、ブサイク・モミジ。

植木屋さんは、今回で2回目採用の若いイキのいいお兄ちゃんだったが、1回目は良かった。
が、2回目はアラが出た。
まず、値段。
同じ仕事量なのに、1回目より3割増し。
伐採方法、木の切り方、切ればいいんでしょ、というかんじで、美的センス、ゼロ。
枝ぶりとか、無視で、水平一直線に、バシっとカット。

フットワーク軽く、無口で仕事が早い、愛嬌ある顔が可愛いのではあるが、3回目を採用するか、考え中である。

所詮、ちんまりした一本だけのモミジ。
広々庭園に比べると、ものぐさな、わたしサイズ、省エネ、ツリー。
今年は観察する余裕もなく、もう散り際である。


タイトルだけ見ると、えらく方向違いなニュアンス。
そっち方面、期待なさった方、がっかりさせて、すみません。

人生の大先輩たち

2016-11-06 | 
姑は、人生の区切り、区切りで、自分の感じたことをわたしによく話した。

まず、わたしと知り合った頃。
姑は、今のわたしより9歳若い、51歳。
今、思えば、ピチピチの若いおばあちゃんである。

長男(わたしの夫)の結婚がひと段落したあと、姑はしばらくは、自分のお手柄(イエの嫁としての義務を果たした、跡取り安定への役目を終えたこと)に酔いしれていた。
喜びと共に快い疲労感、達成感に満ちていたことだろう。
堰を切ったように、婚家の歴史や親戚のこと、家にまつわることをわたしに話した。
時には関連物を見せたり、現場に案内したり。
聞き手としては、よくまあこれだけ話があるなあ状態。
真面目で素直な聴講生だった。

その時期と前後して、使うのはもったいない、と、ストックしていた贈答品を「生活を楽しまなければ」と切り替え、使い始めた。
人生、残りのほうが短いから、使わず、ためておいても意味がない、と。
当時は冠婚葬祭のお返しは、ほとんどモノだったので、お付き合いの派手な婚家にはどっさり、お返しの食器だのタオルだのが、ズラリ整然と仕舞われていた。

婚姻による新メンバー追加、さらに次々と出産ラッシュを迎え、落ち着いた頃には、年金の話。
わたしは、まったく興味がなく、上の空。
まるで関心がなく、どうでもよく、全然話を聞いていないのに、おとなしく相槌だけ打っていた。
アタマを素通りする話題に対して、べつにストレスはなかった。

やがて、知人や親戚の男性陣が定年を迎えると、
「立派な肩書き、地位、役職の人も、リタイアしたら、ただの人」
そればかりを、親戚の特定のある人を実例に、見出したセオリーの如く、呪文を唱えるかのように言っていた。
よほど、なにか、肩書きで嫌な目に遭わされたことでもあるのだろうか?
あるいは、置かれた状況が変わると、今までの価値観がころりと変化することに、驚いたと見られる。
戦前と前後をまたいで生きてきた世代には、劇的な価値観の変化に対応させられるが、あんまりわかっていない人々もいるようだ。

そのまた次は、自分の健康のこと。
健康なくして、なにもなし。
若い人たちの足を引っ張ってはいけないと。

やがて、我々は、子供たちの成長につれ、あまり姑の家には、正月、盆暮れ、彼岸、法事などの節目にしか行かなくなった。
イベントとして食事会などで、外での交流もあった。
舅と姑は、夫婦いい旅時代で充実期だった。


舅は晩年、何ヶ月か入院したあと、自宅療養した。
家で舅を看取った直後は、未亡人だと見られる世間(近所)の目に、姑は嘆きを感じた。
夫を亡くした自分は、みじめ、気の毒、などと思われている、と、姑が勝手に作り上げた目(思い込み)であると、わたしは見なしている。
若くして未亡人ならいざ知らず、70歳をとおに超してからの未亡人、男性より女性のほうが長寿なんだから、別によくあることである。
わたしは、その「世間の目」発想が、とても不思議だなあと感じていた。

姑にとって「自分が思うこと=世間が思うこと」という方程式が成り立っている。
世間にアンケート調査し、集計結果がたとえそうであったとしても、自分の、ごく身の回りの限られた人が、アンケート結果と違っていたら?
自分の思いと、アンケート結果が違っていたら?
そういう、自分の考えと別の方向にある、余計なことは、参考にはせず、雑音は音としてしか認識せず、脳やこころには到達しない。
試行錯誤や検証などは、一切しない、一直線。
ブレなくて、わかりやすい思考性である。
思考の省エネと言える。
揺るぎない信念というものだろう。
ガチガチの思い込みとも捉えられる。

夫を亡くした後、しばらくは悲しみに暮れるが、少なからずの妻たちは、やたらエネルギッシュになる。
御飯作りにもしばられず、黄金の解放期。
一気に、水を得た魚。
時間、お金、カラダ、自由を手に入れた。

その頃は、わたしも自分のことで色々忙しく、当時の姑のことはさほど記憶にない。
つまり、姑は、楽しい満ち足りた時は、あまりわたしに話さない、ということかも知れない。
辛かったことや、悔しかったこと、悪口雑言、自慢話は、しても。
わたしに話すことが、姑の一種のストレスの発散口になっていたかも知れないが、わたしは、べつに自分のことではないので、どこ吹く風。
聞くだけなんて楽だったし、べつに嫌ではなかった。

しかし、80歳も過ぎると、外出も億劫になり、同級生たちとの食事会も参加が一人減り、二人減り。
別になんの趣味に明け暮れるでもなし、一種の、健康オタクのようにわたしには映った。
本人曰く、
「旅行も存分にしたし、十分楽しんだ」。
(舅は旅行好きだったので、お供をしたが、後半は、お抱えの介護人)

姑も母も同じことを言う。
「行ける間に旅行しときなさいよ」

自分がしたくても出来なかったから、同じように後悔させないように、人に勧めるケースと、
自分は出来なかったから、当然、人にも禁止するケースがある。
あるいは、自分がやってきて良かったから、人に勧めるケースもある。

「若いうちに、出来ることはしときなさいよ」とも勧める。


人生の大先輩たち。
軌跡を辿ると「教訓」が点在している。
取り入れるか、取り入れないかは、また別ではあるが。

自分が無の時には、どんな話も興味深く聞くことができた。
お世話になっていたし、感謝もしていたし、話の内容にも、なにもストレスを感じるものはなかった。
が、こちらが自立し、自分なりの考えも形づくられてくると、聞き捨てならん!という内容も出てきた。
しかも、世の中の動きや、反対意見を言っても、馬耳東風。
わたしが賛同できない考えを一方的に押し付け、人の意見は聞く耳を持たない。
多くの老人は、そんなものらしいが、姑と話すこと自体にストレスを感じるようになった。

価値観は違うのは当たり前。
同じ価値観を持ち、一族が同じ方向を向いて、団結、集結し、一族繁栄に邁進するのが理想だが、舅が最後の実質的家父長。
夫も跡取りなので、家父長だが、舅はこの世を去り、姑は席不在、夫が、「皆、ついて来い」と引っ張っても、誰も着いていかない。
息子が最たる例。離脱。
妻も、明治時代なら無言で着いて行っただろうけれど、昭和も終わり、平成もすでに30年近くが過ぎようとしている。
強いリーダーシップがあれば?と仮定しても、もはや時代の波には逆らえない。
あえて逆行したい、女大学を地で行く、昔の美徳をふりかざす妻なら、やれば良い。
そうでない妻に、同一価値観の強要、価値観の合わない行動を強制するのは、関係性を崩壊させる効力があるだけ。

しかしながら、「旧い」「新しい」の問題だけではなく、わたしの性格や考え方にも問題があるようだ。

わたしは、長きに渡り、夫と向き合わなかったツケが、今頃、回ってきている。
自業自得である。

多くの夫婦は、夫がリタイアした後の夫婦の人生を再点検、見直すようだ。
わたしの場合はまだ夫はリタイアしていないので、見直すにも、状況的に少しチグハグになっている。
だが、リタイアを先どりして、気持ちは前倒しだ。

かつては、縦のチカラ関係ばかりに縛られ、上の言うことだけを考えなく聞いていればそれでよかったが、上がなくなった後は、夫婦のあり方を見つめ直すことになる。
なぜなら、夫は、ベルトコンベア式に、ポストが空いたから、はい、次どうぞ、と、家父長にはなっていないからである。
だが、夫にはその認識がないことには驚かされる。
また、子供のように、母親に甘えるように甘えられると、苛立ちを通り越して、ぞっとする。(我々は、相性が悪い)
が、事態をことあるごとに姑に力を借り、夫に説明してこず、放置していた責任は、わたしにある。
自分育てに忙しく、夫を育てる余裕はなかった。
やがて、わたしは姑から自立した。
が、姑が不在だからと、母親代わりに夫に頼られるのは御免被りたい。

並列の友だち夫婦も、よかろう。
ただし、リーダーはいない。
しかも、嵐※の中では即、転覆する小舟である。
まったく、精神的には頼りにならない。
小舟が転覆しないよう、船客同士、仲良くしないと、お互いの命がかかっている。

人生の先輩たちは、ナビゲートしてくれたものの、手を離す時期になっても、我々は、あまりうまく育たなかった。
精神的に、自分の足で立てなかった。
イエの、時代の流れによる移り変わりもある。
大きな諍いがなかっただけ、マシか。


未来は、次世代以降の人々に任せる。
こんな前の時代を生きた先代たちがいたことを知ってもらうだけでも、随分違うように思う。

わたしの書くものは、すべて遺書である。
どうせ家族は読まないだろうけれど。



※文中
他サイトへの誤った転載は、ご遠慮願います。

わたし流お付き合い

2016-08-14 | 
昨夜は、姑の留守宅に泊まった。
なぜ、今回は暇なのか、わかった。
じつに単純なことだが、子供や、子供たち一家が来ていないからだ。
娘一家は、お盆は旦那さんの実家に長期滞在。
LINEを入れても、最低限度のリアクションしかない。
忙しくしているのだろう。

お盆に家に大人数で泊まられると、食事や寝具、お風呂、食べたり飲んだり遊んだり、わあわあ大騒ぎの忙しさになる。
そういう意味では、静かなお盆である。

夫と二人だけだと、いつもなら険悪なのに、なぜか不思議とケンカにならない。
おそらく、夫のご先祖様たちが、夫の加勢をしてくれているのだろう。

昨夜は、姑の部屋で寝たが、暑苦しくて夜中にうなされるかのように、目が覚めた。
隣の部屋は、仏間。
そこには扇風機があるのだが、どうしても取りに行けない。
汗がダラダラ、汗だくなのに。
ご先祖様が、大勢帰省して、わいわいやっているのかと思うと、怖くてとても部屋に入る勇気がない。
宗教は信じない、と言いつつ、信じない時や行事不履行のペナルティに怖気付くタイプ。
強迫観念。
夜中、目がぱっちり開いてしまい、はたして眠れるのだろうか、朝までまんじりとも一睡もせず、ということに、なりはしないか、と不安に思ったが、
ご先祖様たちは、「一瞬でも、仏まつりの役割を自覚したらそれでよろしい」と、至らぬ嫁に、けっこう甘めの措置を取ったようで、すぐに眠りについた。
そのまま一気に、目が覚めたら朝、とうに七時を過ぎ、すでにお手伝いの人が庭でなにやら、ごそごそ働いていた。

働き者だなあ、そうとう高齢なのに、用事をあれこれしてもらうのは、申し訳ないかんじである。
まあ、お互い、善意とか、好意とか、そういう関係ではないので、風通しは良い。

お盆の行事、今は、中盤。
いつもなら買い物担当の人が買ってきてくれるが、今年は司令官がいないので指示がなかったようだ。
材料は、私の自宅から持ち込んだ。
それでも足りない分は、今、夫が買いに行ってくれている。
助け合いの精神。
これもご先祖様が「協力せよ」と、背中を押してくれているのだろうか。

昨夜、池上彰が、テレビ番組で日本人の宗教観を述べていた。
宗教心は、あまり強く自覚していないらしい。
他の民族のように、声を大にして教義を謳ったり唱えたりしないけれど、教えが、日常の生活に自然に溶け込んでいるとか。
私なんかは、それかも知れない。
御利益や、目に見えるプラスを求めるのではなく、大きな欠損のないよう、つつがなく平穏無事に暮らせるよう、とりあえずは、積極的ではないにしても、最低限度のことは、こなそうとする。

負担の少ない、でも継続する努力で、小さな幸せを維持したい。